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終末恋物語  作者: 氷室冬彦
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14 吉凶の行方とアクシデント

 その後もとくに変わったことはなく、秋人はいつもどおりの生活に戻っていった。


 啓吾は相変わらずつっけんどんで、秋人とも桜とも一定の距離をおいて接している。桜の態度もとくに以前と変わったことはなく、それは秋人にしてみても同じことだった。啓吾は仲のいい同僚で、桜とは付かず離れずの曖昧な関係のままだ。


 はっきりと気持ちを言葉にする勇気もなければ、本当のことを打ち明ける勇気もない。我ながら情けないことだと思う。啓吾に対して桜を渡す気はないなどと啖呵をきったわりに、秋人は消極的だった。ああは言ったもののどうすればいいのか、自分の中で答えが出ていない状態だ。改めてじっくり考える時間が必要なのだろう。そう思いつつも問題を先延ばしにしているのは、今の不明瞭で曖昧な関係が、進展も後退もためらいたくなるほど心地いいからだ。


 廃材の詰まった木箱を両手で支えながら運ぶ啓吾の隣で、秋人は箱をふたつ同時に運ぶ。ずしりとした重みが両腕に伝わるが、どうということはない。その秋人の様子を見て啓吾はいっそ呆れたような顔をする。


「何回見ても馬鹿力だな。どうなってんだよ、お前の腕」


「啓吾だって見た目のわりに力が強いじゃんか。そう変わらないだろ」


「俺はお前よりちゃんと鍛えてるからで体格相応だ。お前はそこんとこチグハグだから異常に見えんだよ。まさか裏で鍛えてんの?」


「そうかもよ?」


「鍛えてんのにそのモヤシみたいな身体だってんなら、神様はちゃんと平等だったらしい」


「どういうこと?」


「お前が天から与えられたのは顔と身長だけだってことだ」


「口が減らないなあ。優しくて親切とか、明るくて人当たりがいいとか、他にもいいところあるだろ?」


「性格は生まれ持ったもんじゃねえだろ。多少はあるのかもしんねえけど、ほとんどは経験とか環境とか、どうやって育ったのかって部分だ」


「そういうもん?」


「俺だって赤ん坊のときからこう・・だったわけじゃない」


「どうかな、産声より先に舌打ちしてたかもよ」


 倉庫の裏口から外に出ると広めの裏庭がある。庭といっても工場の敷地内の空間だからそう表現しているだけだ。土の地面がむき出しになっており、雑草がまばらに生えているだけの、手入れのされていない空き地のような空間だ。ドラム缶や空の木箱などが乱雑に積み置かれているため少々狭苦しく感じるが、なにもなければそれなりの広さがあるはずだ。奥には大きなかまどのような焼却炉があり、その周辺は地面が黒く汚れている。


 焼却炉の前には一人の作業員が立っている。他の作業員たちに比べて年若く、ぱっと見た印象では秋人とそう変わらない外見年齢だ。入社した時期は秋人のほうが先だが、ひと月程度の差なので後輩というよりは同期のような感覚だ。持ち場が離れている関係であまり話したことはないが、温厚で気の利く青年だと聞いている。


 彼はいつも勤務時間の大半を焼却炉の管理にあてており、今ではすっかり焼却係として定着している。廃材を入れて内部の温度を見つつ必要に応じて火を足し、溜まった灰と炭を適宜掻き出して捨てる。その繰り返しだ。他の作業に比べると簡単で楽をしているように見えるが、焼却炉の近くは常に熱気で満ちており、夏はもちろん冬でも汗が止まらないほどらしい。なので誰もやりたがらず、処理をあとまわしにし続けた廃棄物がどんどんこの裏庭にたまっていく。彼が来る前まで、この庭はもっとひどい有り様だったらしい。


 焼却係の青年は秋人と啓吾を見ると愛想よくにこりとした。


「ああ、廃材? そのへんに置いといてくれればやっておくよ」


「一人だと大変じゃない? そこすんごい熱いって聞いてるけど」


「いつもやってることだから、なんてことないよ。それにここだけの話、結構ゆっくり休めるんだ。中で忙しなく動きまわるより楽だよ」


「かえって暇なんじゃないか? 楽っていってもずっとここにいないといけないし……暇っていうか退屈だね。熱と退屈が合わさってしんどい作業だって、他のおじさんたちが言ってたけど」


