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25 ー魔力の業ー

無惨に引き裂かれる少年を幻視し、思わず顔を覆うユキ。

自分と歳も変わらないであろうその男の子は、知り合って間もないユキのために身を投げ出して傷を負ったのだ。


…いつもそうだ。

ユキの周りにいる人々は、望んでもいないのに身を挺して自分を守ろうとする。

なんで?みんな死にたくなんかないはずなのに。


最初に死んじゃったカルドさんは、去年「けっこん」したんだって嬉しそうにいってたのに。

カルドさんが僕を背中で押した瞬間、お腹から血がいっぱい出て…


いつか子供が産まれたら、ユキ様のように良い子に育ってほしいって言って頭を撫でてくれた。

その時と同じように、笑顔で頭を撫でてくれて、そのまま動かなくなっちゃった。

…僕、全然良い子じゃないのに。僕のせいでみんなが傷ついちゃう。


おじいちゃんと一緒に戦ってた「きし」さん達も、みんな自分じゃなくて僕やお姉ちゃんを守ろうとしてた。

この前お母さんの病気が治ったって言ってたセイグさんも、妹がけっこんするって言ってたヨルシアさんも、おさななじみのお姉ちゃんに「ぷろぽーず」するんだって、こっそり僕に指輪を見せてくれたソルトさんもみんなみんな、僕たちを守るために死んじゃった。


…死にたくなんかなかったはずなのに。

きっとこれからも、僕が生きてると誰かが死んじゃう。

…そう知ってるのに、死にたくないって思ってる僕はきっと、とても悪い子なんだと思う。


「…?」

いつまで目を瞑ってても、あの男の子が死んじゃう音が聞こえない。

恐る恐る目を開けてみる。


そこには、「まほう」を使う時みたいに手の平を前に出す男の子と、振り下ろした腕を直前で止めたまま、まるで何かに縛り付けられたように動かない「くま」がいたー


「…ああ、忌々しい」

自分の口から、意図せず言葉が漏れる。

左手を『風熊』に向けたまま、俺は周囲に目を向ける。


今までただその場に漂っていただけの魔力に、急に意味を見出すことができる。

灰色だった世界に、色がついたような感覚を覚える。


『風熊』は、不可視の鎖で全身を縛られている。

最もそれは、『風熊』の操っていた風のようなものではない。

魔力そのものに意味を与え、それを鎖と為したのだ。


そして、それを為しているのはー


(うん。解る…)

感覚で理解できる。

魔力の鎖を維持したまま、右手で漂う魔力に触れる。

触れた魔力は今までのようにふわふわと揺れるのではなく、俺の意志に従って収束する。

手のひらで自在に形を変える魔力の塊は、俺が“そう”認識するだけでまた空に溶けていく。


転がる石ころに目を向ける。

近くに漂う魔力が収束し、石を弾き飛ばしてそのまま空中に留める。破裂する泡玉のようなイメージを向けると、石ころは弾けて砂となった。


(ふぅん…)

