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Sword, or Death  作者: 伊吹
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憩いの時

直接ではありませんが暴力表現などがあります。

 「遅いっ!!」


 開口一番怒鳴られた。

 でもいつものことなので俺はさして気にすることも無く片手を上げてその怒声に返事をする。


 「おう、いつも早いな」

 「君が遅いと一体何度この会話を繰り返させれば気が済むんだい?この鳥頭」

 「……」

 「わっ、あ、頭をぐしゃぐしゃするな!!」


 顔を真っ赤にさせてキーキー言うそいつを俺は笑いながら更にぐしゃぐしゃと撫でくり回す。

 何と言うか気分的には野生の野良猫を飼いならしているような気分だ。

 俺の手を必死にはがそうとするこいつが満更でもないこともわかってる。天邪鬼なこいつはこうするぐらいで丁度いい。

 

 少し生意気だが俺からしてみたらこいつはどこにでもいる普通の奴だ。

 意地っ張りで、泣き虫で、口が悪いが、誰よりも臆病な、普通の。

 だからこそ僅かに胸が痛む。

 本当は傷つくのも傷つけることも嫌いなこいつはきっと俺やあいつらがいないところで小さくなって震えて泣いているのだろう。

 今日だってそうだ。ほんの少しだが目元が赤い。

 聞けばきっと寝不足だと言って誤魔化すのだろう。まあ、そんなことを聞くような野暮な奴はここにはいないが。(いないと願いたい)


 無言で頭を撫で続ける俺の手をついに耐えきれなくなったのか叩かれた。痛くも痒くもないがそんな虫を払うかのようにはたかないでほしかった。ちょっと傷ついたぞ。

 キッ、と目を吊り上げて俺を見上げてくるその顔は全然全く怖くは無いのだが本人は怖い顔をしているつもりなので申し訳なさそうな顔を作ることにした。頬を掻いて短く謝れば、わかればいいと満足げに頷かれた。うん、単純なやつだ。チョロイなんて決して思ってないぞ?

 

 「今日は一日付き合ってくれるのだろう?」

 「はいよ、んじゃ行きますか――――…………」


 俺がそいつの名を呼ぶ前に景色がぐるりと変わった。


 痛い。

 苦しい。

 熱い。

 寒い。


 身体のどこもかしこもは燃えるように熱くて痛くて苦しいのに酷く寒い。

 矛盾したそれを必死に顔に出さないようにしているのは俺に縋りつく温もりがあるからだろう。


 「いやだ、やだ」

 「……ぶさいくな顔……」

 「……うるさいっ!だったら、早く起きたらどうなんだい……っ!」


 ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら縋りつくそいつの涙を拭ってやりたいのは山々だが、俺にはもう指一本動かせるような力は残っていなかった。ああ、くそかっこわりぃ。

 引き攣る頬を無理やり動かして口元だけでも笑みを作る。歪なものになっていないといい。

 でも、こいつが余計に顔をぐじゃぐしゃにしたから、相当酷い笑顔だったのかもしれない。本当に情けない。


 「……わりぃ、な。無理、ぽいは……」

 「――――っ!いつものバカみたい自信はどうしたのさ!!君は能天気さだけが唯一の取り柄だろうっ!?」


 酷い言われようだ。

 ああ、いつもみたいにこいつの頭をぐしゃぐしゃにして慰めてやりたいのになあ。

 そうすればこいつにこんな顔させないですむのになあ。


 「――――っ」

 「……!な、何?」


 俺の口元に耳を近づけて必死に俺の声を拾おうとするこいつに俺は自嘲気味に笑った。

 情けない。ここまでしないといけないぐらいに俺の声は小さく掠れたものになってきていたようだ。ああ、くそ、まじでかっこわりぃ。

 

 「――――おまえは…………」

 『ダメだ』


 景色が消えた。

 いや、景色だけじゃない。俺も消えた。(正確には見えなくなった、かもしれない)


 黒い絵の具を溶かしたような暗闇にさらに墨汁をぶちまけたような暗闇は自分の手すら見えない。それだけじゃない、思考はできるが手足が繋がっていると言う感覚も無い。

 しかし不思議と恐怖は無く俺はぼんなやり深く深く沈むような錯覚を覚える。


 『悪いがサービスはここまでだ。いくらお前でももう駄目だ』


 男の声だ。

 聞きおぼえがあるような気もするが、ないような気もする。

 

 『記憶(これ)は俺のものだ』


 その瞬間暗闇は濁流のように押し寄せてきた光の洪水に流されて俺もそのまま流された。



 ◆



 目を開けるとそこは天蓋付きのベッドだった。

 ふむ、何だこのデジャヴは。二番煎じはいかんとあれほど口酸っぱくクソ爺も言っていただろうに。

 二度寝どころか三度寝、むしろ一生ここで生活したいと思えるほどのふかふかのベッドの誘惑を何とか跳ねのけた俺は身体を起こして部屋を見渡す。どうやら俺の予想していた通り最初に寝かされていた部屋に俺は今寝かされているようだ。

 ここまで運んでくれた相手は誰だろうかと予想しながら俺は欠伸をして伸びをした。

 ベッドから降りてこれまたふわふわな高級カーペットに足を乗せながら俺は昨日のことを考える。

 

 あの戦争?が終わったであろう瞬間に、俺の体力やら精神力やらその他諸々に一気に限界が来た俺はそのまま気絶するような勢いで倒れたことだけは覚えている。

 うーむ、体力なんかは自信があったんだが精神力の方に大ダメージを受けたんだろうな。仕方がないか。俺、カヨワイし。

 ふむ、遠くからまこと要の罵倒にも近い否定が聞こえたような気がするとは俺も中々に疲れているようだ。

 

 それにしてもつい最近まで普通の学生やっていた俺たちを急に争いに巻き込むとか意味判らん。そういうのはお呼びじゃないんだよ。何でもっと俺みたいな奴じゃなくて正義感溢れる奴召還しなかったんだよ。人選ミスもいいところだろ。というか軍人呼べ軍人。そういう分野に優れたエキスパートよばんかい。

 と、まあ心の中で悪態を吐きながらもまこと要が現状に甘んじていることに俺は驚いてもいた。

 まこなんかは何だかんだで押しに弱いし正義感も溢れているから仕方が無いにしても、要なんかは正義感とは真逆、は言いすぎとしてもどちらかと言えば俺よりの思考を持つ、現実主義者(リアリスト)だ。しかも舌戦じゃその道で稼げるんじゃないかと思うほどのやつだ。そんなあいつが丸めこまれるなんてありえない。もしかしたらあいつが正義感でこんなことやったのか、とも一瞬思ったが万が一、いや億が一のもありえない。それこそ今の要の中に違う奴が入っているだろう疑うくらいにはありえない。あいつなんかは元の世界に還れないぞ的なこと言われても自力で還る方法見つけるか、脅してでも還りそうだけどな……。でもあいつ何だかんだで甘いからな。やっぱ美女と美少女には弱かったんだろ。それは中学生男子の正しき姿だから致し方ないな、うん。


 (いや、待てよ?まさかあいつ……っ!?)


 「ロリコ……っ!?」

 「それはてめぇだろうが」


 スパンッ!と頭を思い切り殴られた。もの凄く痛い。大の男が涙目になるぐらいには痛い。

 くそ、ジョークもわからん心の狭い奴めっ!あと俺はロリコンじゃない!どっちかというと綺麗なお姉さんにあれこれ教えてもらいたい派だって、何言わすんだ恥ずかしい。

 というか不法侵入だ!仮にも俺の部屋?にノックもなしに入ってくるとかプライバシーの侵害もいいところだ!!

 そう俺が責める前に要に汚物を見る目で見られた。ひでぇ。


 「ノックはした…………心の中で」

 「待て、お前今心の中でってぼそっと言わなかったか?」


 それってつまりしてないよな?してないよね?

