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Sword, or Death  作者: 伊吹
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神隠し

 少し残酷描写があります。

 剣と剣のぶつかる音、鎧が擦れる音、大勢の人の怒号と悲鳴と雄叫びに混じって聞こえる馬の嘶きや俺には判断付かない獣の声が渇いた荒野に響いて木霊する。

 肝心の俺は情けなく怯えて震えて地面に尻もちを突いていた。

 そんな情けない俺は今、首筋に剣を、いや正確には薙刀の刃先を首筋に添えるようにして突き付けられていた。


 「選べ。今、すぐにだ」


 周りは馬鹿みたいに騒がしいはずなのに俺たちの周りにだけ薄い膜が張られているように妙に静かで喧騒も遠くに聞こえる。

 俺の首筋にピッタリと当てられていた刃先が不意に何かを指した。

 つられるようにして目線をそちらにやれば目に入ったのは倒れた誰か。

 ――――死体だ。

 顔を覆っていた兜がすぐ傍に転がっているせいで顔が良く見える。苦悶の表情のまま固まった顔。虚ろな目がじっと俺を見つめていた。

 ヒッ、と情けない引き攣った声が漏れた。


 「ここで死んでああなるか、それとも――――」


 刃先が俺の鼻スレスレのところで止まる。


 「剣をとって抗うか」


 そう言って俺を見下ろすのは俺の大切な〝幼馴染〟だった。



 ◆



 「いやー快晴、快晴。善きかな善きかな」


 遮る雲すらないような青い空は抜けるようなと表現するのにピッタリだろう。曇天続きで気がすっかり滅入っていた俺にとって清々しいことこのうえない。まあその分日差しも強さが倍になったがそれはご愛嬌というやつだ。

 田舎特有の人気どころか車すら通る気配のない道路のど真ん中を歩きながら空を仰ぐ。うむ、雲一つない抜けるような青空だ。日本晴れと言うんだっただろうか?

 テルテル坊主を馬鹿みたいに生産しまくって花粉症の母親にゴミを見るような目で見られても作り続けた甲斐があったというものだ、うん。もちろん役目を終えたテルテル坊主たちは母親に献上する。資源の無駄遣いは良くないからな。

 これでようやく今日の晩御飯はメインを食べられるだろう。成長期の男子にとって耐えがたい暴挙だった。いくらテッシュの無駄遣いの罰だからといって晩御飯にメインのおかず抜きは酷過ぎる。父と母と兄の大皿にハンバーグが載っているのに俺の大皿だけ添え物しか載ってないとか何度も言うが酷過ぎる。

 反抗期の時なんてもっと酷かった。たとえば……。


 「何ブツブツ言ってる。キモイぞ」

 「うん、正直キモイな」


 キモイ?一体誰のことを言っているんだ。しかし開口一番にその暴言は如何なものだろうか。

 俺がブツブツ言っているキモイ人物なる人を探そうとわざとらしくキョロキョロしていると後ろから大きなため息が二つ。

 幸せが逃げるぞ。


 「お前に決まってるだろうが。〝宇宙〟と書いて〝そら〟と読むキラキラした名前のお前だよお前」

 「何度聞いても名前負けだな。ソラくん」

 

 会って早々人の古傷を抉ってあまつさえ塩塗りたくりやがったこいつら。

 そう、俺の名前は〝宇宙〟と書いて〝そら〟と読む。功刀(くぬぎ)宇宙。これが俺の名前だ。

 この名前のせいでからかわれたことは数知れず、買った喧嘩も数知れず。

 なぜ両親にこんな名前を付けたのかと半ば決死の思いで問い詰めたが特にこれと言った理由は無く両親のどちらかが宇宙飛行士になりたかったとかもない。一応言うが俺も宇宙飛行士になりいたいと思ったことはない。俺の将来はまだ白紙だ。まっさらだ。

 ぶっちゃけて言えばその場のテンションで付けた結果が俺なのだろう。

 グレなかったことを褒めてほしい。

 ちなみに兄の名前は浩平だ。意味が判らない。

 

 一気にテンションが下降した俺が振り返ればそこにいたのは俺の予想通りの影が二つ。

 一つは俺と同級生で今年から中学3年生になる弓月要(ゆづきかなめ)の影。染めてない茶髪を適当に整えたというような無造作なヘアスタイル。長い前髪の隙間から見える切れ長の目が鋭いためか上級生に目を付けられることもしばしばだ。長袖の無地のシャツにジャケット、ジーパンにスニーカーとお馴染のスタイル。

 更に付け加えると家が弓道の道場で弓の腕は全国大会毎回出場レベルとピカイチである。(本人は満足していないところがまたすごいのだが)

 

 二つ目の影は俺たちより一つ先輩でやはり今年から高校1年生になる小薙刀(こなぎなた)まこ。サラサラと音が鳴りそうな黒髪ショートヘア。パッツン前髪から覗く顔は一瞬見とれるほど整ったものなのだが言葉遣いが俺たちと大差がないのと、男より男前なその性格に初対面は大抵驚く。こちらも大きめのセーターにマフラー、短パンにロングブーツとお馴染のスタイル。

 そして女だからと侮ることなかれ。こちらも家が薙刀道場で幼い頃から護身術として叩きこまれた結果そんじょそこらの男よりも遥かに強い。我が校の薙刀部のエースとして絶賛活躍中である。

 

 さて、ここまでくれば皆様もうだいたい察しが付くだろうがここで俺についての説明も少し加えよう。

 我が家も剣道の道場である。兄共々子どもの時から半ば強制的に師範であるクソ爺にしばか、いや、鍛えられ続けた結果俺の名前のことで売られた喧嘩には今のところ負けなしである。


 そんな俺たち3人の家は何の因果かお隣さんである。要→まこ→俺、と並ぶ道場はご近所さんたちのちょっとした名物で知られている。選べる3コースだとどこかで聞いたような安いキャッチコピーまでついている始末だ。

 普通道場が並んでいると門下生や師範同士の諍いが絶えないイメージではあるがそんなことはない。何せ俺たち3人の祖父母が幼馴染関係だったのだ。元々俺のとこのクソ爺、要のとこの祖母さん、まこのとこの祖母さんは同じ道場出身でいつか自分たちで道場を建てるという夢を持っていたらしい。が、クソ爺は家の都合で道場を辞め、引っ越してから疎遠になっていたらしいのだが何やかんやで念願かなって道場を持てることになった。恋人(俺の祖母だ)と共に再び思い出の地に引っ越し道場を始めようとすると偶然にも懐かしい2人と再会。そして2人も丁度道場を持てることになったと聞き、なら並んで建てようと言った冗談半分を恐ろしいことにまこの祖母さんが本当に実行してしまったのだ。(予断だがまこの祖母さんは3人で通っていた道場の師範に子どもがいなかったことから譲り受けたらしい)

