19 冷めるほとぼりに狡猾な思案
それから秋人はフランリーの屋敷に向かった。予想どおりあまり歓迎はされなかったが追い返されるわけでもなく、彼は秋人を匿ってくれた。
ライニを去ってから数日。秋人は心の傷を癒すという名目でぼんやりと無気力にすごしていた。日中は森の中を散歩したり、屋敷の中を掃除したりして時間をつぶす。財布の中身が心もとないため町での食事や買い物はできないが、刈人が調達してきたウサギやタヌキを調理したり、秋人自身も食べられる野草や木の実を採取できるため、意外と生活には困っていない。
夜行性のフランリーは夜明けとともに眠って日暮れに起きだしてくる。彼が昼間に起きているのは探偵が来る日だけだ。生活リズムが違うため夜に少し話す以外ではほとんど顔を合わせない。
刈人も基本的には夜にしか活動しない。てっきり彼も夜行性なのかと思っていたが、真昼に姿を見せることもある。彼の種族にはもともと昼も夜もなく、習慣によって活動時間を変化させて順応することができるらしい。フランリーと暮らすために夜行性になったのだ。彼と会うまでは昼間に活動していたらしい。最近は秋人の様子を見るために昼に起きる日も設けるようにしたと言っていた。心配してくれているのか、ただ秋人を警戒しているのか。声のトーンからは判断がつかない。おそらく後者だ。
「探偵、話があるんだ」
いつになく神妙な顔で告げる秋人。しばらくぶりに屋敷を訪れた探偵はダイニングのソファに腰かけて、そのへんに積まれてあった本を手に取る。まるで秋人の話など聞いていないかのような態度だが、体はこちらを向いているので、聞くだけ聞くつもりではあるようだ。
「知ってのとおり、俺は何度死んでも生き返る体質だ。今までずっと死ぬたびにいろんな町を転々としてきた」
現状、この世界において秋人の存在は未知としか言いようがない。その他の亜人種族のようにその名が世間に知れているわけでもなく、そもそもありえない存在なのだ。
リチャンの宿で混乱が起きたように、秋人の正体が世間に知れれば大変なことになるだろう。今まで以上に身の安全に気を配る生活になる。殺しても死なない秋人の命の価値は軽い。だからこその危険もある。死なないからこそ慎重になる必要があるのだ。死ぬたびに移住するのも、誰にも打ち明けられなかったのもそのためだ。しかしいつまでも今の生活を続けられるとは考えていない。
秋人が続きを話そうとすると探偵は白手袋の手のひらをこちらに向けた。
「待て。中身の詰まっていない長話をだらだら聞かされるのは御免だ。要は保身のために私のコネでギルドに身を置きたいということだろう」
「話が早いな」
「まあ、たしかにあのギルドはギルド員に仕事だけでなく住処も与えている。公言しづらい複雑な事情を抱える者も多い。亜人に対する理解もある。身を隠すにはうってつけかもしれないがな。しかし」
探偵は秋人を頭から足まで流すように見てため息を吐いた。
「ギルド長が貴様を認めるかどうか……正直、期待はできないぞ」
「そのギルド長さんを説得するのを手伝ってくれよ。探偵からの紹介ってことでさ」
「私が手を貸したところで劣勢であることに変わりはない。そもそも、それでは私が貴様の面倒を見るはめになるだろうが」
「それはそうなんだけど、今の移住生活も長くは続けられないだろ? 俺はひとつの町に五年以上は留まれないし、そのタイムリミットが来るまでに死んじゃって移動することだって多い。一度住んだことのある町にもう一度住むには、何十年か経って俺を知っている人がいなくなってからじゃないと危険だし。今までどおり移住し続けていたら、そのうち住める場所がなくなる。かといって、いつまでもここに置いてもらうわけにもいかないし……今のところフランリーはなんにも言ってこないけどさ」
「……まったく、來坂礼との話し合いほど面倒なものはないというのに」
「どんな人?」
秋人が問うと、探偵は顎に手を当てしばらく考え込み、やがて一言、
「恐ろしい人間だ」
と言った。
*
秋人がギルドを訪れたのはその二日後のことだった。列車を降りて探偵と合流し、駅舎を出てにぎやかな大通りをまっすぐ進んで行くと、ロワリア国で最も大きく立派な建物がある。それが件のロワリアギルドだ。
正門を抜けて建物の中に入る。すれ違うのは秋人よりも年若い少年少女ばかりだ。にぎやかな空気から逃げるように廊下を進み、二階へ続く階段をのぼる。二階は一階よりも人が少ないのか、打って変わって非常に静かだ。先ほどまであたりを満たしていた楽しそうな話し声が途端に遠くなる。厳かとまではいかないが、一階を歩いていたときとは違う種類の緊張感を覚える。
青色のような灰色のようなよくわからない色の壁に囲まれた廊下を歩いていると、あるとき探偵の名を呼ぶ声がした。
「探偵、今帰ったのか」
