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終末恋物語  作者: 氷室冬彦
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15/23

13 かの人外たちの拠り所

 フランリーの屋敷はリチャン国の西部にあった。暗い森の奥にある古い屋敷は、壁や屋根には苔が生えて蔦が絡み、かつて人間が住んでいたころは美しく彩られていたと思われる小さな庭も、雑草が生い茂って鬱蒼としている。人間の一生より長い時間を一切の手入れもなく放置され続けてきたのだろう。夜の暗闇が屋敷に落とした陰影がいっそう恐ろしげに来訪者を威嚇している。屋敷だけではなくこの森自体も、秋人と桜が住んでいるあの森とは違い、もう長いこと人が踏み入っていないような荒れ具合だ。


 しかしそのいかにも危険そうな様相に反し、カルセットの類は屋敷までの道中に一度も姿を見せなかった。森に住むカルセットは夜行性のほうが多いと聞いたことがあるのだが、ただの噂だったのだろうか。しかし生息していないわけではない。生き物の痕跡がある。遠くのほうで鳴き声もする。警戒する足音と息遣いが聞こえる。ただそれらはいずれも、陰に潜んでこちらの隙を狙っているような気配ではない。


「なあ。この森のカルセットたちって夜でもおとなしいのか? 昨日はこの屋敷まで普通に歩いてきたけどさ、夜の森って普通危ないんじゃないの?」


 宿での事件から一夜明け、だだっ広いリビングルームにてフランリーに問う。外から見た限りだと古びた廃墟のような印象だったが、中は意外にも綺麗に保たれている。突然床が抜ける心配もなさそうだ。


 フランリーは分厚い本をめくっていた手を一度止めて秋人を見る。


「知らなーい」


「知らないって……ここにずっと住んでたんなら、このあたりにどういうカルセットがいて、どういう場所と時間に出るとか、全部じゃなくてもちょっとくらいわかるだろ?」


「だって知らないもん」


「森を歩いてて、今まで襲われたりしなかったのか?」


「しらなーい」


「あのさあ……」


 何百年もの長い時間を生きてきたはずの吸血鬼は、やはり子どものような返事をする。会話にならない。秋人も普通の人間に比べれば長すぎるほど生きているが、彼のほうがよっぽど年上だろうに。この幼稚を維持できるのはもはや才能だ。


 秋人も自分自身の振る舞いについて、長く生きた分大人びているとか達観しているだとか、そんなふうに思うことはない。昔より淡泊になった気はするが、それは精神的な年齢を重ねたゆえの変化ではないと思う。桜と出会ってからは感情的になった自覚はあるが、それは彼女と出会った秋人が変わったわけでも、人として成長し、新しい感情を学んだわけでもない。他人との深い交流をあきらめて、常に一定の距離をおいてきたことで忘れていた感覚を思い出したような。かつて自ら手放したものを取り戻したような、なつかしい感覚なのだ。


 結局、長く生きても精神は肉体と習慣に依存する。生きた年月と精神の成熟の加減が比例するわけではない。そのくらいのことは秋人も身をもって理解している。だからといってフランリーの態度はあまりにも子どもだ。彼には彼の事情があるということはもちろんわかっている。人間ではない、夜行性の亜人種族。外界から隔絶された森の中で、人と関わる習慣も経験もない。どれだけ長く生きていようと、精神を育てられない環境にあっては成長もできない。だから彼はこうなのだろう。付き合いが長く続けば慣れてくるのかもしれないが、今の秋人はまだそこに少しひっかかりを覚えてしまう。


 フランリーが突然顔を上げた。


「探偵だ」


 扉が開き、まず寿が部屋の中に飛び込んでくる。次に機嫌の悪そうな目つきをした紅茶色の男が姿を見せる。昨夜は彼もこの屋敷に泊まったのだ。秋人はそれ以上フランリーに言及するのをやめた。わからないことがあるならばフランリーよりも探偵に尋ねたほうが賢い判断だと考えなおしたのだ。


「その吸血鬼はこの森の主といっていい」


 秋人の問いに探偵はまずそう答えた。フランリーはあくびをしてソファに寝そべる。夜行性の種族である彼にとっては朝こそが眠る時間なのだ。昨夜は秋人たちが寝入ったあとも一人でずっと起きていたのだろう。