 要が聞き分けのない子どもにするように俺の肩に手を置いた。いやいや、おかしいだろ。何でお前が仕方ないなみたいな顔してんだ。

 

 「ほら、朝飯だ。もう昼だけどな」

 「え、まじか。サンキュー」


 仕方ないこの朝飯兼、昼飯でこのことは水に流してやることにしよう。俺は寛大だからな。

 うきうきとしながらベッドの端に座った俺が、袋の中を見ると入っていたのはまあ、予想通りパンだった。焼き立てであろう湯気の立つパンからバターの匂いがして鼻孔をくすぐり、俺の空腹を刺激する。口の中に溜まった唾液を俺は飲み込んだ。

 メロンパンにクリームパン、カレーパンなどどれも俺の馴染みあるパンなのにこの異様に放たれる高級感。同じパンとは思えないな。

 どれから食べようかと悩んだ末に俺はカレーパンから食べることにした。一口齧れば外はサクサク、中はふわふわでほどよい辛さのカレーのお陰で身体がポカポカとしてくるのがわかる。語彙力の少ない俺には何て言って良いか表現しきれないがとにかく上手かった。勢いのままに他のパンにもがっつく俺を見て、要がふん、と鼻で笑った。


 「相変わらず食欲だけは無駄にあるな。まあ一週間も寝ていれば当然か」

 

 一週間?まじか。

 さらっと言ってくれた要に思う所はあるが一週間も眠っていたのか俺は。どんだけメンタル弱ってたんだ俺。


 「いや、シェヘラザードが言うには徐々に馴らすはずの身体を急に酷使したせいだろうだとよ」


 ああ、成る程。

 そういえばすっかり忘れていたが今の俺は中学生ではなく成人くらいに成長しているんだった。

 あれか、とんでもない筋肉痛で全身バキバキだったから身体が休息を求めたとかそんな感じだろうか?

 指に付いたパンのカスを舐めながら適当な解釈をする俺に気付いているのだろうが説明が面倒臭いんだろう。要は近くにあったこれまた豪奢なイスに腰掛けて腕を組んだ。


 「そんだけ元気になったんなら、この塔の中回ってこい。それでシェヘラザードのとこに顔でも見せてやれ」

 「何だよ案内してくれるんじゃねーの?」

 「お前と違って忙しいんだよ」


 相も変わらず冷たい奴め。

 不満全開の俺の顔を見て要は憎たらしい笑顔を向けてくる。くっそ、まじ殴りてぇ。

 

 「別に迷うことは無いから安心しろ。適当に歩けば必ずどこかには着く。ここはそういうところだ」


 いやまあ、そりゃ歩き続ければ壁とかにぶち当たるかもしれないけどさぁ……。アバウトすぎるだろそれは流石に。

 

 「じゃあ、俺の用は済んだから行くぞ」


 そう言って立ちあがった要に俺は慌てて声を掛けた。

 ここに来た時から聞かなければと思って結局聞けなかったことを俺は尋ねた。


 「兄貴はいないのか?」


 ドアの取っ手を掴んだまま要が不自然に一瞬動きを止めた。

 俺や、要、それにまこがここに来たのなら、俺らの誰よりも先に行方不明になった兄貴もここにいるんじゃないかと俺は期待していた。そうであってほしかった。

 まだ確証は無いが、俺たちの地元であった神隠しもこの世界が原因なんじゃないかと俺は推測していた。そう考えれば、人が突然何の痕跡も残さず消えた理由にもなる。だって本当にその場で消えてしまえば、痕跡など残せるはずがない。

 沈黙の末に、要はドアを開けながら俺の方を見ずに行った。


 「いや、ここにはいない」


 要の反応を見る限りあまり良い返事は還って来ないだろうとは思っていたが、それでもやはり俺は落胆してしまった。

 そうか、兄貴はここにいないのか……。いや、でももしかしたらここじゃないどこかに俺らみたいによばれたりしたのかもしれない。

 無理やり明るい声を出して言う俺に対してやはり要は振り返らずに「そうかもな」とだけ呟いて部屋を出て行った。

 暫く要が出て行ったドアの方を眺めていた俺はベッドに背中から倒れた。

 流石高級羽毛布団。ふかふかと俺の勢いを吸収してくれた。

 細かい装飾の入った白亜の天井を眺めて俺は嘆息した。


 「どこ行ったんだよ、バカ兄貴……」


 この時の俺は、自分でも思っていたよりも落胆していたらしい。

 だから要の違和感に気付くことができなかった。

 あいつは俺やまこを慰める時に言葉を濁すことは無い。下手に希望を持たすようなことを言って、相手が傷つくことを要は良しとはしないから、どんなに相手に取ってその真実が傷つくことであっても要は嘘も、誤魔化しも使わない。

 そんなあいつが俺の言葉を否定しなかったことに、この時の俺はもっと早く気付くべきだったんだ。



 ◆



 要が出て行ってしばらくの間、天井の凝った装飾を眺めていた俺だったが、いつまでもこんなとこで天井を見ても仕方がないし、シェヘラザード、ああもう長いから略そう。シェラにまだまだ聞きたいことがある俺は取り敢えず要に言われたとおり塔の中を歩き回ることにした。

 部屋を出ると、まこと通った時と同じように不自然なほどに明るい蝋燭が灯った長い長い通路を進んでいくうちに違和感を覚えた。

 『白亜の塔』などと大仰に呼ばれているはずのここには階段らしきものが全く存在しないのだ。

 俺が一度外から見上げたが、この塔相当高かったはずだ。これもいわゆるシェラの魔法みたいなもんなんだろうか?

 

 果てが無い通路に足音を響かせながら歩いて行くと、目の前に小さな光のようなものが見えた。

 ようやく果てがあったのかと喜び勇んだ俺はその光に近付いて……見事に落ちた。

 状況に全く頭がついて行かず悲鳴を上げることもできずに落下した俺の手を掴んだのはがっしりとした褐色の肌の男だった。筋骨隆々の上半身裸のその男のあちこちに刺青のようなものがあって、着ているものは民族衣装のようなクリーム色のズボンとオレンジと赤の腰巻。

 そしてその背には鷹のような力強くて大きな翼が生えていた。


 「……何をしているんだ貴公は」


 呆れたような溜息を含んだその言葉に俺は反応することが出来ず、ただただ茫然と放心していた。

 地面に足がついた俺は目に入って来た景色に絶句するしかなかった。

 美しい緑の草原に何十年、いや何十万年もずっと前からここを見守っていたのであろう大きく、立派な大樹。その大樹の太い幹を囲むようにして暮らしているのであろう俺を助けたこの男と似たような民族衣装を纏った、翼を持った人々が、大樹をぐるぐると回るようにして楽しそうに飛んでいた。

 見上げれば雲一つない晴れ渡った空に美しく輝く太陽。

 

 ちょっと待て、どこだここは。

 俺はさっき確かに塔の中を歩いていて、果てが無いと思った通路に果てがあったことに喜んでそこを目指して落ちた。オーケー、ここまでは大丈夫だ、俺は冷静だ、最高にクールだ。

 ならばここはどこだろう。どう考えても外だ。紛れも無く、疑う余地すらない素晴らしい自然豊かな外だ。間違いない。

 翼を持った人についてだと?こちとらもうしゃべる狼や心読めるエロい女見てんだよ。耐性ついてんだよ。日本人の順応力舐めんな。


 ……それでもまあ、この景色には全然、全く、ついていけないんですけどね!?


