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死に化粧屋  作者: 海来
39/44

39話

 駅から歩いて自宅の寺の階段の下まで戻ってきていた。階段の一段目に足をかけた瞬間、黒い影が近づいてきた。長いポンチョを着てフードをすっぽりとかぶった姿は真冬のようで、季節的に見ているだけでも暑苦しい。

『陽月……実月だ。気をつけろ』

 聖流が叫んだ時、すっと上がった袖の先に、指先が見えた。それがぼんやりと光っている。

「助けて、お願いよ。なんとかして」

 強張った細い声が聞こえた。以前の実月の声よりも弱弱しくかすれている。

「どうしたの。私に会いに来てくれたんじゃないの。その指、何」

 実月は深くかぶったフードを払って顔を見せた。顔も指先と同じようにぼんやりと光っている。だが、それだけでなく、陽月が知っている以前の若く美しい顔ではなく、本来の年齢に相応しい容姿になっている。ただ、ぼんやりと光っている60代の初老の女性は他にはいないだろう。

「数日前からこうなのよ。ほら、見て」

 そういった実月の掌から、氷の塊が角のように生えてきた。

「気持ちが高ぶったり、不安になったりすると、こんなものが出てくる。削っても削っても生えてくるのよ。どうしていいか分からないの。お願いよ、助けて」

 実月の瞳から零れたものは氷だろうか、街灯にキラキラと輝きながら落ちて行った。

『聖流、聖守』

 竜神の兄弟の名を呼ぶと、陽月の横に二人が姿を現した。実月は、はっきりと兄弟が見えているのか目を見開いた。

「やっぱり見えているのね。普通の人間には二人の姿は見えないわ。あなた、何に変化したの」

 聖守が実月の指先にそっと触れる。

『彼女は欲望の女神アジャの欠片でできている。アジャが亡くなった今、こうして存在していることすら不思議なのだ。私は実際、申しわけないがもう死んでいるものと思っていた。だが、間違いなく実体があり、女神自身の力もある程度持っている様だ。アジャが亡くなった後、存在し続けられるとしたら……そうか……」

 そう言うと、聖守は実月の手をしっかりと握りしめ目を閉じた。まるで何かを探っている様に眉間にしわが寄る。

「アジャは自身の欠片だけでなく、葉月からも欠片を奪って実月を作り出したのだな。葉月の気と同じものを感じる事ができる』

 聖守は唇をかんだ。

『一緒にいた時には葉月の存在を感じることはなかったのだ。女神はずっと実月を抑制し操りながら葉月の存在そのものを隠してきたのだろう』

 聖守は実月の手を握ったまま考え込んでしまった。

「もう恐ろしい力はいらないのよ。これから先、死ぬまでのお金の蓄えならあるわ。もう、そっと生きていきたい。こんな気持ちの悪い体はいやよ。普通でいいの……そっと生きていいられれば、それだけでいい」

 実月はうつむいてしまった。表情は悲嘆に暮れ、後悔と戸惑いが見え隠れする。

「ねえ、前の感じと随分違うわ。アジャが亡くなって、その影響が無くなったからお祖母ちゃんが表に現れてきたのかしら。なんとなく、お祖母ちゃんに似てる。そうよね双子だもんね、当たり前か」

『いや、当たり前じゃない。葉月と実月はまるで似ていなかった。性格だけでなく、見た目も似ていなかった。でも、今は違う。やはり葉月の部分が出てきたんだろうな。本来、葉月の一部を体の元にしたんなら、葉月に似ていて当然だったろうからな』

 そう言いながら聖流も実月の手を握ったままの聖守の手に自分の手を重ねた。竜神の兄弟の目がしっかりと見つめ合った。

『聖流。陽月はお前に任せる。私はしばらくの間、実月と行動を共にしようと思うのだ。実月が己の力を制御できるようになる為には、誰かの導きが必要だろうから』

 実月と陽月が揃って聖守を見上げた。二人とも驚いている。

『聖守、分かっている。自分の母親の所業は自分が正さねばならないのだろうな。お前の事だから、責任も感じるんだろう』

『それだけではないが、確かに実月には申し訳なく思う気持ちも無くはないのだ。だが、それ以上に、実月の中で育ちつつある葉月と同じ心根を感じる。いつか必ず、実月は私達を助けてくれるだろう。祖母の代わりに、陽月を見守ってくれる存在になるのかもしれない』

 実月がさっと自分の手を二人の手から引き抜いた。

「そんな事にはならないわ。私は許されない事をしたのだから。葉月を苦しめたのは私……そんな私が、葉月の大切な孫を守れる筈がない。もういいわ。冗談じゃない……私はこの子のお祖母ちゃんじゃないのよ……葉月とは違う……葉月には……」

