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死に化粧屋  作者: 海来
37/44

37話

 目から零れそうになった涙を手の甲でぐいっと拭き取った陽月は、直ぐ先に横たわる瀕死の兵士の横に屈みこんだ。天界の兵士である天使は、腹を剣で突き刺されている。突き刺したのは、悪魔だ。天使が陽月の言葉に動きを止めた時、悪魔はすかさずその腹を突き刺したのを、陽月は見ていた。だからこそ、この兵士の元に来たのだ。

 聖流が腹を刺した悪魔に大きな炎の球をぶつけると、一瞬にして焼かれた悪魔は燃えカスになった。それを見て、敵軍がひるんだのが見て取れる。聖流と聖守を遠巻きにし始めた。

 陽月は瀕死の天使の腹に手を当て、癒しを施し始めた。自分が戦いの最中に注意をひいてしまった為に、この天使は傷つけられたのだ。この天使と同じに攻撃を受け傷ついた者がどれほどいるだろう。自分の浅はかな行動が、戦況を変えてしまったかも知れないと思った。

「ごめんなさい。私のせいよ……治すから、あなたも頑張ってちょうだい。お願い、死なないで」

 小さな声は、周りの者にもはっきりと聞き取れる。

『一人では駄目だ。お前の体がもたない。死んでしまうぞ』

 聖流が陽月の背中を抱き、彼女の魂の輝きを保つために力を注ぐ。

『聖流、私はいい。この戦いを終わらせて。お願い、もう誰も傷ついて欲しくない。お願い、終わらせてよ。自分が欲しいものを無理やりに奪う事は許されない。地獄の者たちは地獄の戻ればいい、そこが自分にとっての安息の場でしょう。天界も、人間界も、そこで暮らす者たちのものよ。地獄が地獄で暮らす者たちのもののように。どうして欲しがるの、己の欲望を満たす為だけに、どうして奪うの』

 兵士を癒しながら、陽月の瞳は少し離れたところで大地の女神テアナと睨みあう欲望の女神アジャを睨みつけていた。

「たった一人の息子を愛することで真の幸福を得られたと言うのに。それを捨ててまで己の欲望の道を突き進むのアジャ。母親の無関心のもとでどれほど子供が傷ついても、それでいいの」

 欲望の女神アジャが陽月を振り返り、背筋も凍る程の視線を浴びせた。その瞬間、陽月と聖流の前に立ちはだかった聖守の胸に、アジャが放った氷の矢が突き立った。

『聖守』

 聖流が氷の矢を握ると、それはあっという間に溶けてなくなった。だが、聖守の胸に開いた穴は塞がっていない。血がドクッと流れ出てきた。

「聖守」

 癒し終わった天使の腹から、聖守の胸に向かって陽月の手が伸びる。しっかりと聖守の胸を押さえた時には、聖流が兄を抱きとめていた。

『大丈夫。私の事は気にするな。自分で何とかできる……』

 げほっと咳をする聖守の口から鮮血が溢れだす。

『自分でなんとかできるものか。大丈夫だ、俺と陽月がついてる』

 聖守が首をかすかに振った。

『だめだ……お前達が私を癒している間、お前達の背中は誰が守る』

 その時、三人の前に影ができた。大地の女神テアナとその末の娘アーヤと夫、先ほど癒した天使が壁を作ってくれている。

『心配はいらない。私達があなた達三人の背中を守るわ』

 テアナの穏やかだが断固とした声が聞こえた。

『私達の愛し子に誓って。あなた達を守ります』

 大地の女神の娘アーヤの緊張した声が重なった。

『アーヤ、俺が守るよ。俺達の愛し子に誓って、三人とお前を守って見せる』

 その時、欲望の女神アジャがふらりと近づいてきた。大地の女神テアナの体に手をかけどけようとするしぐさを見せる。

『聖守、どうしてお前が傷ついている。なぜ、なぜ、そこまで……』

 息子の元に寄ろうとするアジャをアテナの手がとめた。

『アジャ。お前が近づくことはできない。お前の息子はお前の放った矢によって死にかけているのよ。それを癒す者が許さない限り、近寄ることはできない』

「だめよ、アジャ。近寄らないで。聖守があなたを求めてはいない。幼い頃から、こうして弟の聖流を守り庇ってきた。そこにあったのは、あなたに対する諦めと、聖流に対する愛情のみ。あなたの息子はあなたのものじゃない。傷が癒えて、意識を取り戻すまでそこで待っていればいい。己のしでかした事をしっかりと見るのね。私たちは決して聖守を独りで逝かせたりしない。必ず救ってみせるから。黙ってそこで見てなさい」