 口元を引くつかせる俺に、男はああ、と納得したように声を出した。


 「そういえば、貴公は我々とはまだ面識がなかったな」


 どうやらこの男は俺がこの場を見て驚いていることを不思議に思っていたようだ。ということはさっきの「何をしているんだ」は「何危ないことしてんだマヌケ」の方じゃ無く「何ドジやらかしてんだマヌケ」の方だったようだ。

 男の言い方からして要とまこはもうここの住人に面識があるようだ。俺より早く来てたんだから当然か。

 漆黒の髪を後ろで三つ網のまとめたその男は鋭い鷲色の瞳を俺に向けた。右側についた耳飾りの羽根がシャラリと音を奏でた。


 「(おれ)はオズ。黒い鷹(ファルコ・ネーロ)の長にして、この『天上の楽園』を取り纏める者だ」


 楽園、と言う言葉に大袈裟だと感じないのはこの景色の圧倒されているからだろうか。

 けれど、太陽に負けないくらいに輝くような笑顔で暮らしているここの人々を見れば確かにここは『楽園』だなとぼんやり思った。

 天使と言うにはあまりに屈強すぎる者たちばかりだが。


 「己たち黒い鷹は確かに戦士たちの集まりだが、そうでない種族の者たちは貴公の言う天使に近いかもしれないな」


 しまった、口に出てたらしい。

 しかし確かに言われてみればオズのような翼を持つ者たちは男女関係無く鍛えられたたくましい肉体を持っているように見えるが、そうでない者たちもいるように見える。

 おっと、それより俺はまだ自己紹介してなかったな。いけない、いけない。

 俺は自己紹介をしようとしたが、突然首元に文字通り飛びついて来たそれのせいで言葉が詰まった。うぐっと言うマヌケな声が出た。


 俺に飛びついて来たそれを確認して俺は目を見開いた。


 (…………天使がいる、だと……っ!?)


 別にふざけて言っているわけではない。俺はいつでも真面目で本気だ。

 亜麻色のふわふわとした綿毛のような柔らかい髪に、日に焼けていないような真白の肌。大きな鷲色のくりくりとした瞳に、極めつきには白い、純白の翼。天使は金髪碧眼のイメージがあったが、これを天使と呼ばずして何と呼ぶ。

 しかもまだ3歳くらいのこの外見はまさにあれだ、キューピッドみたいな感じだ。

 その天使は俺に嬉しそうにすり寄った。おお、何だかいけない扉を開きそうな破壊力だ。冗談だけどな。


 「おはよう、ソラさま。ずっとずうっとねむってたから、ベガはとってもしんぱいしていたのです」


 満面の笑みと舌っ足らずな言葉で本当に嬉しそうにするベガに俺は頬を掻いた。

 あの争いで一週間も眠っていたみたいが、まさかこんな面識のない子供にまで心配をかけているとは思わなかった。

 この子どもが俺のことを知ってるのならスノウや柊辺り何かが俺のことを紹介していたのだろうか。ならまあ、自己紹介は改めてする必要はないか。

 すりよってくるベガを撫でれば首に回った腕の力が更に強くなった。子どもにしては力が強いのか、少し苦しい。


 「おう、心配かけて悪かったな」

 「よいのです、ソラさまはおきてくれました。ちちうえさまも、ははうえさまも、シェヘラザードさまも、これでもうかなしむひつようはなくなったのです」


 どんだけ心配されてたんだ俺。初対面かつこれから会うであろう名も知らぬ人たちのその気持はありがたいが何とも腑に落ちない気がする。

 一体どんな紹介のされ方したんだ俺は。あれか、勇者です的な奴か。


 「もちろんベガはしんじてました。だってソラさまがやくそくをやぶるはずがないのですから」

 「約束?」


 思わず聞き返した俺に、ベガがきょとん、とした顔をした。


 「わすれてしまったのですか?ソラさまはみんなとやくそくしたではありませんか?」

 「いや、約束云々より、俺はここに来たのも初めてなんだが……」


 言外にベガとも初対面だと言うことを遠回しに伝えようとしたら、ベガの瞳が次第に潤みだしてきた。

 あ、しまった、これはヤバい。


 「どうしてそんなことをいうのですか?ベガも、ちちうえさまも、ははうえさまも、シェヘラザードさまもずっと……」

 「ベガ」


 済んだ雪解けの水のような声だった。

 ソプラノのようなその声の方を俺とベガが見るとオズの隣に寄り添うようにして儚げな印象の美人が静かに微笑んでいた。

 ベガと同じ亜麻色の髪を横に流し、真白の肌に黒い瞳を持つその美人が着ているのが清楚なワンピースのせいか一層儚げに見えてしまう。

 その美人が微笑むと、左耳に着けられた羽根の飾りが音を奏でた。

 もの凄く見覚えがある揃いの耳飾りと、並んだその姿に俺は一つの推測ををして苦笑した。

 いや、まあな、大体は予想してたよ、けど、なあ?

 ベガが先程の悲しそうな顔から一転、ぱっと花が咲くような笑顔を見せた。


 「ははうえさま!!」


 ここまでは想定通りだ。

 美人に俺と同じように飛び付いたベガをその人は優しく抱きとめて隣に立つオズに笑いかけ、俺を見て微笑んだ。


 「ベガがお世話になりました。黒い鷹の長であり、この天上の楽園を統べるオズ様の妻。白き歌鳥(キュクノス)、リグリアと申します」

 「爆ぜろ、オズ」

 「行き成り何を言い出すんだ貴公は!?」


 いやだって、ここの長で、しかも美人の奥さんと可愛い子どもまでいるとかリア充しすぎだろ。何なんだよ。嫌みか。僻むわ。全力で僻むは。

 俺の親の仇を見るような目つきと言葉にオズよりもリグリアがおろおろとし始めた。ベガは意味がわからずきょとんとした顔をしている。


 「も、申し訳ありません。(わたくし)何か粗相をしてしまいましたか?それとも夫が何か……?」

 「え、ああいや、俺のとこじゃ祝福みたいなもんなんでお気になさらず」

 「そ、そうなんですの?随分変わった祝福の仕方ですね……」


 今度使ってみようかしらと呟くリグリアを俺は全力で止めた。

 この奥さんしっかりしてそうで意外と天然のようだ。く、ますますオズが恨めしくなってきた……っ。


 「リグリア、ここは己がソラを案内するから持ち場に戻れ。そろそろだろう」

 「ですが……」

 「君が己の妻として務めを果たそうとしてくれるのはありがたいが、君には白き歌鳥としての役目があるのだろう。それはこの場において何よりも優先することだ」

 「……はい、そうですわね……。それではソラ様。申し訳ありませんが、私とベガはここで下がらせてもらいます。夫をどうか、宜しくお願いいたします」

 「あー、いや、こちらこそ忙しい中ありがとう」

 「またきてください、ソラさま」


 綺麗に御辞儀をしてリグリアはベガを抱いたまま翼をはためかせて大樹の方に去っていった。あっという間に豆粒ほどのサイズになっていくリグリアに、よっぽどの用があったのだなと申し訳なく思う。

 オズに聞こうかと思うよりも早く、オズがここの説明をし始めた。


 「見ての通り、ここは獣人の中でも翼を持つ者たちが集まった場所だ。勿論ここは塔の中だ。シェヘラザード様のお力で貴公が通った扉と己たちが住んでいた故郷に繋げてもらっているのだ」


 何と言うか、途方も無い話だと思う。

 こちらに来たばかりで何も知らない俺ですらシェラの力が強大なのが見て取れるほどだ。あの小さな身体の中よくこんな芸当をやってのける力があるものだ。


 「シェラみたいな奴って他にいたりするのか?」

 「いや、遥か昔はいたと聞いたことがあるが、今では泡沫の乙女はシェヘラザード様だけだ」


 『泡沫の乙女』

 そう言えば俺を誰かと勘違いしてるあのローレンとか言う奴も同じことを言っていた気がする。何だそれ?

