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異世界生活三年目  作者: 千幸
その後の話
6/10

約束の行方・前

 フィーナがこちらの世界に残ることを決めてから、怒涛のように日々が過ぎていった。

 禁術使用の罪に問われていたノクトは、罪を認めた上で今までの研究の成果をもって正式に時空間魔術の有用性を国に説いていくつもりらしい。懲罰は自宅での一ヶ月間の蟄居(ちっきょ)命令ーー。そんなものでいいのかとフィーナは目を丸くしたが、師は眉尻を下げて苦笑した。やはり、軽すぎるらしい。魔術部門の総督は知り合いなんです、とノクトはばつが悪そうに語った。

 魔術部門の総督とやらに援護射撃をしてもらえたおかげで時空間魔術の可能性を広げることが出来そうだ、そう続けたノクトは彼は昔の上司なのだと教えてくれた。また借りが出来てしまったとため息を吐く師が心なしか嬉しそうにも見えて、そんな顔をするのはあまり見たことがなかったのでフィーナはぱちぱちと瞬いた。同時に、いつかその総督という人物に会ってみたい、とも。会って、自分からもお礼を言わなくてはーー師が禁を犯してしまったのは自分のせいでもあるのだから。


 ニルバ総督閣下ーー。その名をフィーナは口の中で何度も呟いた。


□□□


「フィーナ、今日も研究室寄ってくの?」


 夕暮れ。隣を歩いていたシュイに掛けられた言葉にフィーナははい、と頷いた。

 辺りはすでに薄暗く、季節の移り変わりを如実に感じさせる。日が短くなったーー雪に閉ざされる季節の到来に、侍女のお仕着せも厚手のものに替わった。それでも頬をなでる風はひどく冷たくて、フィーナはぶるりと身を震わせた。今日は、特に寒いかもしれない。

 ふと、今は自宅で身を慎んでいる師の顔を思い出す。最後に会ったのは蟄居に入る少し前だから、かれこれ二週間余り顔を見ていない。話したいことも聞きたいことも山積しているというのに会うことすら出来ない事実にフィーナはため息を吐いた。


 何も語らずにノクトは行ってしまった。

 フィーナがこの世界に残ると決めたあの日、リカルドが血相を変えて研究室に飛び込んでくるまで泣きじゃくるフィーナを宥めるように抱きしめていたノクトは、後を追うように入ってきた騎士に連れて行かれてしまった。その後、フィーナが知らないところで様々な紆余曲折があった後に、蟄居命令が下ったと師が教えてくれるまでずいぶんと長い時間が掛かった。季節がすっかり変わるほどだ。

 自分だけがなにも知らないーーその事実がフィーナをひどく鬱々とした気分にさせた。自分は部外者ではないはずなのに。


 師は何も言わなかった。だからこそ、フィーナにはわからない。

 抱きしめてくれた。泣くなと頭をなでてくれた。しかし、そばにいろとは言われなかった。

 ーー自分は、ここにいて良いのだろうか。



 シュイと別れて魔術研究室を目指す。手にはちいさな包み紙。まだほんのりとあたたかいそれには、何か簡単につまめるものをとフィーナが作った軽食が入っていた。師は放っておくと仕事や研究に没頭して寝食を疎かにすることがあるから、フィーナはノクトが謹慎に入ってから一日も欠かさずこうして差し入れを持って行っていた。

 謹慎中なのだから仕事をしているとも考えにくいのだが、それでも何かせずにはいられない。たとえ会うことが叶わなくとも、一日の終わりに研究室に寄ってリカルドに差し入れを託すのがここ二週間の日課になっていた。当初は手ずから渡しに行こうと思っていたのだが、謹慎処分中の人間相手になにを考えているのかとリカルドに怒られてしまった。確かにそうだと引き下がったフィーナだったが、差し入れだけは無理を言って渡してもらっている。


「失礼します」


 最近の魔術研究室はひどく静かだ。

 もともとノクトとリカルドと、助手が二人しかいなかったその部屋は、禁術使用云々のどさくさで助手の一人が辞めてしまったため今は本当に閑散としていた。

 ノックと共に入室すると、リカルドが目線だけを投げて寄越した。また来たのか、とでも言いたげな視線に一瞬うっ、と詰まるも、負けずに足を踏み出す。呆れられようが何だろうが、フィーナとて引けない。


「お疲れさまです。リカルド。今日もよろしくお願いします」


「……置いといて」


 リカルドは今では文句も言わずに師に渡してくれる。

 曲がりなりにも「長官」の地位に就いているノクトの役目は実は軽くはなく、リカルドが毎日彼の自宅へ定期連絡に行っている。大体の事務処理なんかはリカルドで事足りるが、時に急ぎの案件が入ってくることもある。そういったものはどうしたってノクトの指示を仰がなければならないので定期連絡は必須なのだ。本当は謹慎処分中に外部から差し入れを受け取るなんて誉められたことではないのだろうけれど、リカルドはそれでも渡してくれる。それだけでなく、細々とした師の近況を教えてくれたりもするのだ。ある一日はほぼ読書に費やしたとか、以前に比べ少し痩せたようだとか、そういったことを。


「ありがとうございます、リカルド。これ、よろしくお願いします」


 今日の差し入れはおむすびだ。パンが主流の異世界にも一応お米はあるので、フィーナは時々自分用に作っていた。中身は塩漬けにしたリャモの卵……これはたらこに似ていてなかなか美味しい。師の口にも合うといいのだが。