 そんなわけで俺たちの親も、そして俺たちも家族ぐるみの付き合いで昔から仲が良かった。

 こうして親子三代幼馴染という驚異の腐れ縁ができたのである。

 

 「いやはや歴史は偉大だね」

 「何言ってんだ」


 うんうんと頷く俺を要が汚物を見るような目で見ていた。相も変わらず失礼な男である。

 まあ、心も器も広い俺はそんなことでキレたりなんかしないが。


 「お前相変わらずセンスないな」

 「何言ってくれてやがりますかねおいこら歯ぁ喰いしばれや」


 どうしてこいつは俺が気にしていることを的確に突いてくるのだろうか。別にセンス悪くないし。ちょっと独創的なだけだし。

 今日の俺は兄のお下がりのよく分からないキャラクターがプリントされたパーカー、ジーパンにクロックスという至って普通のファッションのはずだ。


 「そのパーカーのキャラクターがおかしいんだと思うぞ……私は」

 「何だよまこまで!」

 「いや、だって芸術家もビックリなキャラだぞそいつ。兎と鳥と……蛇の合体かなんかか?」


 それいったいどんな合成獣(キメラ)

 俺のパーカーはそんな化け物に見えるほど酷いのだろうか。確かに何のキャラクターかは判らないがそこまでは酷くないはずだ。

 両手でパーカーを伸ばすようにして見ながら俺は2人を見た。

 

 「これ兄貴のお下がりなんだけど」

 「そういえばお前ら兄弟そろって壊滅的なセンスだったな」

 「うん。忘れるとは盲点だった」


 少しでも意見を改善させようとした結果兄弟揃ってディスられた。許せ兄貴。

 心の中で兄貴に謝罪を送りつつこのままでは俺のファッションセンスを批判することにこの二人は花を咲かせるだろうと確信した俺は多少強引にでも話を変えることにした。


 「あ、あー!そういやクソ爺が今度また道場のことで話があるって言ってたぜ」


 あまりの強引な変え方にまこは首を傾げていたが要はゲッと苦虫を噛み潰したような顔をした。


 「お前、それって絶対また『合同演武』やらされるぞ」


 その言葉に今度は俺が絶句する番だった。

 青い顔をする俺たち二人のその言葉にまこが納得したように朗らかに笑った。


 「いいじゃないか。道場の宣伝にもなるし一石二鳥だ」

 「ふざけんな!フル装備のお前と違ってこっちは袴だけだぞ!?」

 「お前はまだいいだろうが……こっちは射程距離内に入られたらほぼ終わりだぞ」


 合同演武とは元々俺たちの師範、つまりクソ爺共が面白半分に作った企画だった。

 せっかく道場が3つも並んでいるのだからと宣伝も兼ねて考え付いたことらしい。

 やることは3つの道場の代表者一名が集まりちょっとした演武を見せると言ったどこにでもありそうな企画だったりする。そう、表向きは。

 

 実際は〝演武〟の名を借りたただの〝決闘〟だ。

 なにせ選ばれた代表者3人の得物がどれも本物なのだから。

 俺の場合は竹刀でなく刀、まこも木刀ではなく本物の刃先のついた薙刀。要も練習用などに良く使われるゴム弓じゃない本物の弓矢である。

 下手したらどころかしなくても血を見ることになる。

 しかも男女平等を掲げるこのご世代に俺と要はいつもの袴なのにまこだけ傷が残ると大変といった理由でガッチリフルフェイスである。酷い男女差別を俺はこの年で学んだ。

 どう考えても中学生、高校生にやらせることじゃない。


 しかも演武とか言いながら何の打ち合わせもしないのだ。

 結果俺たちはぶっつけ本番で臨み、殺り合うしかなくなるのである。

 嫌なら逃げたらいいのでは?と思う奴らもいるだろう。もちろん俺たちもそうしようとしたことがあった。(俺と要2人なのだが)

 だがそんなことはクソ爺どもにはお見通しだったのだ。

 俺は出なければお小遣いカットに朝昼晩のご飯メイン抜きを厳命され、要は〝女の子でも弓道はできるわね〟と意味深な発言を祖母からそれはそれは嬉しそうな笑顔で聞いたらしい。何それ怖い。

 退路は完璧に封鎖されていた。


 そして何より一番の問題は……。


 「私も一人だけ防具を身につけているのは卑怯な気もするんだが、おばあちゃんが許してくれなくてな……だが安心してほしい。その代わりに……」


 髪を耳に掛ける仕草は何とも言えない色香を感じさせる。その仕草一つ一つに何処か品性を感じさせるのだから不思議なものだ。

 儚げでそれでいて控えめな身内の贔屓目を抜きにしても魅力的な笑顔。


 「手加減はしないからな!」


 10人中9人は振り返るであろう笑顔でまこは言った。

 まこのその満面の笑みに俺たちは顔を赤くさせるどころか更に顔を青くさせたのは言うまでもないだろう。

 そう、一番の問題はまこがフルフェイスかつ全力で俺たち2人を殺りに、いや挑んで来ることなのだ。

 〝何事も全力で妥協せず〟これがまこの家の教えだ。

 それを何の疑いもなく素直に学び続けたまこは俺たちから見ても何事にも全力で取り組む素直で利発な女の子になったと思う。幼馴染としてもそれはそれは自慢できる子だ。

 しかしそれがこの『合同演武』で裏目に出ることが皆さんも想像できるだろう。


 俺たちが多少手を抜いてやろうにもまこは全力で俺たちを殺りにくる。それはもう首を取る勢いで。

 しかもまこは冗談抜きで薙刀の腕は一流だ。下手に手加減すれば痛い目見るのは俺たちである。

 その結果毎回ほぼ俺がまこを防いで要が仕掛けるというなんとも情けない図になってはいるのだがその2対1という状況に観客のブーイングが飛んでくるは卑怯者と罵られるはで散々である。ならお前ら代わってみろよと叫びたい衝動を堪えるのは毎回ながら大変な作業だ。

 

 「勘弁してくれ……ああクソ、刀重いから面倒なんだよ……」

 「遠距離を近距離でやらせようとするのもそもそもおかしいんだよ畜生……」

 「こういうときは二人とも仲が良いな」


 頭を抱える俺たち2人を見てまこは無邪気に笑うが俺たちにとっては死活問題である。

 がりがりと頭を掻いた要がさっさと歩きだしたので俺たちもその後を追うようにして足を動かした。


 「もうこの話は止めだ。それよりどっかで買い物するんだろう?早く済ますぞ」


 そうだった。今日はまこの買い出しに付き合う約束でそもそも集まったのだ。

 俺がまこに何を買うのかと聞くと、練習用の新しい木刀を買うらしい。

 まこらしい買い物だと俺は笑った。



 ◆



 一通り買い物が終わった俺たちはスポーツ用品店の近くにあるこじんまりとした喫茶店に入っていた。

 常連の俺たちは喫茶店の優しげで髭が似合うマスターとはすっかり顔馴染で入れば当然のようにいつもの席に案内された。

 木造のシックな雰囲気の喫茶店に似合う俺が知らない洋楽が流れる店内のステンドグラスのようなシャレた窓ガラスがある窓際の席が俺たちの指定席のようなものだった。因みに席は俺が奥の窓際に座りその横にまこ、正面には要という順番だ。

