59 ードクトルの研究室ー
「さ、さあ、入ってくれ、シ、シズク君?」
ギルドの奥、人通りの全く無いそこはツンと鼻をつくカビと埃の臭いに包まれている。
ドクトルは最奥の扉を開くと、シズクに対し中へ入るよう促す。
「ああ、失礼する」
部屋に入るが、中は真っ暗だ。
「おっと、すまない」
ドクトルが壁際に手を這わせ、何かに触れると部屋が突然強い光に包まれる。
(…この光、何度見てもわからないな。魔力が一切見えないから魔法じゃないとは思うけど… どうやって光らせているんだ?)
シズクは一瞬だけ目を閉じて光に目を慣らすと、部屋を見渡した。
ギルドの全員が『工房』と呼ぶそこ ードクトルが言うところの研究室ー は、様々な物で溢れかえっている。シズクには雑然としているようにしか見えないが、ドクトルにとっては全て意味のある配置になっているらしい。以前、気を利かせて部屋を片付けようとした職員に対し烈火の如く怒り、件の職員は危うく命を落とす所だったという。
以来、この研究室に入ることができるのはシズクを含めた数人だけだ。…判断基準はドクトルが気に入った者らしい。なぜ気に入られているかはシズク自身にも分からない。
「さ、さあ、寛いでくれ。の、飲み物でも飲むかい? 」
ドクトルに促され、俺は手近にあった椅子を引き寄せるがー
「待てっ!!! …あ、ああ。すまない。急に大声を出してしまった… で、でも、シズク、君の椅子はこっちだ。この椅子に座ってくれ」
ドクトルが指差すのは、俺が引き寄せたものの隣にあった椅子だ。俺には違いが全くわからないが、彼にとっては重要なことなのだろう。
反論する理由はないので大人しくドクトルが示した椅子に座る。
「す、すまないね。だが、ど、どうしても気になってしまうんだ…」
本気で申し訳なさそうにしているドクトルに、ひらひらと手を振って気にしていない事を伝える。こだわりは人それぞれだ。
気にしていない様子のシズクをみて安堵の表情を浮かべたドクトルは、奥の部屋へと引っ込んでいった。おそらく見せたいものとやらを探しにいったのだろう。
「…いらっしゃいませ。7日と14時間32分振りですね」
机の上に置いてあるよく分からないものを見ていると、突然背後から声が聞こえる。
振り返るとそこには、いつの間にか1人の女性が立っていた。
「…ミオか。心臓に悪いから急に後ろから声をかけるのはやめてくれと言っているだろう」
…俺の目の前に立ってなお、一切の気配も、僅かな魔力の揺らぎすら感じさせない。
「いえーいどっきり大成功… ぴーすぴーす…はいどうぞ。シズクが一番好きなブドウのジュースです」
無表情で呟き両手でピースをして、どこからか取り出したドリンク入りの瓶を俺の前に置く。
相変わらず無表情だが、どことなく機嫌が良さそうにゆらゆらと身体を揺すっている彼女は『ミオ』。ドクトルの助手として研究室に住み着いている女性で、薄桃色の長い髪と、どこか遠くを見ているような紫がかった瞳が特徴的だ。
何故か俺を気に入っているようで事あるごとにちょっかいをかけてくるのだが、楽しそうな台詞とは裏腹に表情は全く変わらない。
…まあ、本人は楽しんでいるらしいので良しとしよう。
それよりも気になるのは、こうして視ても一切の魔力を感じない事だ。俺の目を信じるのならばつまり、ミオは俺と同じで魔導力を持っていない事になる。
以前ダメ元で尋ねてみたが「魔導力…?はい、持っていませんよ。なぜなら私は人間ではなく『M−0型 独立機動多目的デバイス No.0007』ですから」などと意味不明な事を言っていた。
「ミ、ミオ君、私にも何か飲み物を…」
いつの間にか戻ってきたドクトルがミオに飲み物を要求する。
「お部屋に置いてあるので勝手にどうぞ」
ドクトルの方を見もせずに要求を突っぱねる。相変わらずどっちが偉いのかよくわからない関係だ。
「ま、まあいい… それより、待たせたねシズク君、こ、コレが君に見せたかったものだ」
自分の助手であるはずのミオにあしらわれたドクトルが気を取り直して俺に何かを差し出す。目の前にゴトリ、と重そうな音を立てて置かれたそれは…
「…なんだ?コレ」
それは奇妙な形をした道具だった。
どう使うのか、そもそも何のために存在するのか皆目見当がつかない。
「おっ… 意外と重いな」
片手で十分に持てる大きさだが、ずしりとした重さを感じる。
「ふーむ… この重さなら武器に使えるか?いや、殴るにしても短すぎるか」
「そ、そうだ!シズク、君も武器だと思うだろう!?」
奇妙な道具をくるくると回して観察していると、ドクトルが興奮した様子で身を乗り出してくる。
「近いっつーの… ん?これ穴が開いてるぞ?」
ドクトルの顔を押し除けながら観察を続けると、先端に穴が開いているのを見つける。
覗き込もうとすると…
「危ないっ!」
ドクトルにパッと取り上げられる。
「うおっ… 何だよいきなり」
意外に俊敏な動きを見せたドクトルに苦言を呈する。
「あ、ああ、すまない。だが、この穴を覗くのはやめた方がいい。ほら、ここを引っ張ると…」
ドクトルがその道具の先端を誰もいない方向に向けると、出っ張った部分に指を引っ掛ける。
ガキンッ!