「カルセットというものは、我々が思うほどバカではない。目の前の相手との力量差を理解するくらいの知能はある。何百年もここに棲みついているともなればなおさらだ。連中にとってこいつは逆らうべきでない相手なのだ」


「フランリーがここいら一帯のボスだって思われてるのか」


「そういうことだ」


 探偵はソファに深く腰掛けて、寿が淹れた紅茶を飲んでいる。彼は紅茶が好きなのだとフランリーが言っていた。


 話によると、探偵と寿はとあるギルドに所属しているらしい。今回リチャンに来たのもそこでの仕事と関係しているそうだ。そしてその仕事を手伝わせるために吸血鬼を日中連れまわしているというのだから、なかなかに残酷な話である。


「吸血鬼って日光を浴びたら死ぬんじゃなかった?」


「そいつは平気だ。人間の血を飲まずにいたせいで弱体化が進んでいるが、必要な栄養を与え続ければそのうち本来のポテンシャルを取り戻すだろう」


「人間の血を飲んでない? 俺はあんまり亜人に詳しくないけど、それだと餓死するんじゃないの?」


「死にはせん。他の吸血鬼ならばいざ知らず、そいつは真祖だからな」


「しんそ?」


「吸血鬼の上位種のことだ。数は少ないが、ときおりそういった個体が発生する。太陽の下での長時間にわたる活動が可能で、人間の血を一切飲まずに長期間すごせば弱体化していくが、死に到ることはない。生きるだけなら動物の血で十分だ」


「他の吸血鬼は人間の血じゃないとダメってこと?」


「人間の血でなければ生きられないわけではない。ただ人間の血のほうが栄養価が高く、体になじみやすいのだ。犬や猫などの動物よりも身体の構造が近いからな。人間以外の動物の血では養分をうまく分解できない。結果として、人間の血を飲んだ場合よりも消化にエネルギーを使うことになる」


「動物の血は効率悪いってことか。栄養がプラスにならない感じ?」


「なにも飲まないよりはマシ程度だな。量を飲めば生きるために必要な分はまかなえるだろうが、牛一頭の血を飲み干すより、人間からひと口ふた口もらったほうがはるかに楽で安全だ。慢性的な栄養不足は激しい吸血衝動を誘発する。動物の血だけを飲み続けた結果、人間を前にした途端に理性を失って襲いかかるケースもあるほどだ」


 思わずフランリーのほうを見る。もし彼がそうなった場合、いったい誰がこの大男の暴走を止められるのだろうか。秋人の内なる疑問に、探偵はため息を返した。


「だがそれは普通の吸血鬼の話であり、真祖であるこいつには関係ない」


「……まあ、そうじゃなかったら今ごろ森から生き物がいなくなってるはずだしね。だから森から出なくても今まで大丈夫だったのか。あ、でも人間の血じゃないと結局は力が弱ってくるんだっけ?」


「少しでも飲んでいれば違っただろうに、こいつは一度も人間の血を飲まなかった。その結果が今の虚弱体質だ。だが先ほども言ったとおり、今からでも人間の血を飲むようにすれば本来の力を取り戻せるだろう。今はそのために頻繁に血を飲む必要があるだけで、本当ならその他大勢の吸血鬼に比べて量も頻度も圧倒的に少なく済む」


「じゃあ……もしかして、今は探偵の血を?」


「は? なぜ吸血鬼風情に私の血をくれてやらねばならんのだ」


「だったらどうやって?」


「血液パックの入手に関しては伝手があるのだ。そこから都合してもらったものを飲ませている。地域によっては吸血鬼用に販売されている人工血液も手に入るが、栄養価は本物に劣るからな」


「……不正な横流しとかじゃないよな」


「適正価格での購入だとも」


「それを届けるために毎回ここに来てるのか」


 探偵は組んでいた足を持ち上げてローテーブルの上にどん、と乗せる。顔のわりに仕草は無作法だ。


「よく考えてみろ、こいつは吸血鬼だぞ。それも希少な上位種である真祖だ。頭が悪く精神も幼いが、だからこそなんの疑いもなく私の命令に従う。強力で丈夫で従順で長命。手懐けておいて損はないだろう。利用価値は大いにある……が、せっかくの手駒も弱っていたのでは話にならん。これは投資だ」