 物を持ち上げたり燃えカスを掻き出す際に、立ったり屈んだりの動作が多いことも苦痛のひとつらしいが、そこは秋人も彼もまだ共感し得ない点だ。


「まあたしかにね。ああでも、そっちの壁にある換気口、近くに立ってると中の会話が聞こえることがあってさ。暇つぶしにちょうどいいよ」


「立ち聞き?」


「盗み聞きかな。あ、これ内緒にしておいてね」


 言いながら青年は少しイタズラっぽく笑った。笑うと少年のような幼顔だ。それから二言三言交わしたあとに秋人と啓吾は倉庫内に戻る。庭に出ている間、啓吾はひと言も喋らなかった。


「俺、あいつと話したことねえや」


 裏口の扉を閉じると錆びた蝶番が甲高く軋んだ。


「俺もだよ。っていうかあの人、基本ずっとあそこにいるみたいだから話す機会ないし」


「お前、話したことない相手とでもあんなにニコニコ会話できんのかよ」


「俺がどうとかじゃなくて、啓吾が素っ気なさすぎるんだよ。人と話しているときは自然と笑顔になるものだし。他の人たちだってそうだろ? まあ、にこにこしてる啓吾なんて、らしくないけどさ」


「だろうよ。それより、さっさと戻って昼飯食おうぜ」


「まだ少し早いんじゃない?」


「そんなことねえよ。いつもどおりだ」


 壁にかかっている時計を見る。たしかにいつも啓吾が昼休憩に入る時間だ。


「あんたの腹時計の正確さには舌を巻くね」


「人を食い意地の張ったやつみたいに言うなよ」


「ごめんごめん。……それじゃあ、桜を呼んで休憩にしようか」


 倉庫の中を見まわして桜の姿を探すと、遠くの壁際を歩いているのが見えた。他の作業員たちの邪魔にならないように、すり抜けるような忍び足だ。秋人は啓吾に桜の居場所を指差しで教えると、そちらに向かって歩きだした。啓吾は秋人に任せることにしたのか、更衣室に近いところまでついてきて立ち止まった。


「桜、そろそろ休憩にしよう」


 秋人は少し大きめの声で呼びかける。桜は部品や工具が積まれた棚の前にいた。秋人の声にすぐに反応したが、しかし突然声をかけたせいでおどろいたのか、振り返る動作が大きくなってしまう。


「秋人さん?」


 桜の肩が棚にぶつかった。


「あ、痛……」


「大丈夫? ごめん、おどろかせ――」


「避けろ桧季ッ!」


 鋭い叫び声が響く。そのあわてた声に秋人と桜は同時にそちらを見た。啓吾が桜の頭上を指差しているのが見え、秋人はつられて顔を上げる。


 桜の頭上で、工具の入ったコンテナがバランスを崩したところだった。


「桜ッ!」


 ガラガラと、大きな音が倉庫内に響いた。



 *



 目を開けると木製の天井が目に入った。慣れた匂いがする。家だ。次に知覚したのは頭と背中に強く殴られたあとのような違和感と、こめかみのあたりに皮膚の破けた感覚だ。ゆっくりと身体を起こす。骨折や重篤な損傷を受けた様子はない。軽い脳震盪と打撲程度の傷だろうと自己診断した。


 ずいぶん長いこと気を失っていたようだ。窓から見える空は既にオレンジ色に染まりはじめており、日が傾いていくさまを秋人はぼんやりと眺めていた。


 深呼吸をする。


 傷を負ったままの状態ということは、秋人はまだ生きている。


 状況を把握してほっと安堵したとき、部屋の扉が開いた。目だけで見ると桜が部屋に入ってくるところで、桜は秋人と目が合うや否やあわてて駆け寄ってきた。


「あ、秋人さん! よかった、目が覚めたんですね。大丈――」


「桜、どこも怪我してない? 痛いところとかない?」


 桜が秋人にすがりつくより先に、秋人が桜の肩を掴んだ。桜はまるで秋人の状態が心配で気が気でなかったような態度だが、秋人とてそれは同じだ。


 あのとき、秋人は桜を庇った。頭を打てば死ぬかもしれないだとか、そうなればこの町を離れることになるだとか、そんなことはどうでもよかった。ただ桜を守らなければならなかった。