 俺の疑問を読み取ったのか、オズが更に説明してくれた。


 「泡沫の乙女とは、神に無条件で愛された女性たちを呼ぶ名だ。本来、シェヘラザード様のように何の誓約も代償も無く無尽蔵に魔力を使うことは、不可能だ。魔力を使うには何かしらの誓約と代償がある。だからこそ人は何かの依り代を使ったり、道具を通して魔力を使っているのだ」

 

 成る程。通りであの男がますます欲しくなったとか騒いでたわけだ。

 つまりシェラは普通の人間からしたら何の代償も無く力を使うことが出来る金の卵を産む鶏、てことなのだろう。

 

 「この塔は、シェヘラザード様を含む、欲深き人の手から逃れるために逃げて来た者たちの集まりなのだ。いかんせん、奴らは数も多いが小賢しい者たちも多い。幼き子を、争う術を持たぬ同族を盾に、何人もの同胞が奴らの餌食となり、奴隷と身を落とした者も少なくない。誇り高き我らに、それは死に等しい侮辱だった」


 目を伏せるオズが何を考えているのかはわからないが、同じ人、という種族の俺は、自分がしたことではないのに、酷く恥ずかしくて申し訳ない気持ちになる。

 謝ることは違うが、それでも謝りたい気持になる。

 オズの顔を真っ直ぐに見られなくなった俺は顔を逸らした。そんな俺にオズは笑いかけた。


 「貴公が何かを思う必要はない。己たちだって人の全てが悪い者でないことは、理解している、が……」


 それでも理解と、感情は違うものなのだとオズは苦く笑った。

 どうやらここにいる全ての住人から俺たちは歓迎されているわけではないらしい。それは仕方がないことだから、申し訳なさそうに笑うオズに俺は首を振った。

 むしろ、そんな俺たちをこうして迎えてくれること自体がありがたいことなのだ。それに、何の文句がつけられるだろうか。

 酷い目にあってなお、俺たちに同じことをしようとしない彼らは本当に、どこまでも誇り高い戦士たちなのだろう。

 俺の言葉にオズは目を細めて笑う。懐かしい、眩しいものを見るような目だった。


 「貴公は何も変わらないな。ソラ」


 強い風が吹いてその言葉は聞き取れなかった。もう一度聞こうとする前にあの、済んだ雪解けの水のようなソプラノの歌が朗々と風に運ばれて俺たちの耳に届いた。

 俺が優しい旋律に耳を奪われているとオズが遠い目で呟いた。


 「弔いの歌だ」


 低く、重いその言葉に俺の背筋は震えた。


 「大樹の周りを囲むように飛んでいただろう。あれは、死者が未練を残して往かぬようにと、心配をかけないようにと大樹に祈りを捧げ、涙を隠すためのものだ」


 もう、大樹の周りを楽しそうに飛ぶ者たちはいなかった。

 美しい歌を聴きながら、泣き崩れる者や、それを慰める者、悲観にくれる者たちばかりで、俺が見たあの太陽のような輝かしい笑顔はもうどこにもなかった。

 亡き友を、家族を、恋人を想い、彼らは泣いていた。


 歌っているのはやはりオズの奥さんのリグリアだった。

 他にも2、3人歌っており、文句なしに上手いのだが、それでもリグリアが頭一つ抜きんでて上手かった。

 風に乗って高く高く舞う歌はきっとどこまでもどこまえも響いて亡き人たちの導になるんだろうと俺は思った。

 昔、兄貴が教えてくれたことを思い出した。普段は声を上げない白鳥が死に際に世にも美しい歌を歌うという古い言い伝えが外国にあるということを。

 何でそんな話をしたのかは思い出せないが、本当に世にも美しい、悲しい歌だ。

 オズの瞳に光るものが見えて俺は目を逸らしたが、視界が揺らいで目の前が良く見えない。

 何でだろうと思いながら頬に触れて、俺はようやく自分が泣いていることに気がついた。

 オズはこの歌を聴いて何を想っているのだろうか。済んだその瞳に何の色が揺れているのか俺にはわからなかったが、きっと……。

 故人が迷わず往けることを俺以上に強く願っているのだろう。



 ◆

 


 一口齧れば口いっぱいに広がる果実の酸味と甘みを堪能しながら俺は再び長い通路を歩いていた。

 あの後、ひとしきり泣いた天上の楽園の住人たちは歌が終わると折れまがっていた草木がしゃんと背を伸ばすように太陽を仰ぎ、飛び立った。

 目元が赤い奴らばかりだったがそれでも懸命に笑い、大樹の果実を取り、どんちゃん騒ぎの宴会が始まったのには流石の俺も驚いた。ものすっごくビビった。正直気でも触れたのかととんでもなく失礼なことを考えるぐらいには動揺した。

 まあ、結果的にはそれは俺の杞憂だったわけだが。

 彼らが故人に対して涙を見せるのは、あの弔いの歌がある間だけと決まっているらしい。

 歌がある間は、故人も己の友や、家族、恋人との別れを嘆き、それが終わればあるべき場所に往くらしい。だからこそ皆、歌がある時は嘆き、悲しみ、歌が終われば彼ら故人を送るために笑って宴会をするのだそうだ。


 ――――こっちの心配はいらないから、とっととあるべき場所に往け。


 そんな想いに別れの嘆きをひたすらに隠して。

 ちなみに余談だが、リグリアたち白き歌鳥(キュクノス)の歌には不思議な力があるらしい。

 聴いた人が、今最も強く抱く感情を増幅させる力があるのだそうだ。

 誇り高い彼らが人目を気にせず涙を流せるように、たくさん泣いて次に進めるように、そのために彼女たちはああして弔いの歌を歌うらしい。


 まだ、こうして争う前はリグリアたち白き歌鳥は各地を転々としてああして弔いの歌を歌い、人々と交流を持っていたらしい。だがそこでやはり良くないことを考える輩が出て来たわけだ。

 しかも男女ともに見目が良かったことが更に災いした。

 リグリアたちの種族はオズたちのような戦闘に特化した種族ではない。男の方もせいぜい常人に毛が生えた程度の力しかないらしい。

 その歌の力に目を付けた悪人が、争いの火種を作るためや、商売のために使おうと揃って襲ってきたせいで、リグリアたちの種族は数を減らし、今ではリグリアを含めた4人しかいないとオズは言っていた。

 喉が涸れ、血を吐くまで歌い続けさせられ、歌えなくなれば違う場所に売られた者や、金持ちに慰み者として買われたもの、生きたまま翼を捥がれ激痛の中で息絶えた者、他にも言葉では言えないような、耳を塞ぎたくなるようなことをされ、還らぬ者となった奴らもいたらしい。


 そんな絶望の中生まれたのがリグリアだった。

 どこかの金持ちが繁殖目的で(つが)いにさせ、その男女から生まれたのリグリアだったのだとオズは言っていた。

 金持ちの屋敷という籠の中で大切に育てられているとそう思い込んでいたリグリアはいつか売られてしまうことを知らず、その屋敷の主を父と慕っていたらしいが、入ってはいけないときつく言われていた部屋に好奇心に負けて入ってしまい、真実を知ったのだそうだ。

 己の境遇を知ったリグリアは悲嘆に暮れ、そして何もできない自分に絶望した。

 何も知らず、本当の両親をずっと苦しめ続けて来た男を父と慕っていたリグリアはきっと己の無知を恥じ、呪ったのだろうか。それがどんなに絶望的なことなのか俺には想像できなかった。

 このまま両親を玩具のように扱ったこの屋敷の人間にいいように利用され、一生を決められるのだと自分の運命を呪った時、奇跡が起きた。

 人に虐げられてきた、人でない者たちがついに反旗を翻す事件が起きた。

 元々俺たちなんかよりもよっぽど力も強い獣人なんかが武器を持てば、普通の人はひとたまりも無い。その結果、多くの獣人たちが人の手から逃れ、シェラのこの白亜の塔にやってきたらしい。


もう一口果実を齧って俺は通路を進む。

 ふつふつと話を聞くごとに湧き出るこの感情は明確な怒りだろう。

 ここまで自分たち人間を醜く浅ましいと思ったことは俺は無い。けど、俺もその醜くて浅ましい人間の一人だ。それはどうしようもない。

 俺だけじゃない、兄貴も要も、まこだって人間だ。

 どうしようもないこの怒りを俺は持て余すしかなくてイライラとしながら長い通路を進むと自然と足音も大きくなる。

 ああ、くそ腹が立つ。だいたいそんなこと考えるバカがいるから俺たち普通の人間が後から苦労するんだよチクショウが。何でてめぇらクズがやったことを「あわわわわ~、すとっぷ!とまってくださいですぅ!」……ん?

