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死に化粧屋  作者: 海来
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9話

 別の人間が自分の中で溶けて、自分もその人間の中で溶けて、混ざってくっついて、また離れた。彼女は水の中を落ちて行く陽月をただじっと見ている。陽月もまた彼女を見ている。いや、自分を見ている。彼女は陽月で、陽月は彼女だ。そう思った。





 陽月は目を開けた。水に沈んでいったのは分かったのに、まるで苦しくなくて、恐怖も感じない。そして、自分は誰とも分からない彼女と混ざり合った。これは現実だろうか、いいや、夢だ。だって、いつも通り、自分自身のベッドの上で目覚めたのだから。

「まただ。夢……」

 夢の原因であろう聖流を探すと、枕の横にハート柄のケースから半分でかけたままの紅筆が転がっている。

「夢の内容はあんたなのに、聞きたい事があってもいつだって隠れちゃうんだから」

 筆を手に取りケースにきちんと納め机の上に置く。時計を見るとそろそろ出勤のための用意をしなければならない時間だ。顔を洗いに部屋を出るときに振り返ってみたが、筆は筆のままで、聖流の姿は現れない。少しずつ見た聖流の幼い頃の様子は、とても悲しい。聖流と聖守が竜神の筆になった理由は分かったし、この寺の裏にある祠にやってきた日の事も夢に見た。それでも、まだ何も分かってはいないのだと陽月は思う。あれほど弟を案じていた優しい聖守が、どうして今は恐ろしい者へと変わってしまったのか。

 これからも自分は今回のように聖流の夢を見続けるのだろうか。そのうち全てが分かるのだろうか。

「陽月おはよう。早いわね。もうご飯食べるの、それなら直ぐに用意するけど」

 母が階段の下で空の洗濯かごを持って待っている。

「うん、もう食べよっかな。お腹すいた」






「いらっしゃいませ。お伺いしましょうか」

 化粧品コーナーで一人の女性客が高級シリーズの並んだ棚を食い入るように見つけている。陽月のメーカーの商品で、化粧水でも15000円するシリーズだ。女性の年齢は50代後半だろう、普段着にサンダル履きで、食料品の買い物の帰りだろうマイバッグは食料品がぎっしり詰まっている。普通の主婦。ショートの髪はゆるくパーマがかかっていて毛染めをしてから一カ月は経っているだろう根元から白髪がのぞいている。高級品を買うようには見えないが、人の財布の中身はわからない。こんな主婦が高級品をぽんと買って帰る事はよくあることだ。でも、威圧感のないようにゆっくりと客に近付く。

「お手にとってご覧いただいて結構ですよ。どうぞ」

 客は陽月のほうに振り返るとにやっと笑った。

「こんなおばさん、何したって一緒なのにって思ってるんでしょう。そうよね、もうお金をかけても若返ったりしない。無駄なのよね。綺麗にはなれないし」

「そうなんですか。お客様はとても素敵な笑顔をしていらっしゃいます。きっと、もっと綺麗になれると思います。お買い物で少しお疲れじゃないですか。こちらで休まれてから帰られませんか」

 陽月は椅子をすすめた。客はどっこいしょっと掛け声をかけて椅子に座った。買い物のマイバッグは横の椅子に置く。

「どっこいしょ、なんて言うようでは駄目よ。ありがとう。ちょっと足が疲れてたところ」

 客の座った椅子の前のカウンターに、さっき見ていた化粧品を並べた。

「どうぞ、ご覧になって下さい。こちらにパンフレットも置いておきますね」

「買わないわよ。あんたが休めって言うから座っただけなんだから」

「ええ、わかっています。ごゆっくりどうぞ」

 陽月は少し離れたところに置いてあるテスターを客に合わせてセットしていた。今日のところは、軽く化粧直しをして気を引こう。このタイプの客は慌ててはいけない。まずはよい関係を築かなければ高級品を購入したりはしない。セットしたテスターをカウンターの上に置いたその時、客の携帯電話鳴った。

