13話
実月はショッピングモールからずっと化粧品コーナーの客の後を追っていた。女は古めかしい家の玄関前に車をつけると中に入っていった。実月は路上駐車すると後に続いて中に入る。もちろん、今、実月の身体を使っているのは聖守だった。中に入って、迷うことなく廊下を歩いて奥の間に辿り着く。そこにはやはり女が立っていた。その前には、ずいぶんと久しぶりに見る顔があった。
『ははう……いや、女神さま。お久しゅうございます』
女神は大きな背もたれのついた豪華なイスに横柄に座っている。椅子だけではなく、その部屋そのものが古めかしいこの家にはそぐわない。女神の力でこの空間は作り出されているのだろう。何処にいても、何をするのでも、己の見栄と欲をふんだんに注ぎこまねばならない様だ。まるで、ここは自分がいるのが当たり前の場所ででもあるかのように、ゆったりとくつろいでいる。
「我が子よ。よく私がいる事がわかったね」
『あなたの匂いと気は、他の誰とも違いますから。その女に、何をしたのです。まだ、私たちに関わろうとされるなど、思いもよりませんでした』
女神がくすくすと笑い声を立てる。
「聖守、お前のことを私が忘れるとでも思っておったのか。あの愚かな聖流などどうでもよいが、あれとお前は対になっておろう。やっと離す事ができる時がやって来たようじゃ。嬉しかろう、聖守」
『あなたの魂胆がわからない。私を聖流と結びつけたのはあなたではないか。怒りにかられ、息子を竜神にしてしまった。今更、何をしようと言うのです』
女神の眉間にしわが寄る。眇めた目には白い所は全くなく、真黒な眼球の中に星が散らばっている。
「怒りにかられて、母が愚か者になったとでも。聖守、お前を竜神の声の筆に変えたのは大神じゃ。聖流が無事に竜神として成長できるように計らったのは私ではないわ。お前に私を憎ませる為に、あの男が仕組んだ事よ。なぜ、私がそんな事をする。私はお前を取り戻す時を待っていただけ。それが今じゃ。あの娘と聖流を結びつけ、お前は解放される。あの愚かな汚れた男は、やはり汚れた人間と結びつくのが身の程というもの」
『それで、その後彼らどうなるのです。そのまま幸せに暮らしましたにはならないのでしょうね』
女神の笑い声は轟音となって鳴り響いた。
「おかしな事を言う。そのまま幸せに暮らせばよいわ。人間などのその後を考えるほど、私は暇では無い」
聖守はそっと後ずさり部屋を出た。
「聖守。まだ話は終わっておらぬぞ。それに、何時の間にそなた、実月の体を思うように使えるようになった」
『思うように使えてなどおりません。ただ、この女が寝ている間だけですよ。では、失礼いたします女神さま。そろそろこの女も目覚める頃ですので急ぎませんと』
一度も振り返ることなく実月の身体の聖守は車に乗り込んだ。実月の身体がびくっと震える。
「……ちっ、またなの。勝手に人の体を使わないでよ」
荒々しく首を振ってからエンジンをかけ、アクセルをいっぱいに踏み込んだ。最近になって、自分の意思ではなく動いている事が多くなってきた。竜神の声の筆を思い通りに使う事も難しくなってきたのだ。その原因が実月には分からなかった。いままでこんな事はなかったと思うのに、いや、もしかすると自分が気づいていないだけだったのだろうか。今更、竜神の声の筆の持つ力に不安を感じ始めた実月だった。
「速水さん、疲れてるんじゃない。お祖母さん亡くされたばかりだし、昨日から変な事起きるしで、精神的に参ってるのかな」
先輩が首をかしげて陽月を見ている。さっきから聖流と話していたのを、遠くからでも見ていたのだろう。一人でぶつぶつと呟くのは、やはり変人にしか見えないのだ。
「そうですね、ストレス溜まって独り言が多くなってるのかも。すみません、心配掛けて。あ、先輩そろそろお昼ですよ。先に行かれますか。今日は私のせいで遅番なのに早く出てきてもらっちゃいましたから、先輩のいい方で構いません」
「うーん、そうね。あ、でもほらお客様みたいだから。速水さんお先にお昼休憩どうぞ」