再び『風熊』に目を向ける。

『風熊』は、全く動かない自らの身体を、困惑した瞳で見回している。


ヒュッ


シズクが軽く腕を振ると『風熊』の巨体が弾かれたように吹き飛び、岩に叩きつけられる。

バラバラに砕け散る岩の下から、怒りと困惑を綯交ぜにした瞳をした『風熊』が立ち上がる。


「へぇ… 丈夫だな?」

熊を見つめるシズクの口元にはー彼自身も意図していないだろうがー薄らと笑みが浮かんでいた。

その笑みを浮かべたまま、ゆるりと上げた指先をクイと手前に引く。

「ほれ来いよ。遊んでやる」


おそらく言葉は通じない。だが、遥かに矮小な存在、単なる獲物であるはずのこの生物に、自分は確かに侮られたー

その事実は、捕食者である『風熊』のプライドを深く傷つけた。

「グルゥアアアアアアアーーーー!!!」

『風熊』は咆哮を上げると一直線に駆け出す。

3足で駆ける熊を冷静に見つめ、スッと手のひらを向ける。


そのまま横に軽く手を払うと、目前まで迫っていた熊がガクンと方向を変える。

いや、魔力に引っ張られ無理矢理変えさせられたのだ。

生物が可能な動きからかけ離れた制動により、肉体に少なくないダメージが蓄積する。


そのダメージを野生の生命力で捩じ伏せ、再びシズクに向かって駆け出す。

「無駄だって」

振り下ろす爪を、牙を、その獲物は紙一重で、しかし危なげなく避けていく。

生まれ落ちた瞬間から強者であるはずの自分が、こんな小さな獲物にあしらわれているー

その事実は、今まで感じた事のない感覚を『風熊』に与える。

彼にはそれが何かは判らない。


自らが決して敵わない存在に出会ったのであれば逃げるべきなのだ。

獣であろうと備わっているはずの生存本能は、こと絶対強者である『風熊』には備わっていないようだ。


(なんだろ。今までより、よく視えるな…)

振われる爪牙を避けながら、意識は明後日の方向を向いている。

まるで枷が外れたように身体が動く。

全身に魔力が満ち、身体を覆っている。

周囲の魔力に意識を向けるだけで、まるで目で見ているかのように光景が脳裏に浮かぶ。


(ユキ様がぽかんとした表情を浮かべているな。向こうには… フブキ様か。ゴウセツ様に助けを求めることにしたみたいだが、まだ『土熊』と戦っている最中だ。…とはいえ)

再び意識を『風熊』に向ける。


「そろそろ飽きてきた。感覚はもう掴んだし… 遊びは終わりにしよう」

左手を向ける。それだけでー少なくともシズク以外の全員がそう思うだろうー『風熊』は爪一本動かせなくなる。


掌を向けたままゆっくりと近づくシズク。

右手は、何かを持つように軽く握られている。

(イメージするのは… 刃だ。奴の纏う魔力ごと引き裂くような…。そして早く、速く… そう、空を走る星のように)


傍目には、彼の手には何もない。だがシズクは確かに、その手に不可視の刃を握っている。

軽く助走をつけ、シズクは『風熊』に飛びかかる。魔力による強化がされたそれは、さながら流星のようであった。


(あ、攻撃魔法を使う時って、確か詠唱とかいうのをするんだっけ?)

引き伸ばされた一瞬でそんなことを考える。


「ー魔力刃『流星』」


即興で考えたそれを口にする。

『風熊』の背後に着地するシズク。

チラリと熊に目を向け、剣を鞘に収めるような動作で右手を払うと…


ザンッ!!!


まるで今更斬られた事を思い出したかのように、全身を斬り刻まれた『風熊』が地に倒れ伏した。


ーーー


ーこの小さな獲物は、一体俺に何をしている?

あの細い腕が払われる度に、俺の身体は、俺が今まで喰ってきた奴らのように吹き飛ばされる。

爪もない手を向けられるだけで、俺の爪が、身体が一切動かない。

俺が爪を振り下ろせば、喰えぬ獲物は居ないはずなのに。


そうだ。あの忌々しい獲物が、爪のような鋭く細い棒で俺の腕を斬り落とした。あのせいでうまく風を操れなくなったのだ。

アレがなければこんな小さな獲物、すぐにでも喰えた筈だ。


ぞくりー


今まで感じた事のない感覚が背筋をつたう。

目の前の獲物が、俺に手を向けたまま、反対の手を軽く握る。

ただそれだけで全身が強張る。動かない身体を捩って、産まれて初めての逃走を試みる。


とんっ


軽く地を踏み、獲物が前に進む。

次の瞬間、獲物の姿が霞み、消え去る。


「魔力刃『流星』」


意味は分からない。だが、きっとこれは奴の鳴き声なのだろう。

今理解した。奴は俺と同じ、生まれついての強者で、俺と同じ、『喰らう者』ー


ドサッ


最期に聞いたのは自らの首が落ちる音。見たものはー自らが獲物に向けていたのと同じ、弱者を見る目。

もう一つ、今まで感じた事の無い感情… 最期まで理解する事のできなかったそれを、人は恐怖と呼ぶ。


脳裏に浮かぶ、理解不能な感情を最期に『風熊』の意識は永遠の闇に閉ざされた。

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