第二話 ストレンジャーの猫①
「もうっ、すぐ帰るなんて嘘じゃない! ヴァレンの馬鹿、馬鹿、馬鹿! この大嘘つき!」
怒りに任せて乱暴にホウキを動かす。ぼはっと埃が舞った。
「げほっ、ごほっ、うえっ」
「あははっ、ヴィマってば馬鹿だね。廊下の掃除に気合入りすぎ。鬼みたいな顔してたけど」
「うるさいわね。私は怒ってるの!」
ヴァレンと別れてから、もう一ヵ月が経った。
あれからヴァレンが帰ってくることもなければ、なんの連絡もない。
だから私はこっちから問い詰めに行くことにした。丁度王城のメイドを募集してたので、志願して王城に就職したのだ。面接に二回落ちたけど、三回目で受かった。粘り勝ちだ。
「でも、ヴァレンの情報が一向に集まらないのよね……」
王国騎士団に連れていかれたんだから向かった先は王城だろうと考えて来たけれど、ヴァレンらしき人物はまだ見つかっていない。どうやって探したらいいかもよく分からない。
「そもそも、こういう頭脳労働はヴァレンの担当なのよ。それを放棄してどっかに行っちゃうなんて職務怠慢だわ。許せない」
「また『ヴァレン』の話?」
「はっ?」
薄灰色の瞳と目が合う。
上から覗き込んできたのはディーだった。
ディーは王城によくいる変なやつだ。
綺麗なシャツとベストを着た、多分貴族の男。素性はよく知らない。白っぽい金髪に灰色の目をしていて全体的に色素が薄い。
主張の強い私の黒髪とは正反対だ。
「あんた、また来てるの」
「何その言い方。この僕が直々に話しかけてあげてんのに」
「頼んでないわよ。それにしてもあんたって本当に暇なのね。毎日毎日王城で何してるの?」
「何って……あー、父さんが城で働いてるんだよ。だから僕もここにいるの。悪い?」
「ここにいる分には悪いわね。掃除の邪魔よ」
「へぇ、使用人の分際でそういうこと言うんだ」
「!」
ディーが私の鼻をつまむ。からかわれているようで気に入らない。
「気安く触らないで。そんなんだとこの国の王子様にクビにされちゃうわよ」
「王子様?」
「そう。メイドの先輩から聞いたのだけど、この国の王子さまってとっても我儘なのですって。気に入らない使用人はすぐクビにするって聞いたわ。でも逆に、気に入った人間は地下牢に閉じ込めてしまうとも言ってたわね。それで何人もの楽師や踊り子が行方不明になってるって」
「……ふーん」
「あんまりサボってばっかりいると、私が言いつけてやるわよ。仕事の邪魔です、って」
「別に。勝手にしたら?」
ディーは肩頬を持ち上げて笑った。
貴族なら王子様の名前を出したらビビッていなくなるかと思ったけど、拍子抜けの反応だ。
「そうだ、それより、なんであんたがヴァレンの名前を知ってるの」
「なんでって、ヴィマがよく言ってるからだよ。独り言でよく呼んでる。気づいてないわけ?」
「えっ、私が?」
無意識だった……。
「……一応聞くけど、知らないわよね。ヴァレンのこと」
「うん、知るわけない」
「名前は知らなくても、存在は知ってるってことないかしら? 私と同じ黒髪に紫の目で……あ、私と同じって言っても、私よりずっと美人なのよ。すっごくすっごく歌が上手なの。それに優しくて頼りがいがあってかっこよくて、後……むぐっ」
突然口に何か放り込まれた。
「何これ……クッキー?」
「うるさいよ。そんな奴のことは僕は知らない。良いからこれでも食べて、そんで掃除に戻りなよ」
「……そうね、仕事中だったわ。まぁ、仕事が中断してたのはあんたのせいなんだけど」
ディーは近くのベンチに座り込んで、自分もクッキーを食べ始める。私も口の中に押し込まれたクッキーを咀嚼した。