先輩の視線の先に見えたのは、まさか、陽月の母親だった。
「あー、先輩。あれ私の母です。だから、お昼お先にどうぞ」
「えー、今日はあなたの親ばかり来るのね。申し訳ないけど、ちょっとがっかり。でも、お母さんには言わないでね。じゃあお先に行ってくるわ」
先輩は陽月の母親に軽く会釈してコーナーを離れた。
「さっきお父さんも来たのよ。今度はお母さんなの。どうしたのよ」
ちょっと驚いた表情になったが、母親は申し訳なさそうに顔をしかめた。
「お父さんが何も言わずに寺を出たのよ。それが、今朝、不幸があって今夜お通夜で明日お葬式になったんだけど、お父さん携帯持って出てなかったから、連絡取れなくて。あなたの所に来てるなら、おとうさんに頼んだのに」
「何を頼むの」
母は少し恥ずかしそうにもじもじしてから、思いきった様に言った。
「今夜のお通夜は葬儀ホールでされるんだけど、ご遺族が死に化粧もうちに頼んでこられたの。檀家さんだから、お断りできなくて……でね、お祖母ちゃんには基本を教わっているから、母さんがしようと思ったんだけれど、道具がないじゃない。お祖母ちゃんのは、私には使えないし。だから、陽月に頼んで道具をそろえてもらおうって思ったのよ」
母が死に化粧をする。もちろん母には速水の血は流れていない。祖母と同じに仕事をこなせるわけではないだろうが、檀家の頼みでは断れなかったのだろう。檀家は、どんなに長い付き合いであっても、速水の女が担う本当の仕事の意味は知らない。だから、祖母が亡くなっても、息子の嫁にその代りが務まると思っているのだろう。
「お母さん。今日の仕事が終わってから、私が行くわ。お母さん、不安なんでしょう、顔見れば分かるよ。私に任せて、これでも、メイクのプロよ」
母親がちょっと気まずそうに微笑む。いったん目を閉じてから、大きく目を見開いて頷いた。年齢の割に可愛らしい感じのする人だが、こうやってはにかむような仕草をすると、よりそう感じる。
「やっぱり無理だって陽月には分かっちゃうのね。私、メイクの才能皆無なのよね。今夜の方は男性だから大丈夫かなって思うんだけどね。やっぱり無理よね。腕が良ければ、自分の顔ももっと美人に出来るのにって思ったんでしょ」
「いいえ、可愛いなって思ったよ。おかあさん」
顔を真っ赤にして、娘の腕をバシッと叩いた。
「嫌な子ね。もうからかって。でも、陽月に頼むことにする。でも、仕事いいの」
「今日は早番の日だから、って言っても、さっきの先輩も早出してくれてるんだけど。うん、頼んでみるよ。最近迷惑かけてばっりなんだけど、きっと大丈夫だと思うから安心して。何時に行けばいい」
ちょっと思案してから母が答えた。
「そうね、お化粧以外は私が済ませておくから、5時頃には来られるかしら。お通夜は6時半からだから、それがぎりぎりだと思うわ」
早番でも、上がり時間は6時だ。このモールは朝の8時から開店しているため、早番と遅番が決められている。
「んー、頼んでみる。先輩とマネージャーの許可が出たら、直ぐに連絡するから」
「そう」
大丈夫なの、とでも言いたげに母親の顔が曇るのをみていると、祖母にかわって死に化粧を施す仕事を中心に考えねばならないかもしれないと、ふと頭をよぎった。
「うん、大丈夫よ。色々忙しいでしょう、お父さんの準備もあるんだし。早く戻って」
頷いて母親は帰って行った。
『間に合うのか。初めての仕事だぞ。そう簡単ではないかもしれない』
マネージャーと先輩に必死に頭を下げ、分かってもらった。今は葬儀ホールへと向かう途中だ。巫女の衣装を着て祖母は仕事をこなしていたので、檀家さんの葬儀なら同じようにせねばならないと、母親がホールへ持ってきてくれている。巫女の姿になる事も巫女としての死に化粧も、陽月にとって初めての事だ。緊張しないわけではないし、祖母にした死に化粧の失敗を思い起こすと不安になる。
「大丈夫よ。これでもメイクはプロよ。黙ってなさい」
『そうか、今回は俺が一緒だ。案ずるな』
そう、今回は竜神の筆を持っているのだ。恐れる事はない。陽月は自分に言い聞かせた。




