25話
陽月は薄く霧が立ち込める中、聖流たちが向かおうとしていた方向へと進んでいった。
今までの夢は、いつでも彼ら二人のどちらかが一緒だったが、今回はどうやら違っているようだ。なぜなのか、自分は聖流の母の霊廟を見つけられると感じていた。大丈夫、きっと見つかる。そう思ったとき、まっすぐ前方に淡く優しい輝きを見つけ近寄ってみる。
そこには陽月の背丈よりもかなり高く幅の広い両開きの扉があった。淡く優しい光の源は扉の土台だった。小さな虹色に輝く貝殻を敷き詰めた土台にたくさん埋め込まれた真珠の輝きは淡いながらも品があり人の心を和ませる美しさがあった。
ここだ、聖流のお母さんはここにいる。扉には取っ手はなく、押してみたが陽月の手は扉をすり抜けてしまうようだ。それならばと、手から先に扉の中に入っていった。
「やっぱり入れた……」
中は暗いが、奥の方だけ灯りがともされ台座を照らし出している。そっと近寄って行った。
『だれ……』
鈴のなるような軽やかな声が聞こえた。
「あの、聖流……のおか」
『聖流、聖流がいるの。どこに、どこなの聖流』
取り乱した声が部屋の中に響き渡る。
「聖流のお母さんでしょ。いまここに聖流はいないけれど、かならず連れてきますから」
しんっと静まり返った室内は、ぴんと張り詰めた雰囲気が漂った。
『あの子は、どうしていますか。元気ですか。大きくなりましたか。あの子はどうして会いに来てはくれないのですか。ずっと待っているのに。あの子が大人になるまでと、辛抱してきたのに……』
悲しそうな声はどんどん沈んでいく。陽月は聖流の母が哀れで仕方なくなっていた。自分の産んだ子供に大人になるまで会えない。たった一度、姿を見せてくれた息子を抱きしめた途端、息子は竜に姿を変えてしまった。どんなに自分の行ないを責めただろう。どれだけ我が子が恋しかっただろう。大人になれば会えるのだと教えられていたのだろうが、自分が亡くなるまで息子には会えなかった。亡くなって魂までも拘束されながら、それでもまだ、息子に会うことは叶わないのだ。あとどの位、彼女は待ち続けねばならないのだろう。聖流が生まれて100年ほどが過ぎているらしいが、聖流たちが竜神として行き着いたのは戦国時代の様だったが、歴史に疎い陽月にはなおさらその時代が何年ごろで、これからこの母親がどれほどの時を待つことになるのか見当もつかない。300年だろうか、500年だろうか。どれだけにしても、永遠と同じではないか。
「とても長い時をこれからも待つことになると思います。でも、聖流は必ず、お母さんを救いにやってきます。それだけを信じて待っていてください。私がかならず一緒に連れてきますから。彼はとても立派で優しい人に成長してます。あなたのことをずっと気にかけています。あなたを愛しています」
辺りの霧が、台座に置かれた何かの前で形を作った。髪の長いほっそりとした女性の影だ。台座の上の何かが輝いて見える。そっと近寄って見た。
「きれい……」
台座に横たわっているのは、艶やかな絹でできた純白のドレスをまとった美しい女性。聖流の母だ。聖流の記憶の中で一度だけ見た事があるが、あの時は着物は乱れ髪はもつれていた。みだらな感じが漂っていた。大神と何をしていたのか聞かずとも分かってしまう。
目の前に横たわる女性。純白のこれはきっとウェディングドレスに違いない。頭には絹のベールをかぶっている。布地全体に真珠がちりばめられ、扉にあったものとはまた違った輝き方をしている。まるで真珠一粒一粒に頬紅を刷いたようにほんのりと紅色がさし、中から温かな光が浮かび上がる。こんな真珠は見た事が無い。きっと天界にしかないものなのだろうが、今にも動きだしそうなほどに生き生きとしている若い姿のままの聖流の母にとても似合って、その精気を盛りたてている。
「生きてるみたい……」
そう言った陽月の体を霧が覆った。とても冷たく背筋が凍るかと思った。
『生きてはいない。死んでからずっとこのまま。私に……大神は何を望まれるのか……もう分からない。ここには大神以外誰も来なかった。ただ一人の時をここで過ごさねばならない。大神を愛していたのに……あの人が私に与えるのは……苦しみ、悲しみ、憎しみ……もう、愛していたのかさえわからない……愛おしいのは我が子だけ……あの子にあいたい……』
この冷たさは、聖流の母の悲しみや憎しみの感情なのだ。癒せるものなら癒してあげたい。
『温かい……これは……あなたは竜神の巫女なのですね。聖流とともにいるのだと言った』
さっきの男達の言葉が頭をよぎった。本物の竜神の巫女。自分はそうではない。
「いえ、あの……竜神の巫女だけど、そうじゃないというか」
『いいえ、竜神の巫女です。ならば、竜神の巫女として誓って。かならず聖流を連れて戻ると。さあ、誓いなさい』
