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死に化粧屋  作者: 海来
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8話

「いた……」

 トカゲをひっぱたいた手がとてつもなく痛い。叩いた瞬間に痛みに目を閉じ空いているほうの手で痛む手のひらを握った。痛みは熱を持ち、今は燃えるように熱い。陽月は怖々目を開けて手のひらを見た。手のひらが赤く腫れている。

「なによこれ。何でこんな……」

 目の前にいたはずのトカゲ、いや、竜神に視線を合わせようとしたが、その竜神は姿を消している。消えたのは、竜神だけではなかった。陽月の部屋も何もかも消え失せ、辺りは濃い霧が漂っている。

「…………」

 人の声が聞こえた気がして、その先に目を凝らした。霧の向こうに、とても幼い子供が立っている。男の子なのか女の子なのか分からない長い髪を背中に垂らしたその子は、白い着物を身につけ小さな手で目をこすっている。泣いているのだろうか。

「どうしたの……」

 声をかけたが聞こえないのか、子供は俯いたまま両手で目を押さえるばかりだ。母親とはぐれた迷子だろうか。といっても、ここが何処なのか陽月にも皆目見当がつかない。

「また泣いているの。ほら、母さまのところに行こう」

 泣いている子よりも少し大きな子が現れ手をとって引いていこうとしたが、泣いている子は動こうとしない。

「母さまって兄さまの母さまでしょ。僕の母さまじゃない。僕は……僕の母さまに会いたいんだ」

 大粒の涙をこぼしながら訴える子に、年上の子はそっと頭を撫でてやる。

聖流せいる。どうすることもできないんだって、母さまが言ってたじゃないか。お前の母さまには会えないんだよ」

「どうして、どうして会えないの」

「それは……僕にもわからないけれど。そう決まっていると母さまが……」

「兄さまの母さまは嫌いだ。うそつきだ」

「聖流。そんなこと言ってはいけない。母さまは、女神さまなんだから」

 そう言った兄の手を、白い長い指が握って引いた。霧の中からその手の主が姿を見せた。漆黒の艶やかな髪は肩から流れるように足元まで伸びている。透けるよな白い顔にくっきりとした黒い眉の下には白い部分の全くない真っ黒な瞳があった。その黒い瞳の中に星が輝いて見える。表情のない顔の中で、その輝きだけが際立って見えた。

「母さま…め、めがみさま」

 年上の子は、女神に握られた己の手をじっと見つめ、頭を深く下げた。

聖守せいじゅそなたの手には負えないでしょう。その子は、どうしようもない厄介者。聞き分けのない呆れ果てた甘え児じゃ。あれの血のせいだろうが、大神も殺生なことをするものよ」

 女神は空いている方の手の甲で聖流せいるの頬を軽く打った。

「泣くなら、痛みで泣くがよい。どれほど泣こうが、あれには会えぬゆえ無駄な事よ。己の部屋にもどるがいい、聖流せいる

 聖守せいじゅ聖流せいるの手をもう一度握って歩き出した。

「さあ、行こう」

 今度は、聖流せいるもそれに従うかに見えたが、やはりその手を振り切り走り出した。

 陽月の目の前で霧が渦を巻き、一瞬で周りの様子を変えた。陽月の前に聖流が立ち、子供には決して動かす事も出来ないような大きな扉を軽々と開けた。

「母さま。ここにいるのでしょう、母さま」

 そこはかなり広い部屋のようではあるが、濃い霧が充満して辺りが全く見渡せない。と、その霧をかき分けるようにして、女が一人走り出てきた。着物がはだけ、髪は乱れているものの、透ける様な白い肌に桃色の頬をした美しい娘だった。

「せいる、聖流なのね」

「母、さ、ま……」

 母親だったのだ。まだ少女の様な女は清流の母。母が息子を抱きしめた瞬間、母の腕の中で息子は消えた。その手の中に残ったのは、小さな小さなトカゲ。トカゲは、するりと母の手をすり抜けて宙に浮いた。

