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死に化粧屋  作者: 海来
40/44

40話

 家に帰ったものの、最近の過酷な日々で風呂から上がると酷い眠気に襲われ、陽月は父母との会話もそこそこにベッドに倒れこんだ。陽月の枕元には、静かに座る聖流の姿があった。

「聖流……あーあ、ダメじゃない……聖守……戻ってき……」

 先ほどからむにゃむにゃと続く陽月の寝言で、竜神の筆に戻っていた聖流は人型になっていた。寝言を繰り返す陽月を、ただじっと見つめ続けている。

『何の夢を見ているのやら。夢に見るほどに、聖守に戻ってほしいか……』

 兄である聖守と何十年ぶりに共に過ごし安堵した。兄の存在は、自分自身にとっても心強く欠くことのできないものだと思う。だが、陽月が聖守を求める思いは何だろう。自分が兄を思う様に同じ気持ちを持っているのか、それとも……一人の男としての聖守を求めているのだろうか。陽月は自分の真実の巫女だと信じた筈なのに、間違っていたのだろうか、陽月は聖守の巫女なのだろうかと、不安が嫉妬心を煽ってくる。

「聖守、せいじゅ……どこにいくの……」

『陽月……』

 聖流はそっと、その額に口づけた。その行為だけで、自身の中の熱が何度か上がった気がして、慌ててベットから飛び降りた。




 濃い霧の中にいた。聖守の後姿を追いかけて、陽月は霧の中で迷っていた。さっきまで横にいたはずの聖流までいつの間にかいなくなってしまった。不安がじょじょに膨れ上がっていく。

 それというのも、さっきまで一緒だった聖流はなぜかとても機嫌が悪く、素っ気なかったのだ。話しかけても返事もしてくれず、目を逸らしてしまう。自分はこの霧の中で迷子になって、二度と二人に会えないのだろうか。いや、これは夢だと陽月は思った。聖流と関わるようになってから見てきた夢とは違う気がするけれど、これは絶対に夢だと、そう確信していた。この濃い霧が証拠だ。

 竜神の兄弟に関係する夢には、必ず濃い霧が出てくるのだ。

『夢ね。そう、だから聖守が何処かに行ってしまうし、聖流は私から離れるんだわ。そうに決まってる。そうそう、疲れてるのよ』

 霧の中で一人つぶやいた。その声は反響して自分の耳に戻ってくる。

『そう、夢は時として真実を語る物語。お前の心の迷いが、この夢を見させる。お前の心の動揺が、真実を伝える。自分が本当は誰の巫女なのか。心の奥底で求めるのは、どの竜神なのか』

 陽月のすぐ後ろで声がした。

『間違ってはならない。心が求める真実から目を背けてはいけない。私と同じ過ちを犯してはいけない。求めるものを選べなければ、お前もまた真実の巫女にはなり得ない』

 霧が分かれて女の姿が見えた。

『月花……あなた月花ね。何を言っているの。心が求める真実って何』

 まぶたを重たげに下げたままの女、聖流と聖守が初めて出会った竜神の巫女月花。

『聖流か聖守。選ばねばならない。間違えてはならない。真実の巫女が添い遂げられるのは唯一の竜神のみ。聖流か聖守。私は選べなかった。私は間違った。真実の巫女になれず、私はただ、今も漂っている』

 そう言って、月花の姿が消えた。月花が消えた場所に立っているのは聖守だった。

『陽月。聖流がお前の真実の竜神だろうか。私はお前を導き、お前を愛し、求めている。そして、お前も。お前にとっての真実の竜神は私だ。そうは思わぬか。お前は私の真実の巫女なのだよ』

 聖守の手が上がった。陽月を誘う様に指が曲がる。

『おいで、陽月。私と共に行こう』

『せいじゅ……』

 これは夢だわ。本物の聖守なら、こんな事は決して言わない。月花を愛していたのかもしれない、聖守も、もしかしたら聖流も。でも、二人は互いの為にその思いを封印したのだ。それに、月花は夫である弓一郎を愛していたではないか。二人ともそれは分かっていた。だから、本物の聖守なら、こんな事は言わない。

 ならば、なぜ私の夢ではこんな風に言うの。これは私の思っている事なの。私は聖流の巫女なのに、聖流を愛している筈なのに。じゃあ、聖守への気持ちは何だろう。今日、実月と共に去っていく聖守を見て、淋しくて仕方なかった。早く戻ってきてほしいと思っている。聖流がいるのに、聖流だけでは……足りないの……私は、私の心は何を、誰を求めているの。

