33話
「そんなに人を睨むものじゃないわ、聖流。だいたい、あんたは失礼すぎるでしょう。私に対してだって大概失礼だったし、だからあんたの本当の気持ちだって分かりにくかったんじゃないの。あのね、相手が自己紹介したら、自分も名乗ってよろしくって挨拶するものなのよ。それを、あなたって人は……神様は違うのかな。どうなの聖守」
聖守は片眉をあげて自分の巫女を見つめる弟を可笑しそうに見ていたが口を開いた。
『まあ、礼儀に関して言えば、人間界と天界はさほど変わらないのだろう。だが、今はそれを指摘している時じゃないと思うが』
「ああ、そうね。私からちゃんとしなきゃだわ。はじめまして、速水陽月といいます。聖流の巫女なんですけど、まだなりたてで慣れてないんでよろしくお願いします」
テアナは笑いをこらえた様に一度息を吸ってからお辞儀した。
『大地の女神テアナです。娘夫婦には良い助言をいただいたわ。ありがとう』
「いえいえ……あの時は、その何て言うか」
聖流は陽月の額をぺしっと軽く叩いた。
『なに照れてんだ。そんな場合じゃないだろうが』
「そうそう、そうだったわ。あのですね、投票が行われるって言ってましたけど、誰と誰が争うんですか? それに、人間がする選挙みたいに街頭演説して、マニフェストなんか語ったりして、沢山の人と握手して回って、選挙カーで走り回るんだったら、そんなこと聖流にできる筈がないのよ。絶対に無理。可笑しすぎる。よろしくお願いしますって笑顔作れる筈ないんだから。ね、聖流」
聖流が答える前に、聖守が手をあげて制した。
『陽月、すまないが少し黙っていて欲しい。話がややこしくなっては困る』
不満げに眉をあげた陽月をよそに、聖守はテアナの方へ顔を向けた。
『大地の女神。陽月の言っている事は少々突飛に聞こえますが、そうでなくても聖流には投票などというものに関わるだけの自制心はないと思うのです。すぐに頭に血が上る性質なものですから。ただ、その投票とは誰が言い始めて、誰が立っているのですか。みな、本気でそんなもので大神が決められると思っておいでなのか』
テアナはゆっくりと微笑みを浮かべた。
『あなたは、あなたの母親の影響を受けていると思っていましたけれど、その割にはまともな事を言われるのね。もう地獄の種は消えてしまったのかしら。あなたからは発芽して成長する時の匂いがしない。やはり、あなたの弟とその巫女には計り知れない力がある証拠ね』
『その答えなら、そうですとお答えしましょう。弟とその巫女には大いなる力があると。ですから、私の質問にも答えていただきたい。あなたの本当の目的は、別にある様に思うのだが』
テアナの笑みが大きくなる。太陽を思わせる明るい笑みだ。
『本当も何も、投票を行うと決めたのは最長老の海雷よ。さっきまで一緒にいたでしょう。前の大神なのは知っているわね。地獄の種の影響を受けているとしても、竜神であり大神の実子でもあるあなたと、自身の巫女を得た聖流。どちらを大神に決めるかの投票をするの。欲望の女神あなたの母親は勿論あなたにつくわね。この選挙で天界が今二つに割れている事実を白日の下にさらすのです。欲望の女神は長い時をかけて自分の陣営を増やしてきたようだけれど、これ以上は好きにさせないわ』
聖守が乾いた笑い声をあげた。
『ほう、兄弟で争えと、そうおっしゃるのか』
聖流が大地をどんっと踏み鳴らした。
『馬鹿な事を。俺は大神にはならんし、大神に適任だと思うのは、紛れも無く兄聖守をおいてほかにない。投票など、やはり茶番でしかないんだ』
いやいやっと言って、聖守がまだ笑っている。
『長老どのは、私達二人を担ぎあげ、何をさせようとしているのだろうな。ましてや、地獄の種の成長を嗅ぎ分けられる大地の女神を送り込まれるとは。どんな策をお持ちなのだろう』
