39 ー友ー
「おっと、もう馬車来てるな」
見ると、停留所にはすでに数台の馬車が停まっている。
ウィンタエア邸から学園まではそこそこ距離があるため、朝は馬車に乗ることが多い。
「うーん… 今日は少し出るのが遅かったから、混んでるねぇ」
停留所は、平民や自前の馬車を用意できない下級貴族の学園生で溢れている。
「これはしばらく待つことになりそうだな。待つのが嫌なら飛行魔法で先に行ってもいいぞ」
『飛行』の魔法は魔導力4以上… つまり中級貴族の平均程度の魔導力で行使できる。だが制御が難しく、日常生活で気軽に使うことのできるものではないのだ。
最も、無数の魔法を常時展開し続けるユキにとっては登校に飛行魔法を使うなどそれこそ朝飯前だ。わざわざ人混みで揉まれることもないだろう。
「えー… 僕も馬車を待つよ。シズク1人じゃ心配だしね」
「俺は馬車すら一人で乗れないと思われてるのか?」
「一人にしたら学園サボっちゃいそうだし」
「…………」
信用が無さすぎる。
しかし図星だったため何も言えない。せめてもの抵抗でユキから目を逸らしておく。
「…失礼。ウィンタエア様と、シズク様でお間違いありませんか?」
馬車の順番を待っていると、初老の男性に声をかけられた。
黒い執事服を完璧に着こなし、真っ直ぐに伸びた背筋が美しい。
「えっと… 貴方は?」
ユキが若干緊張した様子で問う。
「これは御無礼を致しました。私めはカリダム様に仕えるしがない執事でございます」
そう返すと、優雅さの中に力強さを感じる所作で一礼する。
「カリダム様の?」
一体なんの用だろう。仇討ちでもしに来たのか?
「はい。お二方をお連れするよう仰せつかっております」
なるほど、仇討ちは本人が直接行うということか。その意気や良し。
一人早合点していると、ユキが執事にトテトテとついて行ってしまった。
「おいユキ。知らない人について行くなって言ってるだろ。俺がフブキに怒られるんだからな?」
「え?でもカリダム様の執事さんでしょ?」
追いかけてユキの手を掴むと、執事が苦笑いを浮かべる。
「ご心配なさらずとも、ユキ様ならば私など鎧袖一触。警戒に値しないと言うことですよ …さあ、こちらです」
執事が自虐を交えつつ、通りの端に止めてある馬車の前に立つ。
そして扉をコツコツとノックし、声を掛ける。
「フェーゴ坊っちゃま。お連れしましたよ」
「ああ、開けろジキル。…それと、坊っちゃまはやめろと言っている」
ジキルと呼ばれた執事は、後半のセリフは無視して馬車の扉を開く。
「ご機嫌よう。カリダム様」
ユキが中に居るカリダムに挨拶をする。俺も続こうとしたが、先にカリダムの方が口を開いた。
「ああ、ご機嫌ようウィンタエア君。…それと、シズク君」
その言葉に多少驚く。
昨日は俺が挨拶しても無反応だったのに、どんな心境の変化だろうか。
「…なんだ?その顔は。私が君に声を掛けるのが不満かね?」
カリダムに睨まれてしまった。
「あ、いえ別に… ご機嫌ようカリダム様」
少し慌てて挨拶を返すと、カリダムはフンと鼻を鳴らした。
「まあいい。乗りたまえ」
乗れって… この馬車にか?
意味がわからず固まっていると、カリダムは半ば呆れたように腕を組む。
「鈍いな君は。学園まで送ってやろうと言うのだ」
どうやらそう言うことらしい。あまりの変わりように驚きを通り越して不気味さを覚える。
とは言え送って貰えること自体はありがたい。ここは素直に受け取っておこう。
そう考え、ひょいと馬車に乗り込むと、カリダムが溜息を吐く。
「…君は戦闘以外はからっきしなようだね」
どうやら呆れられてしまったようだ。なんなんだ?