 席に着いた俺たちに「いつものでいいですか?」と聞くマスターに笑って頷き、暫く待てばまこにはカフェオレ、要には紅茶、俺はコーヒーを目の前に置かれた。

 それで喉を潤していると要が不意に突拍子もないことを言いだした。


 「そういえばお前ら『神隠し』って知ってるか?」

 「かみかくし?」


 意味が理解できなかった俺に説明するように横に座っているまこが口を開いた。


 「妖怪なんかに子どもが浚われるアレだろう?」

 「それって誘拐なんじゃねーの?」

 「まあそんなもんだ」


 紅茶に口を付けながら言う要に俺はそのまま疑問を口にする。


 「なんだよ急に」

 「別にこれと言った理由はないが、最近この辺で突然失踪する事件が増えているらしくてな。それを『神隠し』だと道場の奴らが騒いでいたんだ」

 「ああ、確かに最近多いな。最初は夜逃げか何かかと思っていたけどそうじゃないような感じなんだろう?」

 「へ?何それ俺初耳なんだけど」

 「少しはニュースか新聞でも見ろ」


 鼻で笑われたのがむかつくが、それよりその事件の方が気になった俺はテーブルから身を乗り出し気味にしながら正面に座る要を見る。


 「いいから教えろよ。こんな田舎でそんな事件やってんのか?」

 「もう結構噂になっているはずなんだが……」

 「ソラくんは噂に疎いからな。何でも最近妙に失踪者が多いらしいんだ。でも最短で3日、最長で7日でその失踪した人が帰って来てるんだよ」

 「何だそれ?」

 「しかも何でか浚われた奴らが言うには何も覚えてないんだと。しかも帰ってきた奴ら全員だ。それで今、『神隠し』じゃないのかってもっぱらの噂なんだよ」

 「へぇ、警察もそう言ってんの?」

 「そこは良く判らないが普通の事件じゃないことは確かだしな」


 神妙な顔で考えるまこの眉間を指で突くとムスっとした顔でチョップされた。痛い。

 

 「何でも年齢もバラバラで犯人が複数犯なのか単独犯なのか愉快犯なのか確信犯なのかも定かじゃないらしいから警察も手をこまねいているらしいがな」

 「ふ~ん。物騒な世の中になったもんだな」


 温くなったコーヒーを飲み干した俺は今にもうんうんと唸りそうなほど思い悩むまこを見て瞠目した。今にも頭から湯気が出てきそうだ。

 要も流石にぎょっとしたような顔をしている。


 「お、おいどうした?まこ」


 恐る恐るまこに尋ねると何故か手で制された。目の前に掌を向けられて〝待て〟を示されたので仕方なく大人しく待つことにする。

 要も俺と同様大人しく待つことにしたらしく冷めたであろう紅茶をちびちびと啜っている。

 隣で腕を組んで唸っていたまこが不意に顔を上げる。思い出してすっきりしたような感情と焦った感情がごちゃ混ぜになって勢い余ったのか音を立てて立ち上がった。


 「忘れてた!!」


 何を、と聞く前に素早く荷物を手に持って俺を引っ張って立たせると慌てた様子で伝票を手に取ろうとして先に要に取られる。

 俺はまこの持った荷物を受け取って足早に歩くまこの後を要と共に追ってマスターに支払いを3人で済ませると店を出た。

 

 「どうしたんだよいきなり慌てだして」

 「忘れてたんだ!おばあちゃんが薙刀の手入れ道具一式買って来てって言ってたの」


 それはもしかして合同演武のための準備ですかとは俺と要は口が裂けても聞けなかった。



 ◆



 まこの買い物を終え夕方になったので俺たちは別れの挨拶もそこそこにそれぞれの帰路に着いた。(といっても道場が並んでいるので玄関前で別れたのだが)

 道場では竹刀で防具を叩くような音や怒声にも似た叫び声のようなものが響いている。叫んでいるのはクソ爺だろうと察した俺は見つかると面倒なのでさっさと裏手に回って自宅へと急ぐ。

 玄関を開けて家に入って小腹が空いたのでキッチンの方へ行くとスウェット姿の兄貴が牛乳をラッパ飲みしているところに出くわした。

 俺と同じ黒髪に垂れ目がちな眠たそうな目で俺を見て笑った。


 「お、おかえり。案外早かったな」

 「ただいま、て兄貴また母さんに怒られるぞ」

 「お前がばらさなきゃ何の問題もないから大丈夫だろ」


 笑いながら俺に牛乳を渡して飲むように促してくる。どうやら共犯にしたいらしい。別に構わないけど。受け取った牛乳を兄貴と同じようにラッパ飲みして冷蔵庫に近付くとしたり顔で笑った兄貴が俺の目の前にスナック菓子を差し出した。


 「何だよ兄貴も腹減ったの?」

 「ま、そんなとこだよ。でもどうせお前も食べるだろ?だから冷蔵庫の物はやめとけ。流石にバレるぞ」


 そう言われ漁る気が無くなった俺は牛乳を冷蔵庫に戻してスナック菓子を受け取った。

 リビングに二人で行きソファに座ってテレビを点ける。適当にチャンネルを回したがどうやら今日はいい番組はやっていないようだ。仕方ないので地元のニュース番組を点けることにした。

 二人でパリパリと菓子を摘まみながら流れる情報を右から左へと聞き流していく。そこでふと聞いたばかりの情報が耳に付き意識をニュースへと集中させる。

 アナウンサーのお姉さんが言うには例の失踪事件は相変わらず年齢層もバラバラで帰って来た人たちも覚えていないの一点張りのため相手が単独犯なのか複数犯なのかも判らない。しかし規模からして複数犯なのではと警察は予想しているらしいが犯人の目的も次に浚われる人の目途も掴めず現状では対策が出来ていない状況らしい。ここまでは大体2人から聞いた通りのようだ。

 そこで一つ速報が入って来た。どうやら浚われた人たちの中の一人がおぼろげにだが覚えていることがあったらしい。その証言によると浚われている間複数の声を聞いたとのことだ。ふむ、どうやら犯人は複数犯と決定されたようだ。


