42 ー緘口令ー
「お!か!しい!!!」
午前の講義が終わり、皆は思い思いの場所に昼食を摂りに行く。
俺も適当に飯を…などと考えていると、ユキが俺の座っている机をバン!と叩く。
魔力を視るまでもなく、ユキの動きからそれを察知した俺は机の上に置いてあった飲料水入りのビンを掲げる。…溢れたらどうすんだ。
大層御立腹なようだが、ユキが感情を露わにするのはいつものことなので放っておく。
「ちょっとシズク!おかしいんだってば!」
俺に相手する気がないと分かると、ユキは後ろに回り込んで俺の肩を揺する。あ、溢れたちくしょう。
…これは相手してやらないと拗ねるな。
「…あー、何だ、そのうち良い事あるって」
俺はユキの頭をぽんぽんと叩きながら、適当な文句を口にする。
「撫でるな叩くな!」
…手を振り払われてしまった。どうやら対応を間違ったらしい。
「何だってんだよ面倒だな… 俺は腹が減ったんだけど」
仕方なくユキが怒っている理由を聞き出すことにした。経験上、こういう場合はさっさと解決してやったほうが面倒がなくて済む。
「何って昨日の話だよ!シズクがあんなに大活躍したってのに、噂にすらなってないってどういう事さ!」
ユキが座っている俺の肩をバシバシと叩きながら、憤りの理由を叫ぶ。正直うるさい。
「別に良いだろそんなん… 大体、闘技場に居たのなんて俺と同じ平民ばかりだったし、貴族が平民に負けたーなんて大っぴらに吹聴する奴なんて居るわけないだろ」
とりあえず思い当たる節を告げるが、ユキは納得していないようだ。
「むー… それもそうだけどさー、ちょっとくらい噂になってても良いと思わない?」
「思わない」
間髪入れず返す。
「シズクのバカ!…あ!ねえねえ君!」
「ひっ!?あ、えっと、ウィンタエア様… 何か御用でしょうか…?」
ユキが手近に居た平民の生徒に声を掛ける。いきなり貴族に、それも色々な意味で有名なユキに話しかけられたその男子生徒は思わず跪き、恐る恐る声を返す。
「君、昨日闘技場に居たよねぇ?シズクが大活躍したってのに全然噂になってないみたいなんだけど…」
ユキは跪いた男子生徒に目線を合わせると、昨日の一件について尋ねる。
「え!?いや、その… ど、どうして僕が闘技場に居た事を…?」
男子生徒は、貴族が平民である自分とわざわざ目線を合わせて話をしている事、大勢の観客の中から自分が居た事をピタリと言い当てられた事など、様々な驚きで声を詰まらせながら聞き返す。
「え?どうしてって… 居たでしょ?そんなことより、何でシズクのことが話題になってないか知ってる?」
覚えていることなど至極当然といった表情で小首を傾げ、再び聞き返す。
どうやら、昨日闘技場に居た観客の顔を全て覚えているらしい。凄まじい記憶力だ。
…最も、俺にとってはユキの規格外さなど今更の事なので、いちいち驚きはしないが。
「いや、あの… ぼ、僕の口からは、その…」
図らずも間近に迫ったユキの顔から目を逸らし、おどおどとした態度で質問に答える。
「え?…なにそれ。何か理由でもあるの?」
そんな煮え切らない態度に若干ムッとしつつ、ユキが聞き返す。
「い、いや、その!違うんです!ただ僕らはその、昨日のことについて口外しないように言われただけで…!」
貴族を怒らせてしまったのかと、勢いよく頭を振りながら弁明する男子生徒。
…なるほどね。予想はしていたが、やはり口止めされていたか。
俺にとっては予想の範囲内だったが、その内容はユキを苛立たせるのに十分なものだったようだ。
「…誰にそんなこと言われたの?」
「それは、その…」
その体躯に似合わぬ威圧感を放ち始めたユキに対し、萎縮したように言い淀む生徒。