金属質な音が響き、ドクトルの手にある道具が変形した。
しかし…
「あ、あれ?お、おかしいな。何も出なかったぞ?」
ドクトルは手に持った道具を訝しげに見つめる。
「何がおかしいんだ?その道具が動いたことか?」
「う、動くのはいいんだ。だけど、昨日試した時は、この、先端からすごい速さで何かが出てきたんだけど…」
どうやら思っていた動きと違うらしい。
「み、ミオ君、き、昨日、これを触ったりとか…」
「しませんよドクトル。なんでも私のせいにしないでください」
疑いをかけられたミオが無表情のまま反論する。
「そ、そうか、う、うーん… 壊れてしまったのか」
元々どういう動作をするものなのかは分からないが、期待通りの動きをしなくなったらしい。
「掛けられていた魔法が切れたんじゃないか?…いや、ダメだな。そもそも魔法が掛けられていた痕跡すら見当たらない」
推論を述べつつ魔力を観察してみるが、使い捨ての魔導具の類ではないようだ。
「そもそもコレはどこで拾ってきたんだ?見たこともないぞ」
解明を諦め、机の上に謎の道具を置きつつ尋ねる。
「あ、ああ、『異界』さ。一昨日、潜った時にね」
異界… 確かに、異界ではたまに奇妙なアーティファクトが発見される事もあるが…
「おい、異界で発見した道具は国に提出義務があるだろ。何持ってきてんだよ」
「ひひっ… バレなければいいのさ。だ、だいたい、国なんぞに渡したら、城の宝物庫だかに永久に放置されるだけだ」
悪びれもせず笑うドクトル。まあ、確かに国に提出したアーティファクトが帰ってきたという話は聞かない。
「仕方ない奴だな… ん?ミオ、さっきから黙ってるがどうしたんだ?」
ふとミオの方を見ると、机に置かれたままの道具を瞬きもせずに見つめている。
「おいミオ!おーい… ダメだ聞いてない」
目の前で手を振ってみるがピクリとも反応しない。
「ひひっ… ミオ君も故障か?そ、それとも燃料切れかな?」
ドクトルが冗談めかした事を言い、机の上に置いたアーティファクトを掴んで奥の部屋に戻っていった。
「失礼な。私をそんなポンコツロボと一緒にしないでください」
お、動いた。
「何だよ寝ちまったのかと思った。…ロボって何だ?」
聞き慣れない単語を発したミオに尋ねるが…
「…? 申し訳ありません。私もよくわかりませんが、ふと浮かんだのです」
無表情のまま首を傾げるミオ。まあ、こいつがよくわからないのは今に始まった事ではない。
「そんな事よりも、私はあのアーティファクトを知っている… ような、気がします」
ミオが再び机の上に視線を戻し、記憶を探るように呟く。
「へえ… 何に使うんだアレ。ドクトルに教えてやればいいのに」
ミオはそんな俺をやはり無表情で見つめ、ゆっくりと首を振る。
「ですが… 申し訳ありません。どうやらプロテクトがかけられているようです。今の私には、該当の情報に対するアクセス権限がありません」
…何を言っているんだ?
