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死に化粧屋  作者: 海来
43/44

43話

 陽月は白竜が飛んでいく後ろを黙ってついて歩いていた。辺りは薄暗く、空気は湿った感じがする。まるで雨が降った後の日暮れ間近といったところだろうか。

『聖守……当てがあって進んでるのよね……そうよね、聖流じゃあるまいし、あなたはいい加減に行き先を決めたりしない』

 突然振り返った白竜の聖守は、陽月をじっと睨みつけた。ゆっくりと首を振る。しゃべるなと言うことなのだろうと、陽月は慌てて頷いた。でも、聞きたい事は山ほどもある。

 実月の夢の中だとは思うが、なぜこれほどにジメジメしていて憂鬱な気分にさせる世界観なのか。なぜ実月の姿も夢魔の姿も見当たらないのか。今まで自分が見てきた夢とは、全く違う感覚に不安を覚えていた。白竜の後ろをついて行きながら、陽月は辺りをじっくりと観察していた。ふと前方に赤い影がちらついた。

 真っ赤なワンピースを着た女の子が何かを振りおろそうとしている。その少女が手にしているのは鋭い先の葉がびっしりと生えた木の枝の様だ。少女の足元にはぐったりと横たわる薄汚れた猫がいる。少女は枝を振りおろして猫を打ちすえた。弱っている猫の体は痛みにぴくっと跳ねた。

『だめ、実月。かわいそうよ、ね、逃がしてあげて。お願い』

 猫を打ち据える少女の後ろに、同じ年くらいのもう一人の少女がいた。彼女は対照的に白いワンピースを着ている。

『なによ。いい子ぶるんだから葉月は。この猫はね、うちの家の生ごみのバケツをひっくり返したの。悪い奴なの。殺しちゃえばいいのよ』

 実月と葉月の双子の少女。これは実月の記憶だろうか。それともただの夢だろうか。

『悪い事をしたら殺していいの。そんなの違うよ。実月、許してあげて』

 実月が葉月をじっと見つめてからニヤッと笑った。

『じゃあ、あんたが猫の代わりになるのね』

 そう言うが早いか、実月は枝で葉月を打ち据えた。葉月の頬に血の筋が走り、つーっと流れ出てきた。

『い、いたい……』

 みるみるうちに葉月の瞳から大粒の涙があふれ出した。実月は自分のポケットからハンカチを取り出すと、直ぐに葉月の頬にあてがった。

『ばか、避ければいいじゃない』

『ごめんね、実月……ごめんね。許して。ごめんね』

 実月はフンッと鼻を鳴らした。それでも何故かその瞳から涙が零れ落ちた。

 二人をじっと見ていた陽月の横をすっと何かが走り抜けた。寺の入り口直ぐ下にある階段に一歩踏み出したのは長い黒髪にくっきりと化粧をした若い女だった。ふと足を止めて女は振り返ってじっと走って来た境内を見つめる。

『欲しいものは手に入れる。これは私のものよ。もう一本も必ず渡して貰うから』

 そう言った女の手には、竜神の声の筆がしっかりと握られている。あれは実月だ。実月は急いで階段を駆け下りて行った。境内の奥から走ってくるもう一つの足音がした。同じように長い黒髪を後ろで一つに束ねた若い女だ。こちらは祖母の葉月だろうと見当がつく。

 実月と葉月はあまり似ていないと言った聖流の言葉は本当だった。顔かたちも、雰囲気もまるで違う。葉月が、いま実月が下りて行った階段を見おろしている。

『実月……戻ってきて。それを持っていてはいけない。それを持つには、強い心が必要よ……実月……あなたが心配よ。戻って……』

 すでに姿の見えなくなってしまった実月に聞こえているかのように葉月は囁いていた。

『お願いよ、戻ってきて。私にはあなたが必要なのに……あなたがいないと淋しすぎる、辛すぎる……みつき……』

 葉月は泣いていた。幼い頃から、言葉でも身体的にも傷つけられてきたのだろうに、葉月は実月を必要としていたのだ。愛していたのだろうとはっきり分かる。葉月は本能的に知っていたのかもしれない。自分の姉妹が自分自身の一部で作られた事を感知していたのかもしれない。実月の心の奥底にあった優しさや愛に気付いていたのだ。

『陽月、追うぞ』

 白竜が羽ばたいた。陽月は後を追う。だんだんと霧が濃くなってきて、甘い匂いが立ち込めてくる。夢魔が近いのだろう。辺りを十分に注意しながら、陽月は実月の夢の中を進み続ける。頼みは聖守である白竜のみだ。

