サクサの森 一
早朝から打ち込まれた大量の火矢により、三の垣は炎に包まれていた。
炎の先は立木の枝に達し、紅葉した枝先を焦がし始めていた。
丸太をくくりつけていた蔦が燃え尽き、あちこちで崩壊が始まった。
「突入!」
ミシロが声を張り上げた。
しかし、誰も動かない。
「突っ込め、組頭なにをしている?突入させろ!」
ミシロは顔を真っ赤にして命じた。
「小頭、火が大きくなりすぎて無理だ、もう少し収まってからでないと・・・」
組頭の一人が怒鳴った。
一の垣では、火勢がここまで大きくなる前に突入させていた。
弓と、突入時の攻撃を警戒する余り、炎を大きくし過ぎたのだった。
ミシロの隣で、素知らぬ風で状況を見ていたワクリが言った。
「ここまで火の手が大きくなれば、兵士が尻込みするのも無理はない・・・火勢が衰えるのを待つしかなかろう。コマキが早めに突入させたのは、このためだったのか」
火勢が衰え始めた頃、十二人の組頭が盾で前面を防ぎながら突入した。
抵抗も、攻撃も、無かった。
垣の中の小屋や仕切も燃え崩れていたが、人の気配はなかった。
兵士達は、火災を免れた仕切を取り崩しながら奥へと進んだ。
「頭、もぬけの空だ。奥に逃れ口があった。どうする?」
指揮所のある一の垣に戻って来た年嵩の組頭が尋ねた。
「偵察組の者を先頭にして、全員で追跡だ。油断するな」
ワクリが怒鳴った。
この頃、フツシ達はサクサに到着していた。
途中四箇所に、物見と連絡役を置いてきた。
サクサの垣は七重まで完成していたが、そこに思わぬ者の姿があった。
オヒトが手勢二十人を引き連れていた。
「オヒト・・・なぜここにに?」
「オロチ衆がタブシに向かったとの知らせが入った時、父が私を呼びました」
「サタには、そのようなことまで分かっているのか・・・」
「森の民は、常に見張っています。それはお前様が望んだことと聞いております」
「確かに言った。で、サタはお前に何を話した」
「父は、フツシは良く戦っている。このままで行けば、加勢の必要はない。しかし、タブシ者が加われば、渡来人同士の戦いではなくなる。それに、戦況も変わる」
オヒトがここまで話した時、フツシが遮った。
「戦況が変わるとは、どういう事だ?」
「タナブが襲われたことを覚えていますか?タブシ者達は、暗殺を業としています。集団戦は不得手ですが、一人か二人での攻撃はなかなかのものです。タブシ者が本気になれば、兵士とは別行動を取ります。スサの森では、常に見張りを置いておりましたでしょう」
「あの見張りは、タブシ者の侵入に対するものだったのか」
「そうです・・・父は、私にどうするかと聞きました」
「それは、どういうことだ?」
「お前様は、オロチ衆を相手に戦っています。警戒もオロチ衆が対象です。タブシ者はオロチ衆とは全く違う戦い方をします。ですから警戒の仕方も、変えなければなりません。しかしお前様達にはその経験も、それができるだけの手勢もありません。タブシ者が侵入し、外からオロチ衆が攻撃してきたら、私の息子の父親は死ぬことになります」
オヒトはフツシの目を見つめ、続けた。
「父は、それを知りながら何もせぬのか、それとも手を貸すのか、と私に問うたのです」
「サタは、お前の答えを知っていて聞いたな」
「さあ、どうでしょうか。父は、森の運命をお前様に賭けております。警戒と戦いの手練れ二十名を選んだのは父です。マコモも来ると言いましたが、私が止めました。もし私に何かあった時には、マコモが息子を育ててくれます」
「二十名はありがたい・・・しかし、お前にいくさば戦場で弓を使わせるのは・・・」
フツシは躊躇した
「何を言われます、シオツの女子供もここにいるではありませんか」
「あの者達は、前線で弓を使う訳ではない・・・俺達が死ねば、死ぬことになるが・・・」
「私の腕を御懸念ですね・・・マコモを仕込んだのは、私です。それに、森の警戒の差配頭も私です」
オロチ衆の進行は早かった。奇襲を仕掛けるのに適当な場所に近づくと、警戒を強くしたが、速度は落とさなかった。足跡を追ってサクサの森に迫ったのは、まだ陽が中空に達する前だった。
「ここまで何事もなかった。この森を抜ければ草原だ・・・奴らは森の中だ」
森の手前の草地に組長達を集め、ワクリが言った。
「余計な手間をかけないで、この森を焼き払うか」
ミシロがワクリを見た。
「この大きな森のどこに火を点ける?それに森を焼き尽くす火勢となれば、全ての森と山まで火が及ぶことになる。わずかな敵を相手にそのようなことをすれば、地の民がわしらの力を見くびることになる。そんなことが分からんのか」
ワクリは、ミシロを睨みつけた。
