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死に化粧屋  作者: 海来
28/44

28話

 陽月は自分の心の中にいた。誰かが泣いている。声を殺す様に泣いている。ふと見ると、そこにはまだあか抜けない少女の真珠が膝を抱えて座っている。

『どうしたの』

 陽月の声に真珠は顔をあげた。

『あなたは誰? あの人はどこ』

『あの人ってだれ』

『私の両親を殺した魔物を退治してくれた人。大きくて頼もしくて、とても美しい男の人。あの人はここで待っていろと言ったの。あなたが迎えに来てくれたのじゃないの』

 真珠の両親は魔物に殺されたのだ。これも地獄の大魔王の差し金だろうか、きっとそうに違いない。ならば、真珠を救った大きくて頼もしくて美しい男とは……大神だろう。大神は自身の巫女を救う為に闘ったのか。

『違うのね……そうよね、あんな素晴らしい人が私など迎えに来てはくれない。助けてもらっただけで感謝しなければ……でも、もう誰もいないの……お母さん、お父さん……』

 真珠はまた泣き始めた。まだ両親を殺されてそんなに時間は経っていないだろうと陽月は思った。その時、真珠の横に大神が現れた。大切なものを抱える様に、彼は真珠を包み込むように抱きしめた。

『もう泣く事はない。真珠、お前には私がいる。お前を守り、お前を愛しずっと共にいよう。何も案ずる事はないのだよ。愛しい真珠』

 そう言った大神の声はどこまでも優しく愛に満ちている。間違いなく彼は真珠を愛している。これは定められた絆なのだろうか。どうしようもなく惹かれ合う互いの気持ちが伝わってきそうだ。

 そう思っていると、目の前の光景は変化する。大きな寝床の上で泣きじゃくる真珠を、裸の大神がきつく抱きしめている。

『もう泣くでない。聖流は生きておる。ただ、人間であるお前には神の子は触れられぬと言ったであろう。あれは竜となった。でも生きておるのだ。きっとまた会える。もう泣くな真珠』

 泣きじゃくる真珠は俯いて首を振っている。納得などできはしないのだろう。愛しき我が子が目の前で竜となったのだ。それも自分が愚かにも触れてしまったせいで。自分を責め、大神をも責めているのだろうが、言葉にはできない。この世でたった一人、自分を守ってくれた大神を真珠は愛していたのだから。

 また目の前が変わった。

『愛しています、あなた。でもおもうお別れなのですね。ありがとう、あなた。さようなら』

 真珠はゆっくりと目を閉じた。彼女の臨終の時だ。真珠は花嫁衣装を着ている。遺体となっても身につけているあの美しい花嫁衣装だ。大神だけが傍にいた。彼は泣いている。体を震わせ、声をからして泣いている。何度も何度も真珠の名を呼ぶ。でも、彼女の瞳が開く事はない。大神は、真珠を抱きあげ居室を出ると霊廟へと歩いていく。そのまま台座に真珠を寝かせ、その横に自らも横たわる。彼女を抱きしめ口づけ、そのまま一緒に目を閉じる。嗚咽が霊廟の中にこだまする。

 そして、今度は冷たい霊廟の中でたった一人、魂となった真珠がいる。

 孤独、疑惑、愛、悲しみ、淋しさ、真珠の心を支えていた大神への愛は、日を追うごとに薄れ憎しみに覆われて行く。なぜ自分はここに囚われているのか。大神の愛がそうさせたと信じたのに、今では疑心が膨れ上がる。怒り、悲しみが真珠の心を苛む。

 真珠の魂は今なお泣いていた。愛しい男の名を呼び、愛しいわが子の名を呼んでいる。

『真珠、竜神の巫女は約束を果たしに来たのよ。私はあなたの聖流を連れてきた。あなたの愛し児を連れてきた。彼は大人になっているの、抱きしめても大丈夫。彼は竜神となった立派な竜神となって、あなたに会いに来た。真珠、分かって、真珠、聖流のお母さん』

 嘆き悲しんでいる声が嵐のごとく陽月の心の中で吹き荒れる。自分の声は、既に真珠に届かないのだろうか。遅すぎたのだろうか。聖流と真珠の親子が幸せになれるなら、陽月は自分の体をあけわたしてもいいとさえ思っている自分に気づく。聖流があの皮肉な笑みではなく、心の底から微笑む事が出来るなら、ただそれだけでいいと思えた。いつの間にこれほどまでに聖流の事を大切に思うようになっていたのか。憎たらしいトカゲだったのに、いつの間にか自分は聖流を愛していた。

 叶うことのない恋だろう。聖流には、これから自分自身の巫女が現れるのだから、陽月は必要ないのだ。愛される事はない。

『何を泣いているの、どうしたの、なにがそれ程悲しいの』

 鈴の様な声が陽月に問いかける。目の前に立っている真珠の口が大きく開いて微笑んだ。まるで、陽月をのみ込もうとするかのように。その瞳には人間味がなかった。


『陽月、駄目だ。心を開くな。もう遅かったんだ、母は救えない。ひつき』

 聖流の母の胸に手を当てたまま、陽月はいきなり涙を流し始めた。流れ落ちる涙が、聖流の母の花嫁衣装に吸いこまれていく。震える唇が言葉を発した。

「聖流……大好きよ……憎たらしいけど、あなたを愛してる」

 心の声ではなく、陽月の本物の声だった。声に出すと、さらに涙が溢れだした。

『陽月……』

「でも、お別れね。目覚めた時には、私はあなたのお母さんになって……ああ、可哀相な真珠……どれほど淋しかったか……」

 いま何と言った。陽月は自ら俺の母に体をあけわたすつもりなのか。

『そんな事はさせない。お前が生まれた時から大切にしてきたのに。だめだ、母に体は渡さない。どれほど辛い思いをしてきたとしても、俺の陽月をあんたには渡さない。愛しているんだ』

