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第四話 退屈王子と友達の猫②



 僕――ディートリヒ・ベルトリヒ・オールドガルナ・フォン・バンクは、この国の第一王子としてこの世に生を受けた。


 僕が生まれたのは異様に寒いある春の午後。

 国王陛下の第一子として僕は、それはそれは丁寧に、無菌室で小鳥でも飼うかのように育てられた。第一王子としてふさわしい人間になれるように。


 父と母のことは国王陛下、女王陛下と呼び、けして馴れ馴れしくしないこと。

 読んでいい本は歴史書と学術書だけで、していい運動は剣術の練習だけ。それも教師が見ているときに限る。

 着て良い服は王城に出入りする仕立て屋が作ったものだけ。

 食べて良い物は何人もの毒見係が口をつけた、冷めきったものだけ。

 喋っていいのは王城への出入りを許された良家の子息令嬢だけ。


 うつくしく整えられた、退屈な生活だ。


 昔、城の庭で見つけた猫に餌をやったことがある。

 猫は怪我をしていて、とても辛そうだった。僕がミルクを持ってきてやると弱々しく、けれど美味しそうに飲んだ。僕はこの猫を自分の部屋へ連れて行こうとした。


「いけませんよ殿下、このような野良猫をお城へ入れては」

「触るのもいけません。ばいきんが付きますよ」


 そう言って奪い取られた猫はどこへ行っただろう。艶やかな黒い毛並みの猫だった。



 14歳になった時、父について行った公務で、近隣五カ国で行われた博覧会に出た。

 博覧会では色々なものがあった。


 綺麗な織物、書物、楽器、陶器、新しい機械や施設、その他もろもろ。

 僕がそれまで見たこともないような沢山に人と、賑わいと、美しい展示品。僕は博覧会の雰囲気にすっかり夢中になった。

 その後にあったパーティや食事会は退屈だったけれど、博覧会の会場の中はまるで夢のような空間だった。


 博覧会から帰った後も僕は夢心地だった。

 こんな退屈なお城じゃなく、あの博覧会の会場に住めたらいいのにとさえ思った。

 だから、自分で作ることにした。


 気に入ったものを城の地下室にかき集めて、僕のお気に入りの部屋を作る。そこは僕の好きなものだけしかない、楽しくて面白い、あの日の夢みたいな部屋だ。


 僕が今回興味を持ったのは貧民街の歌姫だった。『黒玉の歌姫』の異名を持つ、それはそれは素晴らしい歌手らしい。

 部下に命じて連れてこさせたところ、確かに歌は素晴らしかった。


「好きなものだけ詰め込んだお気に入り部屋ねぇ。ガキの発想だな」


 『歌姫』は僕の部屋を見てそう嗤った。腹が立ったので歌を聴くとき以外は部屋に呼んでいない。

 というか、『歌姫』と聞いたら誰だって女だと思うと思わない? 何で男が女の服を着て女みたいな声で歌っているんだろう。歌がきれいだから性別は別にどうでもいいけれど、でも腑に落ちない。


 ここまで反抗的なのは初めてだけれど、今までにも、人間を部屋に連れてきたことはあった。

 素晴らしい物語を書く小説家、驚くほど頭のいい学者、ピアノを自分の体の一部のように操るピアニスト、他にもいろいろ。


 不思議なことに、何故かみんなそろってここから出ていこうとする。十分な食事も、生活環境も整っていて、欲しがるものは何でも思うままに与えているのに、何が不満なんだろう。僕には分からない。

 与えられるものだけで生きて来た僕には一生理解できないことだろう。


 ピアニストが自分の指を切り落としてまで外に出たがった意味を、僕が理解することは、きっと永遠にない。



 ヴィマに声をかけたのは偶然だ。


 最近部屋に連れてきた『歌姫』と後姿がそっくりだったから……というのも理由の一つだ。けれど、ヴィマを初めて見た時、いつかの黒猫を思い出したのが一番大きな理由だと思う。