「言ってること悪役じゃん」


 それでも人を使って届けるのではなく直接訪ねて来るのだから律儀だ。本当に彼の力を利用することだけが目的ならばそこまでする必要はない。そもそも私利私欲の悪心だけでフランリーに近付いたなら、刈人が反応を示すはずだ。目つきも言葉も足癖も悪い男だが、案外面倒見だけはいいらしい。


 聞けば彼らはずいぶん付き合いが長いそうだ。仲良し――というような雰囲気ではないが、お互いを深く信頼しているように思う。新参者の秋人からすると若干の疎外感はあるものの、彼らの前では正体を隠す必要がなく、ボロを出さないよう気を張らなくていい。本当に気が楽だ。ずっとこの空間にいたいような気持になる。だが同時に罪悪感のようなものが胸を刺した。正体を隠して他人を騙しながら暮らしてきた自分が、居場所を求めて楽なほうへ流れようとしている。


 自分がひどく浅ましい存在に思えてならない。どうしようもなく愚かだ。なんともうしろめたい。ここにいてはいけない。彼らとの交流があること自体はいいだろう。せっかく出会えた数少ない理解者なのだ。秋人の正体を知る彼らにしか相談できないこともある。だが決して入り浸ってはいけない。もし彼らとの交流を続けたいなら、既に抱えている負債をすべて清算してからでなければならないのだ。


 このままでは、秋人はきっと自分を見損なう。



 *



 日光の差し込む竹の林を抜け、大きな橋を渡ってリチャンからライニへと移る。境橋が通行可能になったと知った秋人がフランリーの屋敷を出たのは早朝のことだったが、ライニに到着するころにはすっかり昼になっていた。距離が遠いのだ。歩く速度が遅いせいもある。鈍間(のろま)なのだ。


 工場の敷地内に足を踏み入れる。建物の奥からかすかに響いてくる機械の稼働音が妙に懐かしく感じられた。半分閉じた状態のガレージをくぐろうとすると、先に向こう側から誰かが出てきた。思わず身を退く。


「あ」


 一昨日の晩に秋人を殺した――あの男だった。


 秋人を捉えた男の表情が凍りつく。彼に続いてガレージをくぐり出てきた河田が秋人に気付き、ぱっと表情を明るくした。


「おお、秋人! 遅かったじゃないか。いや、今回は大変だったな。二人ともごくろうさん」


「遅くなってすみません。まったく本当に――散々でした」


 言いながら未だ硬直したままの男にちらりと一瞥する。男は秋人の顔を見ないよう、じっと下を向いたままだ。


「バケモノめ……」


 と小さく呟いたのを秋人は聞き逃さなかった。


「今」


 秋人は半分だけ振り返る。


「……なにか言いましたか?」


 思わずこちらを見た男は秋人の鋭い眼光に顔を青くする。


「な……なんでもねえよ。そ、それじゃあ河田さん、俺はこれで……」


 河田が返事をする前に、男は秋人の横を早足で通り抜けていく。遠くなっていく丸い背中をしばらく眺めてから、秋人は河田に向き直る。


「あの人、どうかしたんですか?」


「帰ってくるなり今すぐ辞めさせてほしいって言ってきてな。規則だと退職の意思は二か月前か、最低でも一か月前には伝えることになってるんだが、どうしてもって聞かないもんで」


「へえ、なにかあったんですかね」


「さあなあ……まったく困ったもんだよ。なにか切羽詰まった事情があってのことなんだろうが、横田さんほどのベテランが急に抜けるとなると、しばらく大変だぞ」


「忙しくなりそうですね」


 河田の様子からして、あの男は秋人のことを話していない。すべてを洗いざらい話してまで秋人を糾弾しようとする可能性も考えて警戒していたが、余計な衝突は避けられたようだ。