聖流の母の声が大きく響いてひび割れた。威嚇するように霧が陽月の体のすぐ近くをぐるぐると回る。
このままではいけない。彼女の心が壊れてしまう。
「誓います。竜神の巫女として。必ず聖流を連れて戻ります」
陽月は叫んでいた。すっと霧が動きを止めた後は静寂で耳が痛いほどだ。と、いきなり何か音が聞こえた。
『大神が来た。此処にいてはいけない。さあ、行って。竜神の巫女の誓いを忘れないで……』
陽月の姿は誰にも見えないだろうと思ったが、大神だけは別かもしれない。陽月の周りだけ濃くなった霧が隠してくれる間に扉の横までやって来た。耳元でささやく声がした。
『忘れないで、あの子を連れてきて、おねがい』
扉が外側に開くのと同時に、大きな男が入って来た。間違いないだろう大神だ。人を威嚇するような鋭い瞳をしている。どんなものでも潰してしまいそうな太い両腕がドレープの多い衣服からはみ出していた。
「私の可愛い真珠。淋しかったろう」
太い声で、大神は聖流の母を呼んだ。その隙に外へと出る。
陽月の背後で静寂と悲しみの霊廟の扉が音を立てて閉まった。陽月は止めていた息を一気に吐き出した。霊廟の中は恐ろしくい寒かった。あれは聖流の母の心の温度だ。
陽月は辺りをきょろきょろと窺った。この時代の聖流と聖守の兄弟を探そうと思う。探したからといって何が変わる訳ではないが、なんだかとても寒くて、不安が大きくなっていく。早く目覚めなければいけないと感じるが、どうすればいいのかが分からなかった。
『ひ、つ、き……』
陽月はいきなりの呼び声にぱっと振り返った。誰もいない、ただ一気に眠くなってきた。
『おい、陽月起きろ。起きなきゃダメだ。起きろったら、陽月』
今度の声ははっきりと聞こえた。怒っている様な、心配している様な、聖流の低い声。
「もぅ……」
言いたい言葉は誰かの掌で抑え込まれた。もごもごという音に変わった。目を開けると自分の体を抱えている聖守が口を押さえていた。
『聖守、陽月が死んでしまう。手をよけろ』
怒気を含んだ聖流の声が真上から聞こえた。聖流は兄に覆いかぶさるようにして陽月を見つめている。その顔は怒りの為か真っ赤になっていた。聖守は即座に陽月の口から手を放した。
『もう温まったんじゃないのか。はら、目も覚めたし。もう、横においても大丈夫だろう。お前だって重たい筈だ。いや、俺はお前を案じているだけで、陽月の体温が戻っているなら……そうだな、下ろした方が楽だろうと』
聖守が笑うのをこらえているのが陽月には体を伝わって感じる。確かに、聖流の何か落ちつかなげなおかしな態度は陽月も変だと思うが、そんなに可笑しいわけでもないだろう。
聖守が自分の口元に一本指を当てた。
『ひ、陽月、しゃべってはいけない。いいね』
その声は、はっきりと笑っている。
『確かに、目覚めてから直ぐに体温は戻っている。さあ、陽月私の膝からおりてくれないか』
そう言われて、慌てて膝から降りると聖流の横に、少し間をおいて座った。それから、聖守に向かって首をかしげて見せる。自分は意識を失っている間に、どうやら体調を崩していたらしい。
『陽月が意識を失ってから、初めはそうではなかったが、途中から一気に体温が下がったのだ。氷のように冷たくなっていくお前に、聖流が気付いたが……やつはお前に触れられない。余計に深く眠らせかねないのだから。そこで、私が温める役目を引き受けた。ということだ……陽月何を見たのだ』
うーんと腕を組んだ後、陽月は聖流を指さしてから、おかあさんと大きく口を動かした。
『母にあったのか。まだ生きていたのか。どうなんだ陽月』
陽月はゆっくりと首を振った。そのあと、れいびょうと大きく口を動かした。
『そうか、母の霊廟を見つけたんだな……』
『そうか、聖流の母の霊廟の場所が分からなかったが、陽月が見たと言うなら、割と早く見つかるかもしれん。出発しようか』
聖守が腰をあげた。
『待て、まだ陽月の体調が戻っていないかもしれないし、何であれほど冷たくなったのか……』
陽月は聖流の目の前で手を振った。大丈夫、もう出発できる。冷たくなってしまったのは、きっと、聖流の母を癒そうとしたからだ。でも、自分には無理だった。だからせめて、一刻でも早く聖流を母の元に連れて行きたい。本物の竜神の巫女ではないのに、自分は巫女として誓いを立ててしまった。なんとしてでも、早く行かねば。彼女が可哀相だ。
『大丈夫なのか、無理するんじゃないぞ。途中で倒れでもしたら、それこそ足手まといになるからな』
いつもの皮肉が戻って来た。やっぱり、今がでかけるタイミングだ。
陽月は大きく手を振り上げて、出発だと口を動かした。
歩き出した聖守と陽月のうしろを、眉根を寄せたままの聖流がついてくる。