 どこかから子どもみたいな声が聞こえた気がしたが辺りを見ても誰もいない。疲れてんのかな?俺。


 「違いますぅ!下ですぅ!!下を見てくださいですぅ!!」


 視線を下に向けると、俺の掌ほどしかない小さな女の子が俺の靴スレスレの所に立っていた。

 目が点になっているであろう俺を気にせず、その小人は安心したように息を吐いて笑った。


 「良かったですぅ。あと少しで踏みつぶされるところでした」


 踏みつぶされてグロいことになったこの小人を想像してしまった俺は一気に今食べた果実を吐きだしそうになって口元を押さえた。予想以上ににリアルに想像できた自分が憎い。

 そんな俺をやはり特に気にすることなく器用に足をよじ登ったその子どもは、俺の肩にちょこんと座った。何か風の谷の子がやってたアレの気分だ。

 満足げに息を吐いた小人は元気よく小さな指で通路の先を指差した。


 「さあさあ出発するのですよぅ、あたちたちの住む小人の庭(リトルガーデン)はもう目の前ですぅ」


 どうやら俺の道案内をしてくれるつもりらしい。ありがたいが俺はあと少しで危うくこの小人を潰してしまう所だったんだが。

 そう言えば俺の肩で楽しそうに鼻歌を歌うこの小人の名前を俺はまだ知らないな。こいつは多分知っているんだろうが。


 「小人の庭にはマシュのような可愛い子たちがいっぱいなのですよぅ!ソラちゃんは計らずしてハーレムなのですぅ」


 確かに計らずしてお前の名前を知ってしまったよ。

 足をプラプラさせてニコニコと上機嫌のマシュはまず間違いなくコロポックルだろうと確信して、少し警戒しながら俺は見えて来た小さな光を目指すのだった。


 今度は落下することは無かったが、目の前に広がる景色に、俺はまた口元を引くつかせた。

 一面の緑は、フキのようだ。というかフキ畑だな。うん。

 視界の端から端まで生い茂っているフキ畑の中からこれまたマシュのようなコロコロとした小さなものたちがわらわらと寄ってくる。動いたら踏みつぶしそうで怖い。というか動けない。

 完璧に身動きが取れなくなった俺の身体をマシュと同じように次々とよじ登ってくるこいつらを落とさないように怖々としていると、小人たちは楽しそうに笑った。


 「皆人が大好きな子たちばっかりなのですよぅ。だからソラちゃんとか、カナメちゃんとかマコちゃんが来るといつもこんな感じなのですよぅ」


 その言葉に、俺は酷く驚いた。

 結構な勢いで肩に乗ったマシュを見たので、その反動でよじ登っていた何人かがバラバラと楽しそうな悲鳴を上げて落ちて行った。すまん。

 マシュをじっと見つめるが、マシュは俺から目を逸らすことなく、微笑んだ。


 「確かに、ここに来たのは人の手から逃れるためですぅ。でも、あたちたちの多くは、人の願いから生まれたものなのですよ?」


 ぴょん、と俺の肩から飛び降りて、フキ畑のフキの上に綺麗に着地したマシュは俺を見上げながら宝石のような緑の大きな瞳を俺に向けた。

 キラキラと輝くそれは朝露に濡れた若葉のようだった。


 「妖精だってそうですし、付喪神なんてその代表例みたいなものですぅ。あたちたち蕗の葉の下の人(コロポックル)だって人ととっても仲良しだったたのですよぅ。鹿や魚を人々に贈っり物品の交換をしたりしていたのですよぅ。でもでもやっぱりそうじゃない悪い人たちが出て来て、あたちたちはたくさん捕まってしまったのですよぅ」


 重い話をしているはずなのに、当の本人たちはあー、そんなこともあったあったー、と実に軽いノリである。おい、いいのかそれで。


 「でも、そんなあたちたちを逃がしてくれたのはやっぱり人間だったのですよぅ」


 嬉しそうにマシュは微笑む。


 「あたちたちは人間が大好きなのですよぅ。その優しさも、清らかさも、愚かさも、醜さも、全部全部人にある愛しき情ですぅ。醜さを隠さぬ人の子も、それを隠し正しく生きる人の子も、愚かで可哀想な優しい人の子も、無知で傲慢な人の子も、皆々、あたちたちにとっては愛すべき愛し子なのですよぅ」

 

 慈愛に満ち眼差しでマシュは微笑んだ。

 全てを受け入れるその精神は、まさに〝聖人〟と言う言葉がピッタリなのかもしれない。

 俺には到底真似できないことだ。


 「それに、人の行動は時々哀れになるぐらい面白いですから!」


 とびっきりの可愛らしい笑顔でとびっきり可愛くないこと言ってのけやがったぞ、おい。

 何てシリアスが続かない奴なんだろうか。


 というか、何と言う鋼のメンタル。

 何と言う度量の広さ。

 不屈の愛情とでも言えばいいんだろうか。

 いや、というよりこいつらは人の行動を楽しんでいる節がある。人が好きだと言うのもさっきの話や表情を見る限り本当なのだろうが、絶対最後の本音が9割だろ。


 マシュたちは俺のこんな葛藤も面白くて仕方がないのだろ、楽しそうに邪気のない瞳で微笑んだ。

 腹立たしい奴らめ。

 けどきっと、こいつらは俺たち人間が何をしようと赦し、享受し、微笑むのだろう。これが〝人〟なのだと。自分たちが愛すべき存在なのだと。


 俺の考えを読んだかのようにマシュは満足げに笑った。


 「当然なのですよぅ」



 ◆



 小人の庭の住人たちに歓迎(ひたすらよじ登られていただけだが)を受けていた俺は選別にと貰った魚の塩焼きを頬張りながら通路を歩いていた。

 歩いている最中に同じような光が見えては覗いて見れば、猫耳だとか兎耳だとかの獣人たちの暮らす場所だったり、綺麗な人魚なんかがいたりする魚人たちの海に落ちかけたりなどした。

 進めば進むほど次々と色んな部屋に辿りつくのだが、いかんせん多すぎて今自分がどこを歩いているのか俺は全くわからなかった。(まあ、元から目的地なんてものは特になかったのだが)

 ちなみに反応は様々だった。

 俺を見て快く歓迎してくれる者や、何処か怯えたような目で見てくる者、表立って何か言ってくる者はいなかったが、それでもやはり皆が皆歓迎してくれるわけではなかった。

 覚悟はしていたが、少々メンタルにくるのは仕方がないことだろう。

 しかし、その中でもやっぱり気になったのがどの奴らにも何故か寂しさや懐かしさを混ぜたような複雑な表情を一瞬されることだろ。

 俺はここに全くもって一度たりとも足を踏み入れたことなどないし、そもそも住む世界が違うからここの奴ら全員とは当然初対面だ。

 あれか?よっぽど俺に似た知り合いがこの塔に来たことがあったのか?だとしたらそいつ相当慕われてるな。

 

 考えながら歩いていたが、流石に疲れてきた俺は、次の場所に着いたらしばらく休ましてもらおうと思い、辺りを見回すと、光よりも早く甘い匂いが鼻を掠めた。

 花の香りに釣られる虫のように俺が匂いを辿って行くと、匂いはどんどん強くなり、光が見えたと思った瞬間弾けて霧散した。


 白亜の壁にあちこち絡みついた蔦に咲く美しい花々。

 その中央に一際大きな花が蕾を閉じて佇んでいた。どうやらあの甘い香りはこの花から最も香ってきているようだ。

 シェラのあの儀式の時に見た蛍火のような淡い光が舞い、花の香りに誘われるように羽を広げる蝶と、蝶の羽を持つ小さな人に、蜻蛉のような翅をひらりひらりとさせるそれは、妖精と呼ばれる者たちだろう。