『聖守……これは夢……私は、聖流の巫女よ』

 その言葉に、聖守の瞳が陰って、その閉じた瞼に涙がにじんだ。

『陽月……私と行こう。お前を愛しているのは私だ』

 開いた瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。その瞬間、聖守の体が霧にかくれ始めた。

『聖守、行ってはダメ。ずっと一緒だって言ったじゃない。泣かないで、聖守。聖守』

 陽月は霧に向かって手のばした。




 目覚めた陽月は、高く上がった自分の手を見つめていた。薄暗い部屋の中で自分の手だけがぼんやりと浮かび上がって見える。その時、鼻をくすぐる匂いに気付いた。何の花だろう、花の名前は思い浮かばないし、嗅いだことのない匂いだが、花だと思った。でも、自分の部屋に花などあるはずもなく、首をかしげながら起き上がった。枕元に竜神の筆が置いてある。そっと持ち上げ見つめた。寝るときには筆入れに入れてあったはずなのに、どうしてここにあるのか陽月には分からなかった。

「聖流」

 名を呼ぶと、すぐに聖流が姿を現した。が、いつもと雰囲気が違う気がする。カーテンの開いたままの窓の外をじっと凝視して、陽月の方には目を向けない。

「聖流、どうしたの。いきなりこんな時間に呼び出したから怒ってるの」

 部屋の時計は真夜中の2時を指していた。

『いや、俺は眠るわけじゃない。いつでも時間は関係ない』

 ぶっきらぼうに答えた聖流の鼻がピクッと動いた。陽月も感じた匂いを嗅いだのだろう。

『これは何の匂いだ……』

「わからないの。花の匂いだと思うけど、こんな匂い嗅いだ事ないわ。聖流は知らないの。あ、そうだ聖守なら分かるかもね。何でもよく知ってるもん」

 振り向いた聖流の表情が硬くなっていた。

『そんなに聖守が恋しいなら、俺が実月の元へ行ってもいい』

 声は表情以上に固く冷たかった。そう言ったあと、聖流の姿が消えた。陽月はただじっと聖流のいた場所を見つめているだけだった。





 狭い部屋だ。家具らしい家具といえば、今、実月が腰かけている白いソファーだけだろう。以前に実月が住んでいた家に行ったことはないが、此処ではないとすぐにわかる。実月は変わったのだ。これまでの自分の行いを正し、新たに生きようと決めている。だからこそ、今、目の前で目を閉じ意識を集中させ女神の力を制御する為に訓練しているのだろう。その実月の掌の上で、小さな竜が振り向いた。

『そんな姿でここで何をしている。陽月はどうしたのだ』

 テーブルの上にいる小さな竜の姿の聖流が鼻から煙を吐いた。

『あいつは自分の部屋にいるだろう。聖守、お前に頼みがある。俺と交替してくれ。実月の面倒は俺が見る。お前は陽月と一緒にいてやれ』

 実月が目を開いた。聖守は実月の手からソファーの肘掛けに飛び移ってテーブルの上の小さな竜である弟を見上げている。

「それはどうして。陽月にはあなたが必要でしょう。そして、今の私には女神のことをよく分かっている聖守が必要なのよ。それを交替だなんて」

『実月、お前には関係ない。俺は聖守と話しにきたんだ』

 声は鋭く、眇めた瞳には怒りが見える。

 聖守はただじっと見つめてくるだけで、答えようとはしていない。誰も何も言わない時間がしばらく過ぎて、聖守が口から火を吐いた。

『なにをそんなに怒っているのだ聖流。お前の気は乱れきっているではないか。平常心で考えれば、今のこの時に陽月を独り放って来たりはしなかっただろうに。なにがあったのだ、弟よ』

 銀色に輝く小さな竜は首を振った。

『陽月が呼べばすぐにでも戻れる。心配はないんだ……でも、今あいつが求めているのは聖守、おまえなんだ』

 白い竜が今度は首を振った。

『何をばかなことを言っているのだ。陽月はお前の真実の巫女ではないか。陽月が心底求めるのはお前でしかありえない。お前がともにいないでどうするのだ』

『お前の真実の巫女かもしれないだろうが。あいつの求めているのがお前だったら、俺は……』

 そう言った聖流の目の前に、牙をむいた白い竜が浮かんでいる。

『ならば、私に陽月を、お前の巫女を差し出すのか。そして私は、それを有難くいただくのか』

 聖流の瞳がかっと見開いた。一瞬のうちに、銀色の龍が白い竜に巻き付いて締め上げ始め、白い竜は銀の龍の肩に牙を食い込ませる。同時に高い咆哮が上がった。


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