「こっちは仕事中なんだから邪魔しないでよ。どっか行って」


 あんな風に適当な扱いを受けたのは初めてで、少し戸惑った。それから面白いと思った。


 あの時の黒猫にしてやれなかったから、沢山おやつを食べさせてやった。ヴィマは甘いお菓子が好きみたいでいつも喜んで食べた。

 僕と話しているときはむっとした顔ばかりなのに、お菓子の前では可愛らしい笑顔を見せる。そのことが嬉しいと同時になんだか悔しかった。


 ヴィマは面白い奴だった。

 見てて心配になるくらいがりがりなのに妙な怪力を持っていて、態度がふてぶてしくて、兄の話をする時だけ雰囲気が柔らかくて、意外と笑った顔が可愛くて、話す時はいつもまっすぐ僕の目を見る。他にも、礼儀知らずだったり、足癖が悪かったり、色んな面白いところがある。


 今まで、僕の周りにこんなに面白い奴はいなかった。


「お前といると、僕はなんだか素直に笑える気がする」


 ヴィマには悪態で返されるかと思ったけど、意外にも小さなほほえみで返ってきた。


 なのに、僕はこんなにあいつのことを気に入っているのに、ヴィマは生まれた場所に帰るという。


 王都と貧民外、距離で言えば一日もあれば行き来できる場所だ。けれど、ヴィマが帰ってしまったら僕は彼女に二度と会えない。僕は城の中を自由に出歩けるけど、王都へ遊びにも行けるけど、それは城の人間に黙認されているからできるだけだ。

 僕は城の中で大切にはぐくまれる王子様に過ぎない。許可されない場所へはけして行けない。


 ヴィマともう二度と会えない。

 そう考えただけで手足の先から凍るように冷たくなる。

 顔を合わせた時間は一週間もないというのに、考えてみればおかしな話だ。


 僕はどうすればいい? 手足を切り落として僕の部屋に閉じ込めたらいいんだろうか。そうしたらヴィマはずっと僕の近くにいてくれる?

 でもすごく嫌われるだろうな……。想像に難くない。



 それに、あの口うるさい歌姫とも約束している。


「そんなに妹が好きなんだ。なら、妹もここに連れてきてあげようか?」


 来たばかりの頃、あの歌姫があんまり妹のことばかり気にしていたから、そう言ってやったら珍しく声を荒げて掴みかかってきた。

 そして約束させられた。内容は『ヴィマに手を出さないこと』。僕がそれを守る限り、歌姫はこの部屋の中で僕を楽しませ続ける。そういう約束。


「俺の妹に手を出してみろ。この部屋も、お前のお気に入りも、この俺も、お前も、全部ぶち壊してめちゃくちゃにしてやる」


 実際、その日からの歌姫の歌はすばらしかった。それまでよっぽど手を抜いていたらしい。



 そんな約束もあったから、ヴィマに手を出す気なんか最初はなかった。本当だ。

 でも。


「今日はとことん付き合ってもらうわよ」

「さっすがディー! 愛してるわっ」

「友達が一人できて良かったってこと」


 ヴィマと一緒に出かけて、色んな表情を、声を、仕草を知って、それが頭から離れない。

 もっともっと彼女のことを知りたいのに、もっとそばにいたいのに、それが無くなってしまうなんて許せない。


 僕はただ今のまま、ちょっと出歩いたら廊下でヴィマが掃除していて、僕がそれに声をかけて、おしゃべりして、一緒にお菓子を食べるような、そんな日々が続けばいいと思っているだけなのに。


「黒髪の女の子がこの部屋にやって来る。その子を捕らえてほしいんだ」


 僕の直属の騎士団にそう命じる。ヴィマの怪力がどれほどのものかはよく分からないけど、こいつらなら逃すことはないだろう。


 あぁでも、ヴィマは来ないかもしれない。兄にはまだ並々ならぬ想いがあるようだし、会って心が乱れることを嫌うかもしれない。

 ヴィマが来なかったら……来なかったら、その時は諦めよう。もうヴィマに会いに行くのもやめて、貧民街へ帰って行くのを静かに見送ろう。

 歌姫との約束を守り、彼の歌で心を慰めて全てを諦めよう。


 でも、来てしまったら。

 鎖につないで、閉じ込めて、僕の部屋の中でずっと可愛がってあげるんだ。もう帰るだなんて二度と言わせない。

 ヴィマがここまで来てくれたら、もう約束なんて守れない。


 ……間違っていると分かっていても、ヴィマをつなぎとめる方法がこれ以外に分からない。


 分からないんだよ、ヴィマ。



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