「それより、二人とも帰りは一緒じゃなかったのか。さっき横田さんにも聞いたけど、なにも答えてくれなくてな」


「ああ、えっと、宿に忘れ物しちゃったから先に行っててもらったんですよ。俺、歩くの遅くて……これでも急いだほうなんですけど」


「そうか。帰ってくる前に気付けてよかったな」


 その場しのぎの単純な嘘だったが、河田はそれで納得したようだ。


「ところで、桜はどこです?」


「いつもどおり出勤してるよ。もうじき昼休憩だから話す時間くらいはあるだろう。あー……、帰ってきて早々で悪いが、午後から出られるか? 本当なら帰ってゆっくりしてもらいたいところなんだが……」


「大丈夫ですよ」


「すまんな、助かるよ」


 河田が倉庫の中に戻っていった。その直後に、建物の裏のほうから弁当箱を持った啓吾が出てきた。昼休憩の時間は厳密に決まっているわけではなく、時間を見つつ手の空いた者から休憩に入るのがいつもの流れだ。啓吾のタイムキープは完璧で、彼はいつも同じ時間に午前の仕事を終わらせては誰よりも早く休憩に入る。ちゃっかりしているのだ。


 啓吾はすぐに秋人に気付くと目を丸くしておどろいた。


「え、うわ、帰ってたのかよ」


「帰ってきちゃまずかったか? ちょっとでいいから無事だったことを喜んでくれよ。境橋が封鎖されてた理由、知らないのか?」


「いきなりそんなところに突っ立ってるからだろ。びっくりして喜びもなんも湧かねえよ」


「相変わらずだなあ」


 探偵と話したあとでは啓吾の軽口などかわいいものだ。


「午後から入ることになったんだけど、今日はどんな感じ?」


「物量自体はちょっと少なめだな。今日は早めにあがれそうだ」


「そっか。そういえば横田さん今日で辞めたんだってさ」


「は? マジかよ。あのおっさん、絡まれるとダルいけど現場まわすのうまいから、いなくなられると地味にしんどいぞ。ってか急すぎだろ、なんかあったのか?」


「さあ。なんにも話してくれなかったって河田さんが言ってた」


「勘弁してくれよ……」


「それより啓吾、桜はまだ仕事中?」


「さあな。自分で探してこいよ」


「あ、いた」


 休憩のために仕事を切り上げた従業員たちがちらほらと姿を現しはじめ、その中に見慣れたおさげ髪を捉える。目立つような髪色でもないというのに、自然と目に留まるのだから不思議なものだ。


「桜!」


 秋人の声に桜はぱっとこちらを振り返った。視線がかち合う。彼女は秋人を見るとわずかに目を見開いて、なんだか泣きそうな顔をしたと思ったころにはその場を走りだしていた。一直線に秋人のもとへと駆けつけて、片足一歩分だけ立ち止まったあと、そのまま秋人の胸の中に飛び込んでくる。


「おっと」


 動揺でよろめきそうになりながらその肩を抱きとめる。想定外の行動だ。うれしいような、おどろいたような心地のあとで、心臓の音が桜に聞こてしまうのではないかと不安になる。


「ど、どうしたの、桜」


 精一杯に平静を装って笑ってみせると、桜ははっとしてすぐに秋人から離れてしまう。


「あ、あ、ご、ごめんなさい。つい」


「あ、いや、別に謝るようなことじゃ……」


 顔を赤くしてうつむく桜に、秋人はなにも気の利いたことが言えずにもごもごと黙り込んでしまう。桜に会ったらいろいろと話したいことがあったはずだが、いざ姿を前にすると頭が真っ白になって、なにも言葉が浮かばないのだ。


 隣で啓吾が呆れたような目でこちらを睨んでくるが、今この瞬間ばかりは彼の存在に感謝した。もし啓吾がいなかったら、きっと秋人は思いのままに桜を抱きしめて離さなかっただろう。


「あの、い、いろいろと事情は聞きました。長い間、大変でしたね。ご無事でなによりです」


「うん、ありがとう。本当はもっと早く帰ってきたかったんだけど」


「いえ、そんな……仕方ないですよ。お怪我はありませんか?」


「俺は大丈夫。一人にしてごめんね。俺がいない間、危ないことはなかった?」


「はい、こっちも大丈夫でした。おかえりなさい、秋人さん」


 秋人は一瞬だけ言葉に詰まってしまうが、うれしそうな桜の笑顔に口元をゆるませながらはにかんだ。


「……ただいま」


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