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死に化粧屋  作者: 海来
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29話

 真珠はやはり悪鬼と化していた。

 親子の情ですら己の欲望の為に使う、卑しい悪鬼となっていたのだ。竜神の巫女を油断させ、竜神そのものをも油断させるために、聖流の想いを、陽月の心を利用したのだ。一番、確実な方法を選ぶ悪知恵を持っている。遅すぎたと、聖流に教えねばならない。

 そう思ったとき、白い光が真珠に向かって伸びた。霧の外に弾かれたものは白い柄の筆。紅筆が揺らいで小さな金色の竜になる。陽月は思わず駆け寄って金色の小さな竜を抱きあげた。

『聖守、大丈夫なの。一人で頑張らないで、聖流を守るのは二人一緒よ。彼を大切に思う気持ちは同じだから。さあ』

 陽月は聖守の竜を抱いたまま霧の中に体を寄せた。見えてきた聖流の背中に二人一緒に抱きついた。

 決して渡してはいけない。

『決して渡さない。だって、息子の体を奪ったと知ったら、真珠は二度と心を取り戻せなくなる。そうしたら、聖流の心が壊れてしまう。だから、渡さない。真珠、あなたには聖流の体を渡さない』

 陽月、聖流、聖守が一つの塊の様に見えたとき、濃い霧が台座の上まで下がった。じっとこちらを窺っている。敵が力を増したことに気づいているのだ。今度はどんな手を使ってくるのか。

『ああ、愛しい子……母の所にきてちょうだい……愛しているわ……母は淋しかった。あなたをずっと、ずっと待っていた……此処に来て……聖流……愛しい子』

 聖流の体が震えた。その震えは陽月にも聖守にも伝わっている。このままではいけない、聖流が母を思う心を利用させるわけにはいかない。

『聖流、あなたは竜神の筆。亡くなった人の心を浄化し、癒す使命をどのくらい続けてきたの。どんなに辛い時も、悲しい時も、母が恋しかった時も、いつもいつも聖守と巫女とともに、死者を癒し続けたのではないの。あなたのお母さんの魂を浄化し、癒してあげられるのは、竜神の筆であるあなたしかいないのよ。私達を信じて、あなたを愛している私達二人を信じて。聖流』

 川が流れる様な水の音が聞こえてきた。さわさわと静かな流れの中に、何かが飛び跳ねる水音がする。鳥の声、虫の翅の音、魚が跳ねる音、木々の葉がこすれあうざわめき。せせらぎはどんどん大きくなり、辺りの音はかき消され、滝を思わせる轟音を響かせる。

『心惑いし魂よ。今この流れに乗れ。その魂を清らかに浄化しよう。我の声を聞け。我の歌をうたえ。この流れに乗るがいい』

 低く温かな聖流の声と、川のせせらぎの様な優しく穏やかな聖守の声が混じり合っている。今、浄化が行われている。最後に癒しへと送りだすのは自分の役目だと、陽月には分かった。

『さあ、行って。あなたが本当に求めた場所へ。しんじゅ』

 明るい陽月の心の声がささやき導く。

 濃厚だった霧が形を崩し始める。竜神の筆の力には抗えないのか、すーっと薄くなっていく。

 その時だった。霊廟の扉が大きく開かれた。

『やめろ。何をしている。やめてくれ。行くな真珠、行かないでくれ』

 大神が台座の上の真珠の遺体に縋りついて、目の前で薄くなっていく霧に目を向ける。

『真珠……行くでない。行かせはしない。ずっと共にと約束したではないか』

 そう言った大神の目が聖流たちに向けられた。怒りのこもった目が一人一人を睨みつける。

『なぜ真珠の魂を送ろうとする。何が目的だ。いいや、分かっておるぞ、お前らはワシから全てを奪おうというのであろう。女神にそそのかされたか。愚か者が』

 唾を飛ばしながら叫ぶ大神を、三人は静かに見つめていた。

「何も企んでいないし、誰にもそそのかされてなんかいない。ただ、壊れてしまった母の心を浄化し癒し、死出の旅を穏やかなものにしてやりたかっただけだわ。あなたは自分が何をしていたか、どれほど真珠に辛い悲しい孤独を背負わせたか分からないの。あなたも竜神だったなら、竜神の巫女を持ったなら、自分がしたことがどんな事か分かっているでしょう」

 陽月の本物の声が霊廟に大きく響いた。大神に知られたなら、言葉を堪える事はもうない。

 大神の口元がわなわなと震えた。

『お前は、竜神の巫女。なぜ、真珠の魂はいまだここにあると言うのに。なぜだ、なぜお前が現れる』

 大神の言葉に、陽月は首を傾げた。聖流の母の魂と自分の存在は関係ないではないか。すっと聖流の手が陽月の背中を支える。その手の上に聖守の手が重なった。

『大神よ。あなたはやはり権力を持ち続けたいがために、聖流の母を、己の竜神の巫女を犠牲にしたのか。息子達に竜神の巫女が現れない様に、そうやって何百年もの間、権力を握って来たのだな』

 聖流が震える息を吐き出した。

『母の魂は死んでいた。悪鬼となったのは母の、真珠の思念だ。お前を恨む母の思念だ。母の魂は此処にとどまり愛する者から与えられる仕打ちに耐えきれなくなった。俺には見えた。自らの魂を殺した母の最後の巫女としての仕事が、俺にははっきりと見えたんだ』

