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スサノヲ  作者: 荒人
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キビ 三

 キビの里のあちこちに濃い桃色の花が咲き乱れ、川では雪解けの濁流が音を立て始めた。引き渡しの集落に一番近い物見小屋は、濁流に沿って北に続く道を見下ろす山の頂にある。いつもはひっそりとしているその頂に、殺気立った男達が溢れていた。

「この小屋から持って行くのは、山を越えるまでの食糧だけだ。武器は次の二番小屋に用意してある。自分の食い扶持を受け取ったら、二番小屋へ向かえ。明るいうちに着いて野営の準備だ」

 ヒバが大声で怒鳴っている。集まった男達は総勢二百三十人だった。

「ヒバ、ここに人を残すのか?」

 ウカンが怒鳴った。

「思っていたより多く集まった。当番は残そう」

 百人ばかりの若造を叩き潰して鉄の山を手に入れに行くと聞かされて集まった男達は、意気軒昂だった。二番小屋も川沿いの道を見下ろせる山の中腹にあったが、山裾はほぼ平らな林になっていた。男達は小径木を伐採して野営場を作り、そこかしこで大きな焚き火を始めた。陽が落ちれば真っ暗になる林が炎色に浮かび上がり、高揚した声が響き渡った。

「鉄の山が手に入れば、交易の取り分が増える。わしらの働きで手に入れた山だから、分け前を多くしてもらわなければな」

「そうだ。長老達に話をつけてあるのか」

「その前に、スサノヲの所にあるお宝や女は、取った者勝ちか?」

「そりゃそうだ、この戦はいつもとは違う。わしらが仕掛けるのだから、戦場(いくさば)の獲物は取った者のものだ」

「山はどうだ」

「山は別だろ、鉄を作らせねばな・・・女にも手を出してはならんぞ」

 二番小屋での野営は、祝勝会の趣を呈していた。


 同じ時刻、ツギルとコマキ率いる二団六百二十人が、キビの者達が言う北の山の尾根を南に下った森で眠っていた。雪解け季節とはいえ、夜の高地は真冬の気温だった。スサノヲ軍は、野営用の敷き藁と獣の毛皮を十分に用意していた。敵に見咎められて構わない行軍であり、焚き火も十分な規模にさせた。一日遅れてアスキ団がここを野営地とする。敷き藁や毛皮は残しておけばいい。

 翌日、穏やかな春陽の中を、スサノヲ軍はゆっくりと南下した。兵士達が持つ槍の穂先が陽光に輝き、深い緑の森をまばゆい帯が縫うように進む。その樹林に、隊長の動きに合わせて響く組音(くみね)の音が吸い込まれて行く。

 他方キビ軍も、北上を開始した。この日は最北の五番小屋を野営地とすることになっており、緊張感のない行軍となった。五番小屋は川沿いの最も高い頂にあり、そこからの視野は広く、遠方まで見渡せる。この日の見張り番は、北ではなく仲間が来る南ばかりを見ていた。北を注視していれば、深い森の中に時折動く鋭い輝きを捕らえたはずである。

 キビ軍が到着したのは夕闇迫る頃になってからであった。五番小屋の辺りで川は大きな蛇行を繰り返しており、曲がるたびに広い川原が現れた。中でも小屋の建つ山の下の川原が最大で、キビ軍の野営地はそこに用意されていた。この日のために五番小屋の者達が、十分過ぎる(たきぎ)と獣の肉を積み上げていた。

カーン・カーン・カーン

小屋で鉦が打ち鳴らされた。キビ軍到着の合図である。薪の(かたわ)らで種火を守っていた二人が、焚き火の用意に取りかかった。

「火を準備しておいてくれたか、すまんな」

二百三十人の男達があちこちで大きな焚き火を始めると、川原全体に活気が漲った。男達は、前夜同様に好き勝手なことを言い、喰らい、どよめいた。その声は左右の山々にこだまし、星空に抜けていった。


 川に沿ってゆっくりと進むスサノヲ軍には、タリの長配下の案内人が同行していた。

この日の進軍が始まって間もなく、案内人が入れ替わった。新しい案内人は、山の南側一帯を猟場としていた民だという。しかし年々キビの民に猟場を浸食され、今では高原地帯だけが生活の場となっているという。

 半日行程進んだところで、その男がコマキに尋ねた。

「この調子で行くと野営は渓谷の中になるな・・・どうします?」

「どういうことだ?」

 コマキが問い返した。

「この川は、大きく西に曲がると西からの別な川と合流して南に向きを変えます。そこからは深い渓谷が続きます。渓谷の手前にある森での野営ですと、少し早過ぎます。丁度良い時間まで進みますと、渓谷内の砂州に分散しなければなりません」

 言うと男は、指示を待つかのようにコマキを見た。

「早過ぎても構わない、手前の森にしよう」

コマキは即座に答えた。

 返事を聞いた男は足の運びを幾分遅くし、余裕ができたのか、語り始めた。

「一日行程先の山頂に、キビ衆の物見小屋があります・・・三人が寝泊まりしてますが、雪が深い頃からしきりに猟に出かけ始めました。冬の猟はわしらでも手こずります。素人が思いついても無理だろうと見ていたところ、あろうことかわしらに頼みに来ました。これまでのこともあるし、麓の森まで猟場にさせろと条件を出してみました。なんと、連中は、それで構わぬと言ました。そこで、三人が冬中食っても余る程の獲物を持って行きました。ところが・・・それでは足りぬ、お前達ならもっと獲れるであろうと言いました。そう言われればこちらも腕を見せようと、初めの倍を持って行きましたが、まだ足りぬと言ます。結局十回以上運び込みましたが・・・あれは二百人以上が腹一杯食える量です。それに・・・物見小屋は五箇所あって、獲物を手近の小屋に運ぼうとしたところ、五番小屋でなければならぬと言います・・・持ち帰るのが大変だろうに、連中は何を考えているのやら・・・」