振り返ると茶髪の青年が無表情にこちらを見ている。左の頬に大きな一本の傷痕がある。身長は秋人とさほど変わらず、ぱっと見た印象では二十歳前後に見えるが、振る舞いが落ち着いているためもう少し上のようにも思える。青年は秋人をちらりと見てから探偵に視線を戻す。
「そっちは」
「連れだ。ちょうどいい。來坂礼とロア・ヴェスヘリーは司令室にいるな?」
「ああ、いつも通り司令室だ。なにか依頼でも持ってきたのか」
「そうではないが、あの支部長サマにひとつ話があるのだ。副支部長である貴様にも同席してもらおう」
「えっ」
歩きながら言う探偵に青年は無表情のまま動揺した声をあげる。感情が顔に出にくいタイプなのだろうか。探偵が歩きだしたので、青年は言われるがままついてくる。秋人がどうも、と首だけで会釈をすると、彼も同じようにして会釈を返した。
傷痕の青年は雷坂郁夜と名乗った。ギルド長、來坂礼の補佐官であるらしい。ギルド長とは兄弟なのかと思ったがそういうわけではないそうだ。姓の読みは同じだが、字が違うらしい。秋人と郁夜がお互いに短い自己紹介を済ませたとき、探偵が突然立ち止まってこちらを見た。
「おい、いいか。これから來坂礼と対面するにあたって、してはならないことをひとつ教えておいてやる」
「してはいけないこと?」
「來坂礼の前では絶対に嘘を吐くな。やつからの問いには必ず正直であれ。決して嘘でごまかそうとするな。答えられないことや、言いたくないことがあれば、素直にそう伝えることだ。貴様の思考も感情も、やつにはすべて筒抜けであると心得ろ」
「え、來坂さんってそんなに怖い人なのか?」
「礼は基本的に人当たりがいいし、俺や探偵よりよっぽど愛想がいい。性格自体は穏やかだぞ」
隣で郁夜が言う。だが探偵がここまで強く念を押すということは、それだけ気難しく恐ろしい人物なのだろう。一見すると穏やかだが、それに惑わされて気を抜いてはいけない――ということだろうか。秋人の不安を見抜いてか、探偵は補足する。
「あの男には本当に、嘘もごまかしも通用しないのだ。そういう能力がある。嘘を吐けば貴様の印象が悪くなるだけだ。余計な摩擦を生まないためにも、とにかく正直に振る舞え」
「わ、わかった」
両開きの扉は開け放しになっていて、先に郁夜が部屋の中に声をかけながら入っていく。ほぼ同時に探偵が開いたままの扉をノックした。固い音が壁に床に天井に跳ね返り、部屋の中に反響する。
大きな円形の部屋の中。壁沿いに並べられた本棚には本やファイルが敷き詰められており、床には棚に収まりきらなかった資料や本が山積みになっている。部屋自体は広いはずだが、それらのせいで少し狭く見える。手前には二人掛けのソファが二台、低いテーブルを挟んで向かい合わせに置かれており、部屋の奥にはデスクと革張りの大きな一人掛けチェアがあり、そこに眼鏡をかけた青年が座っていた。
独特な色合いの綺麗な青髪に、紫色の大きな瞳。童顔だが顔立ちは整っている。空色の軍服を着崩した、堅すぎず緩すぎない出で立ち。おそらく彼が來坂礼だろう。郁夜が彼に向かって礼、と声をかけた。
「礼、探偵からお前になにか話があるらしい」
「話ぃ? 珍しいなぁ、改まって」
來坂礼は郁夜より少し高い声でそう返す。探偵はソファに腰掛けるが、秋人はどうしていいかわからず部屋の入口で立ち止まったままだ。
「ロア・ヴェスヘリーはどうした」
「ロアならついさっきコーヒーを淹れに行ったよ。すぐ戻ってくる」
それからほどなくして一人の少女が司令室にやってきた。手には銀色のトレイがあり、カップが五つ。礼と同じ青い髪に紫の瞳。彼女も空色の軍服を着ているが、礼と違って着崩してはいない。礼と瓜二つの容姿を持つ、少年のような風貌の少女は、秋人を見ると軽く笑んで部屋の中へ招き入れた。
ロワリア国の化身――ロア・ヴェスヘリーのことは、過去に何度か雑誌や報道誌で目にしたことがあった。
少女は探偵の前に紅茶を、その正面に座る郁夜の前にコーヒーを置くと秋人に席をすすめた。彼が探偵の隣に座るとテーブルに中身の入ったカップを置く。
「コーヒーでよかったかな?」
「あ……はい。ど、どうも」
国の化身が給仕の真似事をしている光景に戸惑う秋人をよそに、ロアは礼のデスクにもコーヒーを持って行ってから、最後に残ったカップを手に郁夜の隣に座った。ぴったり人数分。秋人がここに来ることを彼女は知っていたのだろうか。
「それで探偵、俺とロアも同席したほうがいい話し合いっていうのはなんなんだ」
ロアが座った直後、郁夜が早速切り出す。探偵は肘で秋人の体をぐい、と突いた。自分で話せということだろう。
「あの、実は――」
「ダメだよ」
