第四話 退屈王子と友達の猫③
「あはっ、ふふっ、あはははっ!」
向かってくる騎士を投げ飛ばし、ぶん殴り、蹴り上げて、私は笑う。
頭から流れ落ちてくる血が鬱陶しい。傷の痛みも、苦しい呼吸も、全部邪魔だ。
騎士団の数はもう半分以下になっていた。
「ヴィマってこんなに強かったの……っ?」
「ふん、こっちはあんたらみたいにお上品な世界で生きてないのよ。貧民街で用心棒張るならこの程度は一般教養ね」
「減らない口だね……まぁ良いよ。まだ考えはあるから」
また1人騎士を倒し、さぁ次という時、場にそぐわない騒がしい声がした。
「おいっ、離せよ! 気安く触るな!」
部屋の扉が勢いよく開き、そこにはディーよりもっともっとよく知った奴が騎士に拘束されていた。
ヴァレンだ。両腕を掴まれて、鎖を轢かれて部屋の中に入ってくる。
「丁度いいところに来たね」
ディーが嬉しそうに笑う。
今日のヴァレンは前に見たようなドレスじゃなく、もっと簡素な、黒のネグリジェを着ていた。でも生地がキラキラしていてとっても素敵。
寝巻き姿でも相変わらず綺麗だ。
「えーっと、この間ぶりね、ヴァレン」
「…………」
「ヴァレン?」
ヴァレンは騎士を振り切って無言で私に抱きついて来る。鎖の先に着いた重しのために逃げられないと思っているから自由にさせるんだろう。繋がれた鎖ががちゃがちゃ鳴った。
「な、何よ?」
ヴァレンは無言のまま、そっと、私の今さっき騎士たちにつけられた肩の切り傷や、殴られたこめかみの傷を触った。
「ちょっと……ヴァレン?」
ヴァレンは私から体を離して、つかつかとディーのところへ歩み寄る。そしてディーの胸ぐらを掴み上げた。
「約束が違うぞ第一王子。ヴィマには手を出さないんじゃなかったのか」
「僕は手を出してないよ。命じただけだ」
「そんな屁理屈が俺に通じると思ってるのかよ」
ヴァレンがディーに食って掛かる。しかしディーはしつけの悪い犬でもいなすみたいに、ヴァレンの鎖を強く引っ張った。
「ぐっ……」
「いつから僕に意見できる立場になったわけ?」
「あれ? 今日はやけに強気じゃないか、王子様。好きなコの前だからカッコつけたいのか?」
「相変わらず生意気な口……」
ディーが騎士から剣を一本受け取り、私の方に向き直る。
そして鎖でヴァレンを地面に引き倒し、その背中を踏みつけた。
「ほら、ヴィマの大好きなお兄さんだよ。こいつを傷つけられたくなかったら大人しくしてね」
「人質ってわけ」
「うん。力づく作戦は失敗みたいだから。騎士たちは後でお仕置きしないと駄目だね。命令一つまともにこなせないんじゃ困っちゃうよ」
ディーの持つ剣がヴァレンの首筋に当てられた。
「……うちのヴィマは人質でどうこうなるほど甘くないっつーの」
「誰がうちのよ」
捕まってる分際でヴァレンがうるさい。
「な、何でそんなに余裕なわけ……」
「さぁ、何でかしら」
ディーは注意深く私の目を覗き込んでくる。けれどこっちの真意を探るのは諦めたのか、一つため息をついて話し出した。
「選ばせてあげるよ。ヴィマ」
「何を?」
「大人しく僕の愛玩動物になってくれるなら、ここでヴァレンと穏やかに暮らさせてあげる」
「嫌って言ったら?」
「抵抗するなら騎士たちを使って無理やりねじ伏せるだけだ。その時はヴァレンのことは地下牢にでも閉じ込めて、君への人質にしようかな。もちろん君にも相応の目に遭ってもらうつもりだよ。そのご自慢の怪力で逃げられたらたまったもんじゃない。脚の健くらいは切っておいた方が良いかもね」
ディーは影のある笑顔を見せる。一緒に街で遊んでいた時とは別人みたいだ。
「どっちにしろ結果は同じなんだから、僕に従ったほうが賢明だと思うよ。さぁ、答えは決まった?」
「……少し、考えさせて頂戴」
私はぎゅっとスカートを握る。
「少しだけだよ。僕はそんなに気が長くないから」
「えぇ、少しで十分よ」
もう済んだから。
エプロンドレスの裏に(勝手に)つけた隠しポケットからナイフを取り出し、ディーの手首を狙って投げた。
「なっ……」
近くにいた騎士がとっさにディーを守ったけれど、ヴァレンの拘束は解けた。ヴァレンを奪い返して、私はその鎖を強くねじる。
がちん、と耳に痛い音がして、鎖はあっけなくねじ切れた。
「う、うそ……っ、鉄の鎖だよ?」
「関係ないわ。こんなもので私やヴァレンを縛れると思ったら大間違いよ」
隣にいるヴァレンの形のいい鼻をつまむ。
「そうでしょ、ヴァレン。国だろうが何だろうが私達の敵じゃないわ」
「いやでも」
「元はと言えばあんたが弱気になったからいけないのよ! だから話がややこしくなってるの! 分かる? 私達の邪魔をする奴は何でもかんでもぶん殴れば良いのよ。それで全部解決なんだから」
「世の中ってのはお前が思うほど甘くないぞ……」
ヴァレンがため息をつく。
「うちの妹は単純馬鹿だから、俺がいてやらないと駄目だな、全く」
「今回あんたは捕まってただけじゃない」
「うん。助けてくれてありがとう」
「調子のいい奴」
ヴァレンと軽口を叩いていると、ディーがくすくす笑う声が聞こえた。
場にそぐわない無邪気な声に少しおののく。
