クマノの山 三
北の門の外から、大勢の人声が聞こえ始めた。懐かしい声と訛り、シオツの声だ。スサの王は、緩やかな坂を駆け下りた。先頭を、フツと炭頭が肩を並べて歩いて来る。
その後ろには堀頭とカナテの顔が見える。
「おお、フツシ。達者なようだな」
炭頭が手をあげた。
「宴は遠慮したが、好きな時に海を渡れるようになったことを祝わねばならぬ」
語りかけたフツの目は潤んでいた。フツシが再び見た父の涙だった。
翌朝、フツが毛皮の包みを手にして一人で王の館を訪れた。
「お前と二人だけで話したい」
「では、住まいの方で・・・イナタはみんなに旨い物を食わせるのだと、外で女達と支度をしています」
「話は二つ。ひとつは、辰韓に残した家族を迎えに行くことだ・・・実はな、わしらが海を渡る時、二通りの路があった。島伝いに南に進む路と、海の流れに乗って南東に進む路だ」
一瞬、フツの目は遙か遠くを見ていた。
南の路は距離も短く、行き来する海の民もいた。しかし、フツは南東の路を選んだ。南には既に渡海者も多く、フツ達が望む山を手に入れることは難しいだろうと思われたからである。
「結果はこの通りだ・・・やっと迎えに行くことができるようになったが、この年で海を渡るのは無理だ。そこで陸路を考えた。この地から西へ向かえば、南路の到達地に行き着くはずだ。そこから島伝いならわしらでも行けるだろうと思っている」
フツは、同意を求める眼差しをフツシに向けた。
「ずっと西に、渡来の者が多く棲む地があるとの話は聞いてはおります。しかし俺の知る限りでは、その地に行ったことがある者も、その地から来た者もおりません。親父殿、俺はここでのクニ造りを終えたら、その地を探しに行くつもりです。そのためにも、このクニを豊かにして多くの戦士を養えるようにしなければなりません。それに、俺が留守でも侵入者を撃退して豊かさを維持できる制度を確立しておかなければなりません」
「そうだな・・・わしは一刻も早く迎えに行きたいが、お前には王として成すべきことがある・・・うん、お前が西を目指すと聞いたことで、希望が沸いたぞ」
フツの顔に、老いが浮かんだ。
「もうひとつの話とはどのようなことで?」
「これだ」
言いながらフツは、傍らに置いてあった毛皮の包みをスサの王の前に押し出した。
「この包みは何ですか」
「まあ、中身を見てみろ」
スサの王は包みを開いた。中には金色に光る金属のかたまり塊があった。
「青銅・・・のようですが・・・違うな。色と形は青銅の塊に見えるが、手触りと・・・重い。これは青銅より重い。親父殿、これは何ですか」
スサの王はその塊を両手に持ち、父の顔を見た。
「金」
「金?・・・金とは・・・何に使うのですか?」
「金は柔らかな金属でな、叩けばいくらでも伸び広がる。柔らかいから、どのような形にも変えられる。薄く延ばして鉄や銅を覆うこともできるし、細かい飾り物も作れる。それに金は絶対に錆びぬ。つまり不滅だ。しかも滅多に手に入れることができぬ貴重な金属だ」
「見た目は青銅と同じだが・・・滅多に手に入らぬ。貴重な・・・不滅の金属ですか」
スサの王は、手に持った金色の塊をしげしげと眺めている。
「滅多に手に入らぬものを、親父殿はどこで手に入れたのですか?」
スサの王は、改めて父の顔を見た。
「ヨシダの山の、鉄砂の採取場だ」
フツは、初めて見る金の価値を判断しかねている息子の様子を、満足そうに眺めている。「フツシよ、よく聞け。この金はな、海の向こうでは最も貴重な物だ。ところがこの地の者達は、価値どころか金そのものを知らぬ。オロチ衆も知らなかった。この地に渡来したオロチの爺様達が海の向こうにいた頃は、金という物が認識されていなかったのであろうな。お前がこれから行く西の地の者達が知っているかどうかは分からぬが、いずれこの地の者達も金の価値を知るだろう」
