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死に化粧屋  作者: 海来
34/44

34話

 結界が破られたのであれば、父と母の事が一番に心配になる。陽月は既に駈け出していたが、その体が宙に浮いてもっと速度をあげるのが分かった。聖流が陽月を抱えている。聖流にしてみれば、陽月を敵の真っ只中に一人で向かわせる気など毛頭なかった。

 直ぐに寺の庭まで到着したが、その光景に三人ははっと息を飲んだ。通夜の準備が始まっている。まだ弔問客が姿を見せ始める頃ではないが、喪主家族とそれを手伝う人間の姿が見える。寺の奥から母親が小走りで出てきた。

「陽月、何処にいたの。職場に連絡したけど休んでるって言うし、帰ってはこないし、心配させないで。それに、ご遺体の化粧がまだなのよ。母さんではやっぱり無理で、困ってしまったわ。直ぐにお願いよ」

 ごめんと小さな声で謝りながらも、陽月は辺りを観察し、聖流と聖守と目を合わせた。

「追手は見当たらないわ。どうして結界が破れたのよ。お通夜に来た人たちのせいとでも言うんじゃないでしょうね。そんなんで破れるんじゃ、頼りなくて仕方ないわよ」

 すぐ近くにいた男性が、陽月を訝しげに見ていた。独り言にしては変に聞こえたのだろう。陽月は小さく会釈だけして家に入った。二人も続いて入って来た。

「陽月、早く着替えてちょうだい。時間ないのよ。リビングの奥に置いてあるから」

「うん、直ぐに着替えるから、お母さんは会場で待ってて……ちょっと、見ないでよね」

 母への返事の後に、着替えを見ない様に兄弟に念を押しながら、陽月はリビングへと向かった。

「此処でも聞こえるんだから、ちゃんと説明して。追手はこの寺に入りこんでるの」

『人間達の気の中に、人ではない者の気が混じっているが……何処にいるのかまでは、はっきりしないな』

 玄関の方から聖流の声がして、すぐに聖守の声も聞こえてきた。

『もしかすると、人間に中に入り込んで期を窺っているのかもしれない。結界が破られたのは、敵の中に竜がいるからかもしれんな』

「竜がいるってどういう事よ」

『竜は、竜神とは違うが同じ種になるのだ。だからこちらの結界を弱める力は持っているだろう。弱める事が出来れば、もっと強い力の者が結界を破るのは容易になる。力の強い物ならば、人間の中に入り込んで自由に操るなど造作も無い事。誰も信用できないと言うわけか』

 陽月が巫女の衣装に着替えて玄関に出てきた。

「じゃあ、お父さんとお母さんも信用できないって事なの」

『いや、裕之夫婦に入りこむ程の時間はなかっただろう。結界を破られる前から二人はこの中にいたんだ。俺達は直ぐに此処まで来た、大丈夫だとは思うがな』

 腕組みしながら表を睨んでいる聖流の横から、父親が顔を出した。

「陽月、連絡なしに行方が分からんのは困るぞ。これまでこんな事はただの一度も無かった。もしかして、困ったことにでもなっているのじゃないか。父さんには言ってくれよ」

 陽月は聖流を見た。困った様に眉間にしわを寄せたが、首を横に振った。父にも母にも何も言えないと言うことだ。危険が迫っているとも知らせる事は出来ない。

『裕之に知られれば、ここにいる人間を避難させようと奔走するだろう。そうなれば、敵は隠れている事すらしなくなる。隠れる事をやめれば、この場は戦場と化すだろう。人間の中に隠れているうちに、どうにか敵を別の場所に引き寄せねばなるまいな』

 陽月は父親に向かって困ったように微笑んでその腕に手を触れた。

「ごめんねお父さん。仕事の事で色々考えてる事があって、これからはお祖母ちゃんの仕事を継ごうと思ってるの。今の仕事も辞めるって言ってあるし。ごめんなさいね、心配ばっかり掛けて。さあ、死に化粧をしてくるわ。もう遅いぐらいだから、急がないと」

 娘の手に自分の手を重ねて、心配そうにその顔を見たが、それ以上何もいわなかった。陽月は父親の横を抜けて遺体を安置している部屋まで真っ直ぐに歩いていった。

「ここでは何もさせはしないわ。ここはお父さん達が守って来た大切な場所。そして、大切な人たち。巻き込んだりさせない。敵だと分かっても、知らない顔してて。化粧を終えたら、私は祠のある場所に戻るから、そこまで引き寄せてちょうだい」