 芳しい花の香りと幻想的なその光景に目を奪われていた俺に妖精たちはクスクスと笑みを零した。


 『あらあらあら、お寝坊さんはやっと目が覚めたのね。あたしたちの「花園(エデン)」にようこそ』

 『本当ね。だからあたしたちの愛し仔(ロビン)はあんなに喜んでいたのね』

 『でもやっぱり人間って弱いのね。また長い間眠っていたのよ』

 『あら、前に比べたらとっても短いじゃない。あたしたちにとっては大差はないわ』

 『でもでも、人にとってはとっても長い時間だもの。大変だわ』

 『あら、ヘンテコね』


 俺の周りをひらひらと飛びながら妖精たちは笑い、秘密の話をする子どものように楽しそうに話をする。

 酷い言われようだが、実際一週間も眠っていたのだから仕方がないだろう。だがそれにしても、前というのはどういうことだろうか?ベガも約束がどうとか言っていたが、やっぱり誰かと勘違いしているのだろうか?それともこいつらは俺がこっちにきた当初の話をしているのだろうか?そういえば俺が目を覚ました時のまこは随分うろたえて安心していたからよっぽど長く眠っていたのだろうが、こんな風に弱いと連呼されるぐらいには長い時間眠っていたのだろう。

 軽くヘコむ俺を見て妖精たちは顔を見合わせてひそひそと話をする。


 『そうだったわ、この子、違うんだったわ』

 『そうね、うっかりしていたわ』

 『輝きが一緒だったから油断してしまったわ』


 途切れ途切れに聞こえる単語の中の、輝き、という単語を俺の耳は拾った。そのことを聞こうと口を開き掛けた俺に被せるように言葉が重なった。


 「わたくしたちが視える、人の輝きのことよん。魂の輝き、とでも言えばいいのかしらん」


 いつの間にか一際大きなその花は開いており、より一層香りを強くさせていた。

 その花の中で花弁にしな垂れかかるようにしてこちらを見る、美しい妖艶な女。


 『おはよう、美しいあたしたちの女王様』

 「おはよう、わたくしの可愛い仔たち。変わりは無かったん?」

 『そうね、お寝坊さんがやって来たことぐらいしかなくて、とっても退屈だったわ』

 『そうね、だからあなたが目覚めてくれてとっても嬉しいわ」


 妖精の一人がスノウの頬にキスを落とし微笑した。

 スノウも美しく微笑して同じように妖精たちにキスをする。

 見惚れてしまうような、美しい光景だった。

 不意にスノウがこちらに目を遣り蠱惑的に微笑んだせいで、鼓動が跳ねた。色気があるお姉さんは大変心臓に悪い。

 スノウが妖精たちに目配せすると、彼女たちは蝶に紛れて楽しそうに飛び立っていく。

 

 「そこ、スノウのベッドみたいなものか?」


 取り敢えずといった感じで俺は気になることを聞いてみた。

 もっと聞くことあるだろうと自分でも思ったのだが、気になったのだから仕方がない。

 スノウは目元をそっとこすって、俺に流し目を送った。

 いったいどんなふうに育てばこんな何をして色気漂うお姉さんが出来上がるのだろう。ぜひとも教えていただきたい。


 「そうねん、わたくし一応、花の精ですものん。それっぽくしてみようかと思ったのん」


 つまり別にそのベッド兼花に特に思い入れは無いと。

 良くわからないがまあ、確かに花で寝とけば花の精っぽいとは思う。でもぶっちゃけ俺的にスノウはサキュバスっぽいイメージがある。ほら、何か花の精ってさ、こう、ふわっとした清楚なイメージがあるじゃないか、うん。

 それにスノウが花の精だったら確実に名前の通りの花だろうしな。

 ていうか色々衝撃的で忘れてたが女王様って何だ。女王様って。


 「あらん、それはあの仔たちが面白がって言ってるだけよん。それより酷いわん。サキュバスなんていう低級なのものと一緒にするなんてん。あまり酷いこと言うと……」


 ふわりと俺の目の前に来て、鼻先が触れ合うほどの距離でスノウは艶やかに微笑んだ。


 「食べちゃうわよん」

 「………………遠慮する」

 「あらん、随分間が空いたのねん」


 中身が未だ健全な中学生男子として「はい喜んで!」と即答しなかった俺の理性をむしろ褒めてもらいたい。

 色々と想像するわ。エロい格好のお色気ムンムン、フェロモン全開のお姉さんに「食べちゃうわよ」とか言われてみろ。いけない想像するわ。そして興味が湧くわ!つーか何も感じない奴を男だと俺は絶対に認めない。

 大きなため息を吐いた俺を空中に漂いながらスノウは楽しそうに眺め、赤い舌を覗かせた。

 はっきり言って、その行動や服装で、ますますスノウが花の精なんてものには見えなかった。今の発言でむしろ更に俺の中では遠ざかったわ。


 「それは当り前よん。だってわたくしはスノードロップの精ではないものん」


 さっきからちゃっかり人の心の中を覗くな、とか言いたいことは沢山あるが、あんだけ名前でスノードロップ推してたのに違うって何だ。


 「だって本当のことですものん。わたくしは薔薇の精ですものん」


 ……確かにバラの方がまだスノウっぽいかもしれない。

 バラは情熱の花とか言われてるし、何より女をバラの花で例えた時、何となく妖艶なイメージがする。そう考えるとよっぽどしっくりときた。

 でもだったら何で名前がスノウドロップなんだろうか?意味がわからない。


 「あらん、それこそ単純な話よん。元々わたくしたちに名前なんて存在しないわん。人間たちが勝手に〝妖精〟何てつけただけだものん。だからここにいるわたくしの可愛い仔たちだって名前なんてないのよん。わたくしはただ、スノードロップが気に入っているのん。それだけよん」


 随分自由な感じなんだな。

 でもまあ、本来妖精ってのはイタズラで人間を階段から突き落としたりするような結構物騒な輩だったりするからな。それぐらい自由で丁度いいんだろう。

 それにしても意外だ。スノウがスノードロップが好きなんて。確かに一回まこが育ててたから見たことがあるけど可愛かったがそこまで強烈に印象に残るような綺麗な花でもなかったような記憶がある。何より色だって白一色の、何の面白味も無い色だったはずだ。

 俺が首を捻っているとスノウは蔦に咲く花の中から部屋の片隅ポツンと咲いている、小さな白い花を手に取った。

 ――――スノードロップだ。


 「ソラちゃんは、スノードロップの花言葉、知ってるかしらん」

 「……いや」

 「〝あなたの死を望みます〟」


 思わず目を見開いた。

 あんな可愛らしい花にそんな花言葉があることにも驚いたが、スノウの貼り付けたような笑みに底冷えするような寒さがあったからだ。

 まるで、俺に『逃げるな』と囁いたあの時のように。


 「こんなに可愛らしく咲くのに、こんな怖い花言葉があるのよん。それって、とっても素敵だわん。それに……」


 俺の額に、スノウはあの時のように、妖精たちにしたようにキスを送る。

 甘い香りに思考が回らず、クラクラする。


 「〝毒華〟のわたくしに相応しいでしょう?」


 パチリ、と目が覚めたような感覚がした。

 霧がかかっていた思考が一気に冴えわたって、覚醒したような清々しさがある。

 そんな俺にスノウは驚いたように目を瞬かせ、まじまじと俺を見ていた。

 考えたくは無かったが、この反応を見る限り、俺に何かしてたなこいつ。

 スノウが至極残念そうに嘆息して、俺からふわりふわりと離れて、ベッド代わりの花の上に腰を降ろした。


 「わたくしの魅了が効かないだなんて、ソラちゃんにはびっくりだわん」


 もしかして女の子に興味がないのん?と結構な真顔で聞かれて未だかつてないダメージを俺が受けたのは言うまでも無い。

 別に同性愛を否定するわけではないが俺はそっちの気はない、断じて、ない!!

