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異世界生活三年目  作者: 千幸
本編・番外編
4/10

 自分が何故あの世界に飛ばされたのか、最後まで解らなかったと瀬田文那は語る。

 神様のいたずらか、多くの偶然が重なった結果か、はたまた運命なんて代物なのかーー何にせよ、彼女は言う。


 わたしは今、幸せだ、と。



□□□


 光が収束する。耳鳴りがするほどに唸りを上げていた魔力の流れはゆっくりと小さくなり、やがてきらきらとこぼれる粒となって霧散する。膨大な力の奔流は、穏やかな空気の流れに変わった。その中に、茫然自失といった様子の男が一人、立っていた。


「……どうして」


 男がぽつりと漏らす。ひどく掠れたその声は、最早声とも呼べぬ代物ではあったが、静寂の満ちた空間の中、目の前で立ち尽くす少女の耳に届いたようだった。

 少女が顔を上げる。その眼、いや、顔中が涙で濡れていた。


「術式は、完璧だったはずなんだ……構成だって……何度も何度も確認し、て」


 がくりと、男が膝を折る。その顔はひどく狼狽していた。


「そんな……僕は、そんな」


 己の魔術構成の失敗を悟って、男は顔を覆った。一世一代の大魔術だった。天才と呼ばれた魔術師、ノクト=イヴァニアにとって、一生に一度、最大の賭け。いや賭けなんて言い方は許されない。確実に、成功させなければならない魔術だった。


 それなのに。


 ノクトは力なくうなだれる。見上げれば、先ほど自らの故郷に帰るはずだった異世界の娘が寸分変わらぬ様子で立ち尽くしていた。 ーー彼女は、まだここにいる。


「せっ、せん、せんっ、せい」


 ひっくひっくとしゃくりあげながら少女が告げる。その様子に男の胸が痛んだ。胸の痛みなど、生まれてこの方感じたこともなかったはずなのに。


「すみません、フィーナ、すみません」


 失敗してしまった。絶対に、これだけは失敗してはいけなかったのに。失敗が何をもたらすか解らない時空間魔術だからこそ、自分が納得する結果が得られるまで行使できなかったのだ。そのせいで三年も経ってしまった。ようやく、ようやくその時が来たはずだったのに、何故まだこの少女はここに立っているのだろう。

 ……まさか、己のよこしまな感情が彼女の帰還を妨げてしまったのではないか。もしそうだったら本気で死にたい。


 とりあえず謝った。ただただ謝った。しかしそんなことは何の役にも立たない。反省だけなら猿にも出来るのだ。


「ちがっ、ち、違うんです、そっ、そうじゃないんです……!」


 涙や鼻水で顔中をぐちゃぐちゃにしながらフィーナが続ける。


「わた、わっわたし、よ、よかったって。帰れなくて、良かったって」


「は?」


「や、約束、やぶって、すみ、すみませっ」


 ひどい鼻声としゃくりあげるせいで半分以上何を言っているのか解らなかったが、ノクトは要点だけを瞬時に理解した。弾かれるように立ち上がってフィーナに駆け寄った。小さな肩がびくりと揺れる。


「良かった?」


「え、あ」


「帰れなくて、良かった。そう言いましたか?」


 泣きはらした瞳が怯えたように揺れて、やがておずおずと首が縦に降られる。その仕草の示すところはーー肯定。

 ノクトは思わず天を仰いだ。柄にもなく、神に祈った。


 ーーああ、この子は。


□□□


 時空間魔術で最も難しいのは対象を指定した時と場所に的確に呼び出すことだ。特に対象を異なる空間に送り還すことにおいては、座標合わせ以上に困難な部分はないと言える。座標合わせで最も重要なのは、対象自身の強い意志だ。術者の力量や複雑な魔術構成よりもまず、絶対に、死んでもそこに帰るという強い意志が座標合わせの最大の鍵となる。

 だからノクトは言ったのだ。祈れ、と。強い祈りが力になると。

 その祈りは、果たして通じたのだろうか。


 「こ、ここから離れたくないんです。先生の近くにいたいんです。わたし、約束、守れなくて、帰りたくないってそればっかり思って」


 ぐしぐしと、いまだ泣き声のフィーナがぽつぽつと続ける。天才といわれた魔術師は、既にこの事態を的確に理解していた。


(ああ、もう)


 なんて可愛いのだろうか。そう思ったときにはもう、手を伸ばしてしまっていた。

 小柄な身体がすっぽりと腕の中に収まる。先ほど同じことをしたときには別離に悲鳴を上げていた胸が、今は不謹慎なほどに浮かれていた。


 ーー彼女は、この世界を選んだのだ、と。

 ひどい男だ、とノクトは自嘲する。あれほどに彼女の幸せを願ってやまなかったというのに。その幸せは、彼女の故郷でしか実現できないと解っているはずなのに。


 一時の感情に身を任せても、いつか後悔するときが来るかもしれない。家族も友人もなにもかもがあちらにあるのだ。やはり帰りたいと涙を流す日が来るかもしれない。その時自分は、彼女を帰すという選択が出来るだろうか。


(いや、たぶん、出来るな)


 それは確信だった。一世一代の大魔術の影響で魔力はほぼ枯渇状態。おそらくこの先十年程は使用できないだろうが、もしも彼女が望むなら、ノクトはきっと何度でもフィーナを帰そうとするだろう。

 ノクトが望むのはフィーナの幸せだ。それは何より優先される。たとえ己が望まないことだとしても。


 ノクトの思考を読んだようにフィーナが背中に腕を回してきた。まるで離すな、と言っているような強さに、自然と笑みが漏れる。


 ずびずびと鼻をすする音が聞こえる。いまだベソをかいたままの少女をなんと言って宥めるか思案する男の顔は、ひどく幸せそうなものであった。





 ーーかつて禁術とされていた時空間魔術はノクト=イヴァニアとその弟子、リカルド=コールセンの研究によってその安全性と有用性が認められ、数十年後、ノクト=イヴァニアの娘であり著名な魔術研究者でもあるナナ=イヴァニアによって本格的な研究と実用が行われることとなった。


 時代は移り、時空間魔術は転移術と名前を変え、次代の人々の生活に多大な影響をもたらすこととなる。


 ーーしかし、時空間魔術の研究がノクトの初恋に端を発していたことを知る者はいない。同時に彼の人生は、ひどく幸せなものであったという。



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