16話
陽月が着替えを済ませ、葬儀場を後にする頃には玄関にパトカーがやって来た。女の言葉を信じた誰かが、警察に通報したのだろう。だが、あまりに唐突な話に、直ぐには警察も女を連行して行く事はないだろう。このまま女が警察と共に出てくるのを待つ気はなかった。
あとは、女が己の罪を心から償うだけだ。陽月に何かしてやる事は出来ないし、そんな力は持っていない。ただ、あの女が女神とかいう何者かに動かされていたとしたら、憐れでならない。
「さ、家に戻りましょう」
そう言った陽月に実月が後をついていく。他の者には見えてはいないが聖流もついてくる。玄関を出るときに、葬儀のために来ていた父が小走りに陽月の元へ近づいてくる。その切羽詰まった父の表情を見ていると、これからの事が不安になってくる。父は必ず娘を守ろうと無理をするのだろう。だが、父にはそれに対応できる能力はないのだ。けっして父を危険に晒したくない。
「何をしている。実月、さん……娘にちかづ」
父はいきなり話をやめた。そのまま何事もなかったように戻って行ってしまった。
「聖流、今夜はいいけれど……お父さんをあまり自由に動かそうとしないで」
『どんなに説明しようとも、裕之には私達を見る事も、声を聞く事もできはしない。裕之は普通の人間なのだ。あまり深く関わらない方が安全だろう。そう考えたのは、聖流でも私でもない。陽月、お前なのだよ。あれはお前が父親に深くかかわって欲しくないと願ったからだ』
陽月は驚きに聖流を凝視した。そのあと、父親が戻っていく後ろ姿を食い入るように見つめる。聖流はちらりと聖守を見てから頷いた。
「本当に私なの。確かにお父さんを遠ざけようと思ったけど。思っただけで」
『ああ、聖守の言うとおりだ。お前の力は、お前の想いの強さに左右されるようだ』
大きく息を吸い込んでから陽月は歩き始めた。早く人目につきにくい場所まで行って、思う存分この二人に話を聞くのだ。これからの自分のために。
「急ぐわよ。え、ちょっと、何なのよ」
葬儀場の駐車場を抜けると、いきなり陽月の目の前が真っ暗になった。
「何。どうしたの」
慌てた陽月は自分の腕を握る実月の腕をもう片方の手で握った。その手の中に、何かが掴まされたが、なんだか手によくなじむその感触には覚えがある。
『大事なものだ、持っていろ陽月』
「大事でしょうね、実月にとっても。どうして私に渡すの。なにを考えているの、あなたが敵なのか味方なのか分からない」
『陽月、大丈夫だ。俺がいる。お前に触れる事は出来ないが、聖守の行動は把握している。心配いらない、こいつに勝手なまねはさせない』
『私も疑われたものだな』
『しばらく離れていた間にお前が何を考えているのか、俺には分からなくなった』
『前には分かっていたとでも』
『分かっているつもりだった。そうではなかったらしいがな聖守』
『分かっていたことなど欠片ほどもないのだ、お互いに』
「二人とも、いい加減にしてよ。こっちは真っ暗で何も見えてないのよ。口喧嘩なんか聞きたくもないわ。ここが何処なのか説明しなさいよ」
『もう着いた。自分の力を使って見てみろ、できるだろうが』
「なによ聖流、簡単に言わないでよ。真っ暗な所で物が見える力なんて持ってないわよ」
『聖流、もう少し親切に教えてやれないのか。陽月には、自分の能力を理解するための時間と経験が必要なのではないか』
『いや、必要などない。ほら』
「なに、ここ……洞窟なの。で、あなた誰……いや、ちょっと待って。勿論分かるわよ。目よ、そう目。真っ黒なのに、真中だけ赤いのよ。そうね、聖守」
目の前の男は、真っ直ぐな薄い色の金髪をかき上げ陽月を見ている。うっすらと微笑んだように見える唇は薄情そうに薄い。確か、聖流とは異母兄弟の筈だがあまり似ているようには見えない。邪悪な感じが、夢の中で見た彼の母親に似ているようだ。
『ほう、聖流の言うとおりのようではないか。やはり、かなりの力を持っている』
「そのようね。ところで、ここは何処なの」
聖流が大岩に腰かけて背を壁に預けた。
『ここは、お前の家にある竜神の祠の中だ。誰も此処へは入ってこられない。俺と聖守だけだ。だから、聖守は実月から離れたんだ』
『ああ、陽月とお前がいてくれたおかげで、実月から放れる事が出来た。此処に戻るのに、これほど時間がかかるとは思いもよらなかったがな』
