西へ 三
マタガの森と呼ばれる一帯は、ミズホの森の倍はあった。北は海に面した高台になっており、残る三方は谷で囲まれている。西へ進むには、この森を通り抜けるか、南の山中に迂回しなければならない。
スサノヲは、アスキが様子見に登った山の頂に陣取ると、作戦会議を開いた。
「アスキ、南はどの辺りまで行ったのだ」
「真南の、ヒラノの森までです。戦士を出してくれました」
「この森へ入るには、海からか、谷伝いしかない。森の連中は出ては来ないのか?」
「海岸線は断崖ですから無理ですが、入り江の奧に谷が口を開けているそうです。そこから現れるとのことです。この間の調査では、マタガの連中に警戒させてはならないと考え、そこへは行きませんでしたが」
「何をしに来るのだ」
「魚です。マタガの森の東にはオクサという森があります。その森では狩猟もしますが、魚を捕る方が多いのです。みんな小柄で穏やかな連中です。マタガの奴らはいきなりやって来て、自分達の条件で交換して引きあげるそうです。魚がない時には隠しているのだろうと探し回り、本当に無いと分かると渋々引きあげるそうです。その時の剣幕が恐ろしいようです」
「剣幕が恐ろしい?オクサの森は臆病者ばかりなのか」
「いや、マタガの連中が大男揃いのようです。ひょっとすると連中は、俺達と同じ祖先を持つのかも知れません。乱暴者達ですが、これまで襲撃や略奪をしたことは無いようです」
乱暴な大男達が侵入を拒む森、スサノヲはその森との接触に思いを巡らせた。糸口は、森では手に入らない魚を求めるが、手段は襲撃や略奪ではない点にあると思い付いた。谷を遡れば、どこかに森への入口があるはずである。
マタガの森へつながる谷は、オクサの東の入り江のつけ根にあった。入口は相当広いが、五百歩(三百五十メートル)も行くと両側に木の密生した斜面が迫っている。谷底の水量は多く、大小の岩が散乱している。スサノヲは案内人のいないその谷に、一班を百歩(七十メートル)先行させるだけで全団侵入させた。いつもは靜かであるはずの谷の中に、戦
士達が移動する音と二十を越える組音が響き渡っている。先行班には、敢えて大声で連絡するように指示を出した。
スサノヲは、マタガの森の民は指導力のある長によって統率されていると考えていた。
その長は、これだけの人数に対し攻撃を仕掛ける前に接触して来るはずである。三千歩(二キロ)も行かない所に、人が往来したと思われる緩やかな斜面があった。その斜面はまばらな林につながり、奧は森になっている。その森に人の気配がする。それも一人や二人の気配ではない。スサノヲはその気配を無視して、戦士の中で最も体の大きなアスキを先頭として斜面から林に侵入させ、森と対峙させた。森の奧でも人の動く気配がするが、殺気を帯びたものではない。
「俺はスサノヲ戦士団長アスキだ。武装はしているが、争いを求めてきたのではない。この地の長と話をしたい」
アスキが森の奧に向かって呼びかけた。
「この地の戦頭だが、こちらには話すことはない。陽のあるうちにこの地から去れ」
森の奧から凄みのある声が返ってきた。
「俺達は四日行程(百六十キロ)東の地で鉄造りをしている。西の果ての海峡まで行きたいが、この森を通り抜けたい。また、できることなら交易もしたい。そのための話を長とさせて欲しい」
アスキは声のした方向に語りかけた。
「この森の長と話すのは、お前達の長でなければならない。お前とではない」
再度凄みのある声が返された。
「俺はこの戦士団の長、スサノヲだ。この森の長と話したい」
スサノヲがアスキの横に立った。
森の中の空気が動き、返事が途絶えた。するとアスキがスサノヲの前に立ち、声を上げた。
「戦頭、スサノヲは話し合いに来ているのだ。木を伝って射程に近づこうとしている者達を引き下げて欲しい」