「何全部終わった気になってんの」
「ディー、それ何してるの?」
ディーはさっきヴァレンに向けていた剣を、今度は自分の首に当てていた。
「おやめください! 王子殿下!」
「うるさいっ! もうお前らはいい! 全員出てけよ、この役立たず共!」
「しかし……」
「出て行けって言ってるのが聞こえないの?」
「…………」
「まぁいいや、邪魔しないで見ててよね」
流石にこんな状況の中出ていくことはできないのだろう。騎士たちは部屋の壁際にそろって整列した。ことが起こったら止める気なのだ。
「こんどは自分が人質?」
「人質が僕じゃそこまでの効力はないでしょ。人質は相変わらず、お前の大事な兄貴だよ」
「……どういうこと?」
ディーが本当に楽しそうに、またくすくすと笑う。
「お前が僕の要求を呑んでくれないなら、お前らを王子殺しの大罪人にしてあげる。この国総出でお前らを追うよ。よその国へ逃げたって無駄。王族殺しはこの国最大級の罪だもん」
ディーの目にはほんの少しの不安もなかった。ただ薄灰色の目に、私だけが映っている。
「国を相手にしたってヴィマは逃げ切れるかもしれないね。でもヴァレンはどう? お前は強いけど、その無力な兄を守り切れるって断言できる?」
「それは……」
「大人しく僕に従ってよ、ヴィマ。ここにいてくれさえすれば良いんだ。それ以外は何も要求しない。毎日美味しいご飯を食べさせてあげるよ。服も、アクセサリーも、娯楽も、なんだって、僕は君にあげられる」
不気味な笑いもなりを潜め、ディーはただ真剣に私を見つめている。その瞳は本当に切実で、いつものように悪態をつく気にもならなかった。
「選んでよ、ヴィマ」
仕方がないので、私も答えることにする。
「……私からも提案してあげるわ」
「提案?」
ディーが訝しげに眉を潜める。私は構わず続けた。
「一つはあんたの言う通り、私とヴァレンを飼い殺してずっとそばに置くの。私は閉じ込められるのは嫌いよ。きっとあんたのことも嫌いになるわ。もう仲良くお喋りすることも、一緒に出かけることもないでしょうね」
ヴァレンが私の陰に隠れてこそこそと自分の髪留めをいじっている。
あれは少しいじると針になって、その先に塗られた毒で相手を無力化できるものだ。吹き矢のようにも使える。
ディーはまだ気づいていない。
私はディーに気付かれないようにヴァレンの手を握って針の準備を止めた。
「…………」
ヴァレンは私の意図が通じたらしく、髪留めをしまってくれた。
今は私が「友達」と喋っているんだから、邪魔が入ったらいやだもの。
「……もう一つは?」
「もう一つは、ヴァレンも私も解放して、あんた1人城に残ること」
「何を言い出すかと思えば……そんなの呑むわけないじゃん」
「最後まで聞きなさい。こっちを選ぶと凄いわよ。私はここから出て行くけど、私たちは友達でいられるわ。また王都に遊びに来たら城に忍び込んであんたに会いに来てあげる。困った時は助けに来てあげるわ。それとなんと、ヴァレンとも友達になれるわ。大人気歌姫と友達よ。凄いでしょ」
「は、俺?」
「そうよ。2人、結構相性良いと思うわ」
「こんな変態女装野郎と?」
「こんな変態監禁野郎と?」
「ほら、息ぴったり」
ディーは子供の様にぎゅっと顔をしかめて首を振る。
「いやだ。僕はお前がここから離れていなってしまうのが嫌なんだ。例えお前に嫌われてでも、遠くへ行かせたくない。お前が僕の『部屋』にずっといてくれたら全部解決なんだ」
「あのねぇ、あんたはそもそも初めがおかしいのよ。どうして何でもかんでも部屋に閉じ込めようとするの。そうじゃなくて、面白いものが見たいならあんたが部屋の外へ出て行くのよ」
「そんなこと……無理だ。僕はこの国の王子なんだから」
「こんな城、簡単に侵入できる私がいるじゃない。もし私と友達だったら便利よ。あんたを連れ出して、また一緒に遊びに行ってあげるし、タダで用心棒にもなってあげるわ」
「でも……」
ディーが迷っている。私はそこへ畳みかけた。
「選びなさいよ。一生つまんないつまんないって愚痴りながら部屋に引きこもってるのか、私やヴァレンと友達になって部屋の外へ出て行くのか」
「外に……」
「選択するのは私じゃなくあんたよ。さぁ、どうするの」
返事を待つ。誰も喋らないとこの部屋は驚くほど静かだ。
「……っ、お前が約束を守る保証はどこにあるんだよ。お前がここにもう戻ってこなかったら、僕は……」
「私は嘘はつかないわ。あんたやヴァレンと違ってね」
「お前、結構根に持つね」
「これから一週間はしつこく責めるつもりよ。あ、もちろん一週間後まで友達だったらの話だけど」
ディーの剣を持つ手の力がゆるむのが見えた。
「なんでこうなってるの? 選択を迫ってたのは僕の方だったと思うんだけど……」
「諦めろ、ヴィマの開き直りには誰も勝てないから。俺も、喧嘩でアレされるともう何も言えない」
男2人がこそこそ何か話している。
「決めたなら早く言ってよ。早くしないとこっちで勝手にするわよ」
「そんなの有り? ちょっと待ってってば」
ディーが焦って言う。そして少し考えて、口を開いた。
「僕は——」