薄暗く広い洞窟の中には、聖流と聖守がいるだけだ。所々に大岩がある以外、これと言ってなにもない。此処に来る時には実月も一緒だった筈だ。何処に行ったのだろう。
「ねえ、実月は何処にいるのよ」
『実月は自宅へでも戻るだろう。その頃には意識もはっきりする筈だ。筆をお前に渡したあとに、外に出したのでな。これからは、私なしで人生を終えてもらうことになる。初めから、私はあの女のものではないのだから』
聖守が微笑んだ。確かに微笑んだのだが、その笑みは冷ややかで、陽月は背筋が冷たくなるのを感じた。
「実月は、彼女はどうなるの。あなたの力を失って……あの若さは……。ねえ、実月のあの若さは、どうやって保ってたの」
聖守が聖流をちらりと見た。聖流は大きくため息をついた。
『陽月。竜神の筆は、死者の生前の苦しみ痛みを癒すことによって、その姿を生前よりも美しく若々しくする。それが、死出の旅への贈り物だ』
『私……竜神の声の筆は、死者の生前の行いを浄化する。ただ、その魂の若さを奪うこともできるのだよ。その者の罪深さによっては、生きたままその若さを奪われる事もある』
「まさか……そんなこと。実月は誰かから若さを奪っていたと言うの」
『ああ、罪深き者を見つける能力だけには長けていたようだ。お気に入りは、若く美しい罪人だった』
「お祖母ちゃんは、仕事をするたびに苦しんで、老けこんでいった。でも、生きた人から若さを奪ってそれを補わなければいけないなら、それが罪人であっても、お祖母ちゃんはそれを選ばなかった。私も、選んだりしない。私には聖守は必要ない」
大岩の上で聖流が首を振った。
『ちがう。実月がそれを選んだだけだ。本来、竜神の声の筆は魂の浄化を行うんだ。竜神の筆で癒された魂をさらに浄化することで死者は救われる。その仕事をした巫女は、その癒しと浄化の合わさった力を浴びることで、自身の体や心が蝕まれるのを防ぐんだ。葉月は、俺しかいなかったから……力が足りなかった。死者によっては、かなりの苦痛や、時には邪悪さを持っている者もいるんだ。葉月は年月を重ねるごとに弱っていった』
『陽月、お前にはそんな辛さは味わわせないと誓おう。お前の仕事は、祖母よりもかなり過酷なものになるのだから』
聖守の言葉に、陽月の眉がぴくりと動いた。それを見て、聖流はため息をつくと、また首を振った。
『聖守、お前が何を知っていて、これから何をしようとしているのか、ここらではっきりさせようじゃないか。陽月が背負う過酷な仕事とは何なんだ』
『事と次第によっては、黙っていないとでも言うのか、聖流』
『ああ、お前とお前の母親が結託していないとどうして言える』
「聖守の母親って女神様なんでしょう。とても心やさしい女神様には見えなかったけれど。あら、ごめんなさい……」
訝しげに陽月を見つめた聖守は、聖流とは反対にある大岩に座った。その姿は、ぴくりとも動かず仏像のように見える。
『母は、女神と言う名の強欲なただの女だ。そして、大いなる力も持っている。葉月は双子で生まれてくるはずではなかった。女神が受精する前の卵子にいたずらをした。竜神の巫女としての力が、葉月に集まらないようにするために。女神の思惑は叶った。葉月は実月によって竜神の声の筆を奪われたばかりか、竜神の巫女として代々受け継がれるべき女子を産み落とすことができなかった。その時代で、竜神の力は失われるはずだったんだ。陽月が生まれるまでは、女神もそう信じていた』
『陽月が生まれた時には、その力が葉月をはじめとするこれまでの巫女の力を凌駕すると、すぐに気付いた。聖守、女神の目的はなんだ。お前を取り戻すことだなどとは言うなよ。あの女が、そんな母性を持っているなどと俺は思っていない』
静かに座っていた聖守の肩が震えて、小さな笑い声がした。
『女神はそう言ってたよ。だが、母の言葉を信じるほどに私は愛されては来なかった。あの人の中に、愛などというものは存在するはずもない。女神は、竜神の巫女の力を奪い、竜神を弱らせることによって、これから始まる戦いに、始まる前から勝利できると思っていたのだ。陽月が生まれたのは、女神の誤算。だが、大神の意思かもしれん』
『大神……戦いだと……』
『ああ、今から戦国時代へと向かっていく』