テアナは、笑顔をひっこめ真剣な面持ちで兄弟と陽月を見つめた。
『思慮深い人ですね、聖守。なんでも分かってしまう。ならば、手伝ってもらいましょうか。あなたの母親を天界の牢獄へ捕える為です。天界を地獄の大魔神の思うようにはさせられませんからね。あなたには、母親の思い通りに動いてもらい捕える手助けを頼みたいのです』
陽月がテアナの目の前に立ちはだかった。
「やっぱりスパイしろって事じゃない。それにね、どんな母親だって息子にしてみれば大切なのよ。それを牢屋に入れる手伝いをしろっていうの。酷過ぎるとは思わないの。ほんと、聖守が言ってた通り、天界が善で地獄が悪なんてことないのね、慈悲の心なんてものは存在しないのね。あきれてものが言えないわよ。姑息な手段を使うのは、欲望の女神や地獄の大魔王だけじゃないってことよ。そんな事を聖守にさせるくらいなら、正面切って大きな剣を振って戦うわ。私には大きな二本の剣があるんだから、誰にも負けないわよ。いい、絶対に、自分の母親を牢屋に入れる手伝いなんかさせませんから」
テアナに突き付けた指を振りながら唾を飛ばす陽月を、テアナは目を見開いて見ていた。
『わかったわ……聖流、あなたの巫女はとても頼もしいのね。この勢いなら、ほんとうに何処の誰が戦いを挑んでも勝てそうにないわ。そうね、実の母親を陥れる手伝いをしろとは虫のいい願いなのかもしれない。でも、その思いに応えてくれる母ではないでしょう。そしてあなたの母は、必ず息子を道具の一つとして使おうとする。あなたがどちらにつくのか、それだけははっきりさせておきたかったの。これは、天界の存続をかけた戦いになる。兄弟とその巫女の絆に少しでもひびが入っていては、私達はあなた方を信じることが出来なくなる』
『これほどに熱い情熱をもって大切にしてくれる妹と弟が、まさに私の中の地獄の種を消し去ってくれた。二度と芽を出す事はない。そう長老どのにお伝えください』
テアナが微笑んだ。
『そうね、では私は最長老に報告に戻るわ。そうそう、これだけは言っておくわ。私たち大地の神々は、いつでも加勢に来ると約束する。何処にいようと、大地は私達のものだから』
びゅっと土ぼこりがあがり、あっという間にテアナの姿が地中に潜った。
その穴が綺麗に消えてしまうまで待ってから、陽月がそこを思いっきり踏んでいる。
「何をしに来たのよ。結局分からないじゃないの。投票はいつするのよ。どうするのよ。私は選挙カーに乗ってお願いしますなんて言って手は振らないわよ」
聖守と聖流の二人が揃って笑い声をあげた。
「何なのよ、馬鹿兄弟」
『投票など、初めから行われない。だから、お前が選挙カーにのることも、ウグイス嬢をやることもないのだよ。お前達が私を抱えて天界を去ったあと、私達に何が起こったか、それを間違いなく知る必要があったのだろうな。天界が二分されている現状からすれば、敵か味方かを完璧に把握できる者が一人でも多い方がいい。それが竜神の兄弟とその巫女となれば、勝敗を決めかねる。大地の女神の一人が直接やって来たのはその為だろう。そして、テアナは大地の女神の長老だ』
腕を組んで聞いていた陽月が、ふーんと言いながらため息をついた。
「敵か味方かね。もしかしなくても、私達は天界と地獄の戦いの中に入ってしまったわけね」
聖流がさっと動いて陽月の前に立ちはだかった。
『ああ、もう入ってしまってる様だ。追手が来た』
それまで静寂だった森がざわざわと音を立て始めた。
『竜神の兄弟を相手にしようとは、いったいどんな相手なのだろうな。弟よ』
『俺が知る訳ないだろうが』




