初めての遠征 二
山道は険しかったが、初夏の旅は快適だった。ナギで思わぬ時間を過ごしたスサノヲは、チズの森に(鳥取県智頭町)野営を張ることにした。
「あの一番高い尾根から北が、チズ衆の森です」
案内の男が、前方にそびえる連山を指さした。
「チズの森に、これだけの人数が野営を張れる場所はあるのか」
コマキが尋ねた。
「ここから四半日行程(十キロ)ちょとの川の合流地に、広い草原があります」
チズの森は、起伏の激しい地形をすっぽりと包み込んでいるが、この時期はその森全体が柔らかな薄緑色の膨らみで覆われている。谷間には大小の清流が走っており、水に浮かぶ森といった様相を呈している。希に枯れた谷があるが、下流には必ず湧き水が池となっている。
鬱蒼とした森の中を川伝いに下って行くと、突然広い草原が現れた。雨期には二本の川の合流により水没するのであろう、小高い所に灌木が茂るだけである。
「この森の長に会いに行こう」
野営の準備が始まると、スサノヲはツギルに声をかけた。
「いや、やめましょう。キビで聞きましたが、この森は何事もカハラと相談しているそうです。俺達とカハラの関係が分からない状態なのに挨拶に行けば、向こうは扱いに困るはずです。尾根を越えた所からずっと見張っているのはこの森の連中でしょうが、おそらくカハラの指示」
ツギルはコマキを見た。
「単なる見張りで、敵意はありません。今も見張られています。ツギルの言うようにカハラの指示で、逐一報告していると思われます」
コマキは、見張りがいると思われる場所を地面に記して見せた。
「・・・キビは、これ見よがしに見張り小屋を置いていた。カハラは見えない見張りを置いている。カハラの長とは、どんな男かな」
スサノヲは誰に言うともなく呟いた。
カハラは、チズの森から半日行程(二十キロ)川を下った扇状地にあった。東西南の三方は山に囲まれており、北には湿地が広がっている。その湿地の先は入り江で、大きな湾につながっている。湾の出口には巨大な砂州が横たわっていて、外海の荒波を防いでいる。
谷を抜けて山麓に出た所に、迎えの男達の姿があった。男達は、入り江を望む草原へ案内した。そこには、カハラの長老と思われる一団が立っていた。そしてその後には、数百人の、武装はしていないが屈強な男達を従えていた。
スサノヲは、草原の入口に戦士団を控えさせた。自ら武器を解くと、単身で長老達の前へゆっくりと歩を進めた。すると長老達の中から、スサノヲと同年代の若者が進み出た。
数歩の距離まで近づいた時、二人は同時に歩を止め、互いに凝視した。
「俺はスサの王、フツシ」
先に口を開いたのはスサノヲだった。
「俺はカハラのおさ長、ヤガミ」
身長こそスサノヲの耳辺りまでであったが、広い肩幅と厚い胸板を持つヤガミが発する威圧は、スサの王と互角だった。二人は再度凝視し合った。わずかな時間ではあったが、草原が緊張に包まれた。
「スサノヲ・・・カハラは、スサノヲと戦士団を歓迎する」
ヤガミが草原に響き渡る声を上げ、歩を進めてスサの王の手を取った。
それを聞き、カハラの男達とスサノヲ戦士団から、同時に歓声が沸き上がった。
スサノヲはカハラの長に、これまでの経緯を説明した。
「スサノヲはこの地に来てまだ二代目なのか・・・俺達はもう何代目だかよく分からないが、海の向こうから来たとは聞いている。地形を見れば分かるだろうが、ここは狩猟と採取で食うのが精一杯だ。だから交易に力を入れるようになった。あちこち出かけると、その地に余る物と不足する物が分かる。それをやりとりする訳だが、食糧をその地で食いき
れない程に生産できる地は滅多にない・・・キビの長が言う通りトミはそれができる。ムキのことは聞いてはいたが、オロチ衆が関係している所へは手を出さないことにしていた」
カハラの長ヤガミは、スサノヲの真摯な態度に素直に応じた。
「俺達はムキの生産量を増やして、誰もが飢えの心配をしないで暮らせるようにしようと考えている。そのためには安心して生産に打ち込めるようにしなければ・・・トミが豊かな地であれば、食い物が不足した所の民が、トミを襲う。だが交易がうまく行く秩序があれば、誰もが余計な心配をしなくてすむ。そのような秩序を維持するためにクニを造る」
スサノヲは、クニ造りの思いを語った。
「スサノヲの言いたいことは十分に理解したつもりだ。しかし、その秩序を維持するために、全ての地が戦士を出して上納しなければならないというものではないだろう。見ての通りこのカハラには、守るに十分な者達がおり、秩序も維持している。キビも昔はそうだった。長が年を取り過ぎ、何かにつけて処置が甘くなっていた。・・・最近は、特に一部の中堅が勝手に動いていた。スサノヲは、今度の一件の始末を聞いたか?」
ヤガミは目を光らせた。
「いや・・・その話はしなかった」
スサノヲはヤガミの次の言葉を待った。
「首謀者五人のうち、責任を長老になすりつけようとしたヒバは首を切られた。残る四人は、理由はどうあれ掟を破ったのだから、両足首の腱を切られた上に家族から離され、死ぬまで塩汲みだ。謀議を聞きながら黙認した長老四人も、長老を外された上に家族から離され、死ぬまで塩汲みだ。スサノヲ、お前ならどう始末した?」