「あ、い、いえ、私は平気です。それより秋人さんは? 大丈夫ですか?」


「俺は大丈夫だよ。それより、俺どうやってここに?」


「覚えていないのですか?」


「桜が運んだんじゃないよね?」


 なんとか死なずに済んだようだが、背中や頭に強い衝撃を受けて倒れたあとのことは覚えていない。すぐに気を失ったのだ。桜は心配そうに秋人を見つめてから口を開いた。


「工場長がすぐにお医者さんを呼んでくれて、手当てが終わったころに、秋人さんは一度気が付かれましたでしょう。覚えていませんか? それで梅梨さんが肩を貸してくれて……」


「え、じゃあ俺、半分自分で歩いて帰ってきたんだ」


「はい。でも途中でまた倒れてしまって、そこからは梅梨さんが」


「そっか。重いって騒いだだろうなあ」


「い、いえ、騒ぐというほどでは……」


「言うには言ったんだ」


「とても心配していましたよ。お医者さんが来るまでも、すごくあわてていて」


「そうなんだ」


 意外というとおかしいのかもしれない。啓吾はぶっきらぼうで愛想もないが、それでも秋人のことは仲のいい間柄だと認識しているようであるし、そもそも他人に無関心なわけでも人嫌いなわけでもない。性根は他人思いで優しいのだ。誰とも一定の距離をおいているのは、相手を思うからこそ必要以上に近付きたがらないだけなのだから。秋人が自分の持つ奇妙なジンクスのせいで命を落とすことにならないか、どうしても気になってしまうのだろう。


「……ごめんなさい」


 桜が悲しげにうつむいた。


「桜、なんで謝るの?」


「わ、私がもっと気を付けていたら……私のせいで秋人さんが」


「あれはただの事故だよ。もし誰かが悪かったことになるなら、それは桜じゃなくて、荷物をちゃんと棚に置いておかなかった別の誰かだ」


 彼女がなにを言おうとしているのか察した秋人は言葉をさえぎった。その先を言わせてはならないと思った。これ以上、桜に無用な自責を抱えることは秋人の望むところではない。


「俺が君を庇ったのは、俺がそうしたかったからだよ。自分自身の意思で勝手にしたことなんだから、君が謝るようなことじゃない。俺がなにをして、なにを言ったとしても、その結果がどうなっても自分の責任だ」


「でも」


「なにかあっても俺が君を守るって言っただろ? 君が無事なら、俺はそれでいいんだよ」


 桜の瞳がうるんだ。


「……ありがとう、ございます。助けてくれて。……無事でいてくれて」


「あ、いやその、礼を言われるほどじゃ……と、ところで、啓吾はもう帰った?」


「つい先ほど。明日お見舞いに来ると言っていました。明日は午前だけで、午後はお休みだそうなので」


「え、啓吾が?」


 さすがに意外だ。例のジンクスを恐れて他人に近付けないはずの啓吾が、誰に頼まれたわけでもなく秋人の見舞いに来るなど。それだけ秋人を心配しているからだと思いたいが、現時点で既に無事を確認したあとだというのが気にかかる。


 要は話がしたいということだろうとわかるが、まさか秋人の正体を知ったわけではあるまい。秋人は今回の事故では死ななかったはずで、ならば彼がそのことを知り得るはずもない。秋人の不安をよそに桜は続ける。


「はい。それと、三日ほど安静にしてからもう一度お医者さんに診ていただいて、問題なければ様子を見つつ復帰してほしいと工場長が」


「そっか。まあ骨が折れたわけでもないし、頭をぶつけた以外はかすり傷だからね。すぐ復帰できるよ」


「骨が折れるよりも頭をぶつけたことのほうが重大でしょう。脳の損傷は遅れて発覚することが多いと聞いたことがあります。検査のあともしばらくは油断できませんよ。本当ならもっと休んだほうがいいくらいです」


「しょうがないよ、あの工場はもとより人手不足なんだ。とくに今の状況だと、きっと俺一人が抜けただけでも負担になるだろ」


「それは――はい。できれば私もお休みしたかったのですが……」


「一人で留守番くらいできるよ。俺は大丈夫だから。今までもそうだっただろ?」


 秋人が笑うと桜は黙り込んでしまった。


「どうかした?」


「秋人さん、あなたは」


 桜はそこで一旦言葉を切る。秋人は続く言葉をじっと待った。


「あなたはどうしていつも……そんなに悲しそうに笑うのですか」


 しぼり出したようなその声は、少しだけ震えていた。


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