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終末恋物語  作者: 氷室冬彦
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16 揺れる枷の重みと賭け

「また悩んでいるのか」


 フランリーの屋敷に向かう道中で唐突に探偵が言った。置いて行かれまいと足元に注目しながら歩いていた秋人は少しだけ反応が遅れる。探偵は足が長く歩幅も大きい上、急いでいるわけでもないのにさっさと足を動かす。常人の二倍近い速度で歩く彼についていくのは簡単ではない。


「なに、俺、なんか悩んでるように見える?」


「見るからにシケたツラをしておいて、今さらなにをとぼけているのだ。目は口ほどにものを言うという言葉を知らんのか」


 探偵は秋人を睨む。ただ目を細めているのが睨んでいるように見えているだけかもしれないが、区別はつかない。


「もっとも、お前の目は常に死人のごとく虚ろでくすんだ色をしているがな。それをさらに曇らせるほどのなにかがあることくらいは見ればわかる」


「う、うるさいな。関係ないだろ」


「ああそうか、言われてみればそのとおり。私にはなんの関係もないことだったな」


 探偵は大きく頷きながら、わざとらしいほど残念そうに声色を変える。秋人はそれを見て、しまったと口を押さえた。ついむっとして反発的になってしまったが、この場でそれは悪手だ。探偵は秋人の表情をちらりと確認してから、あからさまなため息をつく。


「なにか悩んでいるなら話を聞いてやろうかと思っていたのだが……残念ながらいらないお節介だったようだな。そのとおり、私は無関係だ。無論、寿もフランリーも刈人も、貴様の個人的な悩みとはまったくの無関係だ」


「い、いや、あのさ……」


「無関係な者にあれこれ首を突っ込まれてはさしもの貴様も気を悪くするだろう。残念だが仕方がない。いや不躾に踏み込むような真似をしてすまなかった。これ以上は言及しない。忘れるがいい。ああ残念だ」


 白々しい。


「……あんた、性格悪いってよく言われない?」


「先手を打っただけだ」


「面倒だから相談してくるなってこと?」


「わかっているなら話が早い」


 啓吾が見舞いにやってきた翌日のこと。本来であればまだ安静にしているべきであるはずの秋人は、桜の出勤を見送ってすぐに家を抜け出して、飛行船と列車を乗り継いで西リチャンへ向かった。秋人の正体を知る唯一の理解者である彼らに、桜や啓吾とのことを相談しようと考えてのことだ。


 相談といっても、なにも恋愛相談がしたいわけではない。フランリーも刈人も秋人よりよほど長い年月を生きてきた。その長い半生の中では人間と接する機会もあったはずだ。なんせ人間は亜人種族よりも圧倒的に個体数が多い。人間と関わらずに生きることのほうがむずかしいのだ。


 人ならざる者と人間の関わり方について、彼らに自分自身をどのようにして打ち明け、和解してきたか。それとも敵対したのか。これまでの経験談が聞きたい。これは昨日今日のうちに唐突に思いついたことではなく、前々から計画していたことだ。


 探偵が定期的にフランリーに血液パックを届けている、という話を秋人は覚えていた。少しでも多くの話を聞きたかった秋人は、フランリーと刈人だけしかいない日ではなく、探偵が来ると思しきタイミングを計算して狙っていたのだ。


 そうして実際に、フランリーの森に入る直前で探偵と鉢合わせることができたのだから、カレンダーを前に頭を悩ませた甲斐があった。だというのに相談する前から拒否されたのでは、桜に黙って家を抜け出した意味がない。


「愚痴くらいは聞いてくれてもいいんじゃない?」


「その愚痴を聞いたところで私にメリットがないだけならまだしも、どうせ話を聞けば私は貴様のノロマさに気分を害する。つまりこちらにはデメリットしかない」


「ひどい言い様だな」


「相談も愚痴も聞くつもりはない。が、ひとつ有り体な助言くらいはしてやろう」


「助言?」


 探偵は立ち止まる。秋人と彼の間には一メートル以上の距離があった。


「生きるうえで抱く悩みなんてものは、大半はそう重大なことでもない。自分自身と徹底的に向き合え。自分がどうしたいのかを考えてみれば、答えは既に決まっていると気付くだろう」