 おむすびの入った包みとお茶の入った水筒を机上に置く。そして、それとは別にもう一つの包み紙をリカルドに渡した。


「……? なに」


「あ、こっちはリカルドの分です」


 リカルドが、なにを言っているんだこいつは、といった視線を向けてくる。


「ええと、毎日のねぎらいと感謝を込めて……?」


「何で疑問系なのさ」


 くそ、ツンデレめっ。素直にありがとうと受け取ればいいものを! という叫びを心の中に押し込めて笑みを作る。

 これは、フィーナなりの気遣いだ。無愛想に無関心を貫くリカルドが、実は情に厚いことをフィーナは知っている。三年前に突然現れた異分子を、彼もまた受け入れてくれた一人なのだ。……切れ味鋭い彼の毒舌に一年近くびくびくしていたのも事実だが。

 けれど、辛らつな言葉を吐き散らしながらもリカルドは誠実だ。彼の言うことは信頼できる。口は悪いが嘘は吐かない人間だから、フィーナはリカルドが時折教えてくれるノクトの近況をそのまま信じることが出来るのだ。


「まあ、いいや。貰っておく」


 意外とすんなり差し入れを受け取ったリカルドが包みに手を伸ばす。時間もすでに夕食時だ。彼も、お腹が空いていたのだろう。


「ところで、これ何?」


「ええと、お米を炊いて丸めて固めて、内部に魚卵を忍ばせた一品です」


「ーーは?」



 仕方ないだろう。「おむすび」なんて言葉は教えられなかったのだから。


□□□


 ほう、と息を吐くと白く濁った吐息がゆっくりと空気に溶けていった。今日も寒い。フィーナは冷えた両手を擦り合わせ、わずかな暖を求めて息を吹きかけた。

 ーーノクトの蟄居期間である一ヶ月が過ぎて、今日で五日目だ。


 五日前、緊張しながら研究室を訪れたフィーナだったが期待した師の姿はそこにはなく、いつも通りリカルドの目線だけの出迎えというしょっぱい対応を受け、盛大な肩すかしを食らったのは記憶に新しい。

 リカルドによると、別の案件が立て込んでいて忙しいのだとか。どうやらノクトは例の時空間魔術の実用化に向けて東奔西走しているらしい。


(いや、別に、会う約束をしてたとか、そういうわけじゃないんだけどさ)


 けれど、謹慎期間が過ぎれば無条件にノクトに会えると思っていたフィーナにとっては予想外の出来事だった。まるで、こんなにも相手のことばかり考えているのは自分だけなのだと、そう突きつけられたような気がした。

 ノクトは既にずっとずっと先を見ていて、その視界に自分の入る余地はないのではないか。あの日、意味を成さなくなった魔法陣の上で確かに感じたぬくもりも、実は自分に都合の良い夢でしかなかったのではないか。

 考えれば考えるほどに悪い方向にしか向かない思考にこぼれたため息の数は、既に星の数にも等しい。そんなことを思ってしまうくらいには、今のフィーナは滅入っていた。


 ーー先生に会わなければ。会って、話をしなければ。


(でも)


 師の三年間の努力を無駄にしたのは他でもないフィーナ自身なのだ。禁術に手を出してまで成そうとしてくれた故郷への帰還は、対象者(フィーナ)が拒んだために魔術の構成が歪められ、ノクトの努力は水泡に帰してしまった。

 その時の、呆然とした顔の師を思い出す。まるで世界が終わったような、三年間で一度も見たことがないような顔で膝を折ったノクトの無念は、実はフィーナが思うよりもずっとずっと大きかったのかもしれない。


(もしかして)


 不安は、常に傍らにあった。師は約束を守る人だ。二人の交わした「約束」の決着は、まだついていない。

 ーーノクトはまだ、フィーナを故郷へ帰すことを諦めていないのではないか。だからこそ、時空間魔術を合法的に研究し続けるための仕組み作りに尽力している。


 帰りたくないと言った。ノクトのそばにいたい、とも。しかし、彼は是とも否とも言ってくれなかった。それが、何よりの証ではないのか。ノクトは優しい人だ。あまり嘘を吐かない彼は、真実を語らずに黙して秘するということをよくする。あの時、抱きしめてくれた腕の中があまりに心地よくて、きちんと師の顔を確認することが出来なかった。

 ーーノクトはあの時、どんな顔をしていたのだろう。辛そうに、眉を寄せていたのではないのだろうか。


(ああ、もう。だめだ、だめ)


 放っておくとどん底を突き破って奈落の底まで落ちていってしまいそうな思考に終止符を打つようにフィーナはぶんぶんと(かぶり)を振った。ぱんぱんと両手で頬を張って、駄目だ駄目だと繰り返す。

 ーー会いに行こう。

 やはり、それしかない。フィーナの選択も覚悟も、既に決まっている。ノクトに答えをもらわなければ、フィーナはどこにも進めない。それを聞くのは正直、逃げ出したくなるほどに怖いけれど、このままの状態が続くよりは余程良い。そのはずだ。


「そうと決まれば、早く今日の仕事を終わらせないと」


「あ、いたっ。フィーナ!」


 むん、と決意の腕まくりをしたと同時に背中に投げられた声に反射的に驚きの声を上げてしまった。慌てて振り返ると、髪が乱れるのも構わず息を切らして走ってくるシュイの姿ーーフィーナは思わず瞬いた。


「どうしたんですか、シュイ」


「どうしたんですか、じゃないわよ!」


 ああもうこの子は!! という叫びに首を傾げる。舌打ちしそうな勢いで詰め寄るシュイは、フィーナの両肩をぐっと掴むと、上がった息もそのままに、告げた。一語一語ゆっくりと確かめるように、慎重に。


「フィーナ、あんた、辞めるって本当?」




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