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異世界生活三年目  作者: 千幸
その後の話
9/10

甘い罠・前編

「まあ食え」


「はあ」


 フィーナは大量のお菓子が所狭しと並べられたテーブルを前に困惑していた。

 世の中の女子の多くがそうであるように、フィーナもまた甘いものが好きだ。生クリームたっぷりのケーキにフルーツがたくさん乗ったタルト、美味しそうに並べられた焼き菓子たちに心が躍らないはずがない。はずがないが、目の前の人物が、それをどうして自分に与えようとしているのかがどうしても解らない。


「どうした、好きなものを食っていいんだぞ」


 甘い誘惑に再びあいまいに言葉を返して目の前の人物ーーダグラス=ニルバ魔術部門総督を見上げる。体育会系魔術師の名に恥じないごっつごつの筋肉を鎧ではなく魔術師のローブに包んで笑うその姿は相変わらずシュールだが、今日はその笑みに、いつもより含みがあるように感じた。

 ううむ、とフィーナは迷う。何度も言うが甘いものは大好物だ。先ほどから目の前に鎮座しているリンゴのパイが私を食べてと主張してきているような気がしてならない。食べたい。しかし手を付けたら最後、とんでもなく面倒なことに巻き込まれてしまいそうな気がする。


 ダグラス=ニルバ総督閣下とは師の自宅での一件の謝罪をしたとき以来、それなりに仲良くさせてもらっている。見た目通りワイルドというか大胆というかおおらかというかテキトーというか、とにかく豪快な人柄で、緊張しながら謝りに行ったフィーナを「あっはっは、構わねえ構わねえ」の一言で許してくれた人物だ。けれどその後こそっと「で、野郎とはうまくまとまったのかい?」とかなんとか下世話なことを聞いてきて、謝罪に付き添ってくれていたノクトに射殺されそうな視線を向けられていた。この二人の力関係がフィーナにはいまだによく分からない。

 とにかく、それからというもの、ことあるごとにダグラスはフィーナを構ってくるようになった。嬢ちゃん! と朗らかに笑いながらぐしぐしと頭を撫でてくる無骨で大きな手は遠い故郷の父親を彷彿とさせるので、フィーナ自身もダグラスには懐いている。当初、その立場に遠慮して彼のことを「閣下」と呼んでいたフィーナだが、本人が名前で呼んでくれていいと笑って言ってくれたのでそれに甘えさせてもらっている。


「遠慮するな。嫌いか? 甘いもん」


「いえ……」


 大好きだ。そう言えばさらに食え食えと笑顔で押されてしまった。いささか複雑なものを感じながらもフィーナはパイの皿を手に取る。

 ちいさくカットされた断面にはリンゴがぎっしり詰まっている。それを見て、フィーナの喉がごくりと鳴った。言いしれぬ不安よりも目の前の欲求が勝った瞬間であった。


「い、いただきます……!」


 律儀に手を合わせてからフォークを突き刺す。その感触にフィーナの顔が期待にほころんだ。

 しゃく。しゃりしゃり。

 耳のそばで聞こえる音。口の中に広がる甘酸っぱさ。鼻を抜けるシナモンの香り。一口食べた瞬間、フィーナは思った。あ、これ、ものすごくわたし好み。


 フィーナは甘いものが大好きだ。それは日本にいたときから変わっていない。三食シュークリームでもいい。ケーキバイキングは一人でも行ける。チョコレートもカスタードクリームもあんこも黒蜜も大好きだ。

 こちらに来てから、甘いものを思い切り好きなだけ食べる機会はなかった。ここにはケーキバイキングなんて無いし、フィーナの保護者であるノクトは甘いものをあまり食べないので家でお菓子が出てくる機会もそうそうなかった。侍女になってからはお休みの日にシュイとスイーツを食べに行くことはあったが、小間使い侍女の薄給でそう頻繁に贅沢は出来ない。