ヤガミの目の光は更に強くなった。
「復讐の芽は摘む」
スサノヲはそれまでの表情を変えず、静かに答えた。
「全員殺すのか?」
ヤガミの目の光は衰えない。
「女以外はな」
スサノヲの目が、初めて光った。
「・・・スサノヲ・・・カハラには、これまで全てをこの地の者で仕切ってきたという誇りがある。その誇り故に、上納と戦士を出すことを受け入れることはできない。ここのところは理解して欲しい。しかし対等の立場で互いに手を組むことはできる。キビとは手を組んだ訳ではないが、対等の立場でやってきた。しかし、お前のクニとは手を組める・・・どうだ、どちらが兄でもない弟でもない兄弟というのは?」
ヤガミの目には、先程までとは違った光があった。
「カハラの誇り・・・よく分かる。よかろう、対等の兄弟だ。クニの仲間より、もっと親密な関係だな・・・ところで、お前は全員殺して終わりにするのか」
スサノヲが尋ねた。
「ここの掟では、子供であろうと男は全て殺す」
この日から三日三晩、同盟の宴が繰り広げられた。カハラには戦士はいないが、戦闘要員任務があり、その任に就くことは男の誉であった。双方の男達は親しくなるにつれ、互いの武器を持ち寄って戦談義が始まった。武器の性能は、戦士の持つ方が数段上だった。
スサノヲはヤガミに武器の供給を約束し、ヤガミは木製の道具類とカハラから東の土地の情報を提供することを約束した。男達の間では、スサノヲとヤガミが兄弟となったことを模して、気の合った者同志が同様の契りを結ぶ光景があちこちで見られた。中には、双方の姉妹との婚姻約束をする者まで現れた。
四日目の朝、スサノヲ一行は、ヤガミが付けてくれた案内人に先導されてアオヤへ向かった。入り江の西岸に沿って四半日行程(十キロ)北進すると、大きな湾が西に広がっている。案内人は湾の手前で、西の小高い山波へ向かった。浅い谷間に沿って道があり、往来の頻繁さを物語っている。
湾から半日行程(二十キロ)弱で、集落に着いた。集落は、深い入り江に面した緩やかな勾配に固まっている。入り江は北に延びているが、東西は急な斜面を濃い森が覆っている。集落の南も巨木の森であるが、そこからゆったりとした流れが入り江に注いでいる。その流れ沿いに作業小屋らしい大小の建物が点在し、木を加工する音が聞こえる。
「アオヤ衆は、船から道具類まで木の加工ならどんなことでもできます。あの大きな建物では船を造っています」
案内の男が指差した。
その建物から、長らしき老人が現れた。
「あんたがスサノヲか・・・噂には聞いている。何か用かな」
アオヤの長は、物怖じしない目でスサノヲを見詰めた。
「カハラから西へ帰る途中だが、アオヤ衆の木工を見たいと思い、立ち寄った」
スサノヲは長の節くれ立った手を見た。
「わしらの造る道具類は、お前様達の地には行き渡ってはいないらしいな。キビ衆の手を経て渡っていると思っていたが、オロチ衆止まりだったようだな。これからはカハラ衆が大量に持って行く、土器より軽いし壊れにくいぞ」
初めて見る木工作業は見飽きなかったが、スサノヲの目を引いたのは道具だった。
それは鋼でできており、鍛冶の手によるものだった。スサノヲはキビの鍛冶を一通り見ているが、ここで使われている道具を打つ者はいなかったはずである。
「この道具はどこで打ったものだ?」
スサノヲは長に尋ねた。
「ここよ。ここと言っても、その流れの向こうになるがな」
長の指し示した方角に集落が見えた。
それまで初めて耳にする木工の音に紛れて気付かなかったが、その気になって聞くと紛れもない鍛冶の音が聞こえてきた。
「これは鋼でできているが、鋼はどこで造られたのだ?」
スサノヲは呟くように言った。
「これはヨコタの鋼だ。キビ衆が運んで来る。以前は西の大きな島の鋼を使っていたが、ヨコタの鋼を使ってみたら、ものが違う」
長は木を削る道具を手にし、その刃を光にかざして見せた。
「木工と鍛冶を得意とする民がこの地にいるとは・・・長達の祖先はどこから来たのだ?」
「わしらはキビの分派だ。何代か前の爺様達が、この地が船造りに向いていることを知ったらしい。その後カハラの衆が船を欲しがって、ここで造ったのが始まりだ。船を造るには道具が必要、そこで鍛冶の連中と住み着いた。長く暮らすうちに人も増えて、手の空いた者が船以外の木工品を作るようになった。作ればカハラの衆が交易してくれる」
急ぐ旅ではないスサノヲは、アオヤの外れに野営した。
「ここからムキまでどの程度かかるのかな」
スサノヲは、西の尾根を見ていた目をコマキに転じた。
「あの尾根に登らせた者から、二日行程(八十キロ)ほど西南に、カミの峰と思われる山が見えると報告がありました」
コマキが答えた。
「ムキの長が、木の川の東にもムラがあると言ってた。西へ進めばその連中に会える」
ツギルが言った。
「ムラと言うことは野辺の民だろうが、森の民もいるだろう。しかしたいした人数ではないな・・・交易相手になるだけの人数ならカハラ衆が出かけているはずだ」
スサノヲは、ヤガミとの会話を思い起こすように言った。
「明日からは斥候を出す。襲ってくるような奴はいないと思うが、慎重に進もう」
コマキは、指示を与えに席を離れた。