サクサの森 三
「なに、タブシ者が十六人も殺られた・・・敵は・・・砦の外に何人おるのだ?」
報告を聞いたワクリは、ミシロを見た。
「頭、この中にいるのは、女子供と年寄りだけかもしれんぞ。こちらの注意を壁に引きつけておいて、本隊は背後から攻める気かもしれん」
ミシロが背後の梢を見回した。
「背後から・・・考えられるな。だが、お前の言う通りの数なら、敵の残りは二十二人、中にいるのが年寄りと女子供なら、そいつらから血祭りに上げよう」
壁越えが始まった。壁の上からの攻撃は無く、最初の兵士が壁を越えた。その目に映ったのは、内側に組まれた足場と、十五歩(約十一米)内側に巡らされた同じ壁だった。
「中にも同じ壁がある。ここには誰もいないぞ、一気に上がれ」
これを聞いた兵士達は続々と壁に取りついた。登り切った兵士達は、内側に盾を構えて後続を待った。
「どこかに入り口があるはずだ。探して開けろ」
壁の外から組長が怒鳴った。
一人の兵士が、下り場を探し始めた。足場からは、適当な間隔で梯子が下ろされている。兵士は下りるのを躊躇した。普通に下りれば、背中が無防備になる。片手で盾を持ち、身を防ぎながら下ようとすれば、身が支えられない。兵士は、二段ばかり梯子を下りると飛び降りた。周囲を見回したが、何事もない。盾で内側を警戒しながら、壁に沿って歩いた。仲間達から少し離れた所に、入り口らしき場所があった。どうすれば開けられるのかと、手元に意識を集中させた時、防御がおろそかになった。内側の壁の上から飛来した矢が、兵士の側頭から顎を貫いた。
「まだ入り口が見つからんのか」
組長が怒鳴った。
下りた兵士の仲間が、足場の下を見回した。
「射たれてるぞ、敵襲だ」
兵士は大声を上げた。
足場にいた兵士達に動揺が生じ、全員が盾を内側にして身構えた。攻撃はなかった。足場上の兵士達は、恐る恐る横に広がった。後続が、次々とよじ登って来る。何人かの組長も足場に立った。
「この程度の高さなら飛び降りろ」
一人の組長が怒鳴った。
数人の兵士が飛び降りた。怒鳴った組長がその様子を見ようと、盾を開いて身を乗り出した。その胸に矢が突き刺さった。組長は頭から落ちた。これを機に、兵士達は一斉に飛び降り、盾を内側の壁に向けて身を縮めた。
「入口を捜せ」
組長が怒鳴った。
側頭を射抜かれて倒れている兵士の所に、数人が固まった。閂を固定していた蔓を断ち切り、扉が開かれた。
「開いたぞ、ここが入り口だ」
兵士が走り出て、垣越えの集団に怒鳴った。
タブシ者達は、オロチ衆の反対側の壁を、遠くから窺っていた。
「わしらを見ている奴らがおる。今も遠くから見張られておる、お前らは感じんか?」
アカメが六人を見回した。
「うん、あの三人を殺った時から感じておる。木の上から見張られておるようだ」
「竹取りの連中を餌にする策は間違いではなかったが、木の上から狙っている奴がおるとは思わなんだ」
「いつからだ?森に入った時からなら、もっと早く襲われたはずだ」
「壁に近づいてからだが・・・移動する気配は感じられん」
「そうだな、射手が移動していれば、わしらは全滅させられておる」
「敵は相当訓練しておる・・・今日の戦い振りを見れば分かる。弓の腕も確かだ。しかし木から下りて仲間を助けようとはしなかった・・・どうも分からんな」
「地上、木の上と、持ち場が決めてあるのではないか。間合いに入れば襲うが、外には手を出さん。広い範囲を小人数で守るには一番いい方法だ。全滅も防げるしな」
「では、この壁は何のためだ?」
「この中にも散らばっておる。だから五重、いやもっと多いかもしれんぞ。一重毎に少しずつ敵を倒す。ある程度中まで攻め込まれた所で、外の連中が戻る。オロチ衆の注意は中に向いておるから、挟み撃ちだ」
「シオツの策はそれだな。若造達も、なかなかやるな・・・オロチの馬鹿頭は、それに気付いておらんだろうな」
「で、どうする?・・・オロチに知らせるか?」
「いや、奴等を餌にしよう。木からの攻撃を避けながら壁を越える策を考えねばならん」
「壁に近づけば、木の上の見張りにも近づく。そいつの射程に入れば射ってくるだろう。気配を探りながら壁に近づき、射程の外でわしらも木に登る。枝を伝って壁の支柱に移れば、中に入れる」
「奴等は弓で狙っておる、そのようなことができるのか?」
「木の上から下は狙えるが、枝の中は狙いにくい。それに、こちらが先に射手を見つければ手の打ちようもある」
男達は、梢を窺いながら壁に近づき、壁の五十歩手前で止まった。十四の目が、舐めるように梢を見回した。若者が大木に取りつき、上へ上へと登ってゆく。二人目が登った。
梢の中を移動する音が聞こえ始めた。下の五人は、音を中心として射程と思われる範囲に、目を凝らす。樹上の二人は、支柱に近い木に移った。太い枝に二人の姿が見えた。気配を探っていた二人は、幹を回り、壁の方へ伸びた枝の先へ進んだ。その辺りへ、壁の支柱となっている木の枝が張り出している。一人がそちらへ飛び移った。枝が大きく揺れて大量