 「おー、犯人は複数か」

 「兄貴も知ってんのこのニュース?」

 「そりゃ知ってるだろ。うちの門下生も騒いでるみたいだぞ?何でも友達が被害にあったとかで」

 「まじか!?無事だったのかよそいつ」

 「2日で帰って来たから家出だと思われてたらしいがな。そいつに聞いてもやっぱり何も覚えてなかったんだと」


 何というかそんな身近な所で事件が起きていることには驚いた。俺が素直に驚いているとニュースは何処かの動物園にカピバラが来たとかいうニュースに変わっていた。

 そこで兄貴が急に別の話題をふって来た。 


 「そう言えば今度また合同演武やるらしいな」


 その言葉を聞いて俺があまりにも嫌そうな顔をしたからか兄貴は眉を下げて笑った。この笑顔が俺は昔から嫌いだった。


 「そんなことより兄貴は勉強の方はどうなわけ?」


 画面に出てくるカピバラの姿に和みながら今度は俺から兄貴に話をふった。

 俺がその話を続ける気がないと悟った兄貴は少し寂しげに笑って俺の質問に答えた。


 「ぼちぼちだよ。でも自分の好きなことやらしてもらってるからな。充実してるよ」


 兄貴は疲れたように笑いながらソファの背に深く腰掛けた。

 俺がこの道場の代表として色々とやっているのはもちろん俺が一番強いというのもあるが兄貴がこの道場を継がないと言うのが一番の原因だったりする。

 クソ爺は5人の子どもに恵まれた。しかし残念なことにその子どもは全員女でしかも道場を継ぐ気は皆さらさら無かったのだ。その結果俺の父が婿入りして今は道場を経営している立場にある。そして晴れて生まれた孫が待望の男、つまり兄貴だったのだ。それはもう一家総出で大喜びしたらしい。これで後継ぎは大丈夫だと安心し後継者に成るべくして育てられてきた兄貴はしかしこれまた残念なことにこの道場を継ぐ気は無く医者になりたいのだと言う旨を夕食の席でクソ爺にある日言ったのだ。確か俺は小6、兄貴は高3だったはずだ。

 突然の兄貴のその宣告に我が家は暫くお通夜ムードだったのを俺は覚えている。実際クソ爺はもちろん俺もこの道場は兄貴が継ぐものだと思っていたし、母も父もそう思っていた。でもだからこそ兄貴は高校生の進路を本格的に決めると言う段階になるまで言い出すことができなかったのだろう。

 

 だがそんな中で驚かない人物が一人だけいた。俺の祖母だ。


 兄貴が初めて自分の夢をクソ爺と俺たち家族に打ち明けた時クソ爺はそれはもう夕食の並べられたテーブルをひっくり返す勢いだったのだがそんなクソ爺を祖母は逆に引っぱたいた。そして茫然とするクソ爺を余所についでとばかりに母さんと父さんも引っぱたいた。状況が飲み込めない俺はただ穏やかな祖母の初めての怒り様に震えあがっているだけだった。


 そこからはもう完璧に祖母の独壇場だった。


 いい歳した大人が揃いも揃って正座させられ般若と化した祖母に説教される姿は当時の俺を何とも言えない気持ちにさせたものだ。クソ爺はざまあみろといった感じだったが父と母のその姿は何か少し切ないような気持ちにさせられたものだ。

 当時の俺は祖母のそのすさまじい剣幕にただただ気を取られて何を言っていたのかあまり覚えていないがただ、お前たちがちゃんと子どもの意見を聞かなかったのがいけないんだろうとか浩平はずっと我慢してきてそれをようやっと打ち明けたのに怒鳴ろうとするとは何事かとか自分たちで勝手に決めたことで子どもを縛ろうとするとはどういうことなのだとかそんなことを言っていたのだと思う。

 そんな祖母の言葉を聞いてか兄貴が目を腕で拭っていたのを俺は知らぬふりをした。

 こうして兄貴は無事自分の夢を果たすため国立の医大にストレートで受かったのである。

 そしてそうすると今度はその後継ぎと言う名目が俺に必然と回ってくるため俺はクソ爺から一層しごかれることになったのだ。


 正直面倒なことこの上ないが俺は別に継ぐ気が無いわけではない。どうせ今のところ俺に兄貴のようにやりたいことはないし何も考えずに将来が決まっているということは楽なことだと感じてるくらいだ。

 だが元々人のことばかり考えて自分の意見を中々言わなかったお人好しを絵に描いたようなような兄のことだ。大方自分の我儘のせいで俺に悪いことをしたと罪悪感を抱えているのだろう。だから兄貴は道場の話をする時いつも困ったような笑い方をするのだ。

 むしろ謝るのは兄貴の意見も聞かず勝手に後継ぎと言うプレッシャーを与えて来た俺たちなのにそれでも兄貴は俺にも母にも父にもクソ爺にも罪悪感を抱くのだ。俺の将来を潰してしまったと。


 そんな風に兄貴に思わせてしまったのは俺のせいだったりするのだが。

 まあ、あれだ。まだ幼かった俺は今まで確かにクソ爺にしごかれ続けてはいたがそれは兄貴が後を継ぐと言う前提でのしばかれかただったからそこまでではなかったのだ。それが兄貴が継がないとなった瞬間俺に全てお鉢が回って来て結果いままでの比ではない練習量と過酷さにまだ小学生で反抗期真っ盛りだった俺が耐えられるはずがなく、そしてもちろん怒りの矛先は兄貴に行くわけで。思い出すだけで俺はあの時の自分の頭をカチ割りたい。兄貴がさっさと言わないからこんなことになっただの今更人にこんなこと押しつけやがってだのとそれはもう口汚く罵った。何も言わない兄貴がまるでこの場を適当に収めようとしているようにその時の俺には感じられて俺の怒りは頂点にまで達していたのだ。後になって言いすぎたと思った時にはもう遅かった。

 俺だって小学生と言ってもそこまでバカじゃない。頭では理解していたのだ。兄貴が言いだせなかったのは仕方がないことだったと。だが頭で理解しても感情はついていかなかった。

 

 ――――うん、ごめんな。ソラ。


 その表情の意味を俺は知っていた。

 後悔とか諦めとか悲しみだとか怒りだとかそれら全部を自分の中に押し込めた時兄貴はこうやって笑うのだ。


 優しくて俺と7つも離れている兄貴は俺とは比べ物にならないほど大人で憧れだった。

 そして同時に俺にとって兄貴はコンプレップスの塊でもあった。

 別に両親に比べられたりだとか、クソ爺や祖母に何か言われたとかそんなことはない。それでも出来が良くて優秀な兄貴は俺にとっての目標であるけれど、その壁を超えることは出来ないのだと漠然と判ってしまった。

 それが悔しくて悲しくて俺は嫌だった。いつの間にか幼い頃のように無邪気に慕うことが出来なくなって並んで歩くことが恥ずかしくなった。

 あの頃の俺は幼くてその感情を割り切ることも受け入れることも出来ず、結局全部一気に爆発して俺は兄貴に八つ当たりしてしまったのだ。そしてそれは優しい兄貴を苦しめるには十分だった。


