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終末恋物語  作者: 氷室冬彦
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18 詐欺まがいの終止符

 思えば桜と秋人が日ごろの買い出し以外で町に出かけることなど、これまでほとんどなかった。桜は町に友人がおらず、秋人もまたそうだ。なので休みの日は家の中でゆっくりすごす場合がほとんどだった。あまり贅沢を好まず、貯金を急いでいたからだ。


 その日は雲ひとつない快晴で、秋人と桜は午前中のうちから町に出た。ライ二の町は思っていたよりもたくさんの商店があり、いつも食材などを買いにくる店の近くにも、洋服店やアクセサリーショップなどが立ち並んでいる。秋人はもちろん、桜もこういった店に立ち入ったことがほとんどないようだった。それもそのはず、彼女はアクセサリー類はおろか、化粧品すらろくに所有していないのだ。


 かわいらしい内装の雑貨屋にて時間をかけてネックレスを吟味し、ようやくこれと決めた細身のそれを、秋人は桜の首に着けた。桜は自分にはもったいないとかオシャレをしても似合わないとか遠慮の声をあげていたが、その表情は困っていながらもうれしそうだった。


 いろいろな店をめぐっているうちに時間は過ぎ、気付けば昼になっていた。近くのカフェで昼食を済ませ、次はどこへ行こうかと話しながら店を出る。話を切り出すタイミングを伺いながら歩いた。小さな噴水のある公園でピエロの格好をした男が芸を披露しているのをクレープを食べながら眺めたあと、桜が怪訝そうな顔で秋人を呼んだ。


「あの、秋人さん。どうかしましたか?」


「え? なにが?」


「いえ、なんとなくそわそわしているように思えたので……もし気分が優れないようなら、無理をしなくても――」


「あ、ああいや、なんでもないよ。なんでも……」


 明らかに動揺している秋人を桜はじっと見つめている。頭を掻いてわざとらしく笑いながら目をそらすも、気まずさに耐え兼ね、ついに決断した。


「あのさ、桜。……今日はその、大事な話があるんだ」


「大事な話?」


「ここじゃあ、ちょっと。できればもう少し静かな場所で話したい。それにたぶん――少し、長くなる」


 真実を話せばすべてが終わる。それでいいのだ。そうしなければならない。これ以上嘘を重ねたくはない。桜に対しては真摯でありたい。せめて自分の言葉で伝えたい。


 二人きりで話せる静かな場所を求めて秋人は歩き出す。そのすぐ後ろに桜が続き、二人は午後の町を進んだ。秋人の複雑な心境を察してか、桜はどことなく戸惑っているようだ。大通りを抜けて脇道に逸れようとしたとき、周囲の空気がざわめいたのがわかった。


「うわ待って、なにあれ?」


「え、うそ、あの人やばくない?」


「警備隊の人呼ばないと……」


 ただならぬ緊張を含んだ空気に、秋人は思わず足を止めて振り返る。道の真ん中に一人、やつれた男が立っていた。ふらふらとした足取りでこちらに歩いてくる彼を、町の人々が遠巻きに見張っている。


 男は一瞬だけ足を止めると、うつむき気味だった顔を上げて秋人を睨んだ。


「バケモノめ……」


 薄く開かれた口から呪詛を吐くようにささやかれた声。すっかりくたびれて老け込んだような顔つき。


 その手には包丁が握られている。


「お前のせいで……お前のせいで俺は……」


 すぐ真後ろで桜がはっと息を呑み、秋人の腕を掴んだ。


「桜、逃げ――」


「このバケモノ! バケモノめぇぇ!!」


 男が包丁を前に構えて走り出した。まっすぐこちらに向かってくる。


「桜ッ!!」


 咄嗟に桜を突き飛ばし、そのあと男を押さえ込もうと向きなおる。しかしその前に、男の肩が秋人の肩がぶつかった。同時に冷たい異物が胸元に突き刺さる。男を止めようとこちらに駆け寄る途中だった青年たちがあっと声をあげ、遠くからなりゆきを見守っていた人々の中でいくつかの悲鳴があがった。


「あ――秋人さん!」


 秋人から体を離した男の手には真っ赤に染まった包丁が握られており、秋人は胸にあいた深い刺し傷を手で押さえたまま、男がよろよろとあとずさる、その不安定な足取りを見ていた。