「全く意味がわからんぞ。ぷろ…てくと?がなんだって?」
首を傾げる俺に、無表情だが僅かに得意そうな顔をしたミオが答える。
「安心してください。私にもわかりません」
ああそうかい。聞いて損した。
聞く気が失せた俺は椅子に座り直す。
「ですが、私が異界を彷徨っていた頃、あれと同じような物を持っている人間が居ました」
そう呟くミオだったが、すでに興味を失った俺は聞き直そうともせず、手のひらに作り出した魔力の塊を様々な形に変化させて遊ぶ。
「…ですが、私が異界を彷徨っていた頃、あれと同じような物を持っている人間が居ました」
ミオが俺の耳元に顔を寄せ、先程と一言一句違わぬ内容を繰り返した。
「ええい鬱陶しい。どうせそれも『ぷろてくと』がどうとか『あくせす』がこうとかで話せないんだろ」
ミオの顔を押し除けながらボヤく。頬を手で押されて「むぐぐぐぐ…」などと呻いているがやはり無表情だ。
「むぅ… 問題ありません。私が異界で再起動した後の出来事なのでお話できます」
頬を抑えながら、表情を不満げに歪める。…ほんの僅かにではあるが。
「んじゃ話してみ」
正直あまり興味は無かったが、話をさせれば静かになるだろうと思い先を促す。ミオは案外会話好きなのだ。
「お任せください。…コホン。アレは私が目覚めてすぐの事でした。周囲の探索をしていると、人間が魔物に襲われている場面に出くわしました。巻き込まれたらかなわないと思い、ステルスモードを起動して待機していたのですが…」
ミオが話し始める。所々意味のわからない単語が出てくるが、突っ込むと面倒なので放置だ。
「そのまま人間が喰われて、魔物が去るのを待っていたのですが… 人間が先程のアーティファクトと似た物を向けたと思ったら、遠雷のような音が2度、3度と響き… 気がついたら魔物が地面に倒れていたのです」
そこで言葉を区切るミオ。続きを待っていたが一向に話し始める気配はない。
「…終わりか?」
「はい。ご静聴ありがとうございます。シズク」
どうやら終わりらしい。結局どういう使い方をする物なのかはわからなかったが…
「ふーん… まあ、その人間が使っていたものと同じならやっぱり武器なんだろうな。それも、魔物を倒せるくらいとなると結構強力な… 魔法も使わず魔力もないのにそんな事が出来るのか? 話からして小型の大砲のような感じか?あの大きさで?」
椅子に座り直し考え込み、ブツブツと独り言を呟いているとミオが俺の顔を覗き込んできた。
「ふふ、シズク。気のない振りして興味津々ですね。これが可愛いという感情でしょうか?」
無表情で俺の頬を指でつついてくる。とても鬱陶しい。
ミオに突かれたり手を払い除けたりして戯れていると、奥からドクトルが現れる。
「シズク、き、君に『念話』が来ているぞ。ギ、ギルドパスのは、発行が終わったらしい。あ、あと『念話』には、ちゃ、ちゃんと出てくれとつ、伝えろとも言われた」
『念話』は、特定の相手や範囲に自分の声を届けるという魔法だ。体系化された風魔法の一種だが、必要な魔導力は2なので平民で使えるものはあまり居ない。ー範囲や対象人数によって必要な魔導力は変動するがー
「ああ、やっと終わったか。ありがとう」
メッセンジャーを務めてくれたドクトルに礼をいい、椅子から立ち上がる。
「ドクトル。シズクに向かって『念話』を受けろなんて酷な事を言わないでください。イジメはかっこ悪いと私のメモリーにも記載されています」
ミオがドクトルに抗議の視線を向ける。…無表情だが。
「い、イジメなんかじゃない。い、言われた事をそのまま告げただけだ」
抗議の視線に晒されたドクトルが肩をすくめる。
『念話』の魔法は、放つのに必要な魔導力は2だが、受けるだけならば1でも問題はない。だが、それでも魔導力1は必要なのだ。当然、魔導力が存在しないシズクは受けることすら出来ない。
「ですが安心してくださいシズク。私も『念話』を受けることはできませんから。おそろいです」
ミオが無表情で胸を張る。正直意味がわからない。
「なんの話をしてるんだ… そもそも俺は、受けようと思えば受けられるぞ。常に『念話』用に魔力を調整しなきゃいけなくて面倒なだけだ」
「がーん。つまり仲間外れは私だけということですか。ショックです」
言葉とは裏腹に全く気にしていなさそうな顔をしている。付き合うだけ無駄なので無視するとしよう。
「じゃあ俺は行くぞ。ドクトル、興味深い物を見せてもらった。感謝する」
「あ、ああ。またいつでも来てくれ。つ、次に会う時までに、あ、あれの正体を突き止めておくよ」
「シズク。また来てくださいね」
俺は手をあげて研究室を後にすると、足早にギルドの受付に向かった。時間にはあまり余裕が無いな。