 つまり、こんな機会はまたとないのだ。フィーナが無心に目の前に並べられたお菓子を食べ続けたとしても無理はない。


 イチゴのタルト、チョコレートシフォン、果物のジュレ、パンケーキにはミルクのアイスが乗っていた。きらきらとまばゆいそれらに、この上なくフィーナの心は躍った。



「ごちそうさまでした」


 食べ始めと同じく律儀にぱちんと両手を合わせたフィーナに、あきれたようにダグラスは言った。すげえな、と。


「だって、ダグラスさんが食べていいって言ったんじゃないですか」


「まあ、そうなんだが」


 まさか完食するとは思わなかったと口元をひきつらせて笑う大男にフィーナは心外だと口を尖らせる。だって、食べていいと言われたのだ。残すのも失礼だろう。ちょっと食べ過ぎたような気もするが。

 お腹をさすりながらフィーナはダグラスに向き直る。何か自分に言いたいことがあるのではないかと聞くと、彼はにやりと意味ありげに笑って言った。


「嬢ちゃんは話が早くて助かる」


□□□


 あの馬鹿のことだ、とダグラスは言った。その言い方にフィーナは眉を寄せる。先生のことをそんな風に言わないでくださいと抗議するが、ダグラスはどこ吹く風で話を続ける。


「あいつな、最近また妙に機嫌悪いだろ」


「そうですか?」


「そうだろ」


 力強く頷くダグラスにフィーナは首を傾げる。師の機嫌が悪いーー辞令が下って長官付き侍女に配属されてから早一週間、師とは前以上に共に過ごす時間が出来たとは思うが、そこまで不機嫌そうな様子だっただろうか。

 たとえば今朝、出仕したときの様子を思い出す。トト茶をいれたフィーナに対して、ノクトはいつも通り笑ってお礼を言ってくれた。午後からダグラスさんにお茶会に誘われているんですと告げたときも、特に気にした様子もなくそうなんですかと笑っていた。その直後、リカルドが何も言わずに逃げるように部屋を出ていったのは何となく不自然だったような気がするが、まあ別に関係はないだろう。


「いやもう、ひどいもんだろありゃ」


 曰く、師は不機嫌になると仕事をしなくなるらしいーー違う、語弊があった。普段、ノクトは自分の仕事以外に、たまりにたまったダグラスの仕事も手伝っているらしい。

 見るからに事務仕事が苦手そうな外見通り、書類を前にすると二分で寝れると豪語するダグラスにとって、ノクトが散々文句を言いながらも請け負ってくれる仕事の一部は既になくてはならないものになっていて、しかしノクトの機嫌が悪いとそれらを全くしてくれなくなるので大変なことになるらしい。


「聞いて驚け見て笑え。今じゃ俺の机の上にゃ未処理の書類が数週間分はたまってるぞ。昨日、さすがに何とかしてくださいと事務官が泣きついてきた。ははは」


「自分のせいじゃないですか……」


「いや、俺だって何とかしようとは思ってるさ。だからこうして嬢ちゃんに頭下げに来たんだ」


 はあ? とフィーナが眉を寄せる。それとこれと、どういう関係があるというのか。


「だからさ、嬢ちゃんにあいつの機嫌をとってやってほしいわけだ」


 フィーナは絶句した。なんだそれは。なんでそうなる。なんの脈絡もないではないか。


「だいたいあいつの不機嫌の原因だってどうせ嬢ちゃん絡みに決まってんだ。それじゃなくても男なんて単純なもんだから、惚れた女にちょっと優しくされりゃあコロッと機嫌も良くなるってもんだろ」


「…………」


 そんなわけねえだろ。本気で思ったがすんでのところで飲み込んだ。相手は腐っても総督閣下だ。

 フィーナは内心頭を抱えた。まずい。面倒なことに巻き込まれてしまいそうな気はしていたが、それ以上にろくでもなかった。つまり、ダグラスの怠慢の尻拭いをノクトにさせるために口利きをしろと。


「それ、ダグラスさんが真面目に仕事すれば解決する問題じゃないですか」


「馬鹿、それができたらとっくにやってるわ。人には適材適所ってもんがあるんだよ。なっ、嬢ちゃんこの通り!」


 ぐ、とフィーナは言葉に詰まった。正直言って、そんなくだらないたくらみには加担したくない。しかし、フィーナにはそう簡単に無碍には出来ない理由があった。この張りに張った胃袋がそれを証明している。上がりきった血糖値が、空になったお皿たちが逃れられない現実を伝えている。

 そこから、フィーナが諦念と共に首を縦に振るまでさほど時間は掛からなかった。



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