 というか実際途中までは効いてたんだよ。何か頭クラクラしてたし、目の前が薄ぼんやりしたような感じがしてた。

 でも、スノウのある一言で、目が覚めた。

 スノウが興味深そうに俺を見る。


 「わたくしの一言?どれのことを言ってるのん?」


 その好奇心に満ちた目が、何だかスノウにしてはあどけなくて、少女のように俺は思えた。

 

 「〝毒華〟てとこだよ」

 「え?」

 「いや、よくわかんねーけど。違うって何となく思ったんだよなあ……」


 頬を掻いて言う俺にスノウは信じられないと言った目で見てくる。

 そんな顔されても何か違うだろ、て思ったら目が覚めたんだから仕様がないだろ。

 俯いたスノウが「そう……」と小さく呟いて、優しく微笑(わら)った。

 また、あの目だ。本日何回目かわからないが、懐かしいものを見るような、そんな眼差し。

 けど、スノウのその瞳には、何故か暗い影が混ざっているような気がした。


 「ソラちゃん。シェーラを、あの子をどうか守ってねん」


 儚く微笑むその人に、俺は何故か答えることができなかった。



 ◆



 何となく気落ちして通路を歩く俺の視界先から、見知った顔が歩いて来るのが見えた。

 反射的に俺はそいつの名前を口にした。


 「まこ!」

 「ソラくん!おはよう、本当に目が覚めたんだな!」


 まこはポニーテールを揺らしながら嬉しそうに俺のもとに駆けて来た。

 飼い犬が尻尾を振ってくるってこんな感じなんだろうか。


 「何故だろう。まだ病み上がりなのにソラ君を殴らなければいけない気がする……」

 「はっはっは、疲れてるんだろうな、お互いに」


 内心で滝のような冷や汗を流しながら、俺は朗らかに笑ってみせた。なるべくさわやかそうに見せるのポイントだ。

 俺の表情を不審そうに見ていたまこは一通り俺の身体に異常が無いかを確認して、ほっと息を吐いた。


 「良かった、本当にもう大丈夫なんだな」

 「……悪かったな、色々心配かけて」


 〝色々〟の中に含まれている意味に察しの良いまこは気付いているのだろ。それでも笑って構わないと言うまこは文句なしに良い女だと俺は改めて思った。

 まこにどこに行っていたのかと聞けば、どうやら柊のところに行っていたいたらしい。折角だから案内しながら話そうと提案してくれたまこの言葉に俺は甘えることにした。

 要にはこういう優しさが足りないんだと俺は常々思う。

 長い通路を、通学路を通っていた時のように他愛のない話をして歩いて行く俺たちの影が蝋燭で揺れる。 俺はそんな話の中で、まこにどうしても気になること聞くことにした。


 「こんなこと聞くのもアレなんだが、まこはどれぐらい早くこっちに来たんだ?」

 「うーん、私と要くんは同時にこっちに来たみたいだったけど、私の方が要くんよりも3ヶ月は早く来たかな」

 「3ヶ月!?」 

 「うん、要くんはソラくんより1ヶ月くらい早く来たから、合計で4ヶ月は私が先に来たな!」


 こっちでも私は先輩だな、何てまこは明るく話すが、きっと俺には想像できない不安があったはずだ。

 急にこちらに召還されたと思ったら、本物の得物を持たされてこの塔を守ってくれと、まだ高校生になったばかりの年端もいかない少女が戦争に放り込まれたんだ。

 しかも、戦う相手は俺たちと同じ人間だ。葛藤がなかったはずがない。

 俺や要はまだいい。気心知れた仲の奴がもう既にこっちにいたんだから。

 それでもまこは要が来るまで3ヶ月もの間、ずっと一人でこの塔を柊たちやスノウと共に守って来たんだ。辛くなかったはずがないのに、まこは明るく笑う。

 それが俺にとっては辛かった。


 「そんな顔しないでくれ。確かに最初は戸惑ったし、何で私何かがって思ってたよ。でも、どうせ誰かがやらなきゃいけないんだったら、普通より頑丈で強い、私がやるべきだと思ったんだ。……それに、やらなきゃいけないことも見つかったからな」 


 最後の方は上手く聞き取れなかったが、まこらしいなと俺は素直に感心した。

 すごいなと俺が言えばまこははにかんで笑った。


 「そんなことないさ。私なんかよりソラくんのほうがよっぽどすごいよ」

 「いや、戦ってる最中にあんなウダウダいってる時点でダメだろ」

 「それはそうさ、だってソラくんは……」


 言いかけて、はっとしたようにまこは口を閉じた。

 どうかしたのかと聞いても何でもないと首を振るばかりで釈然としないが、言う気が無いなら仕方ないかと別の話を振ることにした。


 「まこはスノウの話し知ってるか?」

 「え?あ、ああ、実は薔薇の精って話のこと?うん、この塔の人は大体の人は知ってるはずだが……」

 「それじゃあ花言葉何か知ってるか?スノードロップの」


 確かこいつは園芸なんかを祖母さんとするのが好きだったはずだから、多少は知っているだろうと思い聞いてみると、思ったよりもしっかりとした説明が返って来た。

 やっぱり好きなんだな。そういうの。


 「スノードロップは色々な伝説なんかがあるんだ。禁断の果実を食べて楽園を追われて悲しむイヴを憐れんだ天使が、舞い落ちる雪をスノードロップの花に変えて、天使は『もうすぐ春がくるから絶望してはいけませんよ』とふたりを慰めたとか、自分に色がない雪が、色を分けてくれるよう花々に頼んだけど断られてしまうんだ。けど唯一それに応じたのがスノードロップであったとか。他にもスノードロップの花をお正月前に見つけると翌年は幸運にめぐまれるとか、春先に咲くから春を告げる花とか……」


 しまった、何かしらの火を点けてしまったらしい。

 けど聞く限りではスノウが言ったような不吉さはまこの話からでは全く感じられない。むしろ良い話ばっかりじゃないか。

 ペラペラと自分の知識を楽しそうに披露するまこが不意に少しだけ声のトーンを落とした。


 「けどな、スノードロップは少し怖い話もあるんだ。死を象徴する花と呼んで毛嫌いする国もあって、言い伝えでは、ある日、恋人の死を知った乙女が、スノードロップを摘んで彼の傷の上に置いたんだ。恋人は目を覚まさなかったが、彼に触れた途端、彼の肉体は雪のしずくスノードロップになってしまったらしい。だからスノードロップをひとへ贈ると〝死〟を〝希望〟するとなって、『あなたの死を望みます』という意味になったりもするんだ」


 スノウが言っていたのはこのことかと俺は納得した。

 それにしてもあんだけ良い話があるから余計にこういう話はインパクトがあるな。


 「でも怖いのはこの話だけで、基本的なスノードロップは〝希望〟とか〝慰め〟とか、あとは〝逆境のなかの希望〟それに〝恋の最初のまなざし〟なんていう可愛いものなんだよ」


 ふふ、とまこは悪戯っぽく笑った。

 本当に博識な奴だ。

 そうこう話しているうちに視界の先に小さな光が見えた。

 ああ、もう着いたのかと考えているとまこも同じことを考えていたらしく「もう着いたのか」と小さく呟いていた。


 「それじゃあ、私はもう行く。またな、ソラくん」

 「おう、色々ありがとな」


 お互いに手を振って、俺は光の中に、まこは光に背を向けて歩いて行った。

 光に吸いこまれるようにして消えた俺を、振り返って見ていたまこが申し訳なさそうな、後悔しているようなそんな表情で見ていたことを、やっぱり俺は気がつかなかった。



 ◆



 「よう来たな。ソラ」


 星の光しかない暗闇に柊はいた。

 段々と慣れた目で辺りを見れば、断崖絶壁の崖の下に俺たちはいた。崖と崖の隙間から零れる星や月の光だけが唯一の頼りになるここに悠然と佇む柊は百獣の王のような威厳と、神々しさがあった。

