トミ 三
前夜、トミの戦頭は全速で引き返し、スサノヲの来意と戦士団の様子を伝えていた。
「戦意は全く感じられませんし、三人の女は間違いなく我らの同胞です」
「女達は、無理矢理案内させられているのではないのだな」
「丁重に扱われており、スサノヲに連れ帰ってもらったという安堵感が感じられます」
「武器は、我々のものより威力があると見えるか?」
「あちらの方が数段上です。スサノヲの地は鉄と青銅が豊富で、武器でも道具でもこちらの求める量を提供するそうです」
「・・・で、スサノヲは何を求めているのだ」
「手を携えて、争いが無く豊かな地を創りたいと言っております」
「・・・お前は、追い返すより、歓迎して人となりを見るべきと考えておるようだな」
「はい。犠牲を出すより、話し合いかと・・・」
「よかろう・・・だが油断はするな」
これまで何度も侵略を経験しているトミの長ナガスネは、戦頭の人を見る目を信頼している。しかし簡単に警戒を解く男ではない。
スサノヲの戦力と同規模の戦闘要員を編成させ、夜の間に布陣するよう命じた。
「明るくなると同時に訪ねるのだ。スサノヲが、抜かりなく対応できる態勢をとっていれば丁重に案内しろ。そうでなければ、それだけの者だ・・・追い返せ」
ナガスネは、その一夜で、スサノヲの軽重を計ったのである。
戦頭は河の手前六千歩(約四キロ)に静かに陣を敷き、自ら河の近くまで偵察に出かけた。対岸に展開するスサノヲの野営は万全の警備体制で、どこにも隙は無かった。朝靄の中で河に踏み込んだ時には複数の視線を感じた。それは確認の視線であって、警備の視線ではなかった。
「クニ造りとは夢のような話だが、どのようにして実現させるつもりなのだ?」
ナガスネは、大きな目でスサノヲを凝視した。
スサノヲは、これまでの経緯を語って聞かせた。
「東にトミという豊かな地があると聞いていましたが、想像を遙かに越えるものでした」 スサノヲは、全ての争いの原因は食糧不足にあり、それを解消する仕組みを創れば争いは減り、豊かになれるとの信念を持っていた。
「どの森にも、広い狭いは別として、必ず米作りに適した地があります」
ムキとトミで増産を計りながら、森の民には米作りを指導するという構想を、熱っぽく語った。
ーーーこの男の考え、試す価値はある。
「お前の地・・・いや・・・お前がまとめた地域は、その考え通りに運んでいるのか?」
ナガスネの大きな目に力が増した。
「ムキでは、我々が供給した鉄の道具により耕作地の拡大が進んでいます。クマノに設けた交易の場には、多くの民がやって来ます。クニの民は争いの心配をすることなく、それぞれの仕事に精を出せるようになりました」
「成果が上がっていると言うのだな。クニ・・・お前がまとめた地域の呼び名は?」
「まだ呼び名は付いておりません・・・いずれ適当に呼ばれるだろうと思っています」
「自ら造り上げた地域の名を考えていないとは、面白い男だ・・・不便であろう」
「そう言われれば・・・呼び名があった方が、便利ではありますが・・・」
「お前は、西へ東へと出かけてはクニ造りを呼びかけておる・・・この地にもこうやって
出張っておる・・・お前はいずる出もの者だ・・・うん、お前の地域はイズルモノの地域」
「イズルモノのクニ・・・言いにくい・・・イズモノのクニ・・・これも・・・」
「イズモで良いではないか。イズモのスサノヲ、イズモのクニ・・・うんイズモだ」
呼び名談義が二人の距離を近づけた。
ナガスネは、夢を追い行動するが功を自らのものにしようとしないスサノヲの姿勢に、好感を持った。話の流れからとはいえクニの名付け親となったからには、賛同ではなくても協力関係を約束しなければならない状態となった。
