上陸 一
上 陸 一
柔らかな春の日射しの中でうたた寝をしていた男は、小鳥の羽音で目を覚ました。
男は立ち上がって大あくびをすると、眼下に広がる海の彼方を見渡した。
夜明けから日没まで、この一番櫓から海を眺めるのが男の勤めだ。
昼下がりの海面には波頭もなく、いつもより遙か遠くまで見える。
男は、海から来るものは、沖の左側に姿を現すことを知っている。
何かが現れ、それに人を確認したら、銅鑼を叩き狼煙を上げる。
これを受け、二番櫓、三番櫓が狼煙を上げる。
三番櫓の狼煙を確認した西の兵士砦の物見番が、小頭のハツミにそれを伝える。
その頃には、下の集落に陣取る見回り組と通詞が、櫓下に登ってくる。
遠くを見ていた男は、水平線の彼方に何かを見たような気がした。
じっと目を凝らす。
うねりに応じた間合いで、何かが見える。
「流木・・・筏か?・・・いや、ありゃ船だ」
「櫂は・・・出てるか・・・おっ櫂だ!」
「動いとるか?・・・おお・・・動いとる」
男は銅鑼の方へ向かった。
『頭、陸に狼煙が上がったぞ』
舳先で櫂を押しながら最年少のクツリが叫んだ。
『たった一艘の小舟に狼煙とは・・・たいした警戒だのう』
隣で櫂を押す頭のフツは、無表情に怒鳴った。
フツは、船上に漲っていた活気が、一本の狼煙により不安へと変わったことを感じ取っていた。
何が待ち受けていようと、上陸するしかない。
『みんな、もう水も食料も無い。陽のあるうちに上陸するぞ』
フツの言葉に、艫を任されている炭焼き小頭のホキシが応じた。
『あの狼煙、昔この地に渡った鉄の民ではないか。この警戒振りからすれば、極上の鉄砂と鉄炭の森があるとの話は本物だぞ』
とは言ったもののホキシは、立ち登る白い煙に、過去の経験にはない何かを感じていた。
フツ達は、親代々の渡り鉄衆だった。
鉄砂と鉄炭に適した森林を求め、東へ東へと移動して来た。
先祖の地は、遙か西だと伝えられている。
彼らの持ち物や姿は、狩猟の民でも農耕の民でもない。
流浪の、技術職人のものだった。
初めて彼らを目にする土地の民は、自分達と全く違う集団に対し警戒する。
しかし鉄製品を見せ、これを作るのだと説明すれば干渉してはこなかった。
その地域が製鉄に適した土地であれば、地域の長の許しを得て仕事を始める。
炭を焼き、鉄砂を掘り、製鉄を行う。
その鉄で鍛冶を行い、武器・道具に仕上げる。
これをその土地の民に提供し、食料やその他の必要な物を手に入れる。
近隣で消費し切れなければ、製品を持って遠方の民の土地まで出かける。
原料がある限りそこで生活し、子供達に技術を伝える。
彼らは文字を持たず、全てを言葉と経験で伝承してきた。
時には百年以上住み続けることもあり、土地の民の娘を妻とする者も少なくはなかった。しかし原料の入手が困難になれば、新たな土地を求めて家族共々放浪する。
彼らは何世代にも渡り、この様な生活を続けてきた。
それにより、非常に広い範囲の情報と、各地の言葉をも伝承していた。
放浪の民は、生き延びるための知恵と能力を、代々の経験により身に付けていた。
それは観察力、記憶力、言葉での伝達力、そして他民族の感情洞察力である。
これらの能力の優れた者が、指導的立場に就く。