 その言葉に、聖守が目を見開いた。そして、弟の背中を押す。

『愛していると認めたならば、陽月に触れろ。その手で己の大切なものを守り通せ。どんなに辛くとも貫かねばならない。誤魔化そうとするな、陽月はすでにお前への想いに気付いたのだから』

 顔をあげ、兄を見つめた。聖守は弟の気持ちに気づいていたのだ。気づかれていないと、それどころか兄も同じ女に思いを寄せるものとばかり思い込んでいた。だからこそ、自分の想いを陽月にはぶつけられずにいた。陽月が自ら誰を愛するのか見届けるまで、自分からは何も言うまいと決めていたのだ。

 なのに、今この時、この手で、この想いで陽月を守れと兄は言う。聖流は感謝をこめて兄を見つめ返した。聖守は弟を見つめながら口元を引き締めた。

『時間がない。陽月を救え。お前の母にとって厳しいことであっても、陽月を救え』

 聖流は大きく頷いた。母と陽月どちらを選ぶことなどできない二人。だが、どちらかを選ばねばならないのだ。

『陽月きこえるか、お前を愛している。だから戻って来い』



 聖流が呼んでる。まさか、愛してると言ったのか。大切にはしてくれていた。守ってもくれた。それは、自分が竜神の筆の巫女だからだ。まさか、愛しているなどと……。

『陽月行くな。戻って来い。もう誤魔化したりしない、お前の気持ちを優先するのだと、自分を抑えたりしない。全身全霊でお前を愛する。だから、心を渡すな』

 陽月の目の前に立っている真珠の体が傾いた。ゆらりと揺れて陽月の心の中を眺めまわす。

『どこ、どこにいるのあなた。大神……ほんとうなのね、まだ私を愛しているの……ほんとに、ほんとうに……』

 真珠の心が混同している。愛する男と、その男によく似た我が子の声を混同している。陽月の中を真珠の心が彷徨い始めた。愛する者を探しているのだろう。だが、見つからない。

『真珠。あの声は大神ではないわ。あなたの愛する息子の声よ。よく似ているでしょう、愛する人に。だって、あなた達二人が愛し合って生まれた子供だもの。あなたの愛した人に、あなたの愛しい子はよく似てる。だから、あなたに会いに来た。愛する母に会いに来たのよ。真珠、聖流のお母さん。心を取り戻して、お願い。彼を抱きしめてあげて』

 さまよっていた真珠の心が、陽月の元に戻って来た。

『あの人と私が愛し合って生まれた子。私の宝物』

 きょろきょろと周りに目を移す。

『そう、あなたは竜神の巫女。約束を果たしてくれたのね。ありがとう。あの子を抱きしめてあげなくては……』

 ふっと真珠の魂の気配が消えた。陽月の中から出て行ったのだ。目を開くと、自分をきつく抱きしめている聖流の喉仏が目の前にあった。

『陽月、愛してる。ずっと思ってきた。ずっとお前を見てきた。今更、お前を失うなどできはしない。自分を犠牲にするな。俺の母の為に自分を捨てるな。陽月』

 聖流の横にいた聖守が、そっと弟の肩を叩く。

『大丈夫だ聖流。お前の母は陽月の中から出てきてくれた様だ。後ろを見ろ』

 陽月を抱いたままの聖流の真後ろで、白い霧が形をつくり始める。

『聖流、お母さんよ』

 そう言うと、陽月は離れたくない聖流の腕の中から抜け出した。いま母が息子を抱きしめる番だ。

『かあさま……なのか』

 霧の真珠がゆらりと揺れた。

『聖流、愛しい子。ごめんなさいね、母が愚かなために……あなたに辛い思いをさせた……ただ一度抱きしめたかった』

 霧はうごめいてから聖流を包み込んだ。濃厚な霧が聖流の姿を隠してしまう。母が子の名を呼ぶ。息子が母を呼ぶ。何百年もかかってようやく、親子は再会したのだ。

 陽月はしばらくその様子を見つめていた。すると、聖守が陽月の手を取って濃厚な霧の中に差し入れた。

『陽月、聖流に力を与えなければ。己の母の魂を浄化させるのは、並大抵の決意ではないだろう。お前が、いや、私たちが助けてやらねばな』


 濃い霧の向こうに、聖流をひっしと抱きしめる真珠の姿が見えた。その表情は穏やかなのだろうと、二人は思っていた。だが、真珠の顔は母親の顔ではなかった。真っ赤な口は大きく開き、今にも息子を喰らおうとしている。安心しきっている聖流には、それが感じられないのだ。



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