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死に化粧屋  作者: 海来
21/44

21話

『陽月、自分の念ずる力を信じろ。普通の人間を相手にするわけじゃない。素手でやりあうだけだと思うな』

 聖流の声は心配そうだ。

「大丈夫よ、戦える。やれって言うなら、ビルの上にだって飛び上れる気分よ」

『ほう、見てみたいもんだな』

 ふんっと鼻を鳴らし陽月は実月の動きに集中した。じりじりと近寄ってくる実月の姿は、かなり歳とっている。これまで他人から奪ってきた若さは、どうしたのかどんどん失われているようだ。

『女神も酷なことをするものだ。自分自身の力を与える代わりに、実月自身の中に蓄えられたものを力に変えさせてたのだ。このままでは、実月は戦わずに命を落とすだろう』

 落ち着いた冷ややかな聖守の声が陽月に聞こえた。いや、陽月にだけ聞こえているわけではないらしい、実月が動きを止め、愕然とした表情で陽月を見つめた。

「今しゃべったのは、竜神の声の筆。今言ったことは本当なの……」

 実月は自身の顔に手を当てた。今までにはないしわとたるみがはっきりと分かる。触っていた手に目をやった。そこには枝のように痩せ衰えた我がの手がある。それを凝視したまま、実月は叫び始めた。

 わなわなと震える手は自分の体中に触れ、狂わんばかりに怯えた表情になっていく。

 陽月は、目の前で怯える実月をただ見つめていた。本来の年齢をかなり通り越した姿に変貌していく実月を哀れに思う反面、祖母の葉月に苦しみを与えた実月に対して許せない思いもあった。実月が竜神の声の筆を奪いさえしなければ、今も祖母は生きていたはずなのだ。

「実月。あなた、私のお祖母ちゃんに何をしたか分かった。お祖母ちゃんはずっと苦しんできたのよ。死者を送る度にお祖母ちゃんは苦しんでた。あんたが、あんたがお祖母ちゃんを殺したんでしょ」

 陽月を見上げた実月の目は、何かに憑りつかれたように陽月の顔を凝視している。

「葉月、あんたは何で若いままなの。竜神の筆を渡しなさい。あれは私のものだった。美しく若いままなのは、私よ。あんたじゃない」

 実月は、陽月を自分の姉妹だと勘違いしているらしい。実月はさっと立ち上がり、勢いよく陽月めがけて突進してくる。

 実月の手が広げられると突風が吹きつけてきた。父が吹き飛ばされた風と同じだ。陽月は意識を集中して手刀を真上に向かって振り上げた。突風が切られ左右に分かれ、その中央を、鋭利な刃物のごとき実月に爪が迫ってくる。陽月は身を交わしながら相手の手刀を腕で止め、そのまま手を返して実月の手首を取り捻りあげる。その時、骨の折れる鈍い音がした。陽月の手の中で、実月の手首と腕があらぬ方向に折れている。

 実月の叫び声が上がった瞬間、陽月はその手を放した。座り込み己の手腕を抱き込んで実月は体を震わせている。あり得ない方向に折れた腕は、彼女の膝の上でぶらりと揺れた。

「折れたのね……実月、もうやめて。今のあなたに、私を倒すことなどできないわ。私から竜神の筆を奪うことはできない。あなたの体はとても脆くなってしまったの」

 実月がうめき声をあげるが、言葉にはならない。痛みが激しいのだろう。それでも、顔をあげ陽月を睨み続ける。

「実月、あなたが女神の欠片から出来ていたとしても、あなたは人として葉月の姉妹として生まれた。そして、人として育った筈よ。大切な家族を持って生きた筈よ。思い出して、実月」

 食いしばった歯をこじ開けるように実月が口を開いた。

「生まれた時から、葉月だけが愛された。両親にも、周りのみんなにも。最後には、母さんは竜神の筆さえ葉月に与えた。私には最初から何もなかった。なんにも無かった。どうして願ってはいけない、どうして奪ってはいけない。沢山持っているなら、たった一つくらい私に渡してもいいでしょ。葉月、竜神の筆を渡せ」

 瞳孔のない瞳がすぼまって、口元が引き結ばれる。

 陽月は、ゆっくりと実月に近付いた。

『陽月、やめろ。この女を癒してはいけない。信じるな。欲しい物を手に入れる為なら、何でもする女だ』

 聖流の言葉に陽月は大きく首を振った。

「実月は女神の欠片から出来ている。だから、生まれた時から愛を知らないのよ。与える事を知らない。奪うことしか知らない。でも、人として生まれて、人として生きてきたのよ。きっと心があるわ。実月は、祖母の様に生きたかった。今からでも、人として生きられる」