 指に付いた塩を舐めながら俺はテレビの方を向いたまま兄貴に声を掛けた。


 「……暇ならさ、応援に来てよ」

 

 俺の言葉に弾かれたように驚いた表情をした兄貴がこちらを向いた。

 俺は敢えて表情を変えず何気なさ装って意識して淡々とした口調で言う。


 「合同演武だよ。あれ、まじで地獄だから。俺と要はいつもの袴とかなのにまこだけフル装備だぜ?しかもあいつまったく手加減しないから俺と要いつも死にかけんの」


 笑いながら話す俺の顔を見て兄貴がぎこちないが笑顔を見せる。それはそうだろう、俺は兄貴のあの困った笑顔が嫌いだし、自分のしたことも今となっては黒歴史の一部として思い出したくなかったことだからいつも道場の話題は避けてきたのだ。驚くのも無理は無い。

 それでも兄貴は懸命に会話を続けようとしてくれる。つくづくお人好しな人だ。


 「まこちゃんはそんなに強いのか?」

 「強いなんてもんじゃねーよ。あれはもう見た目があれじゃなかったら完璧にゴリラ女だぜ?」

 「おいおい、女の子に言うことじゃないだろ」

 「俺は自分で悪漢を倒すような奴を女の子だとは認めねーよ」


 まこには悪いが事実なので仕方がないだろうと笑いのネタにさしてもらう。兄貴が口を押さえて肩を揺らして笑った。

 それを見て俺は少しほっとした。


 「そうか強いなまこちゃんは。それじゃあ要くんと弟の勇姿を見に行くとするか」


 悪戯っぽく笑う兄貴に俺は不敵に笑って見せた。


 「言っとくけど俺はあの頃の兄貴よりもずっと強いぞ?」

 「生意気だな」


 二人で笑っている最中俺はふと思い出したことを口にした。


 「そう言えば兄貴」

 「何だ?」

 「俺たち服のセンス壊滅的らしいぞ」

 「まじか」



 ◆



 兄貴が失踪したのはその3日後のことだった。

 その日いつも通りに大学に向かったはずの兄貴がいつもの時間に帰ってこなかったのがそもそもの始まりだった。でも兄貴もいい大人なのだから友達付き合いや先輩後輩何かの交流もあるだろうということで俺たち家族は特に心配はしていなかった。ただ兄貴に何度かかけた携帯がどれも繋がらなかったことに多少の違和感を感じてはいたが。

 だが時計の針が一日の終わりを告げても連絡一つ寄越さない兄に流石に俺も母も父もこれはおかしいと不安に駆られた。兄貴はこの時代に珍しいほどの真面目な性格で遅くなる時は必ず俺たちに連絡か何かをくれるはずなのだ。

 俺はすぐに要の家やまこの家に連絡を入れ兄貴がそっちに顔を出していないかと聞いたがすぐに来ていないと返された。二人が何かあったのかと心配そうに尋ねて来たが単に兄貴が連絡を忘れているだけかもしれないという可能性も捨て切れない中迂闊なことは言えず、適当に誤魔化した。

 母も父も流石にこんな夜分に片っ端から兄の知り合いに連絡を掛けるのは憚られるとその日はそれだけで終わったのだ。俺はもしかしたら兄が帰ってくるのではないかと気が気じゃ無くてその晩はなかなか寝付くことができなかった。


 異変は翌日すぐに起こった。


 朝、結局兄貴が帰って来ず落胆と寝不足でイライラしていた俺がリビングに向かうと何処かに連絡をしている母が目に入った。そしてその母がどんどんと顔色が悪くなっていくのだ。

 その母の背を気遣うようにさする父の顔色も随分と悪いものだった。

 いつもやかましいクソ爺もだんまりで祖母も朝食の並べられたテーブルに付いているものの食べる気はないようだ。

 昨晩感じた不安が俺の胸を巣食うのを俺は静かに感じていた。

 電話を置いた母が真っ青な顔で父に支えられながら小さく掠れた声で、でも俺たち全員にはっきり判る声量で言った。


 「浩平、昨日学校に行ってないって、先生が……」


 それを聞いた時その場にいる全員が同じことを考えたのだろう。

 兄貴が今噂の〝神隠し〟にあったんじゃないかと言うことに。


 でもまだたかが一日だ。もしかした携帯は充電が切れているだけかもしれないし、疲れて学校をサボって何処かで友達と飲み潰れているだけかもしれない。

 そう言って俺は心配しすぎなのだと笑い飛ばした。そんな俺を見て母も父も少し笑ってそうかもしれないといつもの席に付いた。依然顔色は悪いままだったが。

 クソ爺は帰ってきたら根性を叩き直してやるだとか言って、祖母は相変わらず穏やかに笑っていた。

 俺はそんな家族の様子に少しだけ安心して空席の兄の席を横目に見て朝食の席に付いた。


 この胸を巣食う不安は気のせいだと言い聞かせながら。


 しかし兄は結局その日も帰って来なかった。

 その次も、そのまた次の日も帰ってこなくてついには7日も経ってしまった。

 警察の協力も虚しくあの日の朝を境に兄は忽然と姿を消してしまった。まるでこの町に最初からいなかったように何の痕跡も残さずに忽然と。


 この一週間のことは良く覚えていない。

 マスコミなんかはうるさくて芸能人はいつもこんな苦労をしているのかと他人事のような感想を持ったり、兄貴の行きそうな所や友達、先輩に虱潰しに当たって見たが結局何の成果も得られなかった。

 要やまこも協力してくれているが兄貴の手掛かりを探せば探すほど逆に遠ざかっていくようなそんな気さえするほどだ。

 自分の近くどころか身内に被害が及ぶなんて考えもしなかった。大丈夫だろうと心の何処かで高を括っていたのだ。大丈夫なんて保障何処にもありはしないのに。


 「この馬鹿者がぁぁああっ!!」

 「――――っい!?」


 今の状況に意識を戻すよりも早くクソ爺の重い一撃で俺は後ろに吹っ飛ばされて床に背中から転んだ。痛みに悶えながら態勢を戻して竹刀を構える。


 「態々特別に貴様だけに稽古をつけてやっとるのに上の空とは何を考えとるこの大馬鹿者!!集中する気がないならやろうとするなっ!!」


 いつもならクソ爺に言い返して挑み返しているところだが今日の俺が稽古に集中していなかったのは事実なので今回ばかりは言い返せない。

 ぐっと唇を噛み締めて俺は面を脱いで礼をした。


 「……申し訳ありませんでした」

 「フンッ!珍しく素直に謝りおって。気持が悪い」


 こ、このクソ爺が……っ。人がせっかく素直に頭下げて謝ってんのにその言い草かよ!

