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死に化粧屋  作者: 海来
18/44

18話

『ひつき……』

 聞きなれた声が陽月を呼んでいる。聖流、いったいどこに行ってたの。

「何処にいたの聖流。月花が大変な時に……あ……ここ」

 陽月は大岩の上に寝かされていた。少し距離をとってその横には聖流が座っていて、じっと陽月を見つめている。その横には聖守もいた。

『陽月、お前は過去を夢で見るらしい。女神を知っている事も、私達の幼い頃を知っている事もこれで説明が付く。お前はよほど、聖流と繋がっているのだな。それで、月花に出会ったのだな、陽月。聖流がいなかったという事は……あの戦の頃か。弓一郎ゆいちろうには出会ったか』

「ゆういちろうって誰」

『月花の夫、戦場で腹を切られ死にかけていたところを月花が救った兵士だ。年の頃は、月花と大差ない。聖流がいない間に生者を癒したのは奴が最後の一人だった。そのあと、月花は長い間動く事が出来なくなってしまったのだから』

 あの兵士は、月花と結ばれる人だったのか。とても大事そうに彼女を抱きしめていたのを思い出す。

「ええ、あなたの言う通りなら、ゆういちろうさんに会ったわ。と言っても、私は勝手に見てるだけなんだけど」

 聖守がゆっくりと頷いた。

『そうか、ならば教えよう。月花と弓一郎の間に生まれる女児が、お前まで続く竜神の巫女となる。月花の血がお前にも流れているのだ。そして、癒しの力を持って生まれた月花の力を凌駕する力を、お前が持って生まれた。戦場で、月花が死者を癒し、生者までもを癒すのを見たのだろう。これから始まる戦いの中で、お前が背負うことになる使命も月花と同じ。いや、それ以上になるだろうと私は考えている。なぜなら、お前は聖流と』

『やめろ、それ以上は言うな。これからどうなるかなど、誰にもわからないのだから。頼む、聖守言わないでくれ』

『お前は何を隠そうとしている、聖流。己が逃れた事で起こってしまった事を、折り合いをつけようとした事を、隠すのか。なぜだ。誰から、何を隠そうとしているのだ。お前が隠し通したところで守れるものなど何もない。あの時と同じ過ちを繰り返すのか聖流。ものには必ず定めがあり、それを犯してまで道理を捻じ曲げようとするなら、今度はお前は命まで失ってしまうだろう』

 聖流の口からギリッと奥歯をかみしめる音がした。顎が震えるほどに噛みしめている。目を閉じたままで眉間にしわが寄った。

『聖守……お前にも分からぬ事もある。俺が守りたかった本当のものが何なのか……お前には分かる筈もない』

『いつも同じだ。そうやって言い逃れればいい。言い逃れれば言い逃れるほどに、お前の命だけでなく……今度は愛する者の命まで失うのだぞ……間違いなく……受け入れるのだ。聖流、おのれの欲する者を受け入れろ』

 聖守の言葉に、聖流は岩壁に背を預け目を閉じてしまった。小さく震える唇が言葉を発するまでに、永遠の時が必要なのではないかと陽月が思い始めた頃、聖流は口を開いた。



 弓一郎と出会ったあの戦の時代。あまりにも多くの死者が出たのは覚えているだろう。兵士だけにとどまらず、平民たちでさえ、戦禍に巻き込まれていった。それでも死者だけを癒していた頃はまだ良かった。月花は、負傷した人達まで救おうとし始めた。

 月花の癒しの力は強かったが、俺たちなしでは月花自身が耐えられない仕事だ。月花は、生者を癒す度に自分自身が衰弱していく事にも頓着しなかったから俺は耐えられなくなっていったんだ。このままでは、月花の命が危ないと思った。このままでは、若い月花の体と心が老いさらばえて行くと……不安でならなかった。月花を守らねばならなかった。彼女の傍を離れて、自分の存在を危うくしてでも、俺には守りたいものがあった。

 だから、聖守にも月花にも何も言わぬまま、この身を折った。そうすれば、月花が生者を癒す事をやめてくれると思っていた。まさか俺のいないまま危険なことを続けるなどとは思いもよらなかった。

 弓一郎を救い月花の体が生死の境を彷徨うことになって初めて、俺は月花が生者を癒す事をやめていなかったと気付いたんだ。俺が選んだ道は間違っていたのだと気づいてももう遅かった。俺は竜神の筆に戻る事が出来なかった。もう二度と戻れない、月花を救うことも叶わなくなってしまった。

 俺には、自分が守りたかったものを守る事が出来なかった。月花を守ることも、月花の未来を守る事も出来なかった。俺の傲慢さが、結局は月花もその未来も危険に晒したんだ。俺はみんなを裏切った。