 藤色のスカートが風になびいている。此処は何処だろう。川の流れる音が聞こえる。

『美しくなりたいのね。そう、じゃあ私が美しさをあげるわ。もう分かっているでしょう。私にはその力があるの。だから、ほら』

 実月が手を差し出した先には、ソバカスだらけの顔に濃い化粧を施し派手な服装をした女が立っていた。身につけている物は全て高級なブランド品だ。陽月でもそのブランドの名は知っている。女がそのブランドのバッグから分厚い封筒を出した。にやっと笑った実月がそれをひったくる。

『太った体は美しく変えた。今度はこのお金で顔を美しくしたいのね。いいわ、顔をこっちに出して』

 右手で女の顎を掴み、左手には竜神の声の筆を握っている。実月は何をしようと言うのだろう。実月が何かをぶつぶつと呟くと、ソバカスだらけの皮膚が抜ける様な真っ白な肌に変化した。それを確認すると、実月はすっと後ずさる。

『もっと美しくなりたいなら、報酬をいただくわよお嬢さん』

 実月は高笑いと共にくるくると回転し始めた。回転しながら、中心の実月は見事に煌びやかにセレブへと変身していくようだ。ああして手にした金は、どれほどだったのか。確かにこれから生きて行くには困らないだけの蓄えを持っていると、実月自身が言っていた。会社も経営していたのだ。だが、回転している実月の容姿はどんどん衰えて行っている。

 ゆっくりと止まったときには既に若さは無くなっていた。実月の前にはベッドに横たわった若い女が目を閉じて横たわっている。竜神の声の筆をその若い女の顔に体に滑らせていく。

『もういらないわよね。私が貰ってあげる。死にたいのでしょう。苦しまずに死なせてあげるわ』

 閉じていた若い女の瞳が見開き、恐怖で声にならない声を発したが、ベッドに縛められている体は動かす事が出来ない。

『命がいらないと言ったのはあなたよ。死にたいのでしょう。怖がらなくていいのよ』

 その言葉を聞きながら、陽月は背筋を冷たいものが伝い降りた気がした。実月の手元で、若い女が老婆に変わり干からびて行く。直ぐに呼吸すらしなくなった。それを見て微笑んだ実月は、陽月が初めて会った時の若く美しい実月だった。

 陽月は吐き気がした。なんと言うものを見たのか。実月が他人から生気を奪っていたのは理解していた筈だった。でも、これほど酷い事をしてきたとは本当の所思っていなかったのだ。これは、決して許される事ではない。本人が望んだとしても、奪っていい命などないのだ。

『許されない……』

 陽月の声が聞こえたかのように、実月が白竜と陽月を見た気がした。いや、実月は何も見ていない。ただ呆然と真っ直ぐに前を向いてはいるが、決して何も見えていない。その動かない表情のない瞳から、涙がこぼれた。うずくまった実月の周りに、幾人もの影が現れては消える。

『ゆ、るし、て』

 かぼそい実月の声が聞こえる。すすり泣く声がする。

『どうしてこんな事が出来たの……悪いなんて思わなかった……どうして、どうして……聖守……この罪を背負って、それでも生きなければならないの……私は悪魔だわ……どうしようもない……人間じゃない』

 その顔は、歳をとった今現在の実月の顔だった。そう、死んではいけないと聖守なら言った筈だ。実月の罪の深さを知っている聖守ならば、死ぬ事は許さないだろう。生きる事そのものが苦しみだとしても、実月は生きて償わねばならないのだ。

 その時、白竜がすっと実月に近付いていった。

『陽月、夢魔はかくれている。ヤツは実月がどんな存在なのか知らないだろう。そして、それは知られてはいけない。実月の見ている夢を夢魔に喰わせてはならない。実月が女神の欠片で造られ、魔王の血を受け継ぐ者になれるなど、魔界の者に知られてはいけない。意識を集中して実月の意識とつながるのだ。その間に、私が夢魔を捕える』

『意識を集中して実月と繋がった後、私は何が出来るの』

『お前がのぞむままに。陽月、実月の心を救うのだ。葉月の心を持った実月を救い、罪を償う生き方を共に探ってやって欲しい』

『私にそんな事が出来るのかな』

『お前にしかできんだろう』

 白竜は羽ばたいて霧の中に消えた。

 陽月の目の前には、悲嘆にくれる実月だけが残された。




 

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