秋人が用件を言おうと口を開くと、すぐさま別の声がその言葉をさえぎった。それが來坂礼の声であると気が付くのに時間がかかったのは、その声が先ほどまでとは違って低いものだったからだ。思わずそちらを見ると、礼は眼鏡のレンズを拭きながらちらりとこちらを見て、何度か小さく頷いている。
探偵がため息をついた。
「そうだろうな」
郁夜が眉をひそめて不可解そうな顔をする。ロアは気のない様子でコーヒーを飲んでいた。
「おい、なんだよ。三人だけで話を進めるな」
「ギルドに入りたいんだってさ」
「おや、それは物好きだね」
秋人が今まさに言おうとしたことを、礼が言った。声は高いのに戻っており、おそらく意識的にそうしてあるだけで素の声はあのワントーン低いほうなのだろう。
「なんの理由もなしに言っているわけではない。それなりの事情があるから言っているのだ」
「事情?」
ロアと郁夜が声を合わせて聞き返す。礼は背もたれにぐったりともたれかかって上を向いていた。話が終わるのを待っているのだろう。探偵は続ける。
「この男は人間に限りなく近い……まあ、亜人と言ってしまっていいだろうな。それもこれまでに前例のない未知の生物だ。どこがどう未知なのかは、話すよりも見たほうが早いが……片付けが面倒なのでやめておこう」
「俺も嫌だよ」
「それで、そこの彼はどこがどう人間ではないんだい?」
探偵が目だけを動かしてこちらを見た。これまで必死に隠し続け、桜や啓吾にすら話さなかった秋人の最大の秘密だ。探偵が所属する組織で、彼が信頼している人々ならば話したところで危険はないだろう。頭ではわかっていでも、さらりとは言いだせず、わずかに口ごもった。妙に緊張する。ゆっくりと、無理矢理押し出すようにして声を出し、自らの体質と身の上について語り始める。
数十年以上前に人間として死んで以来、何度死んでもその都度蘇ってしまう痛覚のない体になってしまったこと。
また、その「生前」の記憶がないこと。
自身のことが世に知れて騒ぎになることを恐れて、死ぬたびに住む町を変え、逃げ隠れるように暮らしてきたこと。ゆえに特定の住所がなく、そしてこのままこれまで通りの生活を続けていればいつか住める場所がなくなってしまうであろうこと。
探偵に言われた通り、言いたくないこと――例えば桜や啓吾のこと――は一切話さなかったが、ひとつも嘘は吐かず正直に話した。国の化身であるロア・ヴェスヘリーにこのようなことを洗いざらい話すのは少し不安があったが、彼女は秋人の話を落ち着き払った様子で聞いていた。
「そうか。たしかに未知の生物と呼んで差し支えはないね。過去に一度人間として死んだ――ということは、今現在ここにいる『死後』の君はこの世界にとってまったくのイレギュラーだ」
ロアはそこで一呼吸置き、礼を見た。
「礼、今の話を聞いて君はどう思う?」
礼は先ほどまでと同じ体勢のまま動かず、また返事もしなかった。郁夜がこめかみのあたりを掻きながらため息を吐く。
「にわかには信じられない話だな。探偵が言うからには本当のことなんだろうとは思うが……しかし、それとこれとは話が別だ」
郁夜は一口コーヒーを啜るとカップを置き、静かに続けた。
「ここのギルド員になるための条件が満たされていないお前をギルド員として迎え入れることはここの方針に背いている。悪いがそのことを俺は見過ごせない」
「条件?」
「詳しくは話せないが、これに該当しないのは探偵や医師である千野原涼嵐くらいだな。二人はこっちから頼み込んでギルドに来てもらった特別な人員で、組織の存続のために重要な役割を果たしてもらっている。例外中の例外みたいなものだ。これは二人が特別だっただけだから、お前を同じ理由で受け入れることもできない」
郁夜がきっぱりと言う。秋人がなにも言い返せずにいると、探偵はティーカップを手にしたまま目を細めた。
「たしかに、既に所属しているギルド員どものことを思えばこそ、この男を正式なギルド員として受け入れることはできまい。しかしこいつも、状況そのものは他のギルド員とさして変わらないのではないか? かつて彼らがそうであったように、この男もまた独りで戦っている」
彼の目はロアを捉えている。
「この秋人の所属を許すことは、たしかにここの方針に背いているだろう。だが、目の前で困りきっている者を突き放すというのも、それはそれでここの方針に背いている。違うか?」
ロアはその紫の瞳をまっすぐ探偵に向けた。來坂礼を説得するというのは上面だけで、探偵ははじめから彼女だけを言いくるめようとしているのではないか。支部長の來坂礼よりも国の化身であるロアのほうが立場が上なのだから、彼女さえ首を縦に振れば、あとはそうむずかしくない。
おそらくロア自身もそのことを悟ったのだろう。気まずそうな苦笑いを浮かべるその反応から、いくら国の化身といえども、探偵を相手に口喧嘩をするのは避けたいらしいことがうかがえた。