「美味しい……! 何これ、すっごく美味しいわ!」
「そんなに? 大袈裟でしょ」
「そんなことない! こんなに美味しいもの食べたの初めてよ。きっとバターや砂糖が沢山使われているんでしょうね……ってことはとても高価なものなんじゃない? やめてよ、私、手持ちないわ」
「普通のクッキーだよ、お前に金を請求する気なんかないから。もう一枚食べる?」
「良いの……!?」
甘いお菓子なんて食べるのいつぶりだろう。口の中でとろけるみたい。最高だ。
「トゲトゲしてるくせに、菓子一つで喜んじゃって……」
「え? 何か言った?」
「べっつにー」
「ありかとうディー、あんたのこと見直したわ。これからもお菓子を持ってくるなら仕事の邪魔しに来ても良いわよ!」
サービスのつもりでディーににっこり微笑んであげると、がしっと顔を掴まれた。
「むかつくんだけど」
「な、なんでよ。お礼に愛想良くしてあげたんじゃない」
「その意図が透けて見える感じがむかつくの。ヴィマが笑顔振りまいたって似合わないからやめた方が良いよ」
「二度とあんたにはサービスしないわ。私の笑顔は高いのよ」
べっと舌を出してやると、ディーは虚を突かれたような顔をした。そして笑い出す。
「ふっ、くく……」
「何笑ってんのよ」
「阿呆みたいだと思って」
「殴るわ」
ディーと駄弁っていると、先輩メイドが私を呼ぶ声がした。
「ヴィマー! ちょっとこっち手伝っておくれ!」
「はーい! 今行く!」
私はホウキをそばの木に立てかけて、声の下方へ歩く。何故かその後ろをディーが付いてきた。
「あんた、どれだけ暇なの」
「良いじゃん別に」
先輩メイドがいたのは食糧庫だった。天井までつきそうなほど積み上げられた小麦袋がずらりと並んでいる。
「これ、厨房まで運んで欲しいのよ。頼んだわね」
「はーい」
先輩メイドは用だけ告げるとさっさと持ち場に戻って行った。
「えっ、この量、ヴィマ一人で運ぶの? いじめでも受けてるの?」
「何馬鹿なこと言ってるの?」
「いや本気で……え?」
何往復もするのが面倒なので、2両手に持てるだけ積み上げて一気に抱える。
食糧庫にあった小麦袋の半分くらいは抱え持つことができた。
「…………」
「私は見ての通り忙しいんだから、ほんとにもうどっか行ってよ」
ディーは唖然として、私の抱えた小麦袋を見上げていた。
「ヴィマ! 部屋の模様替え手伝って! 急なお客様なの!」
「ヴィマー! 荷車が動かなくなっちゃったの!」
「ヴィマ、倉庫の整理を手伝って欲しいの!」
次々と仕事を言いつけられて、ひたすら働く。そしてひたすら後ろをついてくるディー。
こいつはカルガモの雛なの?
ひと段落した頃にはもう夕方だった。
「ふぅ、今日もよく働いたわ」
「おつかれー」
私が夕焼けの庭で暑くなった体を冷やしていると、ディーが声をかけて来た。
「あんた、結局ずっと私の後ろにいたわね……もしかしてストーカー?」
「その顔でうぬぼれないでよ。ただ、お前がその細腕で重い荷物を運んでる様子が興味深かったから見てただけ」
「本当に時間を余らせてるのね……」
ここまで来るとむしろ可哀想になってくる。
「はい、頑張ったご褒美」
「クッキー!」
ディーの手から甘いクッキーを頬張る。
あぁ、幸せ。
「……なんで口で受け取るわけ」
「? 別に良いじゃない」
悪態をつくディーは少し戸惑ってるみたいだった。
貧民街では食べさせあったり分け合ったり、同じ皿を突いたりなんて日常茶飯事だけど、貴族は違うのかもしれない。