 聖流の声が震えていた。黙って聞いていた陽月は、聖流が泣いているのかと思った。傍に行って、その体を抱きしめて慰めてあげたかった。でも、自分は聖流には触れられない。触れれば、また、過去を見ることになる。聖流自身が語る言葉を聞きそびれてしまう。

 でも、と思う。目の前の男は、遠い遠い昔に自分が下した決断を、今でもなお後悔し心を痛めているのだ。どれほどの年月を自分を責めてきたのだろう。ともに竜神として生きてきた兄にさえ言えず、心の奥底にため込んでいたのだ。

「あんたは月花を守りたかった。自分の欲する守りたいものは、月花の未来に関係しているんでしょう。だから、月花を守ろうとした。でも、月花を大切に思う気持ちは嘘ではないはずよ。裏切ってなんかいないわ。二人とも、聖流を信じていたんだから」

 聖流は顔を上げて陽月をじっと見つめた。

『裏切りだ。信じてくれていたからこそ、俺は裏切り者なんだ』

 陽月は、ふんっと鼻を鳴らした。

「ひねくれ者ね、聖流。そんなことじゃ、自分が守りたいものにそっぽ向かれるんだから。そうやって殻に閉じこもって、自分だけ可哀相なフリをしてればいいわ。あんたなんか、可哀相だなんて思ってやらないんだから」

 聖流は驚いたように目を見開いた。その横で、聖守も目を見張っている。

『ああ』

 なぜか、聖流は小さく微笑んだように見えた。

「なによ、馬鹿にしてるんでしょう。私の言うことなんか聞く気ないんでしょ。私になんか何と思われてもいいんでしょうから」

『いや、よーく聞いてるさ』

 口角を片方だけあげて黙ってしまった聖流の肩に聖守がそっと手を置いた。

『それで竜神の筆に戻れなかったお前は、誰にも気づかれない様に弓一郎の中に入ったのか。他の誰かになってまで、月花の元に戻りたかったのだな。それほどに愛していたならば、弓一郎として暮らす事はどれほど辛かったことか』

 聖流が首を振る。

『ちがう……だからお前は何も分かっていないと言ってるんだ。頭から決めつけてる。陽月でも分かることがお前には見えていない。俺は、男として月花を愛した事はない。ましてや、弓一郎として生きたわけでもない。ただ、弓一郎に己の力を預けたんだ。奴が月花を癒すせるようにな。月花が愛したのは弓一郎自身だ。勿論、月花を愛したのも弓一郎自身だ。お前は思い違いをしていた、ずっと。俺は弓一郎に預けた力を取り戻すまで、竜神の筆に戻ることはできなかった。ただそれだけだ』

 訝しげに首をかしげ、聖守は弟をじっと見つめた。

『お前が守ろうとしていた者とは、誰だ。私には、お前が月花を守ろうとしているとしか思えなかった』

『聖守。俺には分かっていたと言うだけだ。いつか俺の前に現れる……自分の心が映しだす面影を……俺は愛した。いつか、俺を俺として受け入れてくれる人が現れると、俺は信じたんだ。それを守る為なら、俺は何だってするだろう。それを阻むものがお前であっても、俺は決して譲らない』

『そうか、お前は月花の未来を守ろうとしたんだな……いつか現れる愛しい者の為に。それが』

 聖流の手が兄の顔の前でぴたっと止まった。

『どうなるかなど、分からないと言った筈だ。それ以上はお前の胸の内にしまってくれ。俺の事を理解していると言うなら、何も言うな』

 ぐっと聖守の口元が固く結ばれた。

『ああ、分かった』

 聖守は陽月へと目を向けた。

『聖流の想い人が気にならないのか』

 陽月はこくりと頷くと視線をそらし、顎をくいっとあげた。まるで、自分の心を押し隠そうとしているかに聖守には見えた。

「誰かを思う心にまで土足で踏み入ろうとは思わないわよ。聖流が愛する誰かが現れるといいわね。思いが届くといい。それだけ」

 そう言うと、陽月は不敵に笑った。

「月花の未来を守るために月花を守ったなら、私のことも守ってくれるわね。だって、もしかしたら私が生む女の子が、あんたの想い人かもしれないじゃない」

 可笑しそうに聖流が笑った。

『それはない、絶対にな』

「なによそれ、あんたが私を気に入ってないことぐらい知ってるけど、私の娘は可愛いかもしれないのよ。絶世の美女だったらどうするの。今の言葉は撤回できないわよ。よーく覚えてなさいね、トカゲ」

 聖守が声を出してくすくすと笑った。

『そう言うことか、聖流。お前は昔よりも随分と分かりやすくなったのだな』

『うるさいぞ、聖守。そんなことより、もっと大事な話を聞いていない。いったい、女神は何を企んでいるんだ』

 それに反応するように、聖守の表情がいつものように静かに冷ややかになっていく。



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