 硬く握った拳は白く色を変えている。母親が自らの魂を殺すのを見るのは、どれほどの怒りだろう。陽月はそっとその拳を包み込むように握った。

「愛する者から与えられた苦しみ、裏切り、孤独……どれほどのものか……でもね、真珠は最後に愛する息子に救われたと知っているわ。亡くなった彼女の魂は浄化され息子の愛で送られた。最期だったけれど、幸せを感じたのよ、聖流。あなたを感じてお母さんは逝ったのよ。大丈夫、大丈夫だから」

 聖流の体からあふれ出す怒りが少し小さくなった。あのままなら、天界ごと吹き飛ばしかねない怒りの迸りだったと、聖守は思った。その怒りを押さえられるのは、陽月しかあり得ない。

『母は、ほんの少しでも幸せを感じたと、俺を感じてくれたと思うか、陽月』

 陽月は握った拳をそっとさすった。

「もちろん、息子に抱かれ、愛され、その愛を信じて逝ったわ」

『そうか』

 その時、聖流たちの周りに霧が集まった。

『愛しているわ。ありがとう』

 鈴の鳴るような真珠の声が小さく聞こえた。

『かあさま……』

 一瞬だけ目を閉じた聖流は、今一度開いた瞳は、大神を睨みつけていた。

『その手を放せ。その汚れた手を放せ。俺の母に触れるな』

 聖守が片手を横に広げた。

『大神よ。竜神の炎で焼かれるか。今から聖流の母の遺体を弔うが……あなたも竜神だったなら、竜神の炎で焼かれても死にはしないだろうが、そうとうな苦痛は与えられる』

 苦い表情を作って大神が立ちあがった。

『この大神を焼こうとは、この愚か者どもが』

 さっと後ろに下がった大神が目にもとまらぬ速さで扉の向こうに出ていた。扉が閉じ始める。

『この中で、真珠の亡骸と共に燃えるがいい』

 両手を前に差し出した大神がニヤリと笑った。

『まずい』

 前に出た聖流と陽月を押し出しながら言った聖守の前に、聖流の手が伸びて止めた。

『好きにさせるがいい。己の竜神の巫女に見限られた男と、己の巫女を手に入れた男。どちらが勝つのか。思い知るといい』

 それを聞いた大神の顔が一瞬だけ曇ったのを三人共に気付いた。

「お父さんだけど、二人とも構わないのね」

『聞かずともいい、陽月。だが、気づかいに感謝する』

 聖流がうやうやしく陽月にお辞儀した。

『愚か者めらが』

 大神はその手から炎を放った。放たれた炎に向かって聖流の背後から大水が波打った。竜神の炎は一瞬にして消え去った。大神の顔が大きく歪む。その場を離れようとした時、大神の背後に天界の兵士達が現れた。

『大神、何事でございますか。人間の声が聞こえましたが』

 大将が怒鳴った。

『あの者らを捕えよ。天界を追放された者たちと罪深き人の子だ。捕えて牢獄に繋げ』

『はっ。皆のもの、霊廟を犯すあの者達を捕えよ』

 剣を振り上げながら、兵士達が霊廟になだれ込んできた。

『聖流、こいつ等に竜神の力を使ってはならぬ。命を落としてしまうぞ』

『分かっている。陽月、いいか、俺達を使え。お前にならできる。恐れるな、俺達がお前を守る』

 聖流と聖守がそれぞれに紅筆に変わり陽月の手の中に収まった。

「ちょっと。何よ。どうしろって言うの。ふざけないでよ」

 叫んでいる陽月の手の中で、紅筆は銀と金の鋭い剣へと姿を変えた。

『お前はしっかりと私達を握っていればいい。無心になれ、己の心の望むままに心を開け』

 陽月はなだれ込んでくる兵士たちを見つめた。それぞれの顔にそれぞれの想いが見える。傷つけたくない。この兵士たちにも大切に思ってくれる者達がいるはずだ。失っていい命などない。

 体は勝手に動いていた。上から振り下ろされる大ぶりの剣を受け止めすぐさま払う。横から突かれる槍を剣で止める。それそれの剣は、命を持つ者の様に自在に動く。陽月がもっていない技を繰り出し、相手の攻撃を交わしながら前進していく。中には傷を負った者もいたが、命にかかわるものではない。

 三人共に、戦う相手を傷つけないように交戦していた。三人の想いは同じだった。扉を出ると、そこには大神の前で守りを固める大将の姿が見えた。

「そこをどいて。あなたには関係ない。傷つけたくないの、お願いそこをどいて」

 肩で息をする陽月の発する声は、轟音となって響き渡る。霊廟の中よりも外の方が響き方が大きい。これで、聖流たちがしゃべるなと言った意味が分かった。

 大将は下がる気はないらしい。両刃の剣を掲げ構えた。

「そんな男の為に闘うのはやめなさい。その男の魂は汚れているわ。私は竜神の巫女。聖流の巫女よ。竜神の聖流は自らの巫女を見つけた。その力にあなたは抗うと言うの。その命をかけて。その男に、本当にその価値があると、あなたは思っているの」

 陽月の背後に迫っていた兵士達の中からざわめきが上がった。自らの巫女を得た竜神の大いなる力を知らぬ者はいないらしい。

 それでも構えを崩さない大将を、陽月はじっと見つめた。その心が見たいと思った。


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