 輝く星のような銀の毛並みが揺れ、金と銀の瞳がその神聖さに拍車を掛ける。

 本当に今まで見たことのない美しい生き物だと俺は心の中で感嘆した。


 「あい、すまんな。茶菓子でも有れば良いが、見ての通りここには何もない。唯一見れるのは美しいこの夜空だけよ」

 「え、あー、いや、他で結構食い物と貰ったから大丈夫だ。こっちこそ急に悪かったな」

 「何、気にするな。こちらの方がよっぽどそなた等に無礼を強いた」


 柊の正面に座り込んで観察するようにじっと見る。

 俺の目を逸らすことなく柊は目を細めた。


 「すまなんだな。あのように急にそなたに戦を急いて」


 混乱したであろうと言う柊の言葉に俺は取りえず頷いた。実際ものすっごく混乱しまくったしな。

 静寂が俺と柊の間に落ちて来て、俺は何とも居心地が悪いような気分になる。

 柊のことはまだ少ししか知らないが、何かと気にしてくれる良い奴だとはわかっているのだが、沈黙は元々得意でない分慣れない。

 何か適当な話題は無いかと探す俺に柊の方から声をかけて来た。


 「一通り、この塔は回ったか?」

 「へ?あ、おう、色々回ったと思うぞ」

 「左様か。して、何か気になることはなかったか?」


 気になること、その言葉で俺は話題を見つけた。


 「ここに俺そっくりの奴とか来たことあるのか?」

 「……何故(なにゆえ)そう思う?」

 「いや、何かこう、いろんな奴が俺のこと知ってるようなこと言ったりするんだけどさ、俺こっちに来たの初めてだし、似た奴が来たことあって皆勘違いしてんのかな、て……」


 ふむ、と柊は考え込むような仕草をして、俺を見た。


 「いや、それはない。ここに人の子が来ることは、まず有り得ぬ故な」

 「だよなあ……」

 「確かに〝其方〟はここの者とは初対面よ」


 うーん、じゃああいつらのあの懐かしい者を見るようなあれは何なんだろうか。俺の勘違いだったのだろうか。

 でも俺こっちに来たことなんて無いしな。よし、面倒だ。考えるのは止めにしよう。

 開き直った俺を見て柊はまた目を細める。

 ……なんかこう、捕食されるみたいでどうにも居心地が悪い。


 「何、取って喰いはせん。人の肉はもう飽いた」


 ちょっと待て。飽きたってことは飽きるほど食べたことがあるってことか?そういうことなのか?

 口元どころが顔面全体が引き攣りそうな俺を見て柊が愉快そうに笑った。

 畜生、からかわれた!!

 ジト目で睨む俺に柊は笑いかける。


 「戯れだ。許せ」

 「性質が悪ぃよ……」

 「飽きるほどは喰うておらぬ」

 「食べたことはあるんかいっ!!」


 もうやだこの狼怖い。

 俺が遠い目をすれば柊は穏やかな声で笑う。

 さっきから随分とこの狼に笑われている気がする。これだから年寄りは……。


 「何、身の程知らずの人の子が我らの子どもを浚ったことがあってな。その時その浚った者の村を潰してやったのよ」


 さらっと物騒なこと言われた。

 いや、でも明らかに人間(こっち)が悪いので何も言えない。俺だってやられたら億倍返しが信条だしな。やりすぎた感が否めないけど。

 柊も「村一つは流石に遣り過ぎたがな。何、若気の至りよ」と呵々大笑する。取り敢えず柊に下手なことをするのはやめようと俺は固く心に誓った。


 そしてふっと気になることが出て来た。

 この場所には柊しかいないが、他の奴らはいないんだろうか。

 一人でいるのは酷く寒々しいこの場所には、俺が見る限り柊以外の姿は見えない。キョロキョロと辺りを見る俺に気付いた柊が穏やかな声で語りかける。


 「我ら星の使者は気紛れなものが多くてな。元々争いを好まず静かに暮らすことを是とする種族よ。我以外は皆、どこか他に安息の地をシェヘラザードに見つけてもらってそこに居る」

 「じゃあ柊だけしかここにはいないのか?」

 「左様。我はシェヘラザードの義理立てとしてこの諍いに参戦していおる。あれは気にしなくても良いと言っていたがそれでは我の気が済まぬわ。息子に長の座を譲り、娘たちの孫も見た。さあ、楽隠居しようとしたときに丁度人の子に孫や子を浚われてな。村一つ潰してやりすぎたかと察してな。さてどうしたものかと頭を抱えている時に風の噂であれの噂を聞いてな。後は先程話した通りよ」


 成る程。やり過ぎてさてこれからどこに行くかと悩んでいたところをシェラの噂を聞き、行ってみれば助けられたということか。

 それにしても本当にすごいなあいつ。どんだけチートなんだよ。

 というかこの白亜の塔いつからここに建ってるんだ?まさかこれもシェラが建てたのか?

 悶悶と考え込んでいると柊が大きく欠伸をした。


 「この塔がいつからあるのか我は判らぬな。そもそも然程疑問に思ったことも無かったわ。気になるなら、直接あれに聞くと良い」

 「それもそうか。そうしてみるわ」

 「さて、何の持て成しも出来ず悪いが我は寝る。寛ぐなり何なり好きにしていけ」

 「自由人め」

 「言ったであろう?我ら星の使者は存外気紛れなのよ」


 カラカラと笑って柊は目を閉じた。

 本当に寝始めた柊に俺は仕方がないと立ち上がり夜空を仰いだ。

 俺たちの地元も結構な田舎だったがここまで綺麗な夜空は見たことがなかった。

 吸い込まれるような、今にも星が落ちてきそうな夜空を眺めて、俺は踵を返した。

 後から聞いた話だが、柊は特に何の名前も付けていないが、他の奴らからここは『あめつち』と呼ばれているらしい。

 何で雨と土なのか意味が全くわからなかったが、要が言うにはあめつちは昔の人が作った全宇宙を指す意味らしかった。

 美しい言葉を昔の人は作るものだと俺は秘かに感動していた。



 ◆



 またまた通路を進んでいくと部屋全てが鏡に覆われている、まこと来たあの部屋に辿りついていた。

 ということはこの先を進めばシェラの部屋なのだなと確信した俺は迷路のようなその鏡の部屋を特に迷うことなく進んでいく。

 多少何度かぶつかりそうにはなったが、シェラの言っていた呪いのお陰か、不思議と進む場所や通る鏡の場所がわかるのだ。

 さてそろそろ最後の鏡だと思った矢先に、鏡から見覚えのあるシックなメイド服に身を包んだ緑髪にお団子頭の女の子が現れた。俺を見た女の子、(中学生ぐらいだろう)は猫のような目をぱちくりと大きく見開いて、慌てたように仏頂面を作った。

 確か、め、め…………。


 「メイメイ?」

 「そんな羊の鳴き声のような名前ではありません。明鈴(メイリンです」

 

 そうそう、そんな名前だった。

 ぶすっとした顔のメイリンは不機嫌全開な顔を隠しもしない。

 確かに名前間違えたけどそこまで怒ること無いじゃないか。


 「悪い、そんな怒らないでくれ」

 「元からこう言う顔ですのでお気になさらず」


 嘘つけ。

 ツン、と澄まし顔でそっぽを向くメイリンは完璧に臍を曲げてしまったようだ。

 まいったな、どうしたものか。

 俺が考えあぐねいているとメイリンは相変わらずの澄まし顔で俺の横を通り過ぎようとする。

 もう一度謝ろうとした手は冷たく振り払われた。


 振り向いたメイリンの瞳には憎悪だとか嫌悪だとか屈辱だとか、とにかくそんな負の感情を全部押し込めたような目で俺を睨んだ。

 たじろぐ俺にメイリンはふん、と鼻で笑って背を向ける。


 「(あるじ)様の客人でもありますから必要最低限の会話はします。ですがそれだけです。ワタシに関わろうとしないでください。人間風情かこの塔にいることすらワタシは虫唾が走って仕方がないのですから」


 吐き捨てるようにそれだけを言い残し、メイリンは次の鏡を通り抜けて姿を消した。

 取り残された俺は半ば唖然として頭をガリガリと掻きむしった。

 ここまであまりにも明確な拒絶は初めて向けられたが、それほどまでにあのこと人間の確執は深いものなのだろう。

 でもまあ、あそこまで言われると怒りを通り越して諦めが先に来る。何となく前途多難な予感がしてきた俺は大きく嘆息して、最後の鏡を潜った。

 

 

 


 


 








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