『いいや、無理だな。生きたところで、これほどに衰えた身体でどうやって生きる。一人では生きられない。誰かに世話してもらえるような奴じゃない。騙されるな、陽月』

「いいえ、聖流。それは違うわ。実月は、私の憐れみをかって癒させればいいのよ。でも、彼女はそれを良しとしないの。彼女の心が私に癒されることを拒んでる。私に癒されて、このままの姿で生きるなら、殺してほしいと思ってる」

「奪い取ってやるよ。お前の大事なものを全部。お前を殺してやる。嬲り殺してやる」

 実月が唸る様に脅してくる。こうして私をあおるつもりだろうか、そしてこの場で殺されようと……そんな事はさせないわ。

 陽月は実月の横に膝をついた。

「だめよ。あなたは生きるの。人として、これからの人生を生きるのよ。葉月の分も生きて、そして人として死ぬの。このまま死のうなんて駄目よ。あなたは女神の欠片なんかじゃない。人として生まれたのよ。だからきっと、愛する事を、大切にする事を知る事が出来る。葉月と同じように、愛される権利があなたにはあるのよ」

 瞳孔のない瞳が、何も語らぬまま陽月を見上げる。何を考えているのかなど分かりはしない。でも、陽月は人としての実月を信じた。

 そっと実月の折れた腕に触れた。元通りになる様にと、自分の中の癒しの力を探る。心も浄化できるならと、実月に向かって自分の心を開く。

『なんてことを……』

 聖守の声がかすかに聞こえた。

『馬鹿が……』

 聖流の声がはっきりと聞き取れた。二人は陽月の傍らにいた。陽月の心の傍にいるのだ。守る為に。

 実月の体は小刻みに震える。目を開けた陽月は、実月の腕に落ちて行く自分自身の涙を見た。いつの間にか泣いていた。幼い実月の愛を欲する心が見えていたからかもしれない。憐れだった、悲しかった、実月は生まれてからずっと、陽月の祖母であり、実月の双子の姉妹である葉月だけを見ていた。憧れと妬みと憎しみと触れ合う手の温もりが、実月の中でごちゃ混ぜになっていた。

「大丈夫よ、あなたは人として生きられる。一緒にうちに帰りましょう。私のうちは、あなたの生まれた家でもあるんだから」

 自分が癒した実月の腕を取って立ち上がらせようとした。だが、実月はその手を払いのけた。

「誰があんな家に行くもんですか。葉月のいないあの家は、何の価値もない古寺だわ」

 立ち上がった実月は、陽月に目もくれず公園の出口へと歩き出した。その足取りは覚束ない。

「誰の世話にもならなくたって生きていけるだけのお金は持ってるのよ。あんたの世話にはならない」

「そう、でもたまには会いに来て、実月おばあちゃん」

 ちっと、実月の舌打ちが聞こえた。

「あんたのお祖母ちゃんじゃないわ。よく覚えておくのね、きっと必ずあなたの大切なものを奪いにいくから。癒した事を後悔させてやる」

 そう言って、実月は公園を出て行った。

「楽しみにしてる」

『本当に、実月の言ったことを覚えておいた方がいいだろう。きっといつか奪い返しに来るだろうからな』

 聖守はため息交じりに言った。

『いいか、陽月。危険なまねはするな。あまりにも禍々しい心を持った者に、自分の心を開くなど愚の骨頂だぞ』

 陽月は微笑んでいる。

「心を開かなければ、相手の心は見えてこないわ。私にはね、とっても強い竜神の兄弟が付いてるのよ。だから大丈夫だと思った。実月の心に可能性が見えたの。だから、あなた達に助けてもらってでも癒したかった。ごめんなさい、心配させて」

 陽月の胸の中で温かなものがほわっと広がった。それが聖流だと陽月には分かった。口ではどんな事を言っても、聖流が自分を守ってくれると信じている。それが、陽月の未来を守ることだとしても、聖流は必ず守ってくれる。そう信じた。

「実月はもどってくるわ。私に会いにね」

『呆れた竜神の巫女、類稀なる強い心の持ち主と言うわけなのか。聖流、お前は苦労するぞ』

『お前もだ、聖守』

「ねえ、背中の傷、痛まないんだけど。自分で治しちゃったのかな」

『俺が治したに決まってるだろうが』

 聖流の声に重なって、聖守のくすくすと笑う声が聞こえた。




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