 頭を上げるとクソ爺も面を脱いで手拭いを外していた。俺も手拭いを外して汗を拭う。

 俺が何で集中できていないのか判っているからかそれ以上クソ爺は何も言ってこなかった。この人も元気そうに見えるが相当に参っているのだろう。目の下に出来た薄い隈がその証拠だ。こんなふうになったのは祖母に盛大な説教をされた以来だろうきっと。


 「……浩平はそこらの奴よりよっぽど強い。そこまで心配することはないはずだ」


 呟いた言葉は俺を安心させようとしたのかそれとも自分に言い聞かせたのか俺には判断が付かなかった。

 もちろん俺だって、母も父も祖母だってそんなことは判っている。理解はしていてもやはり心配していまうのは仕方がないことなのだろう。


 兄貴がもし本当に神隠しなるものに合ったのか、それとも愉快犯の仕業なのかは判らないがこのままいけば今度は兄貴が最長の行方不明者になるのだろう。そんなことをぼんやりと考えておかしくなって小さく笑った。

 神隠しだろうが何だろうがこの際何だっていい。頼むから早く兄貴を返してくれよ、クソッタレが。

 呟いて俺は舌打ちした。


 

 ◆



 「大丈夫か?ソラくん……」


 俺が自分の部屋のベッドでぼーっとしていると心配そうにまこが声を掛けて来た。それにはっとして俺は無理やり笑顔を作る。


 「何だよ俺の心配なんか珍しいじゃん」

 「茶化すなバカ。それよりお前ここ最近寝てないだろ?顔色悪いぞ」


 俺の空元気はやはりこの2人には通じないらしい。当たり前かと俺は苦笑した。

 まこと要は俺が部屋でぼんやりしていると勝手知ったる他人の家と言った風に当たり前のようにズカズカと上がって来たのだ。

 いつものことなので俺も特に何か言うことは無かったし、それがこいつらなりの気遣いだろうと判っていたので黙っていた。それに正直こいつらの気遣いはありがたい。

 一人でいると自然と兄貴のことを考えてしまうのだから。


 「それにしても何でこんなことになったかなー……」


 ぼそっと呟いた声は独り言のつもりだったが二人には聞こえていたらしい。

 重い空気になったことにしまった、と俺が思った瞬間頭を思いっきり殴られた。もちろん殴ったのは要だ。


 「――――いでっ!?ちょ、おま、何すんだよ!?」

 「何うだうだ言ってんだよ気持ち悪ぃ。こんな空気悪い部屋で一人でいるからそんな暗くなるんだバカ」

 「お前、ここ俺の部屋なんだけど……」

 「よし、なら換気しよう」

 「まこさん、そういう問題じゃないと思うんだ俺」


 閉めていた窓をまこが空けると花の甘い香りを乗せた風が部屋の中に入って来て俺の頬を撫でる。ああ、もうすっかり春なんだなと何となく思った。

 外を見ていなかったから知らなかったが今日は随分と天気もいいらしい。そう言えば桜の花も今が見頃だとニュースでやっていたような気もする。


 「俺たちももうすぐ春休みが終わるからな。今のうちにやれることやっとくぞ」

 「…………宿題はなかったと思うんだが」

 「あったとしても前日になって焦るのはお前だけだ」


 酷い言われようであるが事実なので言い返せない。


 「ソラくん、要くんも口は何時も通り悪いけど君のことをずっと心配していたんだ」

 「おいコラまこ。いつも通りってどういう意味だ」

 「それに3人寄れば文殊の知恵って言うだろう?浩平さんのことまた3人で一緒に探そう?」


 俺をベッドから引っ張って同じ目線に座らせてまこは安心させるように笑った。今まで気づかなかったがまこの目元が少しだけ赤く腫れているている。泣いたのだろうか。

 でも身内の手前弱音も吐くことは失礼だとでも思って俺の前では平気なフリをしているんだろう。こいつはそういう奴だ。

 そうだ、忘れていたがまこは俺の兄を小さな頃から慕っていたのだ。今のまこの感情が親愛なのかそれとも恋慕なのか俺には判断つかないがまこだって相当心配しているはずだ。

 要だって俺の兄貴には散々世話になってきた。まこの言うとおり口は悪いがこいつだって内心気が気じゃないのだろう。

 俺はそんな人望厚い兄貴を嫉妬するような誇らしいような複雑な気持ちになって笑顔とは呼べるかどうか判らないがそれでも今できる精一杯の強がりで笑って見せた。


 「……それじゃ、また協力してくれよ」

 

 俺の言葉に当然と言うように二人は力強く頷いた。

 やはり持つべきものは友だなと俺は強く思った。恥ずかしいから口に何て出さなかったが。


 ――――そしてこの会話が要とまことの最後の会話になった。


 それは急なことだった。

 俺の部屋で秘かに結成された浩平(あにき)捜索隊(まこネーミング)が各々の意見を述べ方針が決まったから明日から地道に始めようと俺たちは決めた。

 自分の身内が被害に遭ったのもあって若干心配性になっていた俺はまだ明るいうちに2人に帰るよう促したのだ。渋る2人を説き伏せて帰らせ見送ろうとしたのだが近いから必要ないと断られたので俺たちは俺の部屋で解散した。

 そしてこの選択を俺は今になって酷く後悔した。


 あの時俺が明るいうちに帰れなんて言わなければ。

 あの時俺が無理やり家まで送っていれば。

 いや、そもそも俺が部屋に閉じこもっていなければこんなことにはならなかったのかもしれない。


 受話器の向こうの声が震えている。いや痛いほどに押し付けた受話器を持つ俺の手が震えているからそう聞こえたのだろうか。

 まるでそんな俺を嘲笑うかのようにテレビの中の男が淡々と何かを読み上げた。


 

 「――――速報が入りましたので伝えます。現在この町一帯を騒がせている連続失踪事件にまたもや犠牲者が出ました。行方不明になったのは現在高校生の小薙刀まこさんと中学生の弓月要さんです。2人は友人の家を出た後行方が判らなくなったらしく現在…………」



 誰かの悲鳴が聞こえた気がした。



 ◆



 短い春休みはあっという間に終わりを迎えた。

 あんなに満開に咲いていたはずの桜は連日に振った雨のせいで道路にへばりついて泥まみれになって見る影もない。咲いている時は誰からも美しいと称えられていたのに今は邪魔なものでしかなかった。

 体育館の中で冷たいパイプ椅子に座りながら校長の長い話を聞き流す。

 俺は無事進級し晴れて中学3年生になることが出来た。でも俺は今更そんなことに喜ぶこともすることはないし受験にげんなりすることもない。

 周りはどうか知らないが少なくとも今は皆校長の長い話にうんざりしていることだろう。

 それに校長の話は祝いの言葉もそこそこに話しているのは例の〝神隠し〟についてだ。そのせいか体育館の空気もめでたい日のはずなのに何処か重苦しい。


 (……なんで皆いなくなちまったのかなぁ)