 宙に手を伸ばしたままの母の叫び声は、深い霧に吸いこまれたように消えた。

「だから会えぬと言うたものを。人は、幼い神には触れてはならん。お前の息子は元には戻らぬ。たかが人間がここに長居するからこうなるのじゃ。大神も大神よな」

 母の前で、女神がほくそ笑んでいた。

「母さま、いえ、女神さま……聖流はどうしたのです。なんと酷い仕打ちをなさるのですか。それでも、私の母ですか。聖流は、聖流は私の弟ですよ」

 己の息子を見つめる女神の瞳が冷たく光った。

「それほどに弟が大事か。母を、この女神を罵ってまで。では、守るがよかろう。聖守せいじゅ、そなたの力で弟を守るがいい」

 女神の手の一振りで、聖守は小さなトカゲに変えられた。

「いつか戻れるとよいな聖守よ。いつまでも待っておろうぞ」

 女神は去っていった。残された聖流の母親の腰に、太い腕が回され霧の奥に引き込まれていった。

 銀色のトカゲに、白いトカゲが寄り添い、身体を巻き付けた。

『竜神の祠へいくがよい。我が息子たちよ』

 ごうごうと響く声が陽月の耳には痛く、目をぎゅっと瞑り耳を手で覆った。






 聖流は不思議なものである様に、陽月の顔をじっと見つめ続けた。さっき聖流の頬を打った陽月は、そのまま倒れて気を失った。直ぐに陽月を抱え上げようとしたが、触れようとすると陽月の身体がびくっとそれをかわしてしまう。そっと手を近付けると、自分と陽月が近付くと炎のごとく熱が発する事が分かった。仕方なく、念じて陽月の体を彼女のベッドに横たわらせた。

 時折、陽月は眉根を寄せ、ひどく考え込むような表情を浮かべるが、意識が戻る事は無かった。それにしても、と聖流は思った。これほどの長い年月が過ぎて、どうしてこの女が現れたのか。唯一聖流をこの人の形に戻す力を持っている、生意気で気の強い男勝りの女。

 好む女ではない。ただ、かの人に似ているのは確かだ。遠い遠い昔の陽月の先祖にあたる巫女。聖流と聖守がただ一人愛した人。その巫女でさえ、聖流と聖守を元の姿に現すことは叶わなった。




「またなの……」

 陽月の周りに濃い霧が立ち込め渦を巻いている。諦めにも似た感情を抱えながら、陽月は次の展開を待った。それは唐突に起こった。陽月の掌に、トカゲが二匹横たわっている。気を失っているようだ。

 どうしたものかと聖流と聖守から目を離し辺りを窺うと、そこには祠がある。二匹を祠の中に寝かせた。

「さっき行けって言ってたの、この祠の事だったのかな。これって……うちの寺の裏にある祠じゃない」

 陽月は幼い頃によく遊んでいた祠を良く覚えている。静寂だけが存在する様な場所、ひっそりとそこに祠があり、毎朝の掃除をする祖母ぐらいしか訪れる者はいない。そこで遊ぶ陽月を見つけると、祖母は優しくしかり、でもきつく陽月の手を握りしめて家へと連れ帰ったものだった。

 ここは竜神を祀る祠だったのだ。祖母は、陽月を遠ざけておきたかったのだろう。陽月を守る為に。

 しばらく祠に置いた二匹をみつめていると、誰かが歩いてくる草や小枝を踏むような音がした。音のする方に目をやると、白い着物を着た若い女が歩いてくる。

 女は陽月には気づく様子もなく、祠の前に立つ陽月と同じ場所に立った。その時二人は重なっていた。ぴたりとまるで一人の人間の様に。陽月の中からさざ波の様な震えが走る。

『落ちて行く……』

そう感じた瞬間、陽月は背中から水の中に落ちて行った。






 

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