再度森の中の空気が動き、新たな声が返ってきた。
「スサノヲとやら、わしがこの森の長だ。戦頭と二人で降りて行く。お前も戦士団長と登って来い」
双方の中間地に四人は歩み寄り座った。マタガのおさ長はスサノヲ並の身長(百八十センチ)だが、全身に肉が付いており二周りほど大きく感じられた。戦頭はアスキ(百八十六センチ)の頭上に顔があった。
スサノヲは来意を説明し、同意を求めた。
「お前の言うことは分かった。しかしわしもこの森の者達も、今までの生活を変える気はない。西へ行きたければ、二日ばかり余計にかけて南を迂回すれば良いではないか」
長はゆったりとした口調で答えた。
「この森の生活は変わらないくても、周りはこれから豊かになる。オクサとの魚の取引も、これまでのようには行かなくなる」
スサノヲは長の目を直視して言った。
「どういうことだ?」
長の目が光を宿した。
「これまではこの森の条件で取り引きしていたとのことだが、これからはオクサの者達との話し合いで条件を決めてもらう。魚がないからと、暴れることもやめて欲しい」
スサノヲはやはり長の目を直視したままで答えたが、これを聞いた戦頭の表情が怒気を含んだ。スサノヲはそれを無視して続けた。
「俺は、この森の民が周辺を襲ったり略奪したことがないと聞き、長に敬意を抱いて来た。しかし周りが豊かになりこの森が取り残されていれば、変な気を起こす者達が出てくるのではないか。略奪や襲撃を仕掛けようとすれば、俺達が相手になる。そうなれば互いに死人が出るが、無駄なことだ」
スサノヲは、戦頭に目を転じた。
「森を通し、交易をすることでそんなに豊かになると言うのか」
長は、いきり立つ戦頭を手で制しながら問い返した。
スサノヲは、米や鉄製品そして木製の道具類、更には青銅の剣までも運ばせて並べた。
どれもこの森には無い物だった。戦頭は怒気を収め、金色に輝く青銅の武器に見入った。
長は木製の道具類を手に取り眺めた。スサノヲは、この森に交易の品がなければ、道の提供と通行の安全に対してそれらの物を提供すると提案した。
「長、ここで答えを出さなくてもいい。森の者達にこれを見せて、もう一度考えてくれ。俺達は谷の外の草原に野営を張り、明後日の朝東へ帰る。それまでに返事をしてくれ」
スサノヲは、戦頭が手にして眺めていた青銅の剣を彼に与え、武器以外の物は長への手土産として引き上げた。
翌朝、マタガの森の広場に、主だった者達が集まっていた。真ん中には、スサノヲが置いて行った品々が並べられている。米は言われた通りに煮てあった。彼らが米を口にするのは初めてだった。戦頭は、金色に輝く剣を誇らしげに見せている。
長は、あらましを説明すると自らの考えを述べた。
「わしは、この話に乗っても良いような気がする。この森は、暮らすに充分の恵みはあるが、交易する物はない。海沿いによそ者が通れる道を造り、そこを通すだけでこのような物が手に入るのであれば悪い話ではない。無論、道から南には入れぬとの条件を付けてだ」
これを聞いて、戦頭が口を開いた。
「このような物と引き換えに奴らの言いなりになるということは、奴らに従ういうことだ。皆も見たと思うが、スサノヲとアスキの祖はわしらと同じだ。他にも何人かいたが、あの連中は体が大きく強い者が上に立つということだろう。スサノヲとアスキに、長とわしが入れ替わるというのはどうだ?」
「何を馬鹿なことを・・・スサノヲが言うクニ造りに多くの民が賛同しているのは、あ奴を上に立つ者として認めたからだ。アスキは兎も角、スサノヲを倒してわしがその代わりになるなどと言っても、誰も認めはせぬわ」
長は戦頭の提案を一蹴し、条件を提示して話し合ってみるということでその場を収めた。スサノヲの野営にマタガの森の遣いが訪れ、話し合いは前日と同じ場所となった。