「その五番小屋は、今日の野営場所から半日行程(二十キロ・四時間)ということになるな・・・俺達を歓迎するつもりで集めたのかもしれんな」

 コマキはニヤリと笑いかけた。

「いえいえ、多いとはいってもこれだけの人数を賄うのは無理です。小屋の連中は、団長達が行くのを知ってるのですか?」

 男は生真面目に答えた。

「いや、連絡はしてない。渓谷をどの程度まで進むと、小屋の奴らから見えるのだ?」

 コマキはのんびりした声で尋ねた。

「あの頂は見晴らしがいいし、渓谷は広いから・・・四半日行程(十キロ・二時間)も下れば、見えます」

 男は、地形を思い浮かべるような眼差しで答えた。

 それからややあって、川が大きく西へ曲がり始めた。夕暮れまでまだ随分あったが、スサノヲ軍は野営の準備に取りかかった。

「ツギル、面白いことを聞いたぞ」

 コマキは、男から聞いた話をした。

「ほう、キビの里から一番遠い見張り小屋に、二百人以上が腹一杯食える量・・・それを山越えの食糧と考えると、尾根越え手前の野営でその半分を食う。そして、翌日尾根を越える。早出をすればヨコタに着くのは陽が真上の頃・・・クマノへは日暮れ頃。いやその日のうちにクマノに進むのは奴らに不利・・・ヨコタは簡単に占領できるから、そこで体を休め、残る半分を食う・・・翌日がクマノ攻めだな。こう考えると、奴らの人数は百ちょっとか?・・・たったそれだけで仕掛けてくるのか?」

 ツギルは、解せないという目でコマキを見た。

「いや、二百ちょっとだろう。五番小屋の辺りで野営をするのじゃないか。その肉は出陣前夜の食い物だ。それにしても・・・二百にしても少な過ぎる。俺達を甘く見てるのかな・・・いや、俺達のことを知らないのじゃないか?」

 コマキも、怪訝な眼差しを返した。

 しばしの沈黙の後、二人の視線がぶつかった。

「言わなくても分かる。今から出かける」

 コマキは、案内の男から小屋がある山の位置と詳しい地形を聞くと、最精鋭の一班を伴って渓谷に消えた。武器には毛皮を巻き、気配を探りながら慎重に歩を進めた。渓谷が闇

に覆われ始めた頃、川下でかね鉦が打ち鳴らされた。

 コマキ達は、岩陰に身を隠した。まだ四半日行程(十キロ・二時間)は進んではおらず、物見に気付かれる場所ではないはずだった。川下に耳を澄ませ全身で気配を探ったが、何も感じない。夜目のきくコマキ達は、暗い渓谷を音も立てず俊敏に下った。やがて流れが大きくなり、右に曲がり始めた。曲がりきると渓谷が広くなると教えられた場所だった。

 崖に張りつきながら、小屋がある方角を見る。暗い空の中に黒々とした山の影が立ちはだかっており、頂と思われる場所に橙色の点が揺らいでいる。その時、下の方から大勢の男達のざわめきが聞こえた。

「小屋からこちらは見えない。あの声の近くまで行くぞ・・・斥候を出しているかも知れないから、三人ずつに分かれて慎重についてこい」

 コマキは二人を伴って先行した。川は小屋の山裾を左に巡り、大きく右に曲がり切ったところに広い川原があると聞いていた。コマキは慎重に進む。進むにつれて、聞こえる声がはっきりしてくる。身を低くし、流れに沿って右に曲がった。五百歩ばかり前方に、いくつもの大きな焚き火を取り囲む男達がいた。 

「お前は焚き火の数を数えろ」

 コマキは右の戦士に囁いた。

「お前は、焚き火を取り囲む人数を数えろ」

左の戦士に囁いた。


「全部で二百三十ばかりだ。キビでは、俺達を倒して鉄の山を取り込もうとの意見が多勢になったようだ。だが長は、俺達のことをもっと調べてから結論を出そうとした。それに不満を持った血の気の多い奴らが、長の命令を無視して行動を起こしたようだな。あの人数で俺達を潰せると思い込んでいる。戦利品の話で盛り上がっていたぞ」

「すると、あの肉は前祝い・・・連中は明日こちらに来る訳だな。さてどうするかな」

 コマキの報告を受けたツギルは、腕を組むと目を閉じた。

「長の命令に背いた奴らだ。首謀者を殺り、あとは捕虜として連れて行く手もある」

 コマキが独り言のように言った。

「スサノヲから、できるかぎり殺すな、殺すなら全員殺せと命じられている。長の命令に背いている連中だ、その手も悪くはないが・・・いや、全員を捕虜として連れて行こう。

首謀者の始末は長に任せるのだ。俺達の戦力を見せた上に、キビの衆に貸しが作れる」

 ツギルは目を開いた。


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