「お前の言うクニ造り、その趣旨はよく分かった・・・だが、一員になる段階ではない。とは言っても、協力と交易はできる」
スサノヲは山裾を巡り、緑と水に溢れた広大な盆地を目にした瞬間、ここはクニ造りを説く地ではないと悟っていた。むしろ教えを請う場所であった。この地を治める者には、賛同ではなく協力を求めるべきと考えた。そのナガスネが、クニの名付け親になってくれたのは行幸であった。
「お願いがあります」
スサノヲは居ずまいを正した。
「うん、何事だ?」
スサノヲの気迫にナガスネも改まった。
「私の息子ハヤヒを、この地で育てて頂きたいのですが・・・」
「幾つになるのだ?」
「六歳になります」
「・・・いつ連れてくる?」
「次の雪が溶けてからでは?」
「・・・引き受けよう。クニの名付け親になったからには、息子の面倒も見よう」
ハヤヒを託したことにより、スサノヲはナガスネの後ろ盾を得た。これがその後のクニ造りの交渉を容易にした。北はノト(石川県)、東はスワ(長野県)まで出かけたが、武力を行使する必要は全く無かった。多くの地域で、単なる賛同ではなく更に強固な姻戚関係をと、指導者の娘や姉妹と同衾を求められた。二十代後半で血気溢れるスサノヲは、訪れた証を残すかのように女達を慈しみ、親密な関係を築き上げて行った。
満月と満月の間に往復できる陸続きの地域ほぼ全てと友好関係が出来上がったのは、クニ造り開始以来十三年、スサノヲ三十五歳の年であった。その年スサノヲは、満を持して西の島に上陸した。
初夏のトミは緑が膨れあがっていた。訪れる度に耕作地が広がっており、集落も増えている。スサノヲは旅装を解き、ナガスネと向き合っていた。
「ハヤヒをこの地の後継者にまで育て上げていただき、ありがとうございました」
ナガスネは、幼いハヤヒの中にスサノヲの器量を見い出し、トミの後継者として育てていた。
五年前、西の島遠征の挨拶に訪れたスサノヲに、ナガスネはハヤヒに末娘を娶らせる意志を伝えていた。
「もっと早く帰るつもりでしたが、馬に出会い、ついつい時間をかけてしまいました」
「馬?」
「私が乗って来ました、あの獣です」
「ほう・・・あれは馬・・・わしにでも乗れるのか?」
「始めは多少難儀しますぞ、しかし慣れてしまえば実に便利な乗り物です」
「西の島の民は、馬に乗って移動しているのか」
「いえ、海を渡ってすぐの森と、その西にあった大きな森では見かけませんでした」
「その二つの森の民達とは、争いもなく話がついたのだな」
「四つの民がいましたが我々の名を知っており、来るのを待っていたという感じでした」
「馬に出会ったのは?」
「大きな森の西には海が入り込んでいるのですが、その対岸のチクと呼ばれる地(福岡県宗像市)です」
スサノヲは牛を見知っており、馬を見ても驚かなかった。しかし人が乗り、意のままに動かせることを知ると、その虜になった。チクは草原と林が多く深い森は僅かで、森からの恵みは少なかった。そのため面積の割に棲む民は少なく、馬の方が多いほどであった。
当初チクの民は、千人近い戦士の出現に驚き警戒した。しかし、争いではなく交易と友好関係を求めていることを理解すると、警戒を弛め始めた。
やがてスサノヲがチク北部の海に近い丘陵地帯に居を構え、本気で馬の飼育に取りかかると、飼育調教に全面協力するようになった。三年後、一団が騎馬軍団に仕上がった時には、チクの民はスサノヲ戦士団に同化していた。
この三年間の経緯は島の北部一帯に知れ渡っており、この地域の長の誰もがスサノヲの名を知ることとなった。この知名度により、その後僅か二年で、さしたる困難もなく北部一帯をまとめ上げることができた。