「ここで腹ごしらえをしてから中に入る。この森は灌木が少ない。奇襲をかけてくるとすれば、大木の陰や木の上からだ。兵士達に指示しておけ」
ワクリは組長を解散させ、ミシロに言った。
「タブシの差配を呼べ」
タブシの集団から、見るから屈強な中年の男が抜け出て来た。
「アカメ、タブシ者の腕を見せてもらおう。この森に、奴らは潜んでおる。兵士にはこれまでのように進ませる。お前達は好きに動いてくれ。奴らを見つけたら報告に来い」
アカメと呼ばれた男は黙って頷くと、集団に戻って行った。
同じ時垣の中では、フツシが連絡役の報告を受けていた。
「間もなく来るな」
フツシは隣のツギルとオヒトを見た。オヒトも戦士の姿となっている。
一の垣の周囲は約七百歩(五百米)で、直径約二百三十歩(百六十米)となっている。
内側に十五歩(十米)間隔で同じ垣が造られている。一番内側の、八の垣の直径は約三十歩(二十米)で、ここが最後の砦である。一の垣には、三十歩間隔で二十三人の見張りが配置してある。この者達の姿は戦士だが、十二歳の男の子と十五歳から二十歳までの女である。シオツの大人達は、八の垣造りに専念している。この時垣の中にいる本当の戦士は、フツシ達を含めて七人だけだった。
ワクリは、森への侵入を命じた。百三十人の兵士達は、組単位で獣道を入った。灌木が茂っていたのは、陽当たりのいい外側だけだった。それを過ぎると、巨木が天を覆い、シダ類が地面を覆っていた。
しばらく進むと、点在する小さな垣が見えた。
「待て、それ以上前進するな」
先頭の組長が兵士を制し、ワクリの所へ引き返した。
「あちこちに小さな垣がある。射程の外で兵士を止めたが、どう攻める?」
灌木を抜けた所に陣取っていたワクリは、垣が見える所まで歩いた。
「お前の組はここで待機だ。他の組は横に広がって、垣の配置を調べろ」
ワクリが言った。
「頭、垣の向こうから弓を使うつもりらしいが、ひとつずつ火矢を仕掛けるか」
横に並んだミシロがワクリを見た。
「その手もあるが、まずはどれだけあるかを調べることが先だ」
ワクリは森の奥に目を据えたまま言い、続けた。
「おっつけアカメからも報告が来る・・・それを聞いてから策を考える」
タブシ者達は森の外周を歩き、別の獣道から入った。灌木を抜けた所で、アカメが指示を出した。
「三人組を十一組作る。ひと組はここから中心に向かい、残りは五組ずつ左右に分ける。左右の組は、灌木沿いに二百歩間隔でひと組ずつ中心に向かえ。余った者とわしはここで連絡を待つ。いいか、余計な手出しはするな、偵察だけで帰って来い」
ひと組が、真っ直ぐ中心に向かった。左右に分かれた組も持ち場に向かった。アカメの所から中心に向かった組が、点在する小さな垣を目にした。少し後退し、右に五十歩進んだ所で再度中心に向かった。
そこでも垣が行く手を阻んだ。
「数が多過ぎる・・・人がいるのか」
「ここから見える三箇所に、人の気配は感じられんな」
「どうする・・・先へ進むか?」
「見せかけのような気がするが・・・偵察だけで帰れと言われている」
「一旦帰ろう」
どの組も同じような距離で小さな垣の点在を目にしていたが、右へ進んだ三組目は若者ばかりだった。
「気配が感じられないということは、ただの見せかけだ」
三人は立木を利用して近づいた。
周りの垣に気配がないことを確認すると、一斉に垣の向こう側へ回り込んだ。やはり誰もおらず、攻撃もなかった。
「これは俺達を惑わすための見せかけだ」
「あの奥にある垣もそうだろう」
三人は立ち上がり、一応の警戒をしながら、更に奥へ向かった。
一番後ろを歩いていた若者が声もなく倒れた。首の後ろに矢が突き刺さっている。前の二人は、それに気付かず進んで行く。二番目の若者の、同じ場所に矢が刺さった。先頭の若者が、何かを感じて振り向いた。倒れた二人に気付き、体を後ろに向けた。その心の臓に、矢が食い込んだ。
帰って来たのは八組だった。
「馬鹿どもが・・・深入りしたな。どこで殺られたのか調べてこい」
二組ずつ六人が、帰って来ない組の足取りを追った。
「全員が、ひとつ目の垣を越えた所で殺られていたのだな・・・手前の垣が見せかけだったので、油断したな。それだけの人数が配置してあるとは・・・敵はミシロが言った人数ではない。お前達はどう考える?オロチと組んで命を張るか、九人の犠牲に目をつぶって帰るか」
アカメは全員を見回した。
「わしらがオロチ側についたことは、もう周りの民に知れているだろう。ここで逃げ帰れば、どちらが勝ってもまずい立場になる。このままオロチについて勝つしか道はないぞ」
アカメより少し若い男が言った。
「そうだな・・・続けるしかない。だが、オロチのような攻めでは勝てんぞ、わしらのやり方でやる」