 震える手と手を握りしめ、実月が後ずさり始めた。その時、陽月がぱっと実月の体を抱きしめた。

「いいえ、私にはお祖母ちゃんが必要なの。今のあなたなら、きっとお祖母ちゃんが私に与えてくれたものをくれる気がする。ほら、あなたの心の中は私が欲しいと思っているもので一杯になり始めているもの」

「あなたの欲しいもの……私は何も持ってはいないわ。人を妬み、他人の苦しみを糧に生きてきたのよ。他人の魂から生気を奪って若さを保ってきたわ。そんな私が……あなたの……葉月の宝物の傍にはいられない」

「あら、分かっていないのね。私の欲しいものは、私を大切に思ってくれる愛情よ。以前のあなたには感じなかった愛を、あなたの心に感じるわ。あなたは女神がいなくなったことで女神の呪縛から解放された。本来持っていた愛を、お祖母ちゃんと同じように人を愛する心を、あなたは持ってる。どうか、早く自分を取り戻して。そして、私を守って……私達にはあなたが必要よ。聖守がきっと導いてくれる。大丈夫。そして、私の所に来て、必ず。待ってるから。聖守と一緒に戻ってきて」

 実月の硬く握った拳が開かれ、陽月の背中をそっと抱きしめた。

「あ……がとう……」

『陽月、竜神の声の筆を実月に渡してやってほしい。私は、実月と共に行くのだから』

 はっと顔をあげて、陽月はかばんの中に入れていた竜神の声の筆をとりだした。じっとそれを見つめ、愛おしげにそっと撫でる。上げた瞳に不安げな影がよぎった。

 実月が陽月に肩に触れた。

「私に預けたくはないわよね。私は、その筆を、聖守を葉月から奪ったのだから。無理をしなくていいの……大丈夫よ」

「そ、そうじゃないの。ただ……ずっと一緒だって思っていたから……私が困っている時、美月さんが持っていたときでさえ、聖守は私を導いて助けてくれた……だから、ちょっと……えっと、ごめんなさい。これが別れの訳じゃないのにね。私、まだまだだから、不安になっただけ。聖守に頼り過ぎだよね」

 はいっと言って、陽月は竜神の声の筆を美月に手渡した。その場から、すっと聖守の姿が消えた。突然の事に、陽月は出した手を彷徨わせていた。

「馬鹿ね、私……いきなり消えるからびっくりしちゃった」

『大丈夫だ、陽月。お前には聖流がいるではないか。私も、実月も、お前に何か起これば直ぐに来る。不安になどなる事はない。では、行く。さあ、実月……』

 実月が深々と頭を下げた。

「陽月、大切な竜神の声の筆、そして聖守を借りるわね……ありがとう、陽月」

 道の向こうに停まっていた白い軽自動車は実月の物だったようだ。以前の赤い車は乗り換えたのだろうと、思った。実月は金には不自由していない、逆に裕福なくらいだろう。車が動き出して、角を曲がって見えなくなるまで、陽月はずっとそこに立ちつくし見送っていた。

「帰ろうっと……」

 振り向いた陽月のすぐ後ろに聖流が立っていた。

『気が済んだか』

「ううん……やっぱり淋しい。聖守がいないと淋しいし、不安だわ。でも、仕方ないものね」

『淋しいけど仕方ない、か……聖守を知ったのはつい最近だろうが』

 いらだったような聖流の声に、陽月は顔をしかめた。

「なによ、自分だって淋しいんじゃないの。ずっと離れてたお兄ちゃんが戻ってきて喜んでたのに、またいなくなったんだもん。それに、最近出会ったのは、私とあんたも同じじゃない。あんたの事なんて、全然知らなかったんだから。でも、付き合いの長さなんて関係ないでしょ。聖守はいつも私を導いてくれてた。不安なのも淋しいのも、当たり前じゃない」

 ふんっと鼻を鳴らして陽月は階段をのぼりはじめた。その背中をじっと見上げる聖流の唇がきつく結ばれた。聖守と離れることに陽月が動揺するだろうとは思っていた。だが、これほどに淋しがったり、不安を覚えるとは、聖流は正直思っていなかった。陽月には自分がいればいいのだと、陽月は自分のものだと強く思っていたのだ。陽月は、自分だけでは駄目なのだろうか、聖守が必要なのだろうか。自分が抱く陽月への想いと同じものを、聖守も感じているのではないのか。陽月も、聖守に対して想いを寄せているのではないのか。聖流の心に不安と、嫉妬が渦を巻いた。兄の事も、陽月の事も信じている。それでも、どうしようもない疑心暗鬼がうごめいていた。

「もう、早く帰ろうよ。聖流」

 階段のてっぺんで陽月が叫んだ。


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