クマノの山 二
その年の収穫が終わり、森が赤や黄色に埋め尽くされた頃、クマノ砦の外に広がる草原には人が溢れていた。フツシのクニ造りに賛同した長達と、上納を運ぶ供の者達だ。上納は収穫の十分の一と取り決めていたが、フツシは具体的な量は長の裁量に任せた。大きな集団を率いる長の上納は多く、供の数は数十人もいた。彼らをそれぞれの出身地の戦士達が出迎え、砦の中に案内した。
砦は、緩やかな丘をぐるりと取り囲んでおり、入り口は東西南北の四ヶ所に設けられている。その入り口から、大人五人がゆったりと横に並んで進める真っ直ぐな道が頂に向かっている。入り口から遠射の矢が届く距離の倍(二百歩)までは、全ての立木が取り払われているが、それを過ぎると森がそのまま残されている。森を切り裂くように伸びる道を進むと林となり、左右の木立の中に立ち並ぶ建物が見える。林を抜けると、概ね平坦な丘の頂が現れる。ここの立木も全て取り払われている。その中心に、ひときわ大きな建物が建っている。その建物は、東西南北どの道の森を抜けた所からも、遠射が届かない距離(百五十歩)である。
長達を建物の前まで先導してきた戦士達は、供の者達を広場の周辺に点在する倉庫へ誘導した。間もなく供の者達だけが戻ってきたが、誰もが驚きと畏敬の表情を浮かべていた。
「どうした、何かあったのか?」
ナクリの長が供の一人に尋ねた。
「いや・・・何もないけど、戦士っていうのは・・・あいつらはわしらを守れる」
「何を言っておるのだ?もっと分かるように言え」
「長も、見れば分かる」
その時建物の向こうで大声がし、大勢が一斉に動く音が聞こえた。誰もが聞いたことのない音がしており、それに足音が合わせているようだ。建物の右から、異様な姿をした戦士達三十三人が三列縦隊で現れた。その前を一人の戦士が歩いている。これが組頭であろう。その組頭が、左手に持つ盾を前後に振る度にぼわーん、ぼわーんと音がする。
盾に音のする物が取り付けてあるようだ。戦士達は、、右手に金色に輝く大きな鋭い穂先の槍、左手に躰が半分隠せる頑丈な盾を持ち、腰には金色の柄の幅広の短い刀を帯びている。更に背中には矢の詰まった矢立と弓を背負っている。そして躰と頭に獣の皮をまとい纏い、顔は赤と緑のまだら模様となっている。
少し遅れて次の組頭と三十三人が現れた。組頭から聞こえる音が違うだけで、姿形は同じである。三つの組百二人の戦士の横を、一人の戦士が歩いている。この者が三集団を率いる隊長のようだ。三人の隊長が率いる三百九人が、長達の右を通ってうしろに並び、進行方向を向いたまま音に合わせて足踏みを続けている。
すると建物の両側から先程同様に戦士が現れ、長達の左右に並んだ。長達は、同じ間合いの二十七の異なる音色と、九百二十七人の足音に囲まれた形となった。
やがて建物の段上に三人の戦士が現れた。アスキとコマキそしてツギルだ。アスキが声を発した。すると、うしろの戦士の音と足踏みが止まった。左右はまだ止まらない。もう一度声が発せられると、うしろの戦士全員が一斉に長老達の方に向きを変えた。
次にコマキが声を発した。右側の音と足踏みが止まり、次の声で長老達の方を向いた。
ツギルの声により、左側の戦士達も長老達の方を向いた。
アスキとコマキが段を下り、先頭に並ぶ長老と建物の中間地点で建物の方に向きを変えた。
段上に残ったツギルが右に移動し、建物の中に向かって大音声をあげた。
「シオツで生まれ、カラキの山で育ち、スサの森で志を建てた我らが王、フツシ」
フツシが、顔は塗っていないが戦士と同じ姿形で現れた。
黙ったまま居並ぶ者を睥睨し、両手を突き上げながら呼ばれた以上の大音声を発した
「おーう」
それに呼応して戦士が叫んだ。
「おーう」
再びフツシが声を発し、戦士が応えた。三度フツシが声を発し兵士が応えた時、長も供の者達も声を張り上げていた。フツシは段を下り、長老達の中に入って声を発した。長老達はフツシを取り囲み、いつもの威厳を忘れたかのように両手を突き上げて声を発した。
中秋の帳がクマノの山を包み始めた頃、砦の広場は宴たけなわとなっていた。
「ここには、皆さん全員が泊まれる建物があります。今夜はゆっくり休んで下さい」
ツギルがムキの長に砦の説明をしている。
「何でそんなにたくさんの建物を建てたのだ?」