の葉が舞い落ち、若者の足が見えた。その足が枝の根元に絡みついた。枝は下に撓んだが
、折れることなく跳ね上がった。若者はその反動を利用して態勢を整え、幹の方へ躰をずらせた。やがて幹に辿り着いた若者は、周囲と樹の下を窺い、もう一人に他の枝を指し示した。
もう一人も乗り移った。そこに水平に矢が飛んで来た。胸を射ち抜かれた若者は、壁の外に落下した。幹にいた若者は、回り込みながら矢の来た方を見たが、木の葉以外何も見えない。地上の五人も、身構えながら同じ方向に目を凝らした。盾を構え、三十歩ほどの所にそびえる大木へ向かった。しかし下からは、枝と葉が見えるだけだった。
「この上にいるはずだ、登れ」
アカメが囁いた。
二人が登り始めた。そこへ、斜め上から矢が飛来し、先に登った男の頭上の幹に刺さった。更に別な角度からも矢が放たれ、地面に突き刺さった。
「下りろ、さっきの所へ戻れ」
五人は、若者が登った大木の根元に走った。
「やはりいたな・・・ここは死角だったのか。矢の向きから考えると、支柱の下を狙えるのは、北からだ。これはわしが警戒するから、お前達は他を警戒しろ。支柱の下まで行くぞ」
五人は盾で警戒しながら、若者がいる木の根元に走った。
矢は来なかった。
「この壁に人はいないのか?」
アカメは身振りで頭上の若者に尋ねた。
若者も身振りでいないと応えた。アカメは、盾を片手に、壁から突き出た竹槍を足場にして登り始めた。北から矢が来たが、わずかに逸れた。幹が邪魔になっているようだ。アカメが登り切り、四人が続いた。
「差配、オロチ達もこの壁の上にいる・・・壁は八重もある」
樹の上から若者が言った。
「オロチ達は何をしておる?」
アカメが足場に身を伏せながら聞いた。
「足場に取りついてうろうろしている」
若者は身を乗り出しながら中の様子を《うかが》窺っている。
「敵の姿が見えるか」
「見えない」
「全員があっちに向かったのか?・・・二番目の壁に入る。下りてこい」
アカメは足場から飛び降り、二の壁の竹をくくりつけた蔓を切り始めた。四人も飛び降り、手伝い始めた。その五人の背後に、背中に矢を受けた若者が落ちて来た。
「射手が移動してる、早く切れ」
竹が外れ、人が通れる隙間ができた。一人が、中の様子を窺い、入った。人の気配は無く、前後に壁がそそり立っているだけだ。
「この壁も抜けよう」
左右の気配を探った後、アカメが囁いた。
五人は、三の壁に取りかかった。
アカメは背後に殺気を感じ、振り返った。短槍を構えた戦士四人が襲いかかってきた。
「うしろだ」
叫びながらアカメは横に飛んだ。アカメの隣でうずくまっていた男が、背中から腹へ刺し貫かれた。男は、腹から出た穂先を握りしめた。残る三人は身をかわした。アカメに向かった戦士は、再度槍を突き入れて来た。アカメは身を翻し、躰ごとぶつかりながら短剣を戦士の腹に食い込ませ、戦士の槍を奪い取ろうと、戦士を振った。その戦士の躰が、槍を抜こうとしている戦士にぶつかった。アカメは奪い取った槍を、ぶつかられてよろけた戦士の脇腹に刺し込んだ。
三人の男達は、短槍を巧みに操る二人の戦士の攻撃に手こずっていた。アカメは槍を引き抜き、背中を見せている戦士に投げつけた。穂先が胸から突き出し、戦士は男達の方へ倒れかかった。四人は残る一人に向かった。一人となった戦士は壁を背に、四人に対して鋭い突きを出して来る。アカメに向けた突きが、横にはねられた。その隙に二人が突っ込んだ。戦士の胸と腹から吹き出した血が、二人を染めた。
「怪我は?」
アカメが声をかけた。
「かすり傷だ」
三人が同時に応えた。
「これを見ろ、毛皮と被り物を取ればガキだ。こんな奴らにいいようにやられているのか」
四人の被り物と毛皮を外しながら、アカメが吐き捨てた。
この時、オロチ衆の方角から大声が聞こえて来た。一の壁の扉からの侵攻が始まっていた。ワクリとミシロも壁の中に入った。
「この壁は、竹をくくりつけた蔓を切れば外れる。一斉に取りかかれ」
壁を調べていたミシロが怒鳴った。
瞬く間に蔓が切られ、何カ所かに入り口が作られた。兵士達は雪崩れ込んだが、そこに
は三の壁がそび聳えていた。
「これも同じようにやれ」
二の壁の中に入ったミシロが怒鳴った。
三の壁にも入り口ができ、兵士達は先を争って侵入した。ここにも人の気配はなく、反撃もなかった。
「何のつもりだ、同じ壁を幾重も造って。これもぶち壊せ」
三の壁の中に入り、四の壁を見ながらミシロが怒鳴った。
そのミシロの顔面に、矢が突き刺さった。それを合図に四の壁の上から矢が放たれ、受けた兵士がばたばたと倒れた。
「盾で防げ、防ぎながら蔓を切れ」
組長が叫んだ。
その時ワクリは、三の壁から走り出ていたが、二の壁を出ることは考えなかった。二の壁を出ていれば、一の壁の入り口を閉じるムカリ達の姿を目にしたはずである。