フツは息子の反応を探ろうと、その目を見た。その表情には老いは無かった。
「・・・価値が知れ渡る前に、密かに集めておけと言われるのですね」
スサの王も、フツの目を見た。フツは黙って頷いた。
「で、鉄砂の採取場に、どのような形であるのですか?」
「知っての通り、採取場には水路がある。そこを流れている。鉄砂が沈み、砂が転がって行っても、金は箔状で水中を舞っている」
「水中を舞っている・・・それをどのように集めるのですか?」
「水路に、細かい草の根で作ったせき堰をいくつも設けておく。その日の鉄砂流しが終わったら、堰を大瓶の中で洗い、付着している箔を落とす。そのあと堰は水路に戻しておく。この作業を何日も繰り返していると、瓶の底に金の箔が貯まる」
「なるほど・・・貯まった箔を溶かすのですね。しかしこの形はどのようにしたのですか」
フツが持ってきた金の塊は、竹の一節程度の長さで、竹を半分に割って伏せたような形をしている。
「簡単だ。炉を造る時、一節に切った割竹を底に埋めておく。炉が乾けば竹を外し、金の溜まり場にする」
「それにしても、親父殿はこの地の金に、いつ気付いたのですか」
「ヨシダに、初めて行った時だった」
「その時から、金を集めようと考えていたのですか」
「いや、お前がオロチ衆を打ち破った時だ。辰韓に迎えに行く時に必要だからな」
「いつから始めたのですか」
「シオツに帰り、亡くなった者達を鎮めてからだ。雪が解けるとすぐにヨシダに出かけてな、道楽でやりたいことがあるとタナブに断って、仕事場を造った。いま集めているのは一ヶ所だけだが、半年でこれが九本もできた。お前が差配する全ての山で大規模にやれば、一年で百以上は作れる。草の根の堰をもっと緻密に造れば、二百を越えるかもしれんな」
「分かりました。だが、誰にさせるか・・・」
「わしらに任せろ。今はこの地では無用の物故、お前が年寄りの好きにさせておけと言えば、誰も気にはせぬ」
「ですが、若い者にも集め方と造り方を教えておかなければなりませんぞ」
「それも任せろ。シオツの者に伝授しておく」
「・・・お願いします」
「フツシ、お願いしますでは済まぬぞ」
フツの声音と顔が改まった。
「と言われますと?」
スサの王も表情を改めた。
「お前は、わしの話で金の価値を知ったが、それは話を知ったのであって、真の価値を知った訳ではない。金は、ふさわ相応しい者が持てば、その者のクニを栄えさせる。だが、相応しくない者が持てば、その者のクニを滅びさせもする」
「滅びさせもする・・・なぜですか?」
「金の魔力に取り憑かれた者は、襲ってでも金を得ようとする。襲うというのは、武力を使うだけではないぞ。婚姻によって姻戚関係を結び、時間をかけて内側から全てを奪い取る手もある」
「そうまでして奪うだけの価値とは・・・」
「その価値を、いずれこの地の者も知る。その時お前が生きていれば、クニを栄えさせるであろう。しかし、死んで後ならどうなる?わしが蓄え、お前が蓄え続ければ、膨大な量となるであろう。お前の跡取りも蓄え続けることになるかもしれんぞ」
「親父殿は、価値が知れ渡った時に、膨大な蓄えがあるとを知られてはならぬとおっしゃりたいのですね」
「そうではない。蓄えは、相応しい者が持っていなければならん」
「分かりました。金の採取と蓄えを、誰に伝えるかを間違えるなということですね」
「伝える相手は一人だけだ。複数の者が知っていれば、必ず争いが生じる・・・お前にはこれから何人もの子ができるであろう。その中で伝えるに相応しい者一人を選ぶのだ」
スサの王は、フツの伝授する者一人へのこだわりを鬱陶しく感じた。価値のある物なら、皆で分ければいいではないかとも思った。しかし自分の知らない海の向こうでの経験と知識を持つ父を、師とする気持ちに変わりはなかった。