『ああ、お前も、お前の大事なものも、俺達が守るから心配するな』

 聖流の言葉に聖守も肯く。それを見て、陽月も大きくうなずいた。



 遺体は年配の女性だった。体を綺麗に洗われ死に装束を身につけ髪も綺麗に整えられている。母がそこまで仕上げてくれていた。最後の死に化粧のみが陽月の残された仕事だった。ご遺体の横に近寄って手を合わせる。先日、死に化粧を初めて行った老人は、息子の嫁によって殺されていた。このご遺体には、何かあるだろうか。それとも安らかな死を迎えたのだろうか。聖守の母である地獄の女神が追手を差し向けていなければ、結界が破られていなければ、このご遺体にだけ向き合えるのに、と陽月は思った。

 この女性にとって、当たり前ではあるが最初で最期の死に化粧なのだ。今までの人生で受けた苦しみや悲しみを癒し、幸福であった魂に浄化して死出の旅路につかせてあげたかった。その為だけに、陽月は仕事をするのだから。

「それでは始めさせていただきます」

 懐から筆袋を出し、竜神の筆と竜神の声の筆を両手に持った。戦いの時には大きな剣となるが、今は癒しと浄化を行う神の筆だ。遺体の顔の上で竜神の二つの筆を振った。

 すると、竜神の声の筆がいきなり熱くなった。目を閉じて集中していた陽月は慌てて眼を開いた。

 目の前の遺体が、大きな口を開けている。口の中は真っ赤で、長い舌がうねうねと陽月の手に向かって伸びてくる。

『陽月、目を開くな。見えるものに惑わされてはいけない』

『遺体の魂を見つけろ。亡くなった者の魂を悪魔に喰らわれるな。しっかりしろ陽月』

 聖守の声は優しく、聖流の声は厳しく熱く伝わってくる。大きく口を開けた遺体を前に、陽月は再び目を閉じた。死者の心に触れられるように、その中で己の心を開く。用心深く、そして慈悲深く、心の中を捜していく。亡くなった老女は、怯えていた。自分の中にいきなり入りこんできた邪悪な者に怯えていた。今まで、何もこれと言っていい事をしてきた訳ではないが、それでも死んで地獄から迎えが来るほど悪い事をしたとも思っていない。平穏でありきたりの人生だった。家族を愛し、少しの不満と少しの満足をそんなものだと納得し、そこに幸せを感じて生きてきたのだ。

 それなのに、彼女は今、自分の中にいる魔物に魂を奪われそうになっているのだ。

『大丈夫よ、おばあさん。私は竜神の巫女、あなたの魂は奪わせたりしない。私が守り、私が送る』

 陽月は老女の周りでとぐろを巻く大蛇に向かって筆を振り上げた。筆は金と銀の剣となり、大蛇にむかって振り下ろされる。

『此処を出て行きなさい。この魂は渡さない。これは私の大切な大切な仕事。邪魔立てはさせない。ここから出て、待ってなさい。この中であなたを浄化すれば、あなたには酷い苦痛が待ってる。永遠に竜神の炎に焼かれることになのよ。さあ、私の職場から出て行きなさい』

 大蛇の魔物が首を揺らし体を震わせ、そのあと姿を消した。この老女の中から出て、今度は誰に入るのだろうか、と陽月は一瞬考えたが、老女の恐怖に震える魂を癒してやることの方が先決だと思いなおした。老女をその腕に抱きしめ、筆を持った手で優しく撫でた。

『さあ、竜神の巫女があなたを送るわ。あなたの人生はとても幸せだった。あなたを愛する人たちは、しばらくの間、あなたを想って泣くでしょう。でも、あなたの魂が皆を癒す事が出来るわ。いってらっしゃい、死出の旅へ。あなたの旅は明るく、温かく照らされている』

 穏やかな表情を浮かべ、頬をほんのりと染めた老女が自分の足で立ち上がった。彼女の魂は彼女の心の中から、死出の旅路へと向かっていった。



『気を抜くな、陽月』

 ご遺体の死に化粧は終わった。目を開けると、老女の顔は明るい微笑みを浮かべていた。老女の魂は送る事が出来た。だが、老女の中に入っていた魔物は何処に行ったのか。

「どこにいるの」

 振り向く前に、陽月には分かっていた。自分の後ろにぴたりと付いている人間が誰なのか。そして、その人間の中に魔物が潜んでいる事が、すでに分かっていた。

「お母さん。終わったわ」

 陽月は母親を振りかえった。






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