 要とまこは兄貴と同じように俺の前から姿を消した。正しくはこの町からなのだが似たようなものだろう。

 何の痕跡も足跡も残さず消えた2人は近所の人たちやマスコミに掛け落ちしたんじゃないかとか事件に便乗した家出じゃないのかと散々な言われようだった。そんなことを騒ぐ奴らを俺は片っ端から殴ってやりたかったが俺の家族はもちろん2人の家族もそれを許してくれなかった。

 謝って頭を下げる俺に要の家族もまこの家族も笑って首を振った。君が無事で良かったと言葉を掛けてもらった時はどうしようもなく恥ずかしくなって余計に頭を上げることが出来なくなった。


 警察は最初俺を疑っていた。

 俺1人がやったとは考えていなかったようだが俺がこの事件に噛んでいるんじゃないかと勘繰られたのだ。

 腹が立って仕方が無かったが冷静になればそれは当然のことだろう。

 今まで何の関連性も無かった被害者が今回初めて関連性を持ったのだ。3人とも俺と近しいものという関連を。しかも皮肉なことに要とまこが失踪して以降他の犠牲者が出ていないのだ。

 帰ってきていないのもこの3人だけなのだが。

 しかしも結局俺は犯人ではないのだから何か掴めるはずもなく警察は無駄足を踏むだけに終わったのだ。


 これのせいで俺は近所から云われの無い非難の目や好奇の目に晒されることになったがそんなことは俺にとってたいしたことではなかった。


 最後に何かを言って校長が漸く長い話を終え、式はつつがなく終わりを迎えた。

 HRもそこそこにその場で解散となった俺たちのクラスは帰りに何処か寄ろうかなどど陽気に話している。

 俺を気遣って声を掛けてくれたクラスメイトがいたが今のクラスは俺にとって非常に居心地が悪かったため適当な理由を付けて俺はさっさと踵を返した。


 帰路につくために廊下を歩く俺を知っている奴から知らない奴まで揃いも揃って好奇の目を送ってくる。

 ヒソヒソと囁き合うような声や面白そうにニヤニヤした奴に大袈裟にびくつく奴など様々だ。相手にするわけではないが気持の良いものではないのは確かだ。

 前に兄貴と見たニュースのカピバラもこんな気分だったのだろうか。

 早いとこ帰ろうと少し足を速めようとしたがそれが叶うことは無かった。

 

 「へぇ、驚いた。犯罪者なのに普通に学校に来れるんだなァ?」


 急に肩に手をまわされて俺は動きを止める。

 声がした方を向くと知らない奴がそこにいた。先生受けが良さそうな普通にしていれば優等生にもなれそうな男が俺の肩に手をまわしていた。そしてこの男を取り巻くようにした男が3人。

 顔を知らないから何年なのかは知らないが俺が後輩と言うことはあり得ないので敬語を使う必要はないだろう。

 何がそんなに面白いのは知らないがニタニタと下卑た笑みでその目は好奇と見下すような色をはっきりと称えていた。


 「……俺は帰りたいんだが」

 「ハァ?つれないじゃん犯罪者のくせに。なになに?カモフラージュのために良い子ぶってんのぉ?」


 肩に手をまわした……長いから取り敢えず少年Aとしよう。後の3人もB、C、Dということでいいだろう。名前知らないし聞く気もないし。

 少年Aがそう言うと残りのB、C、Dもつられるように笑った。ここまではっきりとした悪意をぶつけられたのは随分と久しぶりだ。俺の名前でこんな風にされたことはあったが何倍返しにもして報復したので噂が噂を呼んで誰も触れなくなったからだ。

 多少は慣れていることなので俺は別のことを考えてこいつらから気を逸らした。


 「なになにだんまり?教えてくれよぉ?どうやって今まで何人も浚ってきたわけぇ?ボクら知りたいんですけどぉ?」


 馴れ馴れしく俺の肩を抱く少年Aに俺は何の反応もせず黙ってその手を振り払う。

 それよりも周りも野次馬なんてしないで先生でも呼んでこいよ。そうすれば俺はさっさと家に帰れるのに。

 何の反応も示さない俺が気に食わなかったのかそいつらは更に俺に詰め寄ってくる。やめろ暑苦しい。


 「なにチョーシ乗ってるわけ?犯罪者がそんな堂々としてんじゃねーよ」

 「てか、逆に犯罪者だからそうなんじゃね?ボクチン強いから何もこわくありませーんみたいな?」

 「ぎゃははははっ!確かにそうかもな」

 

 訳のわからないことばかり言うこいつらに温厚な俺でもいささか腹が立ってきた。いやいや、耐えろ俺。こんな奴ら相手にするだけ無駄だ。


 「あ、もしかして……」


 少年Aが俺の耳元で囁いた。


 「実は浚ったのは小薙刀ちゃんだけで、お前らは今そいつとイイコトして遊んでるとかァ?」


 笑って言うそいつの顔を気付けば俺は鷲掴みしていた。ギリギリとかギチギチとか言う音が鳴って少年Aの顔面が悲鳴を上げている。

 突然の俺の行動に少年B、C、Dも野次馬も驚いて息を呑んだのが判った。


 「つまりアレか?お前らは俺と要と兄貴がイヤらしいことが目的でまこを浚って絶賛遊んでる最中だとそう言いたいのか?」

 「あっ……ガァ、が……っ」

 「へぇ、そうかそうかなるほどな。お前ら随分と頭が良いんだな。将来は探偵志望とか?ははっ、いいな有名人になれば依頼が殺到するもんな頑張れよ」


 必死に俺の手を外そうと少年Aが藻掻くが生憎その程度の力で離してやれるほど俺は柔ではないし寛大でもないのだ。

 一層力を込めてやれば少年Aの顔面と口から情けない悲鳴が漏れる。それにようやく正気になったB、C、Dたちが俺の腕に触れる前に俺は少年Aを正面にいたCに投げつける。

 Bの顔面に拳をめり込ませて怯んだDの鳩尾に蹴りを入れる。それだけで先程までの威勢は何処へやら。怯えた目をしたそいつらが俺を見上げていた。

 「お前ら何年?」

 「ひっ、あ、はい、2年ですっ」



 俺の質問に少年Aを抱えた少年Bがびびりながら答えた。

 俺はそいつににっこりと笑顔を向ける。俺としてはそれはそれはキレイに笑ったつもりだったのだが周りには酷い悪人面に見えたのだろう。少年Bの怯えは酷くなったし、野次馬の奴らも何人か引き攣った声を出した。