『この小癪な巫女が。何様になったつもり、私に命令するなど千年の時が流れようとも許さぬわ。目に物を見せてくれる』

 さっと振り上げたアジャの手首をテアナがぐっと握った。

『愚かにもほどがある。自分の息子を殺す気なの。お前は地獄に戻ったほうがいい。この手勢を引き連れて地獄に戻るのね。聖守の意識が戻った時にこの場にいれば、どうなるかよく考えることよ。竜神の真の怒りの炎を浴びれば、地獄の女神だとて命の保証どころか、その体が残るかも疑わしい。お前の兵たちはすでにその事に気づいている様だけれど』

 戦いながらも少しずつ後退している兵たちの様子は、直ぐに分かる。アジャがちっと舌打ちした。

『何をやっている。竜神が動けない今、倒さなくてどうする。さあ、やってしまえ』

 既に、先ほど聖流が放った竜神の炎によって悪魔が燃えカスとなって消えた事は、十分に分かっているアジャの兵たちは、明らかに戦意を失いつつあるようだが、アジャの剣幕に恐れをなしたか、今一度前進し始めた。剣と剣がぶつかる音やあらゆる攻撃の騒音が天界に響き始めた。

 

 陽月はもうアジャ達との戦いに意識を向けてはいなかった。ただ、聖守を救う為に、それだけに集中していた。アジャの放った氷の矢は、鋭く太かったらしい。聖流の心臓の上を深々と刺し、心臓そのものにも傷を負わせていた。そこから勢いよく溢れだす鮮血を、陽月は必死に止め、傷を修復するように念じる。自分の念じる力には自信がある。何度かやってみて、そのやり方にも慣れてきていた。それでも、聖守の心臓の傷を治すのは困難だった。ふと、医学の知識があれば、もっと効率よく確実に癒しが施せるのでは、とそんな気がした。

 だが、今はそんなものは持っていない。ただ強く念じるだけだなのだ。聖守を失いたくなければ、間違いなく癒さねばならない。聖流の掛け替えのない兄であるだけでなく、今では陽月にとっても掛け替えのいない存在になっている。聖流にはない穏やかさと、探究心で、陽月の足りないものを補い、導いてくれていた。兄であり、師でもあるのが聖守だった。

『聖守、ずっと一緒よ。ずっと三人は一緒。生きるの、あなたの真実の巫女にまだ出会ってないでしょ。すっごく綺麗な人よきっと。他の人に取られたくないでしょ。死んじゃダメなんだから』

 かすかに、いつものくすくすと笑う聖守の声がした。目を開けた陽月の目の前で、聖守が眉間にしわを寄せて笑っている。笑うのも辛そうなのに、笑い続けているのだ。その瞳が瞬きしてから陽月を見つめた。

『そんなに綺麗なら、まだ死ねないではないか、陽月』

「もう、聖守」

 聖守が微笑むのを見て、陽月の目に涙が浮かんだ。それを見て聖守の両手が伸びた。陽月と聖流の二人の頬に掌を当てる。

『大きななりをして何を泣く弟よ。私はお前達に救われたのだ。泣く事はない。それでも、竜神の涙などこれほど珍しいものも無いのだがな』

 そう言うと、二人の涙をそれぞれ握り込んで両手をもみ合わせた聖守が体を起こした。自分の両の掌をじっと見つめる。

『私の母は、誰の忠告も受け入れなかった愚か者。竜神の涙がどれほどの恐ろしいものに変わるのか、自身で身を持って知らねばならない』

 見つめていた掌を上に向けると、ふっと息を吹きかけた。掌に盛り上がった涙の粒に炎が巻き込まれていく。その粒が聖守の吐き出した息の風に乗って勢いよくアジャめがけて飛んでいく。宙を駆け抜ける炎を包んだ涙の粒は次第に大きくなった。叫び声が上がる中、大きく成長した涙の粒がアジャを包み込み中に取り込んだ。

 絶叫が涙の中の炎に呑みこまれ、アジャが焼けて行く。周りの者は誰もが息をのみ、その恐ろしい光景を凝視いている。まるで動く事が出来ないかの様に、その場に立ち尽くす。

 ぱすっと涙の幕が破裂したあとには、全く何も残ってはいなかった。アジャは消えたのだ跡かたも無く。

『私は、私の根源を消し去った。もう何者にも私の心は侵されはしない。母と言う名の戒めは消し去った。私は私として生きて行く。私の中の地獄は消えた』

 聖守の瞳から一筋の涙が落ちた。たった一粒だけ。その聖守の体を陽月と聖流がしっかりと抱きしめていた。





 


 


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