 彼は、ライニの宿で秋人を殺したあの男だ。


 その気付きと動揺を声に出そうと口を開くが、出てきたのは声ではなく喉をせり上がってきた血の塊だけだった。息ができない。頭から血の気が引いていく。傷口から血液が抜けていく。痛みこそないが感覚でわかる。


 すぐに足に力が入らなくなり、地面に倒れ込む。こんな幕切れがあってなるものか。こんなことで終わりにしてたまるか。そう強く抗おうとする心こそあれど、身体が言うことを聞かない。


「お前なにやってるんだ!」


「押さえろ押さえろ!」


「――おい! おい! どうせ生きてるんだろ! 起きろよバケモノ!! 全部めちゃくちゃにしてやる!」


 町の人々に取り押さえられながら男がわめく。通報を受けて駆けつけたらしい警備隊員が大急ぎで走ってくるのが見えた気がする。急速に視野が暗くなり、音が遠ざかっていく。秋人の手を握った桜の手の感触さえわからなくなっていく。


「秋人さん! 秋人さん! そんな……」


 死にたくない。



 *



 これほどまでに命が惜しいと思ったことがあっただろうか。


「結局そうなってしまったか。まあ、あれだけ大勢の民衆が見ている前だ。それも仕方のないことだろう」


「もっと早く離れるべきだったのに。わかってたのに、なんでこんなになるまでそうしなかったんだろう」


 森の近い路地裏で、石壁にもたれながら紅茶色の男は秋人を見た。透き通った青い瞳は薄暗い陰から秋人を見据えている。


「貴様は生きていたかったのだろう。願わくば、この先ずっと。その小娘の隣でな」


「最初っから死んでるよ。俺は」


 ここにあるのは、ただの死体だ。


「死人が人間を愛するものか」


 バカげている。


 桜の前で胸を刺された瞬間。秋人の頭をよぎったのは探偵たちと初めて出会ったあの宿での事件だった。同じ人間に刺されたからではない。もはや名前すら覚えていないような男のことなどどうでもいい。そうではないのだ。


 あの場に居合わせた人間たちの、恐怖に引きつる顔が今になって鮮明に思い出された。秋人を見る凍りついた表情が脳裏に焼き付いて離れない。もし秋人が蘇るところを桜が見たら、彼女はどんな顔をしたのだろうか。きっとあの人間たちと同じ顔をしたに違いない。なぜなら彼女も人間だからだ。


 秋人はあの場で死ぬしかなかったのだ。


 本当はこうして生きているのに。


 桜の中での秋人が死んでしまった以上、秋人はもうあの町に留まることはできない。苦しい。胸が痛い。今まで一度も感じたことのない、耐えがたい痛みだ。


「なあ探偵、あんた頭いいんだろ? だったら教えてくれよ。この痛みをなくすにはどうすればいいんだ? さっきからずっと、苦しくてしょうがないんだ」


「その痛みはお前自身が忘れるまで消えることはない。あの娘を想う限り永遠に続くものだ。あの娘への感情を捨てるか、あとは本当に死んでしまうか――解消する方法はそれしかない」


「そんなの……」


 無理に決まっている。桜を忘れるなど、秋人にはきっとできない。


 なぜこんなにも、桜のことを愛してしまったのだろうか。なぜ彼女を愛してしまう前にあの町を出なかったのだろうか。


 なんとも愚かだ。忘れることができないなら、いっそ彼の言うように本当に死んでしまったほうが楽になれるだろう。だがこの身は何度死んでも死ぬことができない。無理矢理すべてを終わらせることはできない。


 あのとき。


 秋人がきちんとした人間のままで死んだとき。正しく死ぬことができていれば。あのまま「秋人」としての生を覚醒させないまま死んでいれば、こんなことにはならなかった。こんな気持ちにならずにすんだ。


 いや、違う。


「彼女に出会わないほうがよかったと思うか?」


「俺が桜と出会えたのは、俺がこんな体になったからだ。もし桜と出会わなかったら……いや、そんなこと……考えたくもない」


 桜と出会ってから、わずか数か月。あの場で死ぬまで、秋人はたしかに幸福であったのだ。彼女に出会ったことで、秋人の日常は色を取り戻したような心地がした。短い間でも一緒にいられて、本当によかったと思う。今この瞬間がどれだけ苦しくとも、桜とともにすごした時間が幸せであったことに変わりはない。


 秋人が後悔しているのは、桜と出会ったことでも、何度死んでも蘇生するこの体になったことでもない。


 ただ最後の勇気を出せなかったことだ。


 そして、彼女と同じ時代に産まれなかったことだ。

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