 まあ、今更どうでもいいんだが。


 「先輩には敬語使え」


 それだけ言って俺は今度こそ足を速めて帰路に付いた。

 後ろからばたばたと足音が聞こえたから先生たちが来たのかもしれない。もう遅いけど。


 人通りの少ない道路をのろのろと歩いていると、アスファルトにぽつぽつと黒い染みが出来て来た。

 空を仰げばいつも間にか雨雲が空を覆っていて太陽を隠していた。どうりで薄暗いはずだ。

 ぽつぽつとだった雨粒は段々と量を増していってそう時間も経たずに雨は土砂降りになって来る。こういう雨を篠突く雨と言うのだと笑って言うまこに興味なさそうに要が鼻を鳴らしていたのを俺は不意に思い出した。

 その瞬間俺はどうしてかもの凄く寂しくなって唇を噛んだ。そうしていないと泣きそうだった。 

 どうしてこうなったのか判らない。俺が何かしたんだろうか?それともあいつらが何かしたんだろうか?そんなわけない。俺はこんな性格だけど世間に顔向けできないような悪さをしたことなんてないし、兄貴はむしろ善人だし、要とまこだってそうだったはずだ。だったらどうしてこうなったんだ?

 何で他の奴らは帰って来たのに3人は帰って来ないんだ?他の奴らとあいつらが何が違うんだ?

 ああ、クソ、クソが。


 「何で俺だけここにいるんだよ……っ」


 激しい雨に打たれながら俺は佇んでいた。

 こうしていれば頭が冷えて冷静になっていつもの俺に戻れるかもしれないと思ったからだ。

 ぼんやりとした俺の視界が不意に歪んだ。さすがに雨に打たれ過ぎたのかもしれない。

 仕方無しに帰ろうとした俺が一歩踏み出すとまたしても視界がぐにゃりと歪む。これは本格的にやばいかもしれない。

 急いで帰ろうとしても身体はダルくて信じられないくらい一歩一歩進むしかないのに進むごとに視界がぐらぐらと揺れて、気持が悪い。

 何とか踏ん張って家を目指す俺は何かに躓いて、派手にこけた。

 冷えたアスファルトは俺の体温を容赦なく奪って言って寒くて仕方がない。俺は下手した凍死するんじゃないかというぐらいに寒くて寒くて仕様がない。

 急激に襲ってきた眠気は俺の判断を曖昧にさせていって、ついに耐えられなくなった俺は目を閉じた。


 そうだ、寝てしまえば全部が夢だったとか、そんなことがあるかもしれないのだから。



 ◆



 ふわふわとした気持だった。というか実際ふわふわと宙に浮いていた。

 真っ白な光の中は温かくて心地がいいものだった。日向ぼっこすることと似ている。

 俺は自分が目を開けているのか閉じているのかも判らないくらいあやふやな状態だったけど不思議と怖いとは思わなかった。夢だと頭の何処かで考えているからかもしれない。


 『君の名は?』


 不意に声が聞こえた。

 そこにいたのが誰か判らない。そこにいるそいつの全てが俺以上にあやふやで曖昧なものだったからだろう。

 答えない俺に男(女?)は再度同じことを言う。


 『君の名は?』

 

 ――――功刀宇宙。

 声は出なかった。けど男(女?)は聞こえたのだろう。質問を変えた。


 『君は覚えていないだろうね。でも僕は覚えてる。だから君に再度問うよ。君が君のままであるかどうか確かめるために』


 この男(女?)はどうやら俺のことを知っているらしい。

 確かに俺はこの声を知っているのかもしれないし知らないのかもしれない。


 『君は力が欲しい?』

 

 ――――いらない。

 考えるより先にするりと唇から言葉が零れた。


 『どうして?』


 力というのはまあ持っていて損は無いものだと俺は思っている。

 腕っ節が強い奴、頭が良い奴、富を持っている奴。それは種類は違えど皆そいつにとっての力だろう。

 そしてそれはそいつらにとっての誇りとか矜持ってものなのだろう。


 『なら、どうして?』


 ――――力を持っていいのは強い奴だけだよ。

 もちろん腕っ節がとかそういう意味じゃない。精神的に強い人のことだ。

 それを弱い奴が持てばそれはあっという間に悪用されて大変なことになるだろう。俺の想像が追いつかないくらいに。

 だから俺はいらないし、必要ない。


 『君は弱いの?』


 いや、一般的には強いだろうけどそれはやっぱり違う気がする。

 何と言うか弱いと認めるのは少し、いやかなり癪なのだ。

 それに正直力とかよく判らないけどそういうのは少年漫画の主人公体質の人に言ってくれ。いいよ俺は何か面倒臭そうだし。

 身の丈に合わない力なんて本人の破滅を呼ぶだけだし、俺は今の自分に満足してるからそう言うのは他を当たってくれ。


 『……泣いてる子がいたら?』


 急に話題を変えたなおい。

 まあいいかと思って俺はあまり考えずに言った。

 ――――普通に慰めるんじゃないの?


 『そう、判った。君は何も変わっていないようだね』


 その男(女?)は何故か安心したように俺は感じた。

 そこで俺はそういえばと考えて口に出す。

 ――――お前の名前は?


 『……僕の名前は――――』



 目が覚めた。

 何だか大事な夢を見ていた気がするが思い出せない。これはもう絶対思い出せないやつだ。

 背中に当たる柔らかい感触と肌触りで俺は自分がベッドの上にいることに気付いた。


 (クソ爺が俺を見つけて運んだのか?)


 しかしおかしい。俺のベッドはこんな天蓋付きじゃなかったし6人くらいは寝れるんじゃないかと言うぐらい広くもなかった。部屋も同じだ。こんな病院みたいに清潔感溢れる白なんかで構築されてなかったし広くもなかった。

 一瞬誘拐か?何て思ったがこんな優遇されてるのはおかしいし何よりこんな部屋だけでもおそらく豪邸だろうと判る奴がたかが道場の息子を浚うわけがない。

 ならどうして俺はここにいるんだ?ダメだ、益々判らない。

 こんな状況でなければうっとりした心地で二度寝しているところだがそういうわけにはいかないと俺はベッドから這い出て外に繋がる扉を探した。

 すぐに見つけた扉もやはり高級感あふれる装飾などが品良くあしらわれていて何だか触るのは気がひける。

 意を決して扉に手を掛ける前にそれは勝手に開いた。

 顔を上げるとそこにいたのは滑らかで手入れのしてある黒髪をポニーテールにしたぱっつん前髪の俺よりも年上であろう女の人だった。そしてその人は俺の知り合いにあまりにも似すぎていた。


 その人は俺を見て大きく目を見開いていたが俺だって負けないくらいに見開いているだろう。

 だってそこにいたのは俺の知ってるあいつより少し大人びた――――。


 ――――俺の大切な幼馴染の一人。小薙刀まこがそこにいたのだから。
















 ここまでお読みいただきありがとうございました。

 次回も読んでいただけたら幸いです(笑)

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