意図が掴めず、思わずカリダムの顔を見つめてしまう。
するとカリダムは俺の背後にチラリと目を向け、軽く顎をしゃくる。
あ、そう言うことか。
カリダムの意図を把握した俺は、馬車の中から振り返り、ユキの方を向き直る。
「よっ、と」
ユキの腋に手を差し入れるとひょいっと抱き上げ、そのまま座席に座らせる。
「わっ、と… えへへ ありがとシズク!」
ご機嫌だ。うむ。これは正解だろう。
ユキの隣に腰を下ろし、扉を閉めると馬車が走り出す。普通の馬車と違って振動が全くない。おそらく『耐震』か何かの魔法が掛かっているのだろう。特に必要もないのでわざわざ魔力を視る事はしないが。
…ん?何故かカリダムが額に手を当てている。
「あれ?カリダム様頭痛?大丈夫?」
ユキが心配そうに声を掛ける。
「違う!…ハァ、私は女性のエスコートもできん奴に負けたのか…」
どうやら俺の対応は間違っていたらしい。おかしいな。
「まあ、そう気を落とさないでください。エスコートと戦闘の強弱は関係ないじゃないですか」
「やかましいぞ無礼な奴だな君は!…いや、まあいい。貴族らしい振る舞いは一朝一夕で身につくものでは無い。しっかり勉強したまえ」
そんなこと言われても俺は貴族じゃないし。ユキも喜んでたしいいだろう別に。
「あはは、まあいいじゃないですかカリダム様。僕は気にしてませんよ?」
ユキもカリダムを諌める。
「そう言う問題ではない。それに、君も君だぞ? 男にキチンとエスコートさせるのも良いレディの条件だ」
「うぐぅ…」
飛び火したユキが呻き声をあげる。
「へっ、怒られてやんの」
「元はと言えばシズクが僕をれでぃー?扱いしないのがいけないんでしょー」
「抱えられて喜んでた奴のどこがレディだ」
「お?シズク僕に喧嘩売ったの?久しぶりに本気出しちゃうぞ?」
「ええい喧しい!少しは貴族らしくできんのかね!?」
怒られてしまった。ユキが。
「言われてるぞユキ。貴族らしくしろ」
「僕じゃなくてシズクでしょ?僕はオトナのれでぃーだからね」
「俺はそもそも貴族じゃないし。あと、オトナもレディも居ないぞ」
「両 方 だ ! ! !」
「「ごめんなさい」」
ユキと共に素直に頭を下げると、カリダムは少し気恥ずかしそうに居住まいを正す。
「ゴホン… すまん。つい声を荒げてしまったな。私もまだまだ未熟だ」
…カリダムのことを良く知っている訳ではないが、昨日とは随分印象が違うな。
「それで、今日は一体どうしたんです?昨日のリベンジですか?」
話題を変えるために尋ねると、カリダムは首を振った。
「いや、そういうわけではない。昨日も言った気がするが、今の私では君に勝てん」
淡々とした様子だ。もっとプライドが高い人だと思っていのだが。
そんな疑問を抱いていることを悟られたのか、カリダムは俺を見てフッと微笑む。
「君に負けて気がついたよ …驕っていたのさ。『魔剣』を受け継いだ事で満足し、愚かにも魔法の深遠、その一端を極めたとね」
『魔剣』ーああ、あの炎剣とかいうやつか。
まあ俺がやったように、魔力を操って自動反撃を解除するという裏技でも使わなければ、そこいらの魔法師では歯が立たないだろう。
「というわけで一から出直しだ。どうやって負けたのかすら分からん。しかし、我が炎剣に懸けて、いつか必ず君に勝利して見せる」
憑き物が落ちたように真っ直ぐ俺を見つめるカリダム。その目には貴族の驕りも、平民への侮りもない。
「…これは、眠った龍を起こしてしまいましたかね?」
肩を竦めて苦笑いを浮かべると、カリダムは同じく肩を竦めて口元に笑みを浮かべた。
「ふっ… 私にとっては君こそが眠れる龍だ。起こせるだけの実力を身につけ、必ずまた君の前に立とう」
随分と過分な評価をされているようだ… だが、少なくとも彼にはもう、俺を無能と謗る気はないのだろう。
対等… かどうかはわからないが。
「というわけでだね… あー…」
なんだ?カリダムにしては随分と歯切れが悪い。
「き、君を、その、なんだ… 私の友人として迎えたい。如何かな?」
おっと、対等どころか友人と来たか… 身分的にも、能力的にも釣り合わないと思うが…
「…友達料は払いませんよ」
「私がそんな強請り紛いの事をするか!金には困っていない!」
金には困ってないとか、俺もいつか言ってみたいもんだ。
「冗談ですよ。カリダム様。…俺でよければ」
そう言って左手を差し出すと、カリダムは躊躇せず俺の手を掴む。
多くの魔法師は左手で魔法を扱う。魔法師にとって、左手を差し出すというのは何よりの信頼の証だ。
「友人ならば様付けはやめてくれ。それと、敬語も無しだ」
「…流石に身分の差がありすぎませんか?」
平民と貴族では天と地の差があるのだ。まあ、普段のユキに対する態度を思えばあまりとやかく言えたものではないが。
とはいえ相手は中級貴族、気分一つで平民の首など物理的に飛ぶ。
「ふん、君の実力の前には身分などなんの役にも立たん。故に、君と私の関係にそんなくだらない物は必要無い」
評価が重すぎる。ちょっと心臓に剣をぶっ刺したくらいでこれ程評価されるとは思わなかった。…いや、思い返したら結構マズい事をやっているな。いくら魔導戦だったとはいえ、身分差を考えれば捕まっててもおかしくない。
それをむしろ喜んでいるようだし、もしかしてマゾ… おっと、想像とはいえ失礼か。
まあ、本人が良いなら良いだろう。
「分かった。カリダ… フェーゴ。これからよろしくな」
どうせならと名前で呼ぶと、カリダム… いや、フェーゴは一瞬だけ目を見開くと、口元を綻ばせる。
「まさか私の名前を覚えていたとはな。よろしく頼む。シズク」
「うっ… グスッ… よがっだね”ぇ“ジズグ〜」
フェーゴと2人の世界に入っていると、隣から鼻を啜る音が聞こえる。
…というかすでに号泣している。
「うおっ… なんだお前いきなり… って抱きつくな汚ねえっ!」
人様に見せられないような、色々なものでぐちゃぐちゃになった顔をしたユキが抱きついてくる。
「うう… だって、やっとシズクに友達ができたんだもん。もう嬉しくて…」
ユキの頭を押さえて遠ざけていると、涙を流しながらそう宣う。
「やっとシズクの事を認めてくれる人ができたんだねぇ… 僕もう前が見えないよ…」
「分かった分かった… ほら、顔拭け」
俺はユキの鞄からハンカチを取り出し、顔に押し付ける。
ズビーッと音を立てながら鼻をかんでいる。きったねえ…
「全く、何がそんなに嬉しいんだか」
「相変わらず仲が良さそうだな。ウィンタエア君も、シズクのそばにいる時が一番魅力的だ」
フェーゴがからかうように言うが、服をベタベタにされた俺はたまったもんじゃない。
「カリダム様、シズクを末永くお願いします!みんな勘違いしてるけど、本当はとっても良い子なんですから!」
やめろ。というかお前は俺のなんなんだ?
「シズクも、やっと友達ができて良かったねぇ。新しい友達って、去年学園に迷い込んできたカラス以来?」
「人を動物しか友達が居ないボッチみたいに言うんじゃねえ。俺にだって人間の友達くらい居るわ。例えばほら、アイツとか… あー、…カミルとか」
長々悩んだ挙句一人しか出てこなかった。
「ねぇカリダム様、僕とも友達にならない?シズク一人だと色々迷惑かけちゃうかもしれないし」
おい無視するな。そしてお前は俺のなんなんだっつーの。
「…ふむ。願っても無い。よろしく頼むよウィンタエア君」
フェーゴはユキとも握手をする。マズい。このままでは俺がボッチで確定してしまう。
…しかしその後、弁明する機会は訪れず、俺はプライドを失い、代わりに一人の友を得たのだった。