初めて飲んだ酒で真っ赤に染まった皺に埋まった目をしばたかせながら、ムキの長が尋ねた。
「フツシ、いや我らの王は、三年後には戦士の数は三倍になると言っています」
「ほう、三倍とな・・・頼もしい話だ。ところでツギル、さきほど戦士達が歩いておる時、先頭の者が盾を振ると音がしていたが、あれはなんだ」
「組音です。気になりましたか?」
「今まで聞いたことのない不気味な音色だが、何のためにあのような音を出すのだ」
「見えない所からでも、動いている組を知るためです。あの音はかなり遠くでも聞こえますからね。それと、敵を怯えさせる効果も考えています。あの音を聞けば、動揺するはずです。フツシ、いや我らの王は、戦わずして敵に戦意を無くさせる戦法を工夫しています」
「たしかにあの不気味な音が聞こえてくれば、気持ちが悪いな」
「でも聞き慣れれば、味方にとっては頼もしい音となるはずだとフツシ、いや我らの王は言ってます」
「フツシ、いやわしらの王は、・・・この呼び方は面倒だな。もっと言い易い呼び方はな
いものか・・・フツシ王・・・これも言いにくい。おいナクリの長よ、わしらの王となったフツシを、なんと呼べばいいかの?」
ムキの長は、少し離れたところでミトヤの長と酒を酌み交わしているナクリの長に声をかけた。
「そのことよ、ここでもその話をしていたところだ。ツギルよ、フツシいやわしらの王はクニ造りをすると言ったが、クニに呼び名があるのか?」
「いえ、私も王に呼び名をどうするのか聞きました。王は、いずれそれらしい呼び名が自然にできると言っただけです」
ツギルは困惑気味に答えた。
「名など気にせぬか、わしらの王らしいな。だがわしらの王としての呼び名は考えねばな」
ムキの長が、ナクリの長に同意を求めた。
「そうだ、考えねば・・・よし、山の長達にも声をかけてこよう」
ナクリの長はよろけながら立ち上がると、ミトヤの長とムキ長の腕を引っ張った。
「ヨシダの、ここではわしらの王をなんと呼ぶかの話は出ていないのか?」
ナクリの長は、山の長達が車座で座る中に二人を伴って割り込んだ。
「ナクリの、いいところに来た。ここでもその話をしていたところよ。こちらはムキの長だな」
ヨコタの長が、酒をなみなみと注いだ椀をムキの長に差し出しながら応えた。
「ミトヤとそのことを話している所に、ムキからなんと呼ぶのだと聞かれてな・・・」
ナクリの長は、居並ぶ長達の顔を見回した。
「わしらは棲み仕切る地域の長と呼ばれているが、フツシはわしらの地域すべてを仕切る。それがクニとなると言う。ならばそのクニの王と言うのが良かろうと思うが、王となるフツシはクニの名などいずれ付けられると言っておるそうだ」
ヨシダの長が言った。
「フツシはシオツで産まれカラキの山で育ったと言っていたな・・・両方とも地域ではないな。スサの森で志を建てたとも言っていたな。あれはどういうことなのだ」
ムキの長が、スサの長サタを見た。
「わしの娘を娶って子をもうけてな、森で暮らしながらオロチ衆を討つ段取りを整えた」
サタが応えた。
「スサの長よ、このようなことにならなければ、娘婿のフツシをスサの長とするつもりであったのかな?」
ムキの長は小さな目でサタを見た。
「そうよな・・・あの男と初めて会った時、ただの青銅造りではないと感じた。跡取りに欲しいと思った。だから娘をやった。だがあれはスサの森に収まる器ではなかった」
サタはフツシとの出会いを思い起こすように言った。
「ふむ・・・皆の衆、フツシはスサの森では収まらず、わしらの地域をクニとした男だ。このクニでも収まり切れぬかもしれんぞ・・・まあ、それはいい。呼び名だが、スサの森を出て王となった者だから、スサの王ではどうかな?」
ムキの長は居並ぶ長達をゆっくり見回した。
「スサの王、なかなかいい響きだ。サタよ、お前さんはどう思う?」
ヨシダの長が離れた席から声をかけた。
「スサの・・・王か、うんわしは異存無いぞ」
サタはヨシダの長に向かって答えた。
「皆の衆はどうかな?誰も異存がなければ今からスサの王と呼ぶことにしようではないか」
ムキの長は立ち上がり、返事を待った。
「わしは異存無いぞ、今からスサの王だ」
ムキの長から最も遠くに座っていたアビレの長が立ち上がり、賛意を表明した。
「よし、スサの王だ」
長達は総立ちになり、新しい呼び名を連呼し始めた。