心なしか周囲の気温が下がっている。
「誰に、そんな事言われたの?」
先程と変わらぬ言葉を、内に込められた感情のみ変えて再度放つ。
頭1つか2つ分は小さいであろう少女に詰め寄られ、そのまま後退り尻餅をついてしまう。
…流石にこれは不憫だな。
「おいユキ、そこまでにしとけ」
いくらなんでも横暴だと思い助け舟を出すことにする。
俺が後ろから肩を掴むと、ユキの纏っていた絶対零度の魔力が霧散する。
「…シズク」
収まりがつかないのか、ユキが不満げな顔でチラリと振り返った。
「俺の為に怒っているのは分かるが、流石に八つ当たりが過ぎる」
「う… 確かに… ごめんなさい。イサルム君…」
そう諭すと、自分の態度にも思うところがあったのか、詰め寄っていた男子生徒に対し素直に頭を下げる。
「あ、いや、その…」
貴族に頭を下げられ、どうして良いのか分からずキョロキョロと辺りを見回す。…これはこれで不憫だな。
「問い詰めても無駄だって。どうせ口止めしてんのは教師だろう?」
サラリと口にすると、男子生徒は何故か自らの口を押さえる。…どこかで口を滑らせたとでも思ったのだろうか?まあ、9割方当たっているとは思っていたが、この様子だと正解のようだ。
「…どういう事?シズク」
不思議そうに聞き返してくるユキ。珍しく頭の回転が鈍いな。
「簡単な事だろ。平民の、それも最底辺の無能が貴族と真っ向から戦って打ち負かしたー なんて、無駄な混乱を生むだけだ。そして、あそこに集まっていたのは平民ばかりで、その全員に命令を下せるのは貴族である教師だけだ」
俺の考えを語りながら、チラリと男子生徒の様子を伺う。
「…そこまでわかってるならまあ、いいか… お前のいう通りだよ。あの後、先生から闘技場にいた全員に緘口令が敷かれたんだ」
「なんで!?」
ユキが再び怒りだすが、男子生徒は落ち着きを取り戻したのか、臆する事なく返事をする。
「…さっきそいつが言った通りですよ。無能が貴族を倒すなんて冗談にもなりません。まあ、わざわざ口止めなんてしなくても、誰も信じないと思いますが」
彼は最後に「自分の目で見ていた僕も信じられませんし」と付け加え言葉を切った。
「…先生の所に行ってくる」
無言で聞いていたユキは、一度は収まったはずの怒りに瞳をギラつかせながら立ち上がるー「まあ待て」ーはずだったが、俺が襟首を掴んだせいでそれは叶わなかった。…カエルが潰れたような声を出していたが聞かなかったことにしよう。
「なにすんのさ!」
出鼻を挫かれたユキが抗議してくるが、俺だって考えなしに止めたわけじゃない。正直、あまり大事になってもらっては困るのだ。
「何度も言ってるだろ?無用な混乱を引き起こすぐらいなら、俺は別に無能のままでも構わないんだ。目立ちたいわけでも見返したいわけでもないからな」
「…でも」
これだけ言っても納得しないらしい。
…仕方ない。あまりこの手は使いたくなかったが。
俺は丁度いい位置にあるユキの頭を抱えると、自らの胸元に引き寄せる。
そのまま抱き抱えつつ、空いた方の手でグリグリと頭を撫でてやる。
「お前だけは無能じゃないって思ってくれるんだろ?俺はそれだけで十分なんだよ」
「…ん」
納得…はしていないかもしれないが、少なくとも理解はしてくれたようだ。
腕の中で大人しくなったユキを離し、最後にデコを軽めに弾く。
…ユキが感情を露わにするのは、いつだって自分の為ではなく俺の為だ。
だが、俺がユキを止めたのは『俺の力を隠す』…ただこの一点、つまり俺の為だ。
全く… 自分のことしか考えられない自分が嫌になる。
ユキと一緒にいると、いつだってこんな気分になるんだ。
…こいつの生き方は、いつだって俺には眩し過ぎるんだ。




