スサの森
この年の冬は豪雪で、スサの森も雪に埋まっていた。しかし、その深い雪を踏み分けて森を訪れる者達がいた。
「フツシ、トリカミの山での誓いの確認が必要だ。明日にはあの時の者達が揃う」
赤々と燃える炉の向こう側からサタが言った。
「俺もそれを考えていました。では明日ということで・・・」
フツシは居住まいを正した。
「雪が溶ければ、オロチ衆の全滅はあちこちに伝わる。ヨコタに出入りしている南東の民にも知れる。どのような民かはよく知らぬが、オロチ衆同様の考え方をする者達なら、攻め込んで来ることも考えられる。その対策もしておかねばならぬ」
サタの目が鋭くなった。
「その対策ですが、トリカミに集まった十一人の長達の所から、戦士に向いた若者を出してもらえないでしょうか。一箇所五人でも五十五人です。野辺や海辺にも声をかければ、オロチ衆より多い戦士となります。戦士を出してくれた地域全体が、俺達のクニです」
「クニか・・・前に言っていたな・・・それだけの戦士を十が一の上納で養えるのか?」
「戦士達にはいくさ戦の訓練をさせますが、青銅造りや武器造りもさせますから十分です」
フツシは、上納はいざという時の蓄えで、戦士の日常生活は青銅や武器造りで賄う考えでいた。
翌日、雪を踏み固めた射場に、フツシと十一人の長が集まった。梢に積もった雪の間から、抜けるように青い空の光が射し込んでいる。
「皆の衆、オロチ衆は全滅した。だがフツシ達の生き残りも僅か七人。トリカミで新しい秩序を創ることを誓ったが、ここでもう一度確認する。異議のある者は言ってくれ」
サタが全員を見回しながら言った。
「異議などある訳がない。それより、これからどうするつもりなのか、フツシに聞きたい」 タナブがフツシを見た。
その視線に促されてフツシが立ち上がった。長達の間から賞賛と賛同の声が挙がった。
「皆さん、多くの仲間を失いましたが、俺達は生き残りました。これは、山や森そして野辺や海の神々が、俺達に新しい秩序を創らせようとお考えになったからだと思っています。俺は、皆さんから承認を頂けば、この地域をまとめてクニを創ろうと考えています。俺が為すべき事は、民が安心して暮らせる秩序の維持と、クニを豊かにすることです」
フツシは一人一人の顔を見ながら話しかけた。
「クニとはなんだったかな?」
ヨコタの長が尋ねた。
「長の差配する地域をまとめたものだ」
タナブが答えた。
「ふむ・・・クニを創るとどうなるんだったかな?」
横からニタの長が尋ねた。
「例えば、南の民が、ヨコタの山の鉄を奪おうと攻めてきたらどうします」
フツシが尋ねた。
「戦うしかなかろう」
ヨコタの長が応えた。
「敵が何倍もいても、ですか?」
フツシが畳みかけた。
「それは・・・そのようなことは今までなかった。な、ニタの長」
ヨコタの長はニタの長を見た。
「今までなかったのは、オロチ衆がいたからです。しかし、もういません。ならば力ずくで取り上げようと思う者がいるかも知れません」
フツシはゆっくりと言った。
「山でも森でも、ばらばらに暮らしておっては、その地を我がものにしようと考える奴が出てきたときに対抗できぬということだ」
サタがヨコタの長を見た。
「オロチ衆は多過ぎる上納を要求しました。しかしよそ者がこの地域に手を出すことを防いでもいたのです。俺が考える秩序は、みんなで手を組んで守ろうということです」
フツシは全員に向かって言った。
「お前が頭となってこの地域全体を守るということだな」
ニタの長が言った。
「守るだけではありません。クニ全体を豊かにしたいのです」
フツシはニタの長に応えた。
「オロチ衆を全滅させただけで事が成就した訳ではない。フツシはクニ造りをすると言っている。そのためには、わしらの上に立ってこの地域をまとめねばならぬ。海の向こうではそのような者を王と呼ぶそうだが、フツシをわしらの王とするか?」