長達の外側に陣取っていた供の者達も立ち上がり、連呼に加わった。やがてその連呼に戦士達も加わった。
「フツシ、今からスサの王と呼ばれることになったぞ。段に上り応じろ」
ツギルが隣に座るフツシの背中を押した。
フツシは段上に立つと、両手を広げて声を制した。広場は瞬時に静寂に包まれ、虫の声と篝火のはじける音だけが響き渡った。
「皆が俺をスサの王と呼ぶのだな。よかろう、俺も自らをスサの王と言おう」
言い終えると両拳を高々と突き上げた。
「おーう、スサの王」
広場が呼びかけた。
「おーう」
スサの王は再び両拳を突き上げ、応じた。
宴の翌日、長達は三々五々、挨拶に来ては帰っていった。最初に来たのはムキの長だった。
「スサの王よ、オロチ衆との戦いを始める前に、トリカミの頂で誓いを建てたと聞いたが」
「うん、サタの計らいだった」
「おまえ様は、わしらの王となり、これからクニを造る。国造りの始めにも誓いを立てねばならぬのではないか?」
「俺もそのことを考えていた・・・このクニで一番高い頂は火岳だな」
「火の川の西ではそのように呼ぶが、東ではカミの峰と呼ぶ。トリカミの頂より遙かに高いから雪解けが遅いが、あの頂からは、おまえ様が考えているクニの全てが見えるはずだ」
「はずだ?・・・長は登ったことがないのか」
「ない。仰ぎ見るだけだ・・・森の長達は登っているから、おまえ様を先導できる」
「カミの峰か、いい呼び名だ・・・頂の雪が溶ける頃に、クニ造りの誓いを建てよう」
「実はな、死ぬまでに一度は登ってみたいと思っていた。しかし、高くて険しい・・・余程のことがなければ無理と、諦めていた」
「クニ造りに賛同する全ての長達と我が戦士の団長達で登り、誓いを建てよう。時期を見て連絡する」
最後に来たのはサタだった。
「スサの王よ、わしらのクニを豊かにしてくれ。豊かになれば養える人数が増え、子が育つ。子が育てば収穫も増やせる」
「サタ、このクニはサタが思う以上に豊かになるぞ。火の川の東の野辺の民に鉄の道具を与えて収穫を増やさせる。あの地は食糧作りに適しているから、地の者達が食う何倍もの収穫となる。余った収穫物を、海辺や森や山の民の物と交換できるようにする」
「交換は、今でもしているが・・・」
「それは近くの民とであろう。スサの近くの野辺は狭くて収穫が少ない。少なければ森の獲物との交換も少ない。それ故、森や山の民に米が回って来なかったのだ」
「ムキのように余分が多ければな・・・だが、火の川の東は遠い」
「サタともあろう者が、この場所にこれだけ大きな砦を造った理由が分からぬか?ここはこのクニの真ん中だと言ったはずだ。ここを、余った物を持ち込み欲しい物と交換する場所とするのだ」
スサの王は、穏やかだが強い意志の秘められた眼差しでサタを見た。
「なるほど・・・ここに砦を造ると決めた時にそこまで考えていたとは・・・スサの王よ、お前様が先々のことを考えて行動していることは分かっていた。スサの森では収まりがつかぬのは当然だが・・・ムキの長が言ったように、このクニからはみ出すのも遠くはないかもしれぬな。お前様はどこまで先を見ておるのだ?」
「先を見る?先を見ている訳ではない。俺はこのクニの民が飢えることなく安心して暮らせるようにするには、何をしなければならぬかと考えるだけだ」
「その、何をしなければならぬか・・・わしらはせいぜい二つか三つしか思い及ばぬ。お前様は、九つも十も・・・いやもっと多いかもしれぬが、考えを巡らしている。やはりわしらの上に立つ王だ・・・それでは森に帰る」
サタは立ち上がり、階段に向かった。
「サタ、オヒトと我が息子は元気か?・・・雪が降る前に行くと伝えてくれ」
スサの王は、サタの背中に声をかけた。
サタは立ち止まると振り向き、にこりとして頷き、再び背を見せた。
長者達のざわめきが去った砦には、いつもの緊張感が漂っていた。昨夜宴で沸き返った広場では、戦士の訓練が行われている。スサの王は館から広場に下り、北の道へ向かった。この道を下り、門を出て北進すれば、シオツやカラキの山に至る。
宴に、シオツの者達の姿はなかった。数日前、シオツから大量の塩とフツからの伝言が届けられていた。『辰韓に家族を残したままの状態で、華々しい場所に同席する気持ちにはなれない』というものだった。