谷間 九
谷 間 九
フツシ達の物見は、オロチ衆の撤収状況を逐次報告していた。
尾根で報告を受けていたフツシは、何か腑に落ちないものを感じていた。
「ツギル、お前の読み通りとなったな・・・ということは、オロチ衆の中に、お前と同じ事を考えられる奴がいるということだぞ。やはり馬鹿ばかりではないな・・・そいつは砦に帰って何を考える?」
「鉄の鏃と狙いの正確さから、俺達が相当訓練してきたことを察知しただろうな。それにたたら場に、俺達とつながる者がいる事にも気付いただろう。勿論人数も言い当てているだろう。今頃そいつが指揮を執る話でもしているだろうよ」
ツギルが応じた。
「そこまでは俺でも分かる。問題はその後だ」
フツシは遠くを見ながら言った。
「頭、まずいぞ・・・奴らはシオツを攻める。谷に潜む限り、俺達が有利だ。この形勢を逆転するには、俺達を谷から出すしかない。それにはシオツ攻めだ」
ツギルがフツシの顔を見た。
「それだ・・・何かもやもやしたものを感じていたが、お前の言葉ですっきりした。さて、こうなったらどうするかだ・・・物見はみんな引き上げたのか?」
フツシは帰っている物見に尋ねた。
「谷の入り口に、二人が残ってる」
「よし、そのまま見張らせろ、連絡役もそのままだ。お前も元の位置に戻れ」
物見に指示を出したフツシは小頭を集め、切り出した。
「奴らはシオツを襲う。こいつは想定していなかった。急いで策を練らなきゃならない」
「どうしてそんな事が分かる?」
オモリが怪訝な顔をした。
「ツギルの読みと、俺の勘だ」
こう言われれば誰も反論の余地はなく、互いの顔を見合わせるだけだった。
「策は三つだな。俺達が先回りして、あの辺りの森で待ち伏せする。二つ目が、シオツも俺達も仕事場の山に入り、迎え撃つ、三つ目が、シオツに知らせてどこかに逃げさせる」
カラキが言った
「あの辺りの森は浅いから、この谷のようにはいかない。仕事場の山は取り囲まれれば逃げ場がない。三つ目の策を取るべきだろう」
ツギルがカラキを見た。
「どこに逃がす・・・サタに頼むか?」
オモリが尋ねた。
「いや、地の民を巻き込むべきではない。・・・この谷の奧の尾根を越えれば湖に行き着く。ということは湖の南岸を東に進めば、同じ場所に行き着くはずだ。ヤツミ、あの辺りはお前が一番詳しいが、どうなっている?」
ツギルが地面に線を描きながらヤツミに尋ねた。
「俺達はいつも山裾で右と直進に分かれるよな。あそこを左、つまり東に一時間半くらい行くと湖の南岸に出る。そのまま岸に沿って三時間も行くと、湖は少し狭くなって東に続いていた。俺が行ったのはそこまでだ。そこから南の森に入り、川に沿って南西に進めば、この谷だ」
ヤツミはツギルの描いた線に付け足した。
「シオツの者全員を、お前が言う南の森に連れて行くのにどの位の時間が必要だ」
ツギルが尋ねた。
「うーん・・・女子供連れで、荷は最少限として・・・休まずに歩かせる訳には行かないから・・・十時間はかかるだろうな」
それまで黙ってやりとりを聞いていたフツシが、口を開いた。
「ヤツミ、湖の南岸に集落はあるのか?」
「岸から離れた高台に二つあった」
「よし。シオツの者達を、お前の言う森に連れて行こう。ムカリ、ヤツミと一緒に行け」
「分かった。で、いつ出かける?」
ムカリが尋ねた。
「今すぐ(十五時)だ。日が陰るまでまだ時間があるから、砦から見えなくなるまでは森から出るなよ。六時間(二十一時)もあれば着くだろう。事情を説明して用意させるのに三時間とすれば、夜中には出発できる。そうすれば陽が昇るまでに湖の南岸に着く。明るくなったら茂みに隠れて休ませろ。誰にも気付かれたくないからな。日が落ちたら東に進め、四時間(二十一時頃)も歩けば森の辺りだろう。俺達もその森に行く」