谷の中 四
谷の中 四
翌朝、抜けるような秋空の下、オロチ陣営では慌ただしく進行の準備が始まっていた。その頃、偵察担当のコマキ組十五名は、既に半日行程先に達していた。
コマキは組を三人ずつの五班に分け、鏃編成で前進していた。
まずコマキが率いる一班が二十歩前進する。
その間、残る四班は射程周辺を警戒する。
次に二班と三班が、一班から左右に十歩離れた場所を同じ距離前進する。
その間、他の三班が警戒する。
最後に四班と五班が、先の二班の左右十歩離れた場所を前進する。
他の三班が周辺警戒するのは同じである。
コマキは、陣を出る時から人の視線を感じていた。
前進を指揮しながら、気配の察知に全神経を集中させていた。
前進を初めて間もなく、進行方向右斜面からの視線を確信していた。
その気配は、コマキ達の前進に合わせて後退している。
半日行程まで進んだ時、気配がこれまでより近いと感じた。
「百歩先の右斜面に敵がいる。気配はそれだけだ。俺の班と、左の二班は一気に三百歩走る。右の二班は斜面を見ながら走れ。敵の動きを見つけたら大声で指示しろ」
コマキは全班が横並びになった時に、自班の二人を伝令に出した。
伝令が戻ると同時に、走り出した。
左の二つの班も続いた。
斜面の茂みにいたツグヒとキツナは驚いた。
偵察が本体の遙か前方に出たのは初めてで、尺取り虫のような動きを繰り返していた。
先頭が進み、後続を待つ動作を、規則正しく繰り返していた。
二人は偵察の接近に合わせて後退していた。
そのうち、自分達の後退が少々遅れても十分に間に合うと感じ始めていた。
それに、これまでの物見慣れから、敵を間近に見たいとの誘惑にも駆られていた。
「もう一回か二回前進してきたら後退しよう」
と話した矢先の出来事だった。
二人は慌てて後退した。
しかし、動揺した状態で斜面を走るのであるから、周りを見る余裕を失っていた。
ツグヒが灌木に足を取られ、斜面を転がり落ちた。
走りながらそれを見た右翼の偵察兵が、コマキ達に伝えた。
谷を走るコマキ達もツグヒの姿を確認し、全速で斜面へ向かった。
「お前達は谷を走って先回りしろ」
コマキは走りながら左翼の班に指示を出した。
キツナは、ツグヒの転倒に気付き、立ち止まった。
「助けようと思うな」と言ったフツシの言葉を思い出したが、ツグヒの方に向かった。
ツグヒは、木の根元に引っかかる形で倒れていた。
「ツグヒ、大丈夫か」
キツナの目の端には、左斜め下百歩程に近づいた兵士の姿が見えた。
キツナは、ツグヒを抱き起こそうとした。
転倒で朦朧としたのか、ツグヒの目は虚ろだった。
「しっかりしろ、敵が追い付く」
キツナはツグヒの頬を叩いた。
ツグヒの目に光が戻り、キツナを確認すると、敵の来る方向を探した。
キツナは、ツグヒを起こして谷の奥に向かおうとした。
しかし、ツグヒは立てなかった。
「キツナ、お前は逃げろ」
ツグヒは七十歩にまで近づいた兵士を見ながら、キツナを突き放した。
突き放されて立ち上がったキツナも、斜めに走り登ってくる兵士を見た。
同時に下の谷を直進する六人の姿も見えた。
「無理だ、逃げ切れない」
言うとキツナは、小刀を手に、斜めに登ってくる兵士に向かって走り出した。