「もしもし、うん買い物はすんだわよ。はい、はい、帰ればいいんでしょう。帰れば」

 客は苛立たしげに携帯を閉じた。

「あの死に損ないが」

 目に嫌悪、いや、憎悪をたぎらせているのがはっきりと見える。陽月は客には分からない様にそっと息を吐き吸い込んだ。気持ちを落ち着かせる。客のプライバシーには入ってもいい場所と、悪い場所がある。

「お急ぎですね。でも、ほんの少しお時間を頂ければ、メイクをさっとお直ししますよ」

 客は顔をあげ陽月の顔を見上げた。

「そうね。そんなに急ぐ必要なんてないのよ。ちょっとお化粧直ししてもらおうかな、気分転換、気分転換」

「はい、それでは失礼させて頂きますね」

 陽月は化粧品で服を汚さない様に、客の肩に前からケープをかけようとした。ふと見ると、客のカウンターに乗せている手がイライラと小刻みに動いている。相当腹を立てているようだ。家で待っているのは旦那だろうか、それとも姑。どちらにしても、この人は束縛されているらしい。

「もう。もういいわ。やっぱり帰るから」

 一瞬の出来事だった。

『陽月、離れろ』

 聖流の声が頭に響いた。客の手が陽月の手首を握ってケープごと肩から外した。そのまま放してくれるはずの客の手はきつく陽月の手首を握りしめている。その繋がった個所から冷たい何かが入り込んでくる。冷たくてどろどろとした嫌なもの。陽月の顔がひきつった。

「放して、は、なし、て」

何時の間に手にしていたのか、竜神の筆をケースごと握っていた。それを客の手に振りおろした。

「痛い。何するのよ」

「お客様。大丈夫ですか。速水さん何をしているの、離れて」

 化粧品コーナーのマネージャーが割って入ってきた。

「お客様、申し訳ございません。大丈夫ですか。お怪我はございませんか」

 客が自分の手の甲を見つめ、その後首を振った。

「何ともないわ……私、どうしたのか……この子の手を放せなくなって……何なの……でも」

 震えて立ち尽くす陽月は筆を痛む方の手に握っている。息が荒く顔は真っ青だ。握りしめられた手首はどす黒く変色していた。

「私。どうしよう、ごめんなさいね。こんなにしてしまって。私、ちょっとイライラしてしまって。本当にごめんなさい」

 客は慌てふためいて立ち上がり走って化粧品コーナーを出て行った。顔をしかめてその様子を見ていたマネージャーが陽月の手をそっと持ち上げた。

「何があったの。速水さんらしくないわね。でも、こんなになるまで握るって……まるで焦げているみたいに」 

 陽月はさっと手を引いた。

「すみません、ご迷惑をかけて。あの、でも、今日は早退させてもらっていいでしょうか。あの直ぐに治ると思うんですけど。あの、すみません」

 マネージャーは陽月のかばんを持ってきた他メーカーの美容部員を目を見交わし頷いた。

「大丈夫よ。今日は平日だしさほど客足も多くないでしょうから。さ、これを持って」

「ありがとうございます。本当に、あの、すみんません」

 陽月はかばんを受け取り急ぎ足でその場を離れた。一番近くのスタッフ用のスウィングドアを入ってバックエリアの中を歩いた。人目につかない場所まで来ると、その場にしゃがみこんでしまった。

「トカゲ、トカゲ助けて」

 ぴょんと小さな竜が陽月の手に乗った。

「何なの。あんた言ったわよね。離れろって。なんでよ、こうなる事わかってたんでしょう。これは何」

 焦げた手首をあげた。

『黙っていろ。直ぐに治してやる』

 小さな竜が陽月の手首に巻き付いた。

「治してやるって、あんた人の言ってる事聞いてるの。あのどろどろした冷たい物は何よ。冷たいのに焦げるって変でしょ。ああ、気分がわるい……くらくらしてる」

『ならば黙っていろ』

「いやよ。だって良くなってきたもの。え、あんたどうしたの」

 陽月の手首に巻き付いたまま、小さな竜は真っ黒に変色して行った。

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