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終末恋物語  作者: 氷室冬彦
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17 もう一方の枷と故意

 秋人が仕事に復帰してから、何事もなく四日。同僚たちは最初こそ秋人の体調を気遣って心配そうに様子をうかがっていたが、秋人が自主的に元気よく振る舞っているうちに安心したらしく、すぐにこれまでどおりの日常へと戻っていった。


 腫れもの扱いのような居心地の悪さをようやっと払拭しきったある日の昼休み。啓吾と二人で桜を待っていると、隣を歩いていた啓吾が一度周囲を気にするように見まわした。


「……なあ秋人。最近、桧季になんか変わった様子はないか?」


「変わったこと? とくにないと思うけど……なんだよ急に」


「いや、別に。なにもないならいい」


 既に答えたあとだが、今一度考えてみる。このごろの桜の様子に以前となにか変わった部分があっただろうか――じっくり数秒かけて思い返してみても、やはり思い当たることはない。


 代わりに、素朴な疑問が頭をよぎる。


「啓吾って、今も桜のこと好きなんだよな?」


 突然の問いにおどろらしい啓吾がなにかを言おうとして咳き込んだ。


「啓吾、大丈夫か?」


「だっ……お前が変なこと言うからだろ! なんだよ急に!」


「え、いや、よくよく考えたら俺たちってライバルになるんじゃないか? でもこう、嫉妬とか、桜のことで俺に突っかかってくることもないし……」


「そんなのお互いさまだろ。お前こそ俺に釘刺すわけでもなく、今日だって三人で飯食おうって言ったりするしよ」


「まあ……」


「前にも言ったけど、俺はだから、別に……どうなりたいとか思ってるわけじゃねえんだよ。そんなことハナから考えてねえ。もし俺がなにかして、それで桧季になにかあったら……」


「まだ言ってるのか」


 啓吾はじろりと秋人を睨む。


「桧季が死んでもいいのか?」


 いいはずがない。


「そんなこと言ってないだろ」


「お前は信じてないみたいだけど、俺にとってはなにより重要なことなんだよ」


「信じてないわけじゃない。でも俺はなんともないだろ? だったら、一度その体質について見つめなおすキッカケにならないか?」


「見つめなおす?」


「条件が違うんじゃないかなって」


 秋人は既に何度も死んだ身ではあるのだが、死んでいる間以外はその他大勢の生きている人間たちとそう変わりはない。探偵やフランリー、そして秋人自身からすれば、秋人は生き物としての異質さを拭いきれない存在ではあるが、少なくとも今この瞬間は、普通の人間に限りなく近い状態なのだ。


 梅梨啓吾と仲を深めた相手が死ぬ。それが事実なら、秋人はもっと前から、もっとたくさん死んでいるはずだ。たしかにライニの宿で死にはした。それは事実だ。だが、啓吾の話と比較して効果が出るのが遅すぎる。死ぬならもっと以前に死んでいるはずなのだ。


「俺が思うに、あんたは自分の体質を勘違いしているんだ」


「どういう意味だ?」


「今まで仲よくなった人たちがみんな死んだって話については信じるよ。啓吾がそんな嘘を言うとは思えない。でも、その人たちが死んだのは『啓吾と親しくなったから』ではないんだ。多分、啓吾は死期の近い人間を惹きつけやすいだけなんだよ」


「結局死ぬんだったら同じことだろ」


「いいや、違うね。全然違う。少なくとも、その人たちは啓吾のせいで死ぬわけじゃない。はじめから近いうちに死ぬ運命にあったから死んだんだ。あんたと出会わなかったとしても、その日そのときに死んでいたんだ」


「俺にとって都合のよすぎる解釈だ」


「啓吾の言う『自分と仲よくなると死ぬ』って話よりは現実的だぜ。根本的な解決方法は、まだ俺にはわからないけど。それでもはっきり言えるのは、啓吾は死神じゃない。ただ少しばかり間が悪くて不運なだけだ。俺と同じでね」


 秋人が言い切ると啓吾は黙り込んだ。



 *



 仕事を終え、さっさと帰り支度を済ませて外に出た。工場の敷地を囲う金網にもたれて桜を待つ。しばらく待っていると啓吾がやってきた。


「桧季のやつ、最近妙に帰りが遅いな」


「たしかになあ。俺、ちょっと呼んでくるよ」


「更衣室の中には入るなよ」


「それくらいの常識はあるよ」


 更衣室は男性用更衣室と女性用更衣室があるが、更衣室というのは名ばかりで、たしかに秋人や桜などはそこで着替えもするのだが、大抵の人間はただの荷物置き場として活用している。


 更衣室に向かう途中、倉庫の裏のほうから人の声がした。女性の声だ。


「――だから釣り合わないって言ってんの」


「黙ってないでなんとか言えば? もしもーし、シカトですかぁ?」


「もしかしてアタシらのことバカにしてる?」


 三人の若い女性従業員たちが壁に向かってなにか言っている。その不穏な空気を感じ取り、秋人は思わず忍び足になる。


「桧季さんさあ、まさか本当に秋人くんに好かれてるとか思ってる?」


「いやありえないでしょ。言っとくけど、あれっていつも一人ぼっちでいるあんたがかわいそうで一緒にいてくれてるだけだかんね」


「ていうか、なんか啓吾くんにも媚び売ってない? 最近よく三人でお昼食べてるよね。これ見よがしにさあ」


「うちらとはろくに話もしないくせに、男の前ではニコニコ愛想よくするんだ? おとなしそうな顔してちゃっかりしてるよねー」


「そもそもこの前の秋人くんの怪我だって、あんたのせいじゃん。なに当たり前みたいに毎日一緒に帰ってんの? ありえないんですけど」


 非難を受けているのは彼女らに囲まれ壁に背をつけている桜だった。三人組の肩の向こうで今にも泣き出しそうな顔をしているのが見えた。


「ねえちょっと、なにしてんの」


 歩み寄りながら鋭い声を飛ばす。三人組はおどろいたのか、勢いよくこちらを振り返る。秋人に気付いた桜が目を見開く。


「あっ、秋人くん! ちょうどよかった。あのさ、これからご飯食べに行くんだけど、秋人くんも一緒に行こうよ」


「最近できたお店なんだけどさー、内装とかオシャレだし、すっごい美味しいんだよ」


 少し高い声ですり寄ってくる三人を押しのけて進み、下を向いていた桜の手をとる。桜が顔を上げ、秋人を見た。色素の薄い瞳に秋人の姿が映り込む。


「桜、早く帰ろう。また遅くなっちゃうよ」


 黙ったままの桜を連れて、桜を囲んでいた彼女たちの間をすり抜ける。三人のうちの一人が秋人を呼び止めようとしたので一度だけ振り返った。相手をする時間がもったいないが、はっきり言っておかなければ今後も同じことが起きるかもしれない。


「ありえないのはあんたらのほうだろ。俺、集団で一人をいじめるような女って本当に嫌い」


 女たちの表情がかたまる。桜の体を自分のほうに引き寄せて肩を抱き、三人を正面から見据える。


「悪いけど、そういうことだから」



「あ、あ、あの、秋人さん」


 森に入って街の明かりも届かなくなったころ。依然として桜の手を握っている秋人に桜が小さく声をかけた。しかし続く言葉に迷っているのか、口をもごもごさせるだけでなにも言わない。


「……あ、ごめん。嫌だった?」


 合意もなく抱き寄せて、恋人関係だと誤認させるような態度を取って、今現在も手を繋いでいる。お互いの気持ちを確認していないどころか、気持ちを伝えるつもりも、受け取るつもりもないくせに。つい怒りに任せて勝手なことをしてしまった。


 秋人が桜の手を離すと、彼女は少し悲しそうな顔で首を振った。


「ち、違うんです。嫌だなんて、思ってません。嬉しかったです。――あ、いや、そうじゃなくて」


 ごめんなさい、と数秒黙って桜は言った。


「私が一人で解決しないといけなかったのに。あれは私の問題だったのに、秋人さんに迷惑かけて、帰りも遅くなってしまって。……でも、あの、ありがとうございました。助けてくれて」


 礼とも謝罪ともつかない桜の言葉に、秋人はなんとなく照れてしまい、いつものようにうまく返事をすることができなかった。


「私……本当にいつも守ってもらってばかりですね」


「や、えと……自分の問題って言っても、俺の名前が出てきたからには俺の問題でもあるっていうか……そもそも俺のせいでこうなった部分もあるし、だから桜を助けるのも当然……みたいな。そ、それに、俺は別に、桜に待たされるのも桜を守るのも、全然迷惑じゃないし、むしろ」


 ところどころ言葉に詰まる。緊張しているのかうまく言葉を紡げない。だというのに話す言葉はなんとなく早口だ。


「これからも守らせてほしい」


 言ったあとですぐに、しまったと思った。自らの正体を明かす勇気もないくせに、こんなことを言うべきではない。


「……な、なんて、俺にはもったいない役かもね」


 ごまかすように笑い、ちらりと桜を見た。暗くて顔はよく見えなかったが、しばらくの沈黙のあと、桜がそっと秋人の手に触れた。


 その小さな手を握り返したとき、秋人は罪悪感に押し潰されそうになった。少しでも気を抜けば大声で叫びだしてしまいそうな気分だ。秋人はもう彼女の手を離すことも振り払うこともできない。彼女を思う気持ちをひた隠しにして取り繕うこともできない。


 ――ああ、これ以上はダメだ。


「桜……明日の休日、二人でどこか行こうか」


 そしてそこで、すべてを明かそう。その結果がどうなろうとも。本当に取り返しのつかないことになる前に。一刻も早く終わらせなくては。


 これ以上、彼女への気持ちが大きくなる前に。

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