タナブが立ち上がりおさ長達に問いかけた。
「フツシが王となれば、わしらはどうすればよいのだ」
テングの森の長が声を上げた。
「これまで通りですが、二つの負担をお願いします。ひとつは十が一の上納です。もうひとつは、戦士に向いた若者を出して頂きたい」
フツシはテングの長に応え、他の長を見回した。
「若者は何人出すのだ?」
テングの長が尋ねた。
「五人以上と考えています。出して頂いた若者を戦士に育てます。戦士の仕事はクニを守ることですが、青銅や武器造りもさせます。砦や道も造らなければなりません」
フツシは長達一人一人の顔を見ながら話した。
「分かった。わしは異存がない。フツシを王としよう」
テングの長がタナブに向かって言った。
「よかろう、わしもフツシを王とする」
ヨコタの長も立ち上がった。
「ほかの衆はどうだ?」
サタも立ち上がり、長達の顔を見た。
「異議はない、フツシを王としよう」
残る長達も立ち上がり、口々に唱えた。
その声を聞きつけた長達の随行者とスサの民が射場に集まった。サタは射場の横に置いてあった作業台を運ばせ、その上に立った。
「皆の衆、聞いてくれ。今ここにいる十一人の長が、フツシをわしらの上に立つ王とした
。フツシは、王としてクニ造りを始める」
集まった者達の歓声が、森に響き渡った。
その夜、サタの小屋は酒宴で賑わっていた。
「フツシ、集めた若者をどこで訓練するつもりだ、この森か?」
タナブが赤い顔で怒鳴った。
「どこに行くにも便利なように、クニの真ん中がいいと思っています」
フツシも大声で応えた。
「ではわしの森ということになるな」
ヒノボリのキスキも大声で応じた。
「いや、野辺や海辺の衆にも声をかけるであろうから、わしの森の方がいい」
テングの森の長が声を上げた。
「火の川(現鳥取県米子市 日野川)までの衆は、声をかければ応じる。川向こうも乗ってくるかもしれんぞ」
ナクリの長がアビレの長に同意を求めた。
「そうだな・・・フツシは火の川の向こうを知っているか?」
アビレの長がフツシを見た。
「知りません。白い峰のある辺りですか?」
フツシは応え、サタを見た。
「そうだ、わしもよくは知らぬが、あの山の裾には野辺の衆の集落が幾つもあるそうだな」
言うとサタはナクリの長を見た。
「うん、川向こうの山の中には森の衆がいるが、山裾にいくつもの野辺の衆が米を作っている。この辺りでも米を作る所はあるが、なかなか難しいようで誰もが食えるほどには穫れぬと聞いている」
ナクリのおさ長がフツシに説明した。
「米ですか・・・オロチ衆の砦に残されていたのを食べたが、旨いし、腹持ちもいい。それが大量に穫れる・・・皆さんは食べたことがありますか?」
フツシは全員を見回した。
「野辺の衆から、精を出して穫れたわずかばかりも、全てオロチ衆に取り上げられると聞いていた。だから森や山の衆は、食ったことはないはず・・・誰か食ったことがあるか?」
サタも全員を見回すと、全員から無いとの声が上がった。
「フツシ、雪解けまでに火の川から西をまとめることだな。そのあと川の東をわしが案内しよう」
ナクリの長が言った。
「ということは、クニの中心はどの辺りになるのだ?」
テングの長が大声を上げた。
「お前さんの森の辺りでよかろう。適当な場所はないか?」
タナブが言った。
「・・・おうそうだ、わしの森を北に下ったところにクマノの山(現島根県松江市八雲町熊野)がある。あそこならどこからも行き易い。キスキ知っておろう」
テングの長はキスキを見た。
「スガの戦垣の東だな」
キスキがサタを見ながら答えた。
「おう、あの山か。あそこなら文句はない・・・フツシお前も気に入るはずだ」
サタはフツシに向かって言った。