「簡単に言ってくれるぜ。これだから頭のいいやつは……」



 *



 工場での事故からきっかり三日目の朝。桜と一緒に家を出て、町に入ったところで別れる。秋人は医療所で検査を受ける必要があり、桜は自分も付き添いたいと言っていたが、仕事を休むことができなかったのだ。


 検査は滞りなく進み、結果ともどもなんの問題もなく、秋人は無事に医療所をあとにすることができた。この身体になってからは医療機関の世話になることを避けていたし、身体を調べられる機会などなかったので、なにかしら異常な結果が出てしまうのではと身構えていたが杞憂だったようだ。どうやら正常に活動している間の秋人は普通の人間の状態とそう大差ないらしい。こんなことで行方をくらませることにならずに済んだのは秋人にとって幸運だ。


 検査結果を河田に報告しなければならないが、それは桜を迎えに行ったときでいいだろう。退勤までまだしばらく時間がある。なにをする予定もなかった秋人は、その空き時間をどうにもできずにただ公園のベンチに座って待ち続けた。


 療養中にこっそり抜け出して訪ねて行った労力もむなしく、フランリーたちからは大した話は聞けなかった。フランリーも刈人も人間と関わった経験こそあれど、どれも参考になるような経験談ではなかったのだ。


 フランリーは一度とある人間の一家と縁があったらしいが、彼らは最初からフランリーが吸血鬼であることを知っていたうえに、亜人種族に好意的だった。その一家と出会う以前のことはあまり覚えていないらしい。刈人も昔は人間と共存していた時期があったそうだが、彼らも同様に最初から刈人を亜人と知っていた。そうでなくとも刈人たちは処刑人として雇われていただけなので、人間と意思疎通をはかる機会こそあれど、特定の人間と個人的な交流があったわけではないらしい。


 そして探偵には亜人種族への忌避感や、彼らとともにすごす不安についての人間側の意見を求めたが、彼は彼で感性が一般的な人間のそれとはズレている。相手を見たときに、肌や目の形や色、その他身体的特徴と、仕草や発言、気配などから、彼は目の前にいる相手が人間か否かをすぐに識別できてしまう。相手が打ち明ける前に自分で見抜いてしまう。そしてそのことに対して非常に冷静だ。知識が多いからだろう。


 人間は未知のものを恐れるが、その恐るべき未知の大半が探偵にとっては既知である。だから彼は亜人を恐れない。とうの昔に絶滅したはずの刈人や、存在自体が希少な上位吸血種フランリーも、そして世の摂理に反した異物である秋人のことも、なんでもないことのように受け入れている。彼が拒んでいるのはあくまで面倒な子守りであって、それは相手が亜人だろうと人間だろうと変わらないのだろう。


 亜人種族が普通の人間と親しくなったとき。そして相手に自分の正体を打ち明けるとき。彼らはいかにしてその壁を乗り越えるのか――そういった、秋人が本当に聞きたかった話はひとつもなかった。



「河田さん」


 工場の裏手にある喫煙所に立ち寄ると、思ったとおり河田はそこにいた。河田は秋人を見ると驚いたように目を見張って、吸いかけだったタバコを灰皿に押し付ける。


「秋人! 怪我はもういいのか?」


「おつかれさまです。おかげさまでピンピンしてますよ。昼にまた検査を受けてきました。どこも問題ないみたいなんで、明日から復帰できます」


「熱心なのは助かるが、あんまり無理すんなよ。若いからってなんでもできるわけじゃないんだ。自分の体は大事にな」


 河田はほっとしたように眉尻を下げる。よほど秋人を心配してくれていたらしい。最初から薄々勘づいてはいたが、彼もかなりのお人好しだ。


「それで……桧季を迎えに来たんだろう?」


「検査の報告のついでですけど」


「報告のほうがついでだったんじゃないのか?」


 河田はにやりと口角を上げる。


「いいねえ、仲がよくて。この歳になると若いモン同士のそういう微笑ましい空気が沁みるんだよ。見てるとこっちまで若返ったような気になってくる。幸せのお裾分けってやつかね。式を挙げるときは呼んでくれよ」


「か、からかわないでくださいよ」


「はっはっは。まあ、なんだ。桧季ならもうあがりの時間だから、少し待ってれば出てくるはずだ。気を付けて帰れよ」


「あ、はい。また明日」


 河田と別れた秋人は工場の表側に引き返した。一旦敷地の外に出て、金網にもたれながら桜を待つ。遠くの空からカラスの鳴き声が聞こえるのを聞いていると、少し離れたところから足音がした。


「あれ、秋人くん」


 あの焼却炉の青年だ。作業服でない様子を見るに、これから帰るところらしい。


「怪我したって聞いたよ。もう平気そう?」


「うん、明日から復帰するよ」


「熱心だね。桧季さんなら俺より先にあがったはずだけど、まだ来ない?」


「女の子は身支度に時間がかかるものだよ」


「そういうものかな。とにかく復帰できるならよかったよ。君がいない間、本当に忙しかったから」


「今日も一日焼却係ご苦労さん」


「残念、今日は焼却以外の仕事もした」


「へえ、珍しい」


「だろう?」


 軽口を叩き合って青年とは別れた。入れ違いに、今度は帰り支度を終えた啓吾が通りかかる。帰り支度――といっても、彼はいつも仕事が終わると作業服のまま帰ることが多いので、仕事時の格好のまま鞄を持っているだけだ。


 啓吾は秋人に気付くと顔を引きつらせながら仰け反った。


「うわ、秋人」


「なんだよ、そのバケモノでも見たかのような反応は」


「別に。ってか、なにしてんの? 桧季の迎え?」


「そうだけど、みんなそう言うね」


「みんな?」


「河田さんにも焼却くんにも言われた」


「……ま、ほぼ公認みたいなもんだろ、お前らは」


「公認って……まだそういう関係ではないんだけどな」


「まだ、ってなんだよ。まだ、って」


「こ、言葉のあやだよ。たしかに一緒に住んでたりで若干特殊な状況なのはわかってるけど、本当に俺と桜は友達の関係だから……」


 言い訳するように言うと啓吾はしばらくじっと秋人を睨んでいたが、やがて工場を振り返った。


「桧季、ちょっと遅くないか? あいつが着替えに行ったのって、今から十五分くらい前だぞ」


「え、そんなに経ってるのか?」


 いつもは遅くても十分くらいで出てくるのだが。


「うーん、髪を結いなおしてるのかな。ほら、どこかに引っかけてグシャグシャになったとか」


「もう帰るだけなんだし、髪が乱れたならいっそほどいちまうだろ。結いなおすにしても簡単に済ませるんじゃないか?」


「じゃあ誰かと話してるとか? 同年代くらいの女の子も一応何人かはいたよね」


「オバサンたちとはたまに話してるけど、若い女のなかだと孤立気味だぜ、あいつ。地味でおとなしいから」


「まあ、たしかにここの女の子たちは派手で元気そうな子が多いからなあ」


「一度更衣室まで呼びに――あ、来た」


 工場のほうに引き返そうとした啓吾だったが、その前に桜の姿が見えたので足を止めた。彼女が秋人と啓吾に気が付くと、啓吾は軽く手を挙げただけでなにか話すわけでもなく、さっさと帰って行く。


「秋人さん! 検査はどうでしたか?」


「ちゃんと行ってきたよ。大丈夫だった。明日から復帰できるよ」


「よかった……でも、無理はしないでくださいね。どこか少しでも体が変だと思ったらすぐに言ってください」


「うん、ありがとう。心配かけたね。早く帰ろうか」


 どちらからともなく歩きだして、やがて森に入る。ふと見上げると木の葉の隙間から朱色の入り混じった青色の空が見えた。ぽつぽつと星の光も現れはじめ、もうじき日が暮れて夜がくる。もう既にあたりは暗いが、夜行性のカルセットはまだ巣にいる時間帯だ。このままゆっくり歩いても安全に家まで辿りつけるだろう。


「そういえば、今日は帰り支度に時間がかかってたみたいだけど、どうかした?」


 しばらくの沈黙のあと、秋人が唐突に問いかけた。桜は少しうつむく。


「ごめんなさい、待たせてしまったみたいで」


「いや、俺はいくら待たされても構わないんだけどさ。落とし物をしたとか、誰かと話してたのかなって」


「はい、あの、別にたいしたことじゃないんです。気にしないでください」


 桜の表情は森の影に隠れていてよく見えなかった。


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