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終末恋物語  作者: 氷室冬彦
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10 赤と灰に近寄るくすみ

 三人組は秋人の部屋からは少し離れた二人部屋に泊まるようだ。すれ違いで外に出た秋人は五分ほど宿の裏でぼんやりしていたが、なんとなくそわそわと落ち着かない気分になり、すぐに部屋に戻った。


 あの時。


 あの三人組の姿を見たとき、秋人は己の腹の底にくすぶる名状し難い感覚に心を乱された。気にしないように努めていても、どうにも意識がそちらに向いてしまって無視できない。


 紅茶のような赤茶色の髪に茶色系統の色で統一された衣服。目付きは悪いが、吸い込まれそうなほど深い青を湛えた瞳を持つ男。


 その紅茶色の男が抱えていた人物は、黒いマントを羽織りシルクハットをかぶった全身黒ずくめの怪しい格好だった。色白の肌に金髪と赤い切れ長の目をしていたように思う。


 二人の後ろについて歩いていたコートを着た子どもは秋人の腰にも足りていないほど小柄で、灰色の髪が顔を覆い隠しており顔は見えなかった。


 恐ろしく目立つ身なりであることを差し引いても彼らは秋人の目を惹いた。普通の人間とはなにか違う。どこがどう違うのかは分からないし、また、そう思う根拠もなにもないのだが、それでも確信があった。秋人の目は彼らが異形の存在であることをすぐに見抜いた。


 異形。秋人と同じ異形なのだ。一見、人間とほとんど同じようなカタチをしている。非常によく化けている。だから大抵の人間は気が付かない。秋人がただの人間だったならば、きっと彼らのことなど気にならなかったはずだ。この落ち着かない気分は、思いもしない場所で突然に仲間を見つけたことへの喜びと戸惑いに似ている。


 しばらくあの謎の三人組のことを考えていたが、いくら考えても悶々とするばかりで気分は晴れない。なにかすることがあるわけでもないが、どうにもじっとしていられず、今さっき外に出て戻ってきたところだというのに、またうろうろと廊下に出た。本でも読もうと思ったのだ。普段の秋人に読書の習慣はないが、たまにはそういう時間があってもいいだろう。なにか別のことでも考えて気持ちを落ち着かせるために、読書はちょうど都合がいいと思ったのだ。


 階段前の談話スペースには先客がいた。あの三人組の一人である紅茶色の男は、帽子や肩掛けなどは部屋に置いてきたのか、先ほどよりラフなワイシャツ姿だ。蝶ネクタイの赤がシャツの白によく映える。遠くから見ても綺麗なものだとわかる青い目は、今はじっと本棚を睨んでおり、しかし男はすぐに秋人に気付いた。


 利発そうな顔がこちらを向き、目を細めてじろりと秋人を睨む。ひと言挨拶でもと思ったがその前に男が歩きだし、ひとまず軽く会釈してみたが、彼はまるで秋人の姿など見えていないかのように素通りして客室へ戻っていった。間違いなく、秋人がこれまでに出会った誰よりも愛想がない人物だ。啓吾でも人と会えば挨拶くらいする。


「か、感じ悪……」


 男が入っていった扉に向けてぼそりと悪態をつく。改めて本棚を見ていた秋人だが、ソファのほうで物音がしてそちらを向いた。コートの子どもが一人ソファに座っている。先ほどの男と一緒にいた子どもだ。彼の子だろうか。


「こんにちは」


 近付いて挨拶をする。灰色の子どもは秋人を見上げるが、やはり前髪で顔が見えない。なにも言わないので人見知りか、こちらもまた親に似て無愛想なのかと思ったが、口元がもごもごと動いている。見ると手に――というよりだぼだぼに余った袖に、飴玉の入ったビンを抱えていた。ボリボリと鈍い音が小さな口の中から聞こえる。


「俺は秋人。君は?」


「寿」


 子どもが淡白に言う。


「そっか。……さっきの男の人、お父さん?」


 寿は首を横に振った。


「じゃあ、あの黒マントの人がお父さん?」


 また首を振る。どちらも父親ではないらしい。ではどういう関係なのだろう。


「たんて」


 寿はぽつりと言ってから赤い飴玉を口に入れ、二、三秒口の中で転がしたあとにすぐ噛み砕いた。


「探偵……? 青い目の人?」


 黒マントはともかく、紅茶色の男のほうは確かにそれらしい格好をしていた。


「じょしゅ」


 寿は頷いて飴を二つ口に入れた。しかしやはりすぐに噛み砕く。それは人間の子どもでは考えられない咀嚼力だ。


「じょしゅ……助手? 君がその、探偵さんの?」


「ん」


「すごいね、そんなに小さいのに」


 人間かどうかはともかく、この体格であの長身の手伝いをするのはなかなか大変そうだ。


「探偵さんって優しい?」


 お世辞にも優しそうとは言えない風貌だったが、予想に反して寿は頷いた。秋人が続けてなにか言う前に寿はソファから飛び降りる。そして抱えていた瓶を秋人に差し出す。中には五つ飴玉が残っていた。


「え、なに? くれるの?」


「ん」


「あ、ありがとう……?」


 秋人が瓶を受け取ると、寿はぱっと踵を返して客室へと駆けていった。秋人が呼び止めようとしたころには小人の姿は廊下の角に消えていったが、扉の音は一向に聞こえない。


 立ち上がって様子を見に行くと、ドアノブに手が届かず扉の前でコートの袖をばたばたさせている寿がいた。



 その後も秋人は談話スペースにいたのだが、二時間も経つころには活字を目で追うことに疲れてきた。伸びをしながら何気なく背後を振り返ってみてぎょっとする。


 あの三人組の最後の一人――黒マントの大男が読書スペースにいたのだ。小さな円卓になにかの本を広げて、その長身には不便そうな小さい丸椅子に座っていた。ソファから立ち上がり、大男の向かいの席に座る。目が合った。左目の下にホクロがある。まったく日に焼けていない色白の肌からは秋人やあの探偵のような健康さは感じられないが、病的なほどの白さではない。


「俺は秋人。あんた、名前は?」


「フランリー」


 そう名乗る大男はなぜか少し得意げだ。


「それ、なに読んでんの?」


 本を指差して尋ねるがフランリーは、うん、と言っただけだった。よく見ると、フランリーはじっとひとつのページを見ていたかと思うと前へ後ろへとぱらぱら移動して、また手を止めて紙面を見てを繰り返しているだけで、本を読んでいる様子ではなかった。


 もう一度本に視線を落とす。細かい文字の長ったらしい文章から目に入ってくる小難しい単語と、紙に刷られたやけにリアルな白黒の図面とを眺めているうちに、なんとなくどういった内容の書籍なのかは予想できた。


「生物学?」


 秋人が言うとフランリーは頷いた。


「うん」


「うえー、むずかしそ。そんなの見てておもしろいの?」


「知らなあい」


 知的そうな風貌と低い声に似合わない幼稚な返事に、机についた肘がずり落ちそうになる。


「し、知らないって。それあんたの本だろ? 読んでたんじゃないのか?」


 読んでいるようには見えなかったが。


「探偵がいないよ」


「は?」


「探偵がね、ときどき読んでくれるよ」


「いや」


「俺字読めないもん」


「ああ。そういうこと」


 育った環境によっては文字の読み書きができなくても別におかしなことでもないだろう。しかし愛想も目付きも悪いあの探偵が読み聞かせをするところなど想像もできない。


「不便じゃない?」


 字が読めないことについてだ。


「探偵がいるから」


「その探偵がいないときは?」


「知らなあい」


「自分のことだろ。今はどうなんだ?」


 字の読めない大男は一瞬きょとんとした顔をすると、手に持っていた本を秋人に差し出した。


「読んで」


「は?」


 本とフランリーを交互に見る。


「いや、俺は無理だよ」


「なんで?」


「な、なんでって……俺は本は、小説とかはまあ、読むこともたまにはあるけどさあ……」


 ただ読むだけならまだしも、朗読となると恥ずかしくてやってられない。こちらに差し出された本をぐい、とつき返す。


「と、とにかく、俺は読まないの」


 本を戻された男は実に不服そうな顔をしてみせた。見かけは秋人よりも大柄なくせに、まるで幼い子どもを相手にしているようだ。


「探偵は読んでくれるのに」


「あのねえ……」


 呆れを通り越して苦笑してしまう。


「俺とその探偵さんは違うの」


「最初から似てないよ?」


 似た性質くらいはあるだろうとも。秋人は彼に声をかけた当初の理由を思い出す。


「……なあ。あんたらさ、本当に人間なわけ?」


 フランリーは首をかしげた。


「なにが?」


「あんたら三人組。人間じゃないだろ」


 もう一度同じ問いを投げかけるが、フランリーはなにも答えなかった。

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