ヤガミの姫 二
八人がムキに到着したのは、まだ陽がある頃だった。ムキにはクマノから連絡が入っており、九人が泊まる準備が整えられていた。
「もう一人はどうした?」
ムキ番の隊長が八人を見た。
「体力の無い奴ですので、テマの辺りでも随分遅れていました」
「知恵者のナムチだな・・・それにしても遅いな」
陽が沈み、名残りの明かりも消え始めた頃、ナムチが到着した。遅れた理由を体力のせいにし、泉の一件は語らなかった。
「ナムチ、明日は皆から余り離れるなよ。ウエの連中は、今でこそ大人しいが、お前一人だと森に連れ込まれて食われるかも知れんぞ」
隊長が真顔で言うと、宿所に爆笑が生じた。
「隊長、ウエの連中は今でも旅人を襲っているのですか」
組み手代表の巨漢が尋ねた。
「それはないと思うが・・・よそ者が一人で通りがかって連れ込まれても、誰にも分からんな」
翌日、九人は早出をした。前日のこともあり、八人はナムチに速度を合わせたため、余裕を持て余し始めた。
「昨日のテマの女はよかったな。躰の線が見えた時にはぞくっと来たぞ」
「俺もだ。俺は若い方がいいな」
「いや、年上の方が気が強そうだが、色っぽかったぞ」
「ナムチ、お前は抱え起こされてどうだった?」
「二人とも子供を産んでる」
「何でそんなことが分かる?」
「あれは子供に吸われた乳だ」
「お前はあんな状態で、そんな所を見てたのか?」
「見てた訳じゃない。見えたんだ」
「俺も溺れさせてもらえば良かった」
若者達は、馬鹿話をしながら海沿いの道を進む。
地の者がアカサキと呼ぶ岬(鳥取県東伯郡琴浦町)の辺りから、海は次第に内陸へ入り込む。その最深部から入り江の対岸の出口辺りがウエの森である。
九人は前夜の隊長の話を思い出し、無口になった。
「おい、あれは女だぞ」
入り江の最深部のて少し外海寄りの岩場で、数人の若い女達が全裸で潜ったり浮いたりしている。
「何かを捕ってる・・・俺達も手伝おう」
「寄り道は止めた方がいいよ、早くアオヤに行こう」
ナムチが止めるが、誰も聞く耳を持たない。
「何を捕ってる?俺達も手伝うぞ」
八人は全裸になると女達のいる岩場に泳ぎ寄った。
しかし女達は一斉に沖に向かい、見る見る離れて行く。八人は諦め、岸に引き返した。沖を見ると、女達は一塊りとなってこちらを見ている。ナムチはことの成り行きを呆然と見ていたが、アオヤへ向かって歩き始めた。
海際まで突き出した山の裾を通りかかった所で、上から声がした。
「馬鹿共が、大恥を掻いたな」
アオヤ番の隊長だった。
「あの辺りでは、ウエの女達が貝捕りをしている。お前等が女の裸に吸い寄せられてちょっかいを出すのではないかと用心していたが、水の中では歯が立つ相手ではない」
アオヤの番所での夕食は、八人にとって極めて居心地の悪い場となった。隊長から大目玉を食った上に、戦士達から侮りと嘲笑の矢が飛んだ。
「ウエの女を手込めにしたけりゃ、沖から狙え」
「すっぽんぽんになってから襲う奴は初めて見たぞ。押さえ込んでから脱ぐもんだ」
「いやいや、こいつ等はまだ女を知らん。あまりいじめるな」
「そうだ、ヤガミの姫に教えてもらいに行く所だから、仕方ないぞ」
声が飛ぶ度に爆笑が起こる。八人は食べた気がしなかった。
「それにしても、ナムチはその気にならなかったのか?」
どこかから声が飛んだ。
「俺は、相手をその気にさせてから・・・」
ナムチが言い終わらないうちに爆笑が沸き起こった。
「そうか、八人は相手をその気にさせようと、先に脱ぐ訳だ」
誰かの声に、嘲笑が沸いた。腕自慢の八人ではあるが、ここは何を言われても黙って聞くしかない。翌朝、出かける間際にもからかいが飛び交った。
九人は挨拶もそこそこに、アオヤの番所を飛び出した。
「しつこい奴らだ、頭に来たな。ナムチ、お前は女をその気にさせたことがあるのか?」
巨漢がナムチを睨みつけた。
「いや・・・あれは適当に答えただけで」
「何が適当だ、自分だけいい子になって」
槍の代表が怒気を含んだ声を上げた。
八人の不機嫌な空気を感じ取ったナムチは、徐々に距離を置いた。通常戦士達は、アオヤを出ると谷を抜けて山越えの道に入る。しかし腹立ち紛れで歩く八人は、谷の入り口を通り過ぎ、岬を巡る道を進んでしまった。この道も山越えの道につながるのではあるが、大回りをすることになる。ナムチが谷の入り口に着いた時、岬の方角から微かに八人の声が聞こえた。谷を抜けて先回りをすれば余計に機嫌を損ねると考えたナムチは、ゆっくりと八人の後を追うことにした。
岬には小さな入り江が多く、貝捕りの格好の場となっている。貝捕りは女の仕事で、家族や気の合った者が集団で行うのだが、希に手の空いた者が先に出かけることもある。その日も岬の先端の入り江の崖下で、若い女が一人で仕事を始めていた。
「おい、一人だぞ」
女の姿を見つけた剣の代表が、声を潜めた。
「俺が隣の入り江から回る。女は海岸に逃げるはずだから、お前達は待ち伏せて捕まえろ」
岬の先端を曲がった所で、全裸の若い女が通路脇の草むらに横たわっていた。相当抵抗したらしく、腕や脚のあちこちに小さな傷があった。顔には殴打の痕があり、頬は腫れて唇も切れている。股間には血が混ざった夥しい体液が光っている。女の目は虚ろで、涙に濡れていた。
ナムチは着ているものを裂くと竹筒の水で濡らし、丁寧に傷を洗った。股間を洗う時、女は一瞬躰を縮めた。しかし優しく声をかけ続けると、力を抜いた。傷口に蒲の花粉を振りかけ、丁寧に押さえた。手当てを終えるとナムチは額に手を当て、黙って立ち去った。
岬をぐるりと巡ると、山越えの道に通じる。ナムチは八人に追い付こうと小走りになった。岬の半分まで進んだ所に、またもや女が倒れていた。今度は二人である。
---あいつらは何を考えている。スサノヲは『我々の女を襲う民の女は襲ってもよいが、賛同した民や協力関係の民の女は襲ってはならぬ』としているではないか。これ以上馬鹿なことをすれば、若気の至りでは済まなくなる。
二人の手当を済ませるとナムチは走り出した。山を越えると、なだらかな草原が大きな入江に向かって下っており、遠くまで見晴らせる。八人の姿を捉えた。
---これだけ見晴らしが良ければ、奴らも悪ふざけはできない。
カハラに、番所はない。しかし戦士の出入りが頻繁であり、専用の一角に連絡班が常駐している。八人は既に到着し、班長と一緒に遅れて来るナムチを見ている。
「あの程度の距離でこんなに遅れるとは、情けない奴だ・・・その服はどうした、随分切り取ってあるが」
班長が怪訝な声をナムチに投げかけた。
「途中、色々と始末することがあったものですから・・・」
ナムチは穏やかな口調で言いながら、八人に目をやった。見られた八人の顔から、一瞬血の気が失せた。
「色々始末とは、何だ?」
「いえ、たいしたことではありません・・・こんな格好で姫の前に出るのは、失礼でしょうか?」
「ちょっとひどいな、おい誰か貸してやれ」
その夜、九人は広場の酒宴に招かれた。カハラの出席者はヤガミと長老達だけで、姫の姿はなかった。給仕役の数人の若い女達が料理や酒を運び、車座の後方に控えている。
「遠路ご苦労だった。道中何事もなかったか?」
ヤガミが、緊張した面もちの九人を見回し、巨漢に目を止めた。
いきなり視線を受けた巨漢は返す言葉に窮し、躰に似合わない小声で何か答えた。
「うん、何と言った・・・躰に見合った声を出せ。そんなに緊張することはないぞ」
言うとヤガミは、一番華奢なナムチに視線を転じた。
「はい、隊長や班長がいない遠出は初めてでしたので、気楽な旅でした」
長老達から笑い声が上がった。
「それはよかった・・・ところで、実は今朝、ケタの岬で娘達が襲われた。お前達が山越えをした時に、不審な者達を見かけなかったか」
ヤガミの目も声も穏やかだった。
「いいえ、そのような者は見ていません」
ナムチは即座に答えたが、八人に緊張が走った。
「そうか・・・何をいつまでも緊張しておる、スサノヲが贈ってくれた酒は旨いぞ」
ヤガミは、後に控える娘達に、酌をするように命じた。
娘達は入れ替わりながら九人に酒や料理を勧め、若者達の気持ちをほぐそうと話しかけた。酔いが回り若者達の声も次第に大きくなった。娘達は巧みに話題を持ちかけ、一人一人の特技を喋らせている。
一人の娘が酒壺を手に、ナムチに近づいた。
「もっとお酒は如何ですか?」
「はい、頂きます」
ナムチは外見に似合わず大の酒好きで、いくら飲んでも正体を失うことはなかった。
「皆さん武勇自慢の方ばかりですね。貴方の得意な武器は?」
言いながら娘は、反り身になってナムチの躰を眺めた。
「私の躰は、みんなのように逞しくはないですよ。私は、考え事や工夫が好きで、戦い
には向いていません」
「そのようですね・・・岬で娘達の手当をしたのは、貴方ですね」
娘の目が、正面からナムチを捕らえている。
ナムチは料理を取ろうとその視線を外しながら聞こえない振りをした。
「貴方の着ていたものは、随分切り取られていたそうですね。貴方とすれ違った者から聞いております」
娘は、ナムチの着ているものを見ている。
「着ていたもの?・・・ああ、あれですか。木に引っかかって破れたのです」
答えながらナムチは娘を正視した。小柄だが、勝ち気な性格が全身に溢れている。
---この娘は何者だ?何故このようなことを知っている?