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この街の番長は

作者: 冬木香

 どうしてこうなってしまったのだろうか。


『ちょっとそこの新入生くん、お姉さんといいことしない?』


 高校の入学式のあの日、そんな悪魔の囁きに導かれてこの部室に来てしまったのがそもそもの間違いだった。


「ほら、三郎これ持って! あとゴミ袋もね。ぐずぐずしてないで行くわよ!」


「なんで俺がこんな事してるんスかー。若葉さん、待ってくださいよー」


「あなたがあの時いいことしたいって言ったんでしょ! ほら、早く来なさい!」


 そう言って若葉さんは部室を出て行く。俺はゴミ袋と軍手とトングを持って慌てて若葉さんの後を追いかける。それがここ、秀優高校ボランティア部の日常だ。

 つまり彼女の言う”いいこと”とは善行のことであり、半年前の俺は美人の先輩に声を掛けられまんまと引っかかったのだった。そのうえ若葉さんに騙すつもりが無かったものだから目も当てられない。


「広田先輩、今日もボランティア頑張ってください!」


「ありがとう、気をつけて帰るのよ」


「キャー、ありがとうございます! さようなら!」


 声をかけた一年生の女子は、羨ましそうにしている友達グループと合流してきゃいきゃいと騒ぎながら帰っていく。


「はあ、なんで若葉さんがこんなに人気があるのか俺にはわかんないッスよ」


 若葉さんが声をかけると女子生徒が黄色い声で騒ぎ出す。

 若葉さんが通り過ぎれば男子生徒が呆けた顔で振り返る。

 いつも通りの見慣れた光景だ。


 だがそれは、若葉さんの本性を知っている俺からしてみればなんとも見るに耐えない光景である。

 決して裏表のある性格をしているからではない。若葉さんの天真爛漫さの前では、その凶悪な性格すらも魅力的なものに思えてしまうからだ。

  だからと言って、決して俺以外の人からしてみれば不吉なわけでも不良なわけでもないのかもしれない。いつも振り回されている俺にとっては不吉そのものなのだが、大半の人にとってはそうではないと言えるだろう。


「なにぶつぶつ言ってるのよ。あなたこの街を支配する番長になるんでしょ? 今日も気合い入れて行くわよ」


 そう、俺はこの街の番長になりたいのだ。


 中学時代はひたすら喧嘩に明け暮れていた。髪を染めて短ランにボンタンを穿いて街中を闊歩していた。

 そして卒業していった先輩達に憧れて、近くの悪頭高校に行こうと思っていた。

 だが中学二年のある日、見てしまったのだ。悪頭高校の先生に髪を、そして制服を注意されて必死に言い訳をしている番長の姿を。

 その時俺は決意した。校則のゆるい学校に通い、自由気ままに振る舞ってこの街の番長に成り上がるのだと。


 それからの俺はひたすら勉強に明け暮れた。喧嘩をやめ、遊ぶことをやめ、中学生活を捨てて高校生活に全てを賭けることにした。

 結果的に俺は全国的に有名な進学校である秀優高校に合格し、これから自由気ままな不良ライフが始まると思っていた。

 だが入学式のあの日に若葉さんに出会ってしまったせいで、現在はなぜかボランティアに明け暮れる毎日を過ごしている。


 俺はしっかりと、自由気ままに振る舞いたい、この街を支配する番長になりたいと言ったのだが『それなら丁度いいわね』と、若葉さんに半強制的にボランティア部に入れられてしまったのだ。

 始めは美人の先輩と知り合いにさえなれば、あとは適当にサボってしまえばいいと思っていたのだが、若葉さんはほぼ毎日教室まで迎えに来るし、学校をサボれば次の日には家に迎えに来る。

 傍から見れば俺を更生させようとしているように思うだろう。だが若葉さんに言わせれば、それも全て俺の望みを叶え、番長にするためにやっていることだという。

 裏表も無く、善も悪も一緒くたに正しいことをする、それが広田若葉その人なのだ。


「三郎! あのおばあさんの荷物を持ってあげなさい。信号を渡るのが大変そうだわ」


「ええー、なんで俺が。若葉さんが行ってきてくださいよ」


「あなたは番長になりたいんでしょ? 味方を増やすのは大事なことよ。ほら、さっさと行ってきなさい」


 俺は渋々言うことを聞いておばあさんの荷物を持ってあげる。


「大丈夫ッスか、向こう側まで俺が荷物持ちますよ」


「ああ、三郎ちゃんかい。いつもありがとうね」


 若葉さんの作戦が功を奏して、この街で俺はそこそこ名の知られる存在になっている。しかし、赤髪で短ランにボンタンを穿いていても怖がる人は少ない。商店街を歩けば八百屋のおっちゃんが『今日もキマってるね』なんて声をかけてくるし、人混みでは迷子が集まってきて、親たちからは『その髪は目立つから助かるわ』などと言われ目印にされることもある。

 それを聞いた若葉さんは『いい調子だね! このままいけばすぐ番長になれるよ』と言う。

 若葉さんはいつも本気なので、俺は言い返すことが出来ない。


 あばあさんを交差点の反対側まで送り届けて、お礼を言われてから俺は若葉さんのところに戻る。


「おかえりなさい。こういう地道な一歩が大事だよね!」


 若葉さんは満足そうに笑っている。

 若葉さんは今日も平常運転だ。


「ほら、さっさと行くッスよ。今日は商店街のゴミ拾いするんスよね」


「ああ! 待ちなさいよ! 私より先に行くなんて許さないわよ!」


 そう言って俺を追い越した若葉さんは胸を張り、自信に満ちた様子で俺の前を歩いている。

 そんな見慣れた後ろ姿を眺めながら、俺は商店街に向かったのだった。


「おう! 若葉ちゃんに三郎のボウズじゃねえか。コロッケ食ってきな」


「若葉ちゃん、これ新作のケーキなの。味見してくれないかしら」


 商店街を歩いていると、俺と若葉さんは次々に声をかけられる。俺が一人の時も声をかけられたりはするが、若葉さんといるといつもの倍以上だ。

 ゴミ拾いに来たはずなのだが、いつの間にか食べ物を沢山貰い手が塞がってしまったので、今は道具を肉屋に預けて若葉さんと商店街をぶらぶらしている。


「ああ? 三郎じゃねえか。エリート学校にいった元不良がなに調子乗った格好してやがんだ?」


 背後から急に声をかけられて振り返る。

 そこには中学の先輩で、今年新番長になった郷田先輩が立っていた。


「郷田先輩じゃないッスか! ちわーっす! 俺が中坊の頃以来ッスね。これでも俺は現役ッスよ!」


「現役だあ? 道黒高との喧嘩の時ビビって直前でバックレた腰抜けが! どの面下げてそんなこと言ってやがんだ、ああ?」


 中学二年のとき、俺は郷田先輩に道黒高との喧嘩に誘われた。最初は息巻いていた俺だったが、その前日に情けない当時の番長の姿を見て勉強を始めたので、結局参加しなかったのだ。


「あははははは、ちょっと勉強が忙しくてッスねー。あの時は本当に申し訳なかったッス」


「エリート学校のおぼっちゃんは大変だよなあ。くっくっく、女連れてなんの勉強してんだ?」


 そういった郷田先輩はちらりと俺の横にいる若葉さんを見る。


「今日は商店街のゴミ拾いに来たんです。三郎、ほら、もう行くわよ」


 若葉さんはそう言って道具を取りに戻ろうと、郷田先輩の横を通り抜けようとする。

 しかし若葉さんが通り過ぎる直前、郷田先輩が若葉さんの腕を掴む。


「ちょっと待てよ! おっ、それにしてもいい女じゃねえか。三郎、この女ちょっと借りるぜ。なあいいだろ?」


 郷田先輩は若葉さんの腕を引っ張りながらそんなことを言った。

 俺と若葉さんの様子を見ていた商店街の人達が口々に『若葉ちゃんを離せ』と叫ぶのが聞こえてくる。


「離しなさい! こんなことをして、どうなるか分かっているの?」


「エリート学校のおぼっちゃんなら問題になるかもなあ? でも俺にはそんなこと関係ねえんだよ、停学上等だ! 分かったら着いてこいや」


「ふふふ、あなた、なにも分かってないのね?」


「なんだと? 秀優高の生徒が街中で喧嘩なんかしたら退学だろうが。この腰抜けは助けちゃくれねえよ」


 確かに郷田先輩の言うとおりで、商店街で喧嘩なんてすれば退学になる可能性は高い。

 どうせどこの学校に行っても喧嘩をすれば停学くらいにはなるだろうし、喧嘩をしてもバレなければいいと思っていたのだが、これだけ人目があってはそうもいかないだろう。

 しかしその時、肉屋のおっちゃんが声を上げる。


「忙しくってガキの喧嘩なんざ見てる余裕はねえなあー!」


 明らかに独り言ではない芝居がかった声が商店街に響いた。

 それを聞いた他の店の人達も口々に同じようなことを言っている。俺は戸惑って周りを見回す。


「三郎、あなた自由気ままに振る舞いたいって言っていたでしょ? 見てみなさい! いいことをしてるとそれも許されるってことよ」


 郷田先輩に腕を掴まれている若葉さんが、そんなことを全く気にしていない様子で胸を張っている。


「地道な一歩が大事……か。あははははは」


「喧嘩なら誰にも負けないってあなたいつも言っているでしょ? 思う存分やっちゃいなさい!」


 それを聞いた俺はニヤリと笑って郷田先輩に殴り掛かる。

 数分後、商店街には割れんばかりの歓声が響き渡ったのだった。


 俺と若葉さんは学校に戻るために夕暮れの中を歩いている。

 学校に向かう坂道の途中で若葉さんが立ち止まって振り返る。


「さっきの人、番長だったんでしょ?」


「そうッスね」


「喧嘩、勝っちゃったね」


「そうッスね」


「ちょっと、格好良かったよ」


「…………」


 俺は顔が赤くなっているような気がして恥ずかしくなり、若葉さんを追い越して歩き出す。


「ちょっと三郎! 私の前を歩くなっていつも言っているでしょ!」


 若葉さんは俺の元へ走ってくると、隣に並んで歩き出す。

 横を見ると、真っ赤な夕日が若葉さんの頬を赤く染め上げていた。

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