26 ー進化ー
(っと… 危ないのう!)
振り下ろされる爪を『エア・ウォーク』と呼ばれる魔法を操りなんとか避ける。
自らを風で押し出す『エア・フロート』とは異なり、空中に風の足場を作るその魔法は、常駐起動する事で高い機動性を誇る。
最もそれは、空中に居ながらも姿勢を保ち続ける身体能力が必要ではあるが…
片腕分のバランスが失われた状態でその制御を行うゴウセツの身体能力は、まさに空前と言っても過言ではない。
だが、状況は好転しない。
手負いの『風熊』が岩場の方に走り去るのが見えたが、目の前の『土熊』に手一杯で対処のしようがない。
(無事で居てくれれば良いが…)
攻撃魔法は通じない。なんとか攻撃を避け続け、岩場の方に向かったシズクがユキとフブキを逃がしてくれる事を祈るしかない。
(エリーナも一緒の筈じゃが… 怪我を負っていたのう。無事だといいが…)
その時、爪牙を振るう『土熊』の動きがピタリと止まった。
「…なんじゃ?ワシと遊ぶのは飽きたかの?」
そんな軽口に応えるはずもない。
言動とは裏腹に、一挙手一投足を見逃すまいと冷静な目を向ける。
「グル…」
「なっ… 貴様!逃げるのか!?」
一声鳴いたと思うと、岩場の方に一目散に駆け出した。
とはいえ、魔物には元々騎士の矜持などありはしない。もはやゴウセツに目もくれず走り去っていく。
「おのれっ… むぅ!?」
追い縋ろうとしたゴウセツだったが、自らの意思に反してガクリと膝を付く。
止血したとはいえ少なくない出血に加え、限界を超えた肉体の酷使によりもはや体力は底を突いている。
「くっ… もはやここまでか… 頼むぞ、シズク…!」
会って間もない少年に後を託す。
(ふっ… 血を失いすぎたか?ワシらしくもない事を…)
自嘲気味に笑うと、ゴウセツは地面に座り込んだー
(すごい…)
ユキ・ロン・ヴァ・ウィンタエアは、殺戮の限りを尽くした大熊の魔物が、首を切断され、身体を斬り刻まれ地に倒れ伏しているのを呆然と見つめる。
その奥から悠然と歩み寄る少年は、さながら神話に語られる神の御使のようであった。
いや、今この場にいる少女にとっては、彼こそが神であった。
彼は見上げるほど大きな魔物を、不思議な魔法で動きを止め、吹き飛ばし、あまつさえ武器も持たぬ腕で斬り刻んだのだ。
エリーナの『雷槍』を無傷で受け止めた相手を、いったいどんな魔法で倒したというのだろう?
ユキにはついぞ窺い知ることはできないが、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、今、自分がここに生きているということだ。
生き残った実感と ーそして、自らを守るために死んでいった者たちを想うと自然に涙が溢れた。
少年はそんな自分の頭を、自分のものより少しだけ大きな手でわしわしと撫でる。
「ほら、死ななかっただろ?…だから、笑いな」
傷だらけの身体でそう笑った。
ユキも泣きながらではあるが顔を歪め、にへらと笑った。
ユキの頭を撫でつつ、シズクは意識を周囲の魔力に向ける。
『土熊』がこちらに向かっている事を感じ取るが、ゴウセツが死んだ訳ではないようだ。
だが、もはや戦う力は残っていないようで、地面に座り込んでいるらしい。
(これは、もうすこし頑張らないとな)
「…っ!シ、シズクくん!」
どうやら、ユキも近づく『土熊』に気付いたようだ。
焦りの表情を浮かべそちらを見遣る。
シズクもそちらにチラリと視線を向ける。がー
『土熊』はシズクたちの脇を通り越し、息絶えた『風熊』に駆け寄る。
ふんふんと鼻を鳴らし、もはや動く事がないと知ると『土熊』は一声空に向い吠えた。
ユキも、シズクもそれを黙って見つめる。
そして『土熊』は、『風熊』の頭部に歩み寄るとーその額に生える角を食い折り、飲み込んだ。
「…ひゃっ!?」
ユキが小さく悲鳴をあげた。
『土熊』の身体から「風」が噴き荒れる。
左腕の紋章ー今までの土の紋章の上に、風の紋章が刻まれるのが見える。
(力を… 喰らったのか?死んだあいつの魔力が、『土熊』に纏わりついてるのが視える)
莫大な力を得た熊がこちらを向き直る。
その視線にびくりと身を震わせるユキを背中に庇い、シズクはゆるりと手を向けた。
次の瞬間、熊の身を覆うほどの土煙が巻き起こる。
飛来する砂埃から目を庇い、次に目を開けると…
そこに熊の姿は無く、地面に開いた巨大な穴が残されているだけであった。
(逃げた…か)
助かったと思うべきだろうか?
しかし、知恵と力をつけた獣ほど厄介なものはない。
生かしておけば遠からず、どこかの誰かが再び傷つくことになるだろう。だがー
(まあ、俺には関係ない話か)
背に感じる確かな重さを守り抜いた。
そのことに確かな充足感を感じつつ、シズクは穴に背を向けた。




