56 ー準備ー
ー夜
『火時計』を見ると、炎の色は黒みがかった紫色だ。
昨日、手紙で指定された時間は黒い火の時刻。約束の時間まではもう少し時間があるが…
「遅れるよりはいいな。そろそろ行くか」
寝転がっていたベッドから立ち上がり、読み止しの本を適当に放る。
…しかし、夕方から今まで時間を潰すのは難しかった。普段なら空いた時間はトレーニングに充てるが、流石にそこまで長時間続ける事はできない。
「いてて… 読書なんて慣れない事をするもんじゃないな。肩が凝っちまった。…これなら仕事をしていた方がマシだったな」
シズクはグリグリと肩を回し凝りをほぐす。…肩が凝ったのは本のせいではなく、読書をする体勢の所為であろうが。
着ていた使用人服を脱ぐと、代わりに適当な普段着を見繕い手早く着替える。
その後、ベッドに手のひらを向け魔力を操作。個人用とはいえ、1人ではとても持ち上げる事が出来ない重量であるはずのそれがふわりと浮かびあがる。
シズクは浮いたままのベッドに歩み寄ると、床に目を向ける。
普段は人の目に触れないであろうベッドの下には薄く埃が積もっている。だがその一角、不自然に埃の線が切れた箇所がある。
シズクはそこに手を向けると、再び魔力を操作する。
ガコッー
埃の線に沿って床板が外れると、ベッドの幅と同じ程度の大きさの収納が現れる。
徹底して隠されたそこには、他人に見られると困る様々なものが放り込まれている。
国への提出義務がある魔物の角や取り扱いの禁止されている品々、ご禁制の薬品など、秘匿していることが発覚すれば明日にでも処刑されるであろう様々なものが詰め込まれ、それらを探知防止効果を持たせた魔力の膜で包んでいる。
そんな収納の中央、適当に畳まれたそれを手に取る。
再び床板を閉じ、ベッドを戻して収納を隠すと、闇に溶け込む漆黒の外套、目深な頭巾を備えたそれを纏う。
平民が持つには上等すぎる仕立ての外套だが特別な効果を持つものではない。だが、これから行う仕事をする時はいつもこれを羽織るのだ。
「さて… 行くか」
シズクは扉に鍵を掛けると、窓を開けて飛び降りた。ーちなみにシズクの部屋は3階にあるー そのまま音も無く着地すると部屋を見上げて魔力を操作し、パタリと窓を閉める。
そのまま使用人寮に背を向けると、ウィンタエア